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四章
〝美しいヒト〟(2)
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「そう」
トゥナはうなずいた。表面ばかりは平静を装っていたが、胸のうちでは恋い焦がれた相手に出会うかのような欲望が燃えていた。
――うう、ちょっとヤバいかも……。
目を覚ました女の子と面と向かい、話をしても冷静でいられる……という自信はまったくなかった。
部屋に入ると女の子は上半身を起こして待っていた。大きな澄んだ目がじっとトゥナを見つめる。
ドクン、と、トゥナの心臓が鳴った。いきなり押し倒し、あの可憐な唇を奪いたい。そんな衝動に駆られた。
――ストレートの女であるあたしでさえ、こうなんだもの。男の一馬が会うのを怖れるわけよね。監禁されるのも仕方ないか。
悪いとは思いつつそう納得してしまう。
それはまさに〝美しいヒト〟のもつ魔力だった。いま目の前にいるこの子もそんなひとりにはちがいない。まだ売られる前なのか、それとも、すでに売られ、レイプされてしまった後なのか。いずれにせよ、性奴隷として作られ、性奴隷として扱われる運命の少女……。
――まだこんなに小さいのに……。
トゥナは少女の運命に心を痛めた。ちなみに、この問題は〝美しいヒト〟の作成計画が発表されたときから提示されていた。
『もし、〝美しいヒト〟が性奴隷として売買されるような事態になったらどうするのか』
その問いに対して、開発者であるシャガールとシュヴァリエは答えた。
『芸術上の美を追究することは人間の権利だ。まずは作る。問題はそれから考える』
バイオハッカーたちの常套文句だ。
技術を極めるため、
生命を理解するため、
多様性を深めるため、
世に有益な存在を生み出すため……。
かの人たちはいつもそんな美辞麗句を並べ立て、自分たちの立場を正当化する。それは決して嘘ではない。バイオハッカーたちはそう信じて活動している。
しかし、本当の本音はちがう。ただ楽しいから、DNAをいじくり、新しいものを作り出すのが楽しいからやっている。
それがすべてのバイオハッカーたちの行動の根本。そして、自分の行為がもたらすことになる社会的、倫理的、哲学的な問題に対して深く考えることは決してない。
かの人たちにとって自分がDNAをいじり、新しい生命を作ることは何人たりとも犯してはならない基本的人権なのだ。
〝心を持つ〟ロボットの開発者であるフランクリン教授もそうだったのだろう。〝心を持つ〟ロボットを作る。作りたい。その思いだけで研究を重ね、後々の問題など何も考えていなかったにちがいない。そうでなければ『人間に向かない仕事は〝心を持つ〟ロボットにも向かない』という当たり前のことに気付かなかったはずがない。
同じバイオハッカーとして、トゥナはその業の深さに目のくらむ思いがした。
そして、誓った。絶対に、この子を守り抜く、と。
トゥナは内心の痛みを押し隠してニッコリと微笑んだ。正直、いい笑顔になったかどうか自信はない。この子が安心してくれるやさしい笑顔になっていればいいけど……。
「こんにちは」
とりあえず、そう言った。女の子は答えなかった。ただじっとトゥナを見つめている。トゥナはもう一度笑みを浮かべた。最初よりぎこちない笑みだった。
「はじめまして、あたしは安藤薹菜。トゥナと呼ばれているわ。さっきいた男の人を見たでしょう? かの人はキオ。ああ見えてロボットなの。〝心を持つ〟ロボットだけどね。だから、あなたを襲ったりしないから安心して」
――正直、あたしはわからないけどね。
女の子を見るたびに感じるこの胸の高鳴りを思うと、後ろめたいながらにそう思ってしまう。
トゥナの言葉は女の子を安心させようとしてのものだった。でも、女の子は表情ひとつ動かさなかった。相変わらず黙ったままトゥナを見つめている。
トゥナは戸惑った。この子は警戒しているのだろうか、それとも、状況を理解していないのだろうか?
トゥナは戸惑いつつ尋ねた。
「あなたは森のなかで倒れていたの。だから、急いで運んだんだけど……あ、安心してね。体はだいじょうぶだから。疲れてはいるけど、これといった怪我はないし、きちんと飲んで、食べて、少し休めばば回復するそうだから……」
女の子はやはり、黙っている。トゥナはぎごちない笑みを浮かべた。
「あなたの名前を教えてもらえる?」
「……ニジュウロク」
ズキリ。
女の子のはじめての声にトゥナは胸を刺される痛みを味わった。
予想できることだった。性奴隷として作られ、性奴隷として扱われる〝美しいヒト〟が、単なる番号で呼ばれていることは。トゥナは我慢ならなかった。キオがかつて『オクトー』と名乗ったときもそうだったように、心ある人を番号で呼ぶことはトゥナの許容範囲の遙か彼方を超えていた。
「……ねえ。『アネモネ』って呼んでいい?」
その言葉に――。
女の子は目を見開いてトゥナを見た。純粋な驚き、『信じられない』という思い、さらには最も大切で神聖なものを汚されたという思いまで……そのすべてが渾然一体となって少女の美しすぎる顔に浮いていた。
「ご、ごめんなさい……!」
少女の表情のあまりの変化にトゥナは思わず謝っていた。何が問題だったのかはわからない。でも、とにかく、自分の一言がこの女の子に途方もないショックを与えてしまったことだけはわかった。だから、とにかく謝った。何をどう謝ればいいのかはわからなかったけど、とにかく、そうせずにはいられなかった。少女の浮かべた表情はそれほどに衝撃的なものだった。
「あ、あなたがいやならそんな名前では呼ばないから……ええと、何か呼ばれたい名前はある? ……番号以外で」
トゥナは必死に引きつった笑みを浮かべて言った。少女はふいと顔をそらした。消え入りそうな小さな声で答えた。
「……アネモネでいい」
「そ、そう……」
トゥナはホッと胸をなで下ろした。何が女の子にあれほどの衝撃を与えたのかはわからないけど、とにかく、『アネモネ』という名前がいけなかったわけではなさそうだ。
「ええと……それじゃあ、まずは……って、そうだ! お腹、空いてるよね まずは何か食べよう」
それがいい、それがいい、と、トゥナはアネモネを食堂に連れて行った。ケーキでも何でも山盛りにして食べさせてあげたい気分だったけど、飢えと渇きにさいなまれているところに、急にそんなものを食べさせてはいけないと思う程度の分別は残っていた。
そこで、オートミールをミルクでさっと煮立てて粥を作った。バターとハチミツを加えて出来上がり。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
両腕を広げ、満面の笑顔でそう告げる。
「……いただきます」
アネモネは小さな、それでいてよく通る品のある声でそう言った。湯気を立てる熱々の粥をスプーンで口に運ぶ。
トゥナはそんなアネモネを正面の席に座ってじっと見つめていた。熱い粥をフーフーして冷ます仕種も、スプーンで頬張る表情も、そのすべてがため息が出るほど魅力的だ。見ているだけで魂まで吸い取れてしまいそう。
――ほんと、男の人たちが性犯罪者になっちゃうのもわかるわ……。
悪いけど〝美しいヒト〟を襲う心理が手にとるようにわかってしまう。まさに、〝美しいヒト〟とは人の手で作られた魔性そのものだった。
「ごちそうさま、ありがとう」
アネモネは粥を食べ終えると礼儀正しくそう告げた。
「あ、いえ、どういたしまして……!」
なぜか、トゥナの方が頭をさげてしまう。
それきり、会話がつづかなかった。アネモネは一言も喋ろうとしないし、トゥナの方も何をどう切り出していいのかわからない。
「え、ええと……」
眼をそらしたり、指で頬をかいたり、あきらかに挙動不審な態度をしばらくつづけてから、ようやく切り出した。
「ね、ねえ。立ち入ったことを聞くけど、あなた、どこかから逃げてきたんでしょう?」
ビクン、と、アネモネの体がこわばった。小さな手をひざの上で握りしめている。
「くわしく教えてもらえる? 心配しなくていいのよ。ここにはあたしとキオしかいないし、騎士の友だちもいるから。あなたを守ってあげられるわ。だから……」
どこからきたのか、誰から逃げてきたのか、他にも〝美しいヒト〟はいるのか。
トゥナはいくつかの質問を重ねた。しかしアネモネはそのすべてに沈黙で答えた。決して口を開こうとはしなかった。その沈痛な目を見ているととてもこれ以上、追求する気にはなれなかった。
――きっと、よっぽとひどい目に遭ってきたのね。
トゥナはそう思い、アネモネに対する同情の念と、見たことのない『誰か』に対する怒りを新たなものとした。
「いいわ。無理強いする気はないから。言いたくなったら言って。それまでここで暮らすといいわ。農場だから食べるには困らないわよ」
そう言って寝室に送り、寝かしつけた。とにかく、この子には休息と栄養が必要だ。
アネモネはベッドに入るとすぐに健やかな寝息を立てはじめた。その寝顔のかわいいこと。頬にキスしたい衝動に駆られたけど、やっとの事で押さえた。キスしてしまったら最後、それですませる自信がまったくなかったもので。
起こさないようそっと寝室を出る。するとそこに心配という題を付けた彫像のようになっているキオがいた。キオは早口でまくし立てた。
「どういうことだ⁉ どうしてあの子を騎士団に渡さない? まさか、あの子をここに置いておくつもりか⁉」
その言葉の内容と口調とにトゥナはムッとした。アネモネにかまけて忘れていた怒りが再び頭をもたげてきた。おかげで言い返す口調はかなりつっけんどんなものになってしまった。
『当たり前でしょ。あんな小さな女の子を放り出せるわけないじゃない」
「危険だ! 騎士団に任せるべきだ。わかっているだろう、〝美しいヒト〟を育てるのにどれだけの金がかかるか……」
「物みたいに言わないで! あの子は人間なのよ!」
トゥナはピシャリと言った。しかし、キオはなおも食い下がった。キオがこんなにもトゥナに食ってかかるのははじめてのことだった。
「〝美しいヒト〟を売れるように仕込むのには金がかかる。単に体だけの問題ならバイオ3Dプリンタで成人した姿に作成できる。でも、それはただの体だ。記憶も情動もない。人間らしい情緒をもたせるためにはやっぱり、人間として育てなければならない。『一五歳の人間』として売るためには、一五年間、世話をしなきゃいけないんだ。人ひとりをそれだけの間、育てるとなれば、ただでさえ金がかかる。まして、売買目的で育てるとなれば隠して育てなきゃならない。その分、余計な金がかかる。それだけの手間と金を掛けて育てた相手に逃げられて放っておくはずがない。草の根分けても探し出すに決まっている。あの子を置いておく限り野恵農場が、そして、トゥナ、君自身が犯罪集団に狙われると言うことなんだぞ!」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってるなら……」
トゥナはキオにそれ以上、言わせなかった。両手を腰に当て、ズイッと顔を近づけた。睨み付けた。キオはあきらかに気圧されて顔を後ろにさげた。
「言っておくけど、あたしはあの子を見捨てたりしない。絶対に守ってみせる。そんな危険はいやだと言うなら、あなたが出て行けばいいわ」
「トゥナ……」
キッパリと言われてキオはたちまち捨てられた子イヌのような情けない表情になった。
めずらしく強く主張したと思ったら、たちまちこれだ。トゥナは色々な意味で腹が立って仕方がない。
「それが家主であり、雇い主でもあるあたしの答え。じゃあね」
トゥナはそう言い捨てるとスタスタと歩いて行った。そのとき、キオがどれほど傷ついた表情をしたか、トゥナにはわからなかった。キオに対する怒りのあまり、一瞥もくれることはなかったので。
トゥナはうなずいた。表面ばかりは平静を装っていたが、胸のうちでは恋い焦がれた相手に出会うかのような欲望が燃えていた。
――うう、ちょっとヤバいかも……。
目を覚ました女の子と面と向かい、話をしても冷静でいられる……という自信はまったくなかった。
部屋に入ると女の子は上半身を起こして待っていた。大きな澄んだ目がじっとトゥナを見つめる。
ドクン、と、トゥナの心臓が鳴った。いきなり押し倒し、あの可憐な唇を奪いたい。そんな衝動に駆られた。
――ストレートの女であるあたしでさえ、こうなんだもの。男の一馬が会うのを怖れるわけよね。監禁されるのも仕方ないか。
悪いとは思いつつそう納得してしまう。
それはまさに〝美しいヒト〟のもつ魔力だった。いま目の前にいるこの子もそんなひとりにはちがいない。まだ売られる前なのか、それとも、すでに売られ、レイプされてしまった後なのか。いずれにせよ、性奴隷として作られ、性奴隷として扱われる運命の少女……。
――まだこんなに小さいのに……。
トゥナは少女の運命に心を痛めた。ちなみに、この問題は〝美しいヒト〟の作成計画が発表されたときから提示されていた。
『もし、〝美しいヒト〟が性奴隷として売買されるような事態になったらどうするのか』
その問いに対して、開発者であるシャガールとシュヴァリエは答えた。
『芸術上の美を追究することは人間の権利だ。まずは作る。問題はそれから考える』
バイオハッカーたちの常套文句だ。
技術を極めるため、
生命を理解するため、
多様性を深めるため、
世に有益な存在を生み出すため……。
かの人たちはいつもそんな美辞麗句を並べ立て、自分たちの立場を正当化する。それは決して嘘ではない。バイオハッカーたちはそう信じて活動している。
しかし、本当の本音はちがう。ただ楽しいから、DNAをいじくり、新しいものを作り出すのが楽しいからやっている。
それがすべてのバイオハッカーたちの行動の根本。そして、自分の行為がもたらすことになる社会的、倫理的、哲学的な問題に対して深く考えることは決してない。
かの人たちにとって自分がDNAをいじり、新しい生命を作ることは何人たりとも犯してはならない基本的人権なのだ。
〝心を持つ〟ロボットの開発者であるフランクリン教授もそうだったのだろう。〝心を持つ〟ロボットを作る。作りたい。その思いだけで研究を重ね、後々の問題など何も考えていなかったにちがいない。そうでなければ『人間に向かない仕事は〝心を持つ〟ロボットにも向かない』という当たり前のことに気付かなかったはずがない。
同じバイオハッカーとして、トゥナはその業の深さに目のくらむ思いがした。
そして、誓った。絶対に、この子を守り抜く、と。
トゥナは内心の痛みを押し隠してニッコリと微笑んだ。正直、いい笑顔になったかどうか自信はない。この子が安心してくれるやさしい笑顔になっていればいいけど……。
「こんにちは」
とりあえず、そう言った。女の子は答えなかった。ただじっとトゥナを見つめている。トゥナはもう一度笑みを浮かべた。最初よりぎこちない笑みだった。
「はじめまして、あたしは安藤薹菜。トゥナと呼ばれているわ。さっきいた男の人を見たでしょう? かの人はキオ。ああ見えてロボットなの。〝心を持つ〟ロボットだけどね。だから、あなたを襲ったりしないから安心して」
――正直、あたしはわからないけどね。
女の子を見るたびに感じるこの胸の高鳴りを思うと、後ろめたいながらにそう思ってしまう。
トゥナの言葉は女の子を安心させようとしてのものだった。でも、女の子は表情ひとつ動かさなかった。相変わらず黙ったままトゥナを見つめている。
トゥナは戸惑った。この子は警戒しているのだろうか、それとも、状況を理解していないのだろうか?
トゥナは戸惑いつつ尋ねた。
「あなたは森のなかで倒れていたの。だから、急いで運んだんだけど……あ、安心してね。体はだいじょうぶだから。疲れてはいるけど、これといった怪我はないし、きちんと飲んで、食べて、少し休めばば回復するそうだから……」
女の子はやはり、黙っている。トゥナはぎごちない笑みを浮かべた。
「あなたの名前を教えてもらえる?」
「……ニジュウロク」
ズキリ。
女の子のはじめての声にトゥナは胸を刺される痛みを味わった。
予想できることだった。性奴隷として作られ、性奴隷として扱われる〝美しいヒト〟が、単なる番号で呼ばれていることは。トゥナは我慢ならなかった。キオがかつて『オクトー』と名乗ったときもそうだったように、心ある人を番号で呼ぶことはトゥナの許容範囲の遙か彼方を超えていた。
「……ねえ。『アネモネ』って呼んでいい?」
その言葉に――。
女の子は目を見開いてトゥナを見た。純粋な驚き、『信じられない』という思い、さらには最も大切で神聖なものを汚されたという思いまで……そのすべてが渾然一体となって少女の美しすぎる顔に浮いていた。
「ご、ごめんなさい……!」
少女の表情のあまりの変化にトゥナは思わず謝っていた。何が問題だったのかはわからない。でも、とにかく、自分の一言がこの女の子に途方もないショックを与えてしまったことだけはわかった。だから、とにかく謝った。何をどう謝ればいいのかはわからなかったけど、とにかく、そうせずにはいられなかった。少女の浮かべた表情はそれほどに衝撃的なものだった。
「あ、あなたがいやならそんな名前では呼ばないから……ええと、何か呼ばれたい名前はある? ……番号以外で」
トゥナは必死に引きつった笑みを浮かべて言った。少女はふいと顔をそらした。消え入りそうな小さな声で答えた。
「……アネモネでいい」
「そ、そう……」
トゥナはホッと胸をなで下ろした。何が女の子にあれほどの衝撃を与えたのかはわからないけど、とにかく、『アネモネ』という名前がいけなかったわけではなさそうだ。
「ええと……それじゃあ、まずは……って、そうだ! お腹、空いてるよね まずは何か食べよう」
それがいい、それがいい、と、トゥナはアネモネを食堂に連れて行った。ケーキでも何でも山盛りにして食べさせてあげたい気分だったけど、飢えと渇きにさいなまれているところに、急にそんなものを食べさせてはいけないと思う程度の分別は残っていた。
そこで、オートミールをミルクでさっと煮立てて粥を作った。バターとハチミツを加えて出来上がり。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
両腕を広げ、満面の笑顔でそう告げる。
「……いただきます」
アネモネは小さな、それでいてよく通る品のある声でそう言った。湯気を立てる熱々の粥をスプーンで口に運ぶ。
トゥナはそんなアネモネを正面の席に座ってじっと見つめていた。熱い粥をフーフーして冷ます仕種も、スプーンで頬張る表情も、そのすべてがため息が出るほど魅力的だ。見ているだけで魂まで吸い取れてしまいそう。
――ほんと、男の人たちが性犯罪者になっちゃうのもわかるわ……。
悪いけど〝美しいヒト〟を襲う心理が手にとるようにわかってしまう。まさに、〝美しいヒト〟とは人の手で作られた魔性そのものだった。
「ごちそうさま、ありがとう」
アネモネは粥を食べ終えると礼儀正しくそう告げた。
「あ、いえ、どういたしまして……!」
なぜか、トゥナの方が頭をさげてしまう。
それきり、会話がつづかなかった。アネモネは一言も喋ろうとしないし、トゥナの方も何をどう切り出していいのかわからない。
「え、ええと……」
眼をそらしたり、指で頬をかいたり、あきらかに挙動不審な態度をしばらくつづけてから、ようやく切り出した。
「ね、ねえ。立ち入ったことを聞くけど、あなた、どこかから逃げてきたんでしょう?」
ビクン、と、アネモネの体がこわばった。小さな手をひざの上で握りしめている。
「くわしく教えてもらえる? 心配しなくていいのよ。ここにはあたしとキオしかいないし、騎士の友だちもいるから。あなたを守ってあげられるわ。だから……」
どこからきたのか、誰から逃げてきたのか、他にも〝美しいヒト〟はいるのか。
トゥナはいくつかの質問を重ねた。しかしアネモネはそのすべてに沈黙で答えた。決して口を開こうとはしなかった。その沈痛な目を見ているととてもこれ以上、追求する気にはなれなかった。
――きっと、よっぽとひどい目に遭ってきたのね。
トゥナはそう思い、アネモネに対する同情の念と、見たことのない『誰か』に対する怒りを新たなものとした。
「いいわ。無理強いする気はないから。言いたくなったら言って。それまでここで暮らすといいわ。農場だから食べるには困らないわよ」
そう言って寝室に送り、寝かしつけた。とにかく、この子には休息と栄養が必要だ。
アネモネはベッドに入るとすぐに健やかな寝息を立てはじめた。その寝顔のかわいいこと。頬にキスしたい衝動に駆られたけど、やっとの事で押さえた。キスしてしまったら最後、それですませる自信がまったくなかったもので。
起こさないようそっと寝室を出る。するとそこに心配という題を付けた彫像のようになっているキオがいた。キオは早口でまくし立てた。
「どういうことだ⁉ どうしてあの子を騎士団に渡さない? まさか、あの子をここに置いておくつもりか⁉」
その言葉の内容と口調とにトゥナはムッとした。アネモネにかまけて忘れていた怒りが再び頭をもたげてきた。おかげで言い返す口調はかなりつっけんどんなものになってしまった。
『当たり前でしょ。あんな小さな女の子を放り出せるわけないじゃない」
「危険だ! 騎士団に任せるべきだ。わかっているだろう、〝美しいヒト〟を育てるのにどれだけの金がかかるか……」
「物みたいに言わないで! あの子は人間なのよ!」
トゥナはピシャリと言った。しかし、キオはなおも食い下がった。キオがこんなにもトゥナに食ってかかるのははじめてのことだった。
「〝美しいヒト〟を売れるように仕込むのには金がかかる。単に体だけの問題ならバイオ3Dプリンタで成人した姿に作成できる。でも、それはただの体だ。記憶も情動もない。人間らしい情緒をもたせるためにはやっぱり、人間として育てなければならない。『一五歳の人間』として売るためには、一五年間、世話をしなきゃいけないんだ。人ひとりをそれだけの間、育てるとなれば、ただでさえ金がかかる。まして、売買目的で育てるとなれば隠して育てなきゃならない。その分、余計な金がかかる。それだけの手間と金を掛けて育てた相手に逃げられて放っておくはずがない。草の根分けても探し出すに決まっている。あの子を置いておく限り野恵農場が、そして、トゥナ、君自身が犯罪集団に狙われると言うことなんだぞ!」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってるなら……」
トゥナはキオにそれ以上、言わせなかった。両手を腰に当て、ズイッと顔を近づけた。睨み付けた。キオはあきらかに気圧されて顔を後ろにさげた。
「言っておくけど、あたしはあの子を見捨てたりしない。絶対に守ってみせる。そんな危険はいやだと言うなら、あなたが出て行けばいいわ」
「トゥナ……」
キッパリと言われてキオはたちまち捨てられた子イヌのような情けない表情になった。
めずらしく強く主張したと思ったら、たちまちこれだ。トゥナは色々な意味で腹が立って仕方がない。
「それが家主であり、雇い主でもあるあたしの答え。じゃあね」
トゥナはそう言い捨てるとスタスタと歩いて行った。そのとき、キオがどれほど傷ついた表情をしたか、トゥナにはわからなかった。キオに対する怒りのあまり、一瞥もくれることはなかったので。
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