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五章
奴らが来た(1)
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トゥナは怒りにまかせて床をドスドス踏みならしながら地下にあるラボに向かった。トゥナは幼い頃から生物のDNAをいじるのが好きだった。DNAの配列を眺め、切ったり、張ったり、つなげたりしているといやなことも忘れられた。
ラボにはペトリ皿に色とりどりの液体が入った何本もの液体ビン、DNAコピー機、加圧滅菌器、遠心分離機にビッグサイズの顕微鏡、液体培養器、液体操作ロボット、血液攪拌機、そして、マイナス二〇度の冷凍庫……等々、DIYバイオに必要なものは一通りそろっている。
トゥナの祖母は自身は人間が生命をいじくることには断固として反対していた。
『あたしは自分が妊娠したときも出生前診断すら受けなかったんだ』
よくそう言っていた。
『まあ、正直、『普通の子』が生まれたことにはホッとしたけどね』
そう本音を漏らしてもいたけれど。
ともかく、本人の信条は別として、孫娘が自分の興味を極めることには反対しなかった。おそらく、興味を損ねるのは『自然に反する』と思っていたのだろう。おかげで子供の頃から何不自由なくバイオハックに没頭することができた。
すでに二〇を超える新生物を作成しており、そのうちのいくつかは実際に使用されている。『誰でも無料で使えるように』がバイオハックの合い言葉だから金にはならないけれど。
トゥナは愛用のパソコンを立ち上げ、『今日の生物兵器リスト』を確認した。今日一日だけで三〇〇種類を超える新しい生物兵器が登録されていた。一日に三〇〇種? 途方もない数だと思うだろう。しかし、何と言っても全世界何十万という『楽しいから』生物兵器を作っている人間たちがいるのだ。その数を思えば一日三〇〇種など信じられないほど少ない。
トゥナは最近、生物兵器を殺すためのウイルス、ヤクト・ウイルスを開発するのに凝っていた。リストを眺め、面白そうなものをピックアップする。どの新種生物兵器もすでに何万というマークが付けられており、それだけの数のバイオハッカーがすでに解析に乗り出していることがわかる。
トゥナはそのなかからもっとも面白そうだと思ったものを選び、公表されているDNAコードをダウンロードした。後先考えない脳天気な趣味人たちが『楽しいから』生物兵器を作るというのなら、作られた生物兵器を研究し、対応策を用意しておくのは『正義のバイオハッカー』の役割だ。生物兵器のDNAを手に入れ、分析し、治療法を確立し、生物兵器を殺すことのできるヤクト・ウイルスを開発しておかなくてはならない。
この辺りが趣味人のありがたさで、かの人たちは自分の作り出した生物兵器を隠したりはしない。自分の腕を見せびらかすためにできたそばから公開し、宣伝し、広めようとする。おかげで、DNAの入手は極めて簡単なことだった。
これこそが、生物兵器の作成を合法化したことの利点だった。生物兵器の作成が違法だったらこうはいかない。自作の生物兵器を隠し、そのために『正義のバイオハッカー』たちはDNAを入手できず、対応策も確立できない。もし、ひとつでも漏れ出せば致命的な被害を与えることになる。
トゥナもまた『正義のバイオハッカー』のひとりとして安全性を高めるために参加している。もちろん、生物兵器ギークたちも黙ってはいない。『正義のバイオハッカー』にやられっぱなしでなるものかと新しい生物兵器を作りあげる。するとまた『正義のバイオハッカー』たちがその対応策を作りあげる。
『血を吐きながら続ける悲しいマラソンだ』
そう吐き捨てる人たちもいる。しかし、当人たちにとってはちがう。それは、パズルを出し、解くという楽しみなのだ。
生命をあれこれいじくって楽しむと言うのだから、不謹慎にはちがいない。しかし、楽しいのだから仕方がない。おかげで、いまやあちこちの家庭に一株、漏れ出しただけで世界崩壊というレベルのウイルスやら細菌やらがゴロゴロしているのだが……。
それでも、バイオハッカーたちは叫ぶ。
『昔は核戦争の恐怖に震えながら生きていたんじゃないか。それと何がちがうんだ⁉』
生物兵器ギークによる大会はいまも毎年、開かれている。生物兵器の披露が目的である以上、実際に生きた生物に感染させ、殺さなければならない。マウスが、ラットが、モルモットが、もう少し大型のものならイヌやネコ、さらにはサルに至るまで、様々な生き物が使われ、感染させられ、苦しみながら死んでいく。どんな症状を見せるか、どれほどの時間で死ぬか、どんなに強力な感染力があるか……それらが競われるのだ。
この様子はネット上に公開されており、誰でも、いつでも見ることができる。もちろん、実際に生物を殺して楽しんでいるのだから、動物愛護協会やら人造生物反対派やらをはじめ、多くから攻撃されている。それでも、大会が開催されつづけているのは、
『釣り師やハンターと何がちがうんだ⁉ やつらだってスポーツと称して魚を殺し、動物を撃っているじゃないか。おれたちが犯罪者だと言うならやつらも同罪だ! やつらから捕まえろ!』
という主張に結局は効果的に反論できないからなのだった。
何が生物兵器ギークをしてそこまで生物兵器の作成に駆り立てるのか。かの人たちの座右の銘はこれだ。リチャード・ファインマンの有名な言葉、
『自分で創れないものをわたしは理解していない』
『危険な生物を人類自身の手で作れるようになってこそ、予防も治療もできるというものだ。そのために我々は生物兵器を作るのだ!』と言うわけだ。
もちろん、そんなものはただの口実、真っ赤な嘘だ。トゥナはそのことを知っている。本当の理由は楽しいから。やりたくて仕方がないから。その一点だ。
なぜ、それがわかるかって? だって、あたしがそうだから!
そこには理由なんてない。小さな子供がレゴブロックに夢中になったり、壁いっぱいに落書きしたりするように、とにかく、やりたいからやっている。それだけだ。それ以外の理由はすべて正当化のための後付けの理由に過ぎない。
結果としてその言葉通りになることもある。バイオハックによってすでに多くの成果が出ている。特に、農業は恩恵を受けることが多い。効率よく石油を作ったり、発電したりする細菌、空中窒素を固定して作物を育てる微生物、病気の感染を防ぐよう作物の表面をコーティングしてくれる細菌、特定の害虫だけを狙い撃ちしてくれるウイルス……リストはまだまだいくらでもつづく。
おかげで現代の農業はかつての農家が直面していた多くの苦労と無縁でいられる。
「おばあちゃんは絶対、そんな技術は使わなかったけどね」
トゥナは懐かしく思い出した。
『バイオハッカーなんてろくでもない連中だよ!』
よく頭からは湯気を、口からは唾を吹き出して、そう怒鳴っていたものだ。
『自分たちは何をしてもいいと思っているんだからね!』
『でも、バイオハックのおかげで役に立つ新生物がたくさん生まれているじゃない」
新生物を利用していれば、病気予防のためにいちいち草木灰を作物にまいたり、囮作物を植えて害虫をおびき寄せたりなんていうよけいな手間はしなくていいのに。
日がな一日、農場で働きつづける祖母を見るたび、トゥナはそう思ったものだった。
祖母は幼い孫娘の言葉にムキになって言い返した。
『あたしはそんなことを言っているんじゃない! あたしの言っているのは連中の精神の方だよ。何でもかんでも自分の思い通りにしたい、思い通りにしていい。そう思っている心根なんだよ! その心根こそがかつて地球をメチャクチャにしたことを忘れているんだ。科学技術は確かに文明を発展させたさ。でも、その代償に地球環境をぶち壊しにした。
バイオハックだけが、いいことだけをもたらし、悪いことは何ももたらさないなんて、そんなことがあると思うのかい? 冗談じゃない! きっと、いままでに誰も想像すらしたことのないとんでもない問題が持ち上がるよ』
そこまで言われてはトゥナとしても黙っていられない。何と言っても、かの人もバイオハック大好き人間なのだ。
『そんなこと言ったって、おばあちゃんだって品種改良はするじゃない。あれだってDNAの改変にはちがいないでしょ』
『伝統的な品種改良はうまく行かなくて当たり前だ。何度もなんども失敗してようやく望み通りの結果を得る。その過程を繰り返すことで自分の望み通りにならない相手との付き合い方を学ぶんだよ。ところが、バイオハッカーたちはDNAを直接いじくってすぐに自分の思い通りの結果を得る。
その精神が人間相手に向かったらどうなる? 自分の思い通りにならない相手には我慢ならない、どんな人間も自分の思い通りにしなくちゃ気がすまないなんてことになったら? そんな態度でいたら世のおとなどもはいつかきっと、この世から『子供』という存在を抹殺するよ。子供こそ思い通りにならない存在の代表なんだからね』
祖母は口角泡を飛ばしてそう主張したものだった。
いまの世の中を見ていれば確かに、その警告ももっともだと思う。何しろ、ほとんどの親は受精卵のDNAをいじくり、自分好みの赤ん坊として誕生させる。さらに夜泣き防止のために薬品投与と脳内チップのプログラムとで赤ん坊の行動をコントロールし、自分の都合に合わせて動かしているのだから。
それはもはや赤ん坊ではない。赤ん坊ラジコンだ。しかし、いまやそちらが主流。トゥナのようにDNA操作も受けず、薬品投与もされず、自然のままに育てられた人間の方がはるかにめずらしい。
かくして、赤ん坊をいじりすぎた親たちは深刻なアイデンティティ・クライシスに直面することになる。
『これは本当に自分の子供なのか?』と。
『でも、おばあちゃん、フォレスターが駆除されそうになったときは猛反対したじゃない』
なおも言う孫娘に向かって祖母は怒りをまき散らしながら答えた。
『当たり前だろ! 自分の趣味で作っておいて邪魔になったら殺す。そんな身勝手、許せるもんか。それこそ自分の思い通りになるべきだって精神の極地じゃないか。そんなことは許せないね。ああ、絶対に許せないとも。あたしがヴィクター・フランケンシュタインの母親だったら、あんな無責任な真似はさせなかった。張り倒してでも自分の作った息子の面倒を見させたよ』
天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインが生み出した人造人間。それは本来、世間一般でイメージされているような怪物ではなかった。それは見た目こそ醜いが、人間以上の高い知性と高潔な精神をもつ超人だった。
怪物は盲目の父とその子供たちからなる貧しいが愛情に満ちた一家に出会う。小屋に潜み、薪割りなどをして暮らしを手伝いながら、人間の暮らしを学んでいく。
そのなかに混じりたい、自分も家族の一員として迎えてもらいたい。
そう熱望するようになる。そして、ある日とうとう、盲目の父がひとりでいるところに姿を現わし、自分を迎え入れくれるよう懇願する。しかし――。
そこに帰ってきた息子は父が襲われているものと思い、怪物に殴りかかる。怪物はその場を逃げ出して絶望と怒りに駆られる。時間がたつにつれ冷静さを取り戻し、もう一度、今度はもっと慎重に訴えてみようと心に誓う。しかし、息子はすでにその家を出て行くことに決めていた。『もう一刻もこの家にはいられない。父の生命が危険なのだ』と。
怪物はただ、家族の一員として迎え入れて欲しかっただけなのに。誰も傷つける気などなかったのに。『外見が醜い』という、ただそれだけの理由で怖れられ、誤解され、世界とのつながりを断ち切られてしまったのだ。
川で溺れた幼い女の子を助けたこともある。しかし、その行為に対する人間の態度は感謝の言葉ではなかった。銃で撃ち、追い払うことだった。
この見た目が、この醜さがある限り、自分は決して人間に受け入れられることはないのだ。
その事実を知った怪物は絶望し、生みの親であるヴィクター・フランケンシュタインに要求する。
自分と同種の女を作ってくれ。そうすれば自分は女と共に人里離れた土地で暮らし、二度と人間の前に出ることはない。
一度は怪物の境遇に同情し、同種の女を作ることに同意したヴィクター・フランケンシュタイン。しかし、怪物の子孫が増えて人類を脅かすことを怖れ、作りかけの女を破壊してしまう。何しろ、怪物は見た目の醜さ以外、すべてにおいて人間より優れているのだから。
それを見た怪物は今度こそ絶望し、ヴィクター・フランケンシュタインの婚約者を殺害する。このとき、怪物ははじめて意識して人を殺す。人間からの拒絶が、かの人をして怪物に変えたのだ。
祖母はその件に関してもハッキリ言っていた。
『あたしがヴィクター・フランケンシュタインの母親ならそんなことはさせなかった。同種の女を作らせて、幸せに暮らさせてやったさ』
『怪物が増えて、人類を滅ぼしてもいいわけ?』
ちょっと意地悪したくなって、トゥナはそう尋ねた。その質問には祖母はまったく揺らぐことはなかった。胸を張って答えた。
『怪物だろうがAIだろうが、人類が生み出したものなら人類の子供だよ。子供は親を超えていくもの。子供の成長を怖れる親なんざ滅ぼされればいいのさ』
そう言い切った祖母もすでにいない。畑仕事の最中、急に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。脳梗塞だった。脳さえ生きていればどうにでもできる時代だが、その脳が死んでしまったのではどうにもならない。
もっとも、祖母は人工的な手段による延命は――それがいかなるものであれ――拒否する旨を宣誓書にしたためていたのだが。
祖母はかの人を慕う多くの人々の涙に送られて永遠の眠りについた。死ぬ直前までそんな様子なんてなかった。いつも元気いっぱいに見えた。でも、その陰で血管のなかに老廃物が溜まり、突如としてその生命を奪った。
バイオハックによって作られた洗浄細菌によって体内のクリーニングをしていればまだまだ若さを保ったまま生きていられただろうに。いや、それともいっそバイオ3Dプリンタでスペアの肉体を作り、脳を移植するという手もある。
もちろん、肉体を取り替えたところで脳の老化は止められないし、脳移植だってそう何度もできるわけではない。だから、この方法で永遠の若さを保つことはできない。それでも、一度や二度なら可能なのだ。もし、そうしていたらいまでもトゥナの側には自分よりも若く見える祖母が元気に暮らしていただろうに……。
しかし、祖母はそんな手段はすべて拒否して自然のままに生き、自然のままに死んだ。
『古いもんがいつまでも生きていたら、新しいもんは一体どこで生きていけばいいんだい? 新しいもんに場所を譲るために死ぬのが古いもんの一番の務めだよ』
日頃からそう言っていた言葉のままに。
祖母の生き様は立派なものだったと思う。尊敬している。でも、すべての人に同じ生き様を強いることなどできるはずもない。誰だって歳をとるのはいやだし、死ぬのはもっといやなのだから。そして、大切な人に死なれるのだって。
バイオハックは止められない。その恩恵はあまりにも大きなもので、どんな危険を訴えようと、捨てさせることなどできはしない。もし、生命操作への畏れをもつ人間がバイオテクノロジーを捨てれば、そんな畏れをもたない人間たちが勝手にどんどん進めてしまう。そうなれば、それこそ取り返しのつかない事態が起こるだろう。
トゥナは〝美しいヒト〟の運命を思い出した。自分たちの生み出した人間がどんな運命をたどることになるか。そんなことはまるで気にもせず、自分の興味だけで生み出した『仲間』たちに腹が立つ。と言って『それじゃあ、産まれてこなかった方がよかったのか?』と、問われるとそれもまたちがう気がするのだが。
でも、これだけはわかる。
いつまでもそんなことを繰り返していてはいけない。
それは、人類の名誉と誇りにかけた誓いだった。
その誓いを叶えるためには生命操作への恐れをもつ人間たちが、『自分の思い通りにするのではない』バイオテクノロジーを確立するしかない。でも、そんなことが可能なのだろうか? バイオテクノロジーとはそもそも『生命を思い通りにする』ための技術だと言うのに……。
「でも、そんなバイオテクノロジーを確立することが、おばあちゃんの思いに応える方法だものね」
ラボにはペトリ皿に色とりどりの液体が入った何本もの液体ビン、DNAコピー機、加圧滅菌器、遠心分離機にビッグサイズの顕微鏡、液体培養器、液体操作ロボット、血液攪拌機、そして、マイナス二〇度の冷凍庫……等々、DIYバイオに必要なものは一通りそろっている。
トゥナの祖母は自身は人間が生命をいじくることには断固として反対していた。
『あたしは自分が妊娠したときも出生前診断すら受けなかったんだ』
よくそう言っていた。
『まあ、正直、『普通の子』が生まれたことにはホッとしたけどね』
そう本音を漏らしてもいたけれど。
ともかく、本人の信条は別として、孫娘が自分の興味を極めることには反対しなかった。おそらく、興味を損ねるのは『自然に反する』と思っていたのだろう。おかげで子供の頃から何不自由なくバイオハックに没頭することができた。
すでに二〇を超える新生物を作成しており、そのうちのいくつかは実際に使用されている。『誰でも無料で使えるように』がバイオハックの合い言葉だから金にはならないけれど。
トゥナは愛用のパソコンを立ち上げ、『今日の生物兵器リスト』を確認した。今日一日だけで三〇〇種類を超える新しい生物兵器が登録されていた。一日に三〇〇種? 途方もない数だと思うだろう。しかし、何と言っても全世界何十万という『楽しいから』生物兵器を作っている人間たちがいるのだ。その数を思えば一日三〇〇種など信じられないほど少ない。
トゥナは最近、生物兵器を殺すためのウイルス、ヤクト・ウイルスを開発するのに凝っていた。リストを眺め、面白そうなものをピックアップする。どの新種生物兵器もすでに何万というマークが付けられており、それだけの数のバイオハッカーがすでに解析に乗り出していることがわかる。
トゥナはそのなかからもっとも面白そうだと思ったものを選び、公表されているDNAコードをダウンロードした。後先考えない脳天気な趣味人たちが『楽しいから』生物兵器を作るというのなら、作られた生物兵器を研究し、対応策を用意しておくのは『正義のバイオハッカー』の役割だ。生物兵器のDNAを手に入れ、分析し、治療法を確立し、生物兵器を殺すことのできるヤクト・ウイルスを開発しておかなくてはならない。
この辺りが趣味人のありがたさで、かの人たちは自分の作り出した生物兵器を隠したりはしない。自分の腕を見せびらかすためにできたそばから公開し、宣伝し、広めようとする。おかげで、DNAの入手は極めて簡単なことだった。
これこそが、生物兵器の作成を合法化したことの利点だった。生物兵器の作成が違法だったらこうはいかない。自作の生物兵器を隠し、そのために『正義のバイオハッカー』たちはDNAを入手できず、対応策も確立できない。もし、ひとつでも漏れ出せば致命的な被害を与えることになる。
トゥナもまた『正義のバイオハッカー』のひとりとして安全性を高めるために参加している。もちろん、生物兵器ギークたちも黙ってはいない。『正義のバイオハッカー』にやられっぱなしでなるものかと新しい生物兵器を作りあげる。するとまた『正義のバイオハッカー』たちがその対応策を作りあげる。
『血を吐きながら続ける悲しいマラソンだ』
そう吐き捨てる人たちもいる。しかし、当人たちにとってはちがう。それは、パズルを出し、解くという楽しみなのだ。
生命をあれこれいじくって楽しむと言うのだから、不謹慎にはちがいない。しかし、楽しいのだから仕方がない。おかげで、いまやあちこちの家庭に一株、漏れ出しただけで世界崩壊というレベルのウイルスやら細菌やらがゴロゴロしているのだが……。
それでも、バイオハッカーたちは叫ぶ。
『昔は核戦争の恐怖に震えながら生きていたんじゃないか。それと何がちがうんだ⁉』
生物兵器ギークによる大会はいまも毎年、開かれている。生物兵器の披露が目的である以上、実際に生きた生物に感染させ、殺さなければならない。マウスが、ラットが、モルモットが、もう少し大型のものならイヌやネコ、さらにはサルに至るまで、様々な生き物が使われ、感染させられ、苦しみながら死んでいく。どんな症状を見せるか、どれほどの時間で死ぬか、どんなに強力な感染力があるか……それらが競われるのだ。
この様子はネット上に公開されており、誰でも、いつでも見ることができる。もちろん、実際に生物を殺して楽しんでいるのだから、動物愛護協会やら人造生物反対派やらをはじめ、多くから攻撃されている。それでも、大会が開催されつづけているのは、
『釣り師やハンターと何がちがうんだ⁉ やつらだってスポーツと称して魚を殺し、動物を撃っているじゃないか。おれたちが犯罪者だと言うならやつらも同罪だ! やつらから捕まえろ!』
という主張に結局は効果的に反論できないからなのだった。
何が生物兵器ギークをしてそこまで生物兵器の作成に駆り立てるのか。かの人たちの座右の銘はこれだ。リチャード・ファインマンの有名な言葉、
『自分で創れないものをわたしは理解していない』
『危険な生物を人類自身の手で作れるようになってこそ、予防も治療もできるというものだ。そのために我々は生物兵器を作るのだ!』と言うわけだ。
もちろん、そんなものはただの口実、真っ赤な嘘だ。トゥナはそのことを知っている。本当の理由は楽しいから。やりたくて仕方がないから。その一点だ。
なぜ、それがわかるかって? だって、あたしがそうだから!
そこには理由なんてない。小さな子供がレゴブロックに夢中になったり、壁いっぱいに落書きしたりするように、とにかく、やりたいからやっている。それだけだ。それ以外の理由はすべて正当化のための後付けの理由に過ぎない。
結果としてその言葉通りになることもある。バイオハックによってすでに多くの成果が出ている。特に、農業は恩恵を受けることが多い。効率よく石油を作ったり、発電したりする細菌、空中窒素を固定して作物を育てる微生物、病気の感染を防ぐよう作物の表面をコーティングしてくれる細菌、特定の害虫だけを狙い撃ちしてくれるウイルス……リストはまだまだいくらでもつづく。
おかげで現代の農業はかつての農家が直面していた多くの苦労と無縁でいられる。
「おばあちゃんは絶対、そんな技術は使わなかったけどね」
トゥナは懐かしく思い出した。
『バイオハッカーなんてろくでもない連中だよ!』
よく頭からは湯気を、口からは唾を吹き出して、そう怒鳴っていたものだ。
『自分たちは何をしてもいいと思っているんだからね!』
『でも、バイオハックのおかげで役に立つ新生物がたくさん生まれているじゃない」
新生物を利用していれば、病気予防のためにいちいち草木灰を作物にまいたり、囮作物を植えて害虫をおびき寄せたりなんていうよけいな手間はしなくていいのに。
日がな一日、農場で働きつづける祖母を見るたび、トゥナはそう思ったものだった。
祖母は幼い孫娘の言葉にムキになって言い返した。
『あたしはそんなことを言っているんじゃない! あたしの言っているのは連中の精神の方だよ。何でもかんでも自分の思い通りにしたい、思い通りにしていい。そう思っている心根なんだよ! その心根こそがかつて地球をメチャクチャにしたことを忘れているんだ。科学技術は確かに文明を発展させたさ。でも、その代償に地球環境をぶち壊しにした。
バイオハックだけが、いいことだけをもたらし、悪いことは何ももたらさないなんて、そんなことがあると思うのかい? 冗談じゃない! きっと、いままでに誰も想像すらしたことのないとんでもない問題が持ち上がるよ』
そこまで言われてはトゥナとしても黙っていられない。何と言っても、かの人もバイオハック大好き人間なのだ。
『そんなこと言ったって、おばあちゃんだって品種改良はするじゃない。あれだってDNAの改変にはちがいないでしょ』
『伝統的な品種改良はうまく行かなくて当たり前だ。何度もなんども失敗してようやく望み通りの結果を得る。その過程を繰り返すことで自分の望み通りにならない相手との付き合い方を学ぶんだよ。ところが、バイオハッカーたちはDNAを直接いじくってすぐに自分の思い通りの結果を得る。
その精神が人間相手に向かったらどうなる? 自分の思い通りにならない相手には我慢ならない、どんな人間も自分の思い通りにしなくちゃ気がすまないなんてことになったら? そんな態度でいたら世のおとなどもはいつかきっと、この世から『子供』という存在を抹殺するよ。子供こそ思い通りにならない存在の代表なんだからね』
祖母は口角泡を飛ばしてそう主張したものだった。
いまの世の中を見ていれば確かに、その警告ももっともだと思う。何しろ、ほとんどの親は受精卵のDNAをいじくり、自分好みの赤ん坊として誕生させる。さらに夜泣き防止のために薬品投与と脳内チップのプログラムとで赤ん坊の行動をコントロールし、自分の都合に合わせて動かしているのだから。
それはもはや赤ん坊ではない。赤ん坊ラジコンだ。しかし、いまやそちらが主流。トゥナのようにDNA操作も受けず、薬品投与もされず、自然のままに育てられた人間の方がはるかにめずらしい。
かくして、赤ん坊をいじりすぎた親たちは深刻なアイデンティティ・クライシスに直面することになる。
『これは本当に自分の子供なのか?』と。
『でも、おばあちゃん、フォレスターが駆除されそうになったときは猛反対したじゃない』
なおも言う孫娘に向かって祖母は怒りをまき散らしながら答えた。
『当たり前だろ! 自分の趣味で作っておいて邪魔になったら殺す。そんな身勝手、許せるもんか。それこそ自分の思い通りになるべきだって精神の極地じゃないか。そんなことは許せないね。ああ、絶対に許せないとも。あたしがヴィクター・フランケンシュタインの母親だったら、あんな無責任な真似はさせなかった。張り倒してでも自分の作った息子の面倒を見させたよ』
天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインが生み出した人造人間。それは本来、世間一般でイメージされているような怪物ではなかった。それは見た目こそ醜いが、人間以上の高い知性と高潔な精神をもつ超人だった。
怪物は盲目の父とその子供たちからなる貧しいが愛情に満ちた一家に出会う。小屋に潜み、薪割りなどをして暮らしを手伝いながら、人間の暮らしを学んでいく。
そのなかに混じりたい、自分も家族の一員として迎えてもらいたい。
そう熱望するようになる。そして、ある日とうとう、盲目の父がひとりでいるところに姿を現わし、自分を迎え入れくれるよう懇願する。しかし――。
そこに帰ってきた息子は父が襲われているものと思い、怪物に殴りかかる。怪物はその場を逃げ出して絶望と怒りに駆られる。時間がたつにつれ冷静さを取り戻し、もう一度、今度はもっと慎重に訴えてみようと心に誓う。しかし、息子はすでにその家を出て行くことに決めていた。『もう一刻もこの家にはいられない。父の生命が危険なのだ』と。
怪物はただ、家族の一員として迎え入れて欲しかっただけなのに。誰も傷つける気などなかったのに。『外見が醜い』という、ただそれだけの理由で怖れられ、誤解され、世界とのつながりを断ち切られてしまったのだ。
川で溺れた幼い女の子を助けたこともある。しかし、その行為に対する人間の態度は感謝の言葉ではなかった。銃で撃ち、追い払うことだった。
この見た目が、この醜さがある限り、自分は決して人間に受け入れられることはないのだ。
その事実を知った怪物は絶望し、生みの親であるヴィクター・フランケンシュタインに要求する。
自分と同種の女を作ってくれ。そうすれば自分は女と共に人里離れた土地で暮らし、二度と人間の前に出ることはない。
一度は怪物の境遇に同情し、同種の女を作ることに同意したヴィクター・フランケンシュタイン。しかし、怪物の子孫が増えて人類を脅かすことを怖れ、作りかけの女を破壊してしまう。何しろ、怪物は見た目の醜さ以外、すべてにおいて人間より優れているのだから。
それを見た怪物は今度こそ絶望し、ヴィクター・フランケンシュタインの婚約者を殺害する。このとき、怪物ははじめて意識して人を殺す。人間からの拒絶が、かの人をして怪物に変えたのだ。
祖母はその件に関してもハッキリ言っていた。
『あたしがヴィクター・フランケンシュタインの母親ならそんなことはさせなかった。同種の女を作らせて、幸せに暮らさせてやったさ』
『怪物が増えて、人類を滅ぼしてもいいわけ?』
ちょっと意地悪したくなって、トゥナはそう尋ねた。その質問には祖母はまったく揺らぐことはなかった。胸を張って答えた。
『怪物だろうがAIだろうが、人類が生み出したものなら人類の子供だよ。子供は親を超えていくもの。子供の成長を怖れる親なんざ滅ぼされればいいのさ』
そう言い切った祖母もすでにいない。畑仕事の最中、急に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。脳梗塞だった。脳さえ生きていればどうにでもできる時代だが、その脳が死んでしまったのではどうにもならない。
もっとも、祖母は人工的な手段による延命は――それがいかなるものであれ――拒否する旨を宣誓書にしたためていたのだが。
祖母はかの人を慕う多くの人々の涙に送られて永遠の眠りについた。死ぬ直前までそんな様子なんてなかった。いつも元気いっぱいに見えた。でも、その陰で血管のなかに老廃物が溜まり、突如としてその生命を奪った。
バイオハックによって作られた洗浄細菌によって体内のクリーニングをしていればまだまだ若さを保ったまま生きていられただろうに。いや、それともいっそバイオ3Dプリンタでスペアの肉体を作り、脳を移植するという手もある。
もちろん、肉体を取り替えたところで脳の老化は止められないし、脳移植だってそう何度もできるわけではない。だから、この方法で永遠の若さを保つことはできない。それでも、一度や二度なら可能なのだ。もし、そうしていたらいまでもトゥナの側には自分よりも若く見える祖母が元気に暮らしていただろうに……。
しかし、祖母はそんな手段はすべて拒否して自然のままに生き、自然のままに死んだ。
『古いもんがいつまでも生きていたら、新しいもんは一体どこで生きていけばいいんだい? 新しいもんに場所を譲るために死ぬのが古いもんの一番の務めだよ』
日頃からそう言っていた言葉のままに。
祖母の生き様は立派なものだったと思う。尊敬している。でも、すべての人に同じ生き様を強いることなどできるはずもない。誰だって歳をとるのはいやだし、死ぬのはもっといやなのだから。そして、大切な人に死なれるのだって。
バイオハックは止められない。その恩恵はあまりにも大きなもので、どんな危険を訴えようと、捨てさせることなどできはしない。もし、生命操作への畏れをもつ人間がバイオテクノロジーを捨てれば、そんな畏れをもたない人間たちが勝手にどんどん進めてしまう。そうなれば、それこそ取り返しのつかない事態が起こるだろう。
トゥナは〝美しいヒト〟の運命を思い出した。自分たちの生み出した人間がどんな運命をたどることになるか。そんなことはまるで気にもせず、自分の興味だけで生み出した『仲間』たちに腹が立つ。と言って『それじゃあ、産まれてこなかった方がよかったのか?』と、問われるとそれもまたちがう気がするのだが。
でも、これだけはわかる。
いつまでもそんなことを繰り返していてはいけない。
それは、人類の名誉と誇りにかけた誓いだった。
その誓いを叶えるためには生命操作への恐れをもつ人間たちが、『自分の思い通りにするのではない』バイオテクノロジーを確立するしかない。でも、そんなことが可能なのだろうか? バイオテクノロジーとはそもそも『生命を思い通りにする』ための技術だと言うのに……。
「でも、そんなバイオテクノロジーを確立することが、おばあちゃんの思いに応える方法だものね」
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