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一章
三つのプロローグ(2)
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町のなかをエルフやドワーフが普通に歩き、森のなかにはドラゴンが闊歩する。だからと言って異世界に転生したわけでもなければ、住んでいる町ごと別世界に転移したわけでもない。
ここは地球。
紛れもない地球。
ホモ・エレクトスが世界を旅し、釈尊とイエス・キリストが教えを説き、ルネサンスが花開き、ヒトラーが演説し、アポロ宇宙船が月まで飛んでいったあの地球。ただし、西暦にすると二三世紀半ばの。
DNAをいじくり、新しい生物を生み出す技術、バイオハック。いまや、小学生でさえ、自宅のキッチンでDNAをいじくり、新しい生物を生み出せる時代。合成したDNAから組織を培養し、バイオ3Dプリンタにデータをセット。すると、バイオ3Dプリンタが組織を吐き出し、骨を、筋肉を、内臓を、血管を、神経を積みあげ、重ねていく。仕上げに脳が作られ、頭蓋骨によって覆われ、皮膚が張られ、毛が植え付けられる。すると、あら不思議。生きて動く一個の生物のできあがり、と言うわけだ。
作れるとなれば何でも作るのが人間。いまや、エルフやドワーフ、ドラゴンと言った伝説の存在はもとより、無数の新たな生物が生み出され、あふれかえっていた。
そんななかにあって安藤薹菜、通称トゥナはめずらしい完全天然ものだった。ナチュラリストである祖母の意向を受けて、遺伝子操作はもちろん、行動制御のための薬物投与さえ一度もされたことはない。母の胎内で育ち、母の胎内から生まれてきた。正真正銘の天然ものだった。
トゥナは森の子だった。祖母が森のなかに切り開いた農場で生まれ、農場で育った。農場にいるウシやヒツジ、ブタ、ニワトリにカモにガチョウ。すべての生き物がトゥナの友だちだった。
《緑なす木の葉の海》の野恵農場と言えば、この辺りではちょっとは有名だった。畑では春にはムギやアスパラガス、夏にはトマトやキュウリ、スイカにメロン、秋にはマメにイモ、冬にはコマツナ、ホウレンソウ、ハダイコン……季節に応じて様々な作物が実っていた。田んぼにはコメが実り、畑には何本もの果樹があって夏から秋にかけておいしい果物を実らせてくれた。ウシやヒツジ、ブタ、ニワトリと言った動物たちは人間には食べられない茎葉や不作品、生ゴミに至るまで何でも食べて肉や卵、ミルクに変えてくれた。おかげで農場からはゴミなんていうものは何ひとつ出なかった。動物たちのする糞は土を肥やし、多くの作物を育ててくれた。
畑の一角には太陽電池が掛けられ、燃料電池と組み合わせた自給型発電システムが設置されていた。田んぼではイネと一緒に熱帯性の浮き草が育てられ、それを原料にバイオガスが作られた。ウシの皮は靴となり、ヒツジの毛は服となった。
そこには何でもあった。生きていくために必要なものはすべて、野恵農場のなかで収穫できた。足りないものがあってもちょっと森のなかを歩けばすぐに手に入った。
「いいかい、トゥナ」
祖母は事ある毎に孫娘に言い聞かせた。
「人間は自然の恵みに生かされているんだ。そのことを忘れちゃいけないよ。お日さまが照って、雨が降って、風が吹いて、小さな無数の生き物たちが土を耕し、森の植物が空気を再生する。その恵みがあってはじめて、あたしらの食べる作物も実るし、動物たちだって育つんだからね。まちがっても『作物を作る』なんて思っちゃいけないよ。自然の恵みがなければあたしらには何ひとつ作れやしない。あたしらにできることはただ、自然の恵みを受けて作物が育っていくことを手伝うことだけなんだからね。それを忘れちゃいけないよ。自然の一部であることを感じながら生きていれば、あんたもいつかきっと、この上ない幸せな体験ができるはずさ」
農場の一角には自然細工師たちの工房があった。熟練の親方に率いられた職人の一団が木や蔓や石を素材にして様々な細工物を作っていた。特に親方の彫る結婚メダルはその精緻さ、玄妙さにおいて比類なく、何千万という値で世界中のセレブに売れていた。
こんなすばらしい彫刻がどうやって生まれるのかこの目で見てみたい。そう思い、やってくる観光客も大勢いた。祖母はそんな観光客のためにペンションを建て、自らもてなした。畑仕事を経験させ、森に連れ出し、人間は自然によって生かされている自然の一部なのだと言うことを蕩々と語った。
トゥナも幼い頃から祖母の手伝いをして客の相手をしてきた。祖母の真似をして一人前の教師気取りで客たちに森の神秘を解説する様はなんとも愛らしく、野恵農場の名物となっていた。なかには親方から直接、結婚メダルを渡されたいとわざわざ野恵農場までやってきて結婚式を挙げるカップルもいた。
自然細工師たちの作ったドレスを着て、やはり、自然細工師たちの作った装飾を身にまとい、親方の作った結婚メダルを掛けて大勢の祝福を受けて幸せいっぱいに微笑む新郎新婦。
その華やかな光景は幼いトゥナの心にしっかりと刻み込まれた。
――いつかはあたしもこんな風に結婚式を挙げるんだ。
幼心にそう誓った。
よそに頼らず暮らしていける環境を整え、産業を興し、観光客を迎えて金銭を稼ぐ。その金銭を再投資して自分の望む暮らしを作りあげる。
それは、農場と言うよりももはや、手作りの小さな国。ステイトハッキングと呼ばれる手法だった。
トゥナの祖母は筋金入りのステイトハッカーだった。
『人間は自然のなかで、自然の恵みを受けて生きるべきだ』
それが、祖母の信念。その信念に基づき、町から離れた森のなかに自らの手作りの国を作りあげたのだ。
「自分と自然のつながりを感じたとき、人間は本当の幸せを体験できるんだよ」
それが祖母の口癖だった。
祖母は毎年、畑のなかにわざと虫が食べやすい作物を育て、虫たちが食べるに任せていた。農薬なんて絶対にまかなかった。自然死した動物を森のなかに置き、粒のそろわないトウモロコシや規格外の大きさのコメを農場の周りにまいた。
「自然からわけてもらうばかりじゃいけないよ。ちゃんと、お返しもしなくちゃね。森の木々を見てごらん。たくさんの落ち葉を落とすことで土を肥やし、多くの生き物を育てる。人間もそうならなくちゃいけないよ。自然を切り開いて生きるからにはそれ以上の恵みを自然にもたらさなくちゃね。
『人間がいてくれてよかった』
他の生き物にそう言われるようでなきゃ、人間の生きる価値なんてないからね」
トゥナはそんな祖母の教えを全身に浴びて育った。森のなかを駆けまわり、農場の仕事を手伝い、自然細工師たちの仕事に魅せられ、観光客の相手をし、休日ごとにやってくる町の子供たちと遊んで大きくなった。
祖母が亡くなったのはトゥナが二〇歳になった年だった。いつも通り、畑仕事をしている最中にいきなり倒れ、そのまま帰らぬ人となった。脳梗塞だった。同じ頃、工房の親方も亡くなった。若いトゥナが農場を継ぐことが心配だったのだろう。残った職人たちはそれぞれ別の土地へと去って行った。工房が閉まってしまっては観光客のくるはずもなく、野恵農場はたちまち寂れていった。トゥナは農場を切り盛りする気でいたが、彼女ひとりではすべての動物たちの世話をすることはできず、扱いやすいヒツジとニワトリだけを残してあとは売り払わなくてはならなかった。幼い頃から共に育ってきた友だちを売る。さびしいし、情けないし、腹立たしかった。でも、仕方なかった。野恵農場の動物たちは家畜ではない。共に、野恵農場を育む仲間なのだ。その仲間たちを充分な世話もできない状況において不幸にするわけには行かなかった。かつての賑わいが嘘のように寂れてしまった野恵農場に、トゥナはひとり、取り残されることとなった。
「冷たいもんだよな」
幼なじみの一馬がそう言った。祖母の墓に花を供えにきた、そのときのことだった。
「ばあさんが死んだら途端に逃げ出すなんてな。トゥナとはもう何年も一緒に過ごしていて、お互い気心も知れていたって言うのに。トゥナがばあさんの跡を継ぐことに何の不満があるって言うんだよ」
トゥナは肩をすくめて答えた。
「仕方ないわよ。あの人たちにはあの人たちの人生があるもの。無理に引き留めるわけには行かないわ」
「ばあさんもばあさんだよな。頑固にバイテクを使おうとしなくって。今時、脳梗塞なんかで死ぬか、普通? バイテクで作られた体内洗浄用の細菌を打って体内の老廃物を取り除いていれば、まだまだ元気に生きていられたはずなのに」
「古いもんは死ぬのが役目。古いもんがいつまでも生きていたら新しいもんはどこで生きていけばいいんだい? それが、おばあちゃんの信念だったものね」
「だからってだな。まだ若い孫娘をひとり残して逝っちまうなんて……」
「だいじょうぶよ、一馬。あたしだってもう二〇歳。立派なおとなよ。ひとりでも充分、やっていけるわ」
そう言う幼なじみを一馬は気遣わしげに見つめた。何度かためらったあと、とうとう口にした。
「……なあ。やっぱり、この農場を売っておれの家にこないか? 知っての通り、おれは騎士団に入るから、家は親父とお袋だけになっちまうんだ。お前がいてくれればお袋たちもさびしくないだろうし……お前ならふたりとも歓迎してくれるよ」
何と言っても、おれたちはきょうだいみたいに育ったんだからな。
一馬はそう付け加えた。
トゥナは幼なじみの言葉にため息をついた。腰に両手を当てた。グイッと顔を近づけて同い年の男子の顔を睨み付けた。一馬はその勢いに押されて思わず後ずさった。トゥナは生気に満ちた大きな目で一馬を見上げ、ハッキリ、キッパリ口にした。
「それに関してはもう何度も言ってるでしょ。あたしはこの農場を離れません。あたしの手でもう一度、野恵農場を賑わわせるんだから」
「でも……」
「しつこい!」
と、トゥナは幼なじみの鼻に指先を押し当てた。いきなりのことに一馬は目を白黒させる。トゥナはちょっとふくれっ面で告げた。
「心配してくれるのは嬉しいけどね。あたしはこの農場で生まれ育った。この農場に生まれ、この森の恵みを受けて育った。あたしの人生はここにある。どこに行く気もないわ」
トゥナはそう断言すると祖母の墓に向き直った。そこには小さな石碑があり、クリの苗木が植えられていた。
『あたしが死んだら棺桶も火葬もいらないよ。そのまま森のなかに埋めておくれ。そして、クリの苗木を植えておくれ。そうすればあたしの魂はクリの木とひとつになって毎年、実を付け、多くの生き物を養ってやれるからね』
日頃からそう言っていた、その希望そのままの埋葬だった。
トゥナはクリの苗木にそっと花を添えた。まだ細い苗木のなかに、たくましく笑う祖母の姿が見えた。
トゥナはニッコリと微笑んだ。
「だいじょうぶよ、おばあちゃん。あたしはひとりじゃない。あたしには野恵農場があり、森があり、友だちがいる。あたしはひとりじゃない。ちゃんと生きていける。だから、安心して見守っていてね」
ここは地球。
紛れもない地球。
ホモ・エレクトスが世界を旅し、釈尊とイエス・キリストが教えを説き、ルネサンスが花開き、ヒトラーが演説し、アポロ宇宙船が月まで飛んでいったあの地球。ただし、西暦にすると二三世紀半ばの。
DNAをいじくり、新しい生物を生み出す技術、バイオハック。いまや、小学生でさえ、自宅のキッチンでDNAをいじくり、新しい生物を生み出せる時代。合成したDNAから組織を培養し、バイオ3Dプリンタにデータをセット。すると、バイオ3Dプリンタが組織を吐き出し、骨を、筋肉を、内臓を、血管を、神経を積みあげ、重ねていく。仕上げに脳が作られ、頭蓋骨によって覆われ、皮膚が張られ、毛が植え付けられる。すると、あら不思議。生きて動く一個の生物のできあがり、と言うわけだ。
作れるとなれば何でも作るのが人間。いまや、エルフやドワーフ、ドラゴンと言った伝説の存在はもとより、無数の新たな生物が生み出され、あふれかえっていた。
そんななかにあって安藤薹菜、通称トゥナはめずらしい完全天然ものだった。ナチュラリストである祖母の意向を受けて、遺伝子操作はもちろん、行動制御のための薬物投与さえ一度もされたことはない。母の胎内で育ち、母の胎内から生まれてきた。正真正銘の天然ものだった。
トゥナは森の子だった。祖母が森のなかに切り開いた農場で生まれ、農場で育った。農場にいるウシやヒツジ、ブタ、ニワトリにカモにガチョウ。すべての生き物がトゥナの友だちだった。
《緑なす木の葉の海》の野恵農場と言えば、この辺りではちょっとは有名だった。畑では春にはムギやアスパラガス、夏にはトマトやキュウリ、スイカにメロン、秋にはマメにイモ、冬にはコマツナ、ホウレンソウ、ハダイコン……季節に応じて様々な作物が実っていた。田んぼにはコメが実り、畑には何本もの果樹があって夏から秋にかけておいしい果物を実らせてくれた。ウシやヒツジ、ブタ、ニワトリと言った動物たちは人間には食べられない茎葉や不作品、生ゴミに至るまで何でも食べて肉や卵、ミルクに変えてくれた。おかげで農場からはゴミなんていうものは何ひとつ出なかった。動物たちのする糞は土を肥やし、多くの作物を育ててくれた。
畑の一角には太陽電池が掛けられ、燃料電池と組み合わせた自給型発電システムが設置されていた。田んぼではイネと一緒に熱帯性の浮き草が育てられ、それを原料にバイオガスが作られた。ウシの皮は靴となり、ヒツジの毛は服となった。
そこには何でもあった。生きていくために必要なものはすべて、野恵農場のなかで収穫できた。足りないものがあってもちょっと森のなかを歩けばすぐに手に入った。
「いいかい、トゥナ」
祖母は事ある毎に孫娘に言い聞かせた。
「人間は自然の恵みに生かされているんだ。そのことを忘れちゃいけないよ。お日さまが照って、雨が降って、風が吹いて、小さな無数の生き物たちが土を耕し、森の植物が空気を再生する。その恵みがあってはじめて、あたしらの食べる作物も実るし、動物たちだって育つんだからね。まちがっても『作物を作る』なんて思っちゃいけないよ。自然の恵みがなければあたしらには何ひとつ作れやしない。あたしらにできることはただ、自然の恵みを受けて作物が育っていくことを手伝うことだけなんだからね。それを忘れちゃいけないよ。自然の一部であることを感じながら生きていれば、あんたもいつかきっと、この上ない幸せな体験ができるはずさ」
農場の一角には自然細工師たちの工房があった。熟練の親方に率いられた職人の一団が木や蔓や石を素材にして様々な細工物を作っていた。特に親方の彫る結婚メダルはその精緻さ、玄妙さにおいて比類なく、何千万という値で世界中のセレブに売れていた。
こんなすばらしい彫刻がどうやって生まれるのかこの目で見てみたい。そう思い、やってくる観光客も大勢いた。祖母はそんな観光客のためにペンションを建て、自らもてなした。畑仕事を経験させ、森に連れ出し、人間は自然によって生かされている自然の一部なのだと言うことを蕩々と語った。
トゥナも幼い頃から祖母の手伝いをして客の相手をしてきた。祖母の真似をして一人前の教師気取りで客たちに森の神秘を解説する様はなんとも愛らしく、野恵農場の名物となっていた。なかには親方から直接、結婚メダルを渡されたいとわざわざ野恵農場までやってきて結婚式を挙げるカップルもいた。
自然細工師たちの作ったドレスを着て、やはり、自然細工師たちの作った装飾を身にまとい、親方の作った結婚メダルを掛けて大勢の祝福を受けて幸せいっぱいに微笑む新郎新婦。
その華やかな光景は幼いトゥナの心にしっかりと刻み込まれた。
――いつかはあたしもこんな風に結婚式を挙げるんだ。
幼心にそう誓った。
よそに頼らず暮らしていける環境を整え、産業を興し、観光客を迎えて金銭を稼ぐ。その金銭を再投資して自分の望む暮らしを作りあげる。
それは、農場と言うよりももはや、手作りの小さな国。ステイトハッキングと呼ばれる手法だった。
トゥナの祖母は筋金入りのステイトハッカーだった。
『人間は自然のなかで、自然の恵みを受けて生きるべきだ』
それが、祖母の信念。その信念に基づき、町から離れた森のなかに自らの手作りの国を作りあげたのだ。
「自分と自然のつながりを感じたとき、人間は本当の幸せを体験できるんだよ」
それが祖母の口癖だった。
祖母は毎年、畑のなかにわざと虫が食べやすい作物を育て、虫たちが食べるに任せていた。農薬なんて絶対にまかなかった。自然死した動物を森のなかに置き、粒のそろわないトウモロコシや規格外の大きさのコメを農場の周りにまいた。
「自然からわけてもらうばかりじゃいけないよ。ちゃんと、お返しもしなくちゃね。森の木々を見てごらん。たくさんの落ち葉を落とすことで土を肥やし、多くの生き物を育てる。人間もそうならなくちゃいけないよ。自然を切り開いて生きるからにはそれ以上の恵みを自然にもたらさなくちゃね。
『人間がいてくれてよかった』
他の生き物にそう言われるようでなきゃ、人間の生きる価値なんてないからね」
トゥナはそんな祖母の教えを全身に浴びて育った。森のなかを駆けまわり、農場の仕事を手伝い、自然細工師たちの仕事に魅せられ、観光客の相手をし、休日ごとにやってくる町の子供たちと遊んで大きくなった。
祖母が亡くなったのはトゥナが二〇歳になった年だった。いつも通り、畑仕事をしている最中にいきなり倒れ、そのまま帰らぬ人となった。脳梗塞だった。同じ頃、工房の親方も亡くなった。若いトゥナが農場を継ぐことが心配だったのだろう。残った職人たちはそれぞれ別の土地へと去って行った。工房が閉まってしまっては観光客のくるはずもなく、野恵農場はたちまち寂れていった。トゥナは農場を切り盛りする気でいたが、彼女ひとりではすべての動物たちの世話をすることはできず、扱いやすいヒツジとニワトリだけを残してあとは売り払わなくてはならなかった。幼い頃から共に育ってきた友だちを売る。さびしいし、情けないし、腹立たしかった。でも、仕方なかった。野恵農場の動物たちは家畜ではない。共に、野恵農場を育む仲間なのだ。その仲間たちを充分な世話もできない状況において不幸にするわけには行かなかった。かつての賑わいが嘘のように寂れてしまった野恵農場に、トゥナはひとり、取り残されることとなった。
「冷たいもんだよな」
幼なじみの一馬がそう言った。祖母の墓に花を供えにきた、そのときのことだった。
「ばあさんが死んだら途端に逃げ出すなんてな。トゥナとはもう何年も一緒に過ごしていて、お互い気心も知れていたって言うのに。トゥナがばあさんの跡を継ぐことに何の不満があるって言うんだよ」
トゥナは肩をすくめて答えた。
「仕方ないわよ。あの人たちにはあの人たちの人生があるもの。無理に引き留めるわけには行かないわ」
「ばあさんもばあさんだよな。頑固にバイテクを使おうとしなくって。今時、脳梗塞なんかで死ぬか、普通? バイテクで作られた体内洗浄用の細菌を打って体内の老廃物を取り除いていれば、まだまだ元気に生きていられたはずなのに」
「古いもんは死ぬのが役目。古いもんがいつまでも生きていたら新しいもんはどこで生きていけばいいんだい? それが、おばあちゃんの信念だったものね」
「だからってだな。まだ若い孫娘をひとり残して逝っちまうなんて……」
「だいじょうぶよ、一馬。あたしだってもう二〇歳。立派なおとなよ。ひとりでも充分、やっていけるわ」
そう言う幼なじみを一馬は気遣わしげに見つめた。何度かためらったあと、とうとう口にした。
「……なあ。やっぱり、この農場を売っておれの家にこないか? 知っての通り、おれは騎士団に入るから、家は親父とお袋だけになっちまうんだ。お前がいてくれればお袋たちもさびしくないだろうし……お前ならふたりとも歓迎してくれるよ」
何と言っても、おれたちはきょうだいみたいに育ったんだからな。
一馬はそう付け加えた。
トゥナは幼なじみの言葉にため息をついた。腰に両手を当てた。グイッと顔を近づけて同い年の男子の顔を睨み付けた。一馬はその勢いに押されて思わず後ずさった。トゥナは生気に満ちた大きな目で一馬を見上げ、ハッキリ、キッパリ口にした。
「それに関してはもう何度も言ってるでしょ。あたしはこの農場を離れません。あたしの手でもう一度、野恵農場を賑わわせるんだから」
「でも……」
「しつこい!」
と、トゥナは幼なじみの鼻に指先を押し当てた。いきなりのことに一馬は目を白黒させる。トゥナはちょっとふくれっ面で告げた。
「心配してくれるのは嬉しいけどね。あたしはこの農場で生まれ育った。この農場に生まれ、この森の恵みを受けて育った。あたしの人生はここにある。どこに行く気もないわ」
トゥナはそう断言すると祖母の墓に向き直った。そこには小さな石碑があり、クリの苗木が植えられていた。
『あたしが死んだら棺桶も火葬もいらないよ。そのまま森のなかに埋めておくれ。そして、クリの苗木を植えておくれ。そうすればあたしの魂はクリの木とひとつになって毎年、実を付け、多くの生き物を養ってやれるからね』
日頃からそう言っていた、その希望そのままの埋葬だった。
トゥナはクリの苗木にそっと花を添えた。まだ細い苗木のなかに、たくましく笑う祖母の姿が見えた。
トゥナはニッコリと微笑んだ。
「だいじょうぶよ、おばあちゃん。あたしはひとりじゃない。あたしには野恵農場があり、森があり、友だちがいる。あたしはひとりじゃない。ちゃんと生きていける。だから、安心して見守っていてね」
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