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一三章
切り裂きジャック
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すでに死んでいた被害者を収容して署に戻ると、ジャックはビリーに問いただしました。
「『切り裂きジャック』とか呟いてたな」
「……ああ」
「切り裂きジャックってのは、あの切り裂きジャックか?」
「そうだ。ヴィクリトア朝ロンドンに現われ、人々を恐怖におとしいれた世界一有名な連続殺人犯だ」
「その切り裂きジャックが二〇〇年の時を経てこの霧と怪奇の都に現われたってのかよ? チッ、バネ足ジャックだの、切り裂きジャックだの、ハロウィン・パーティーじゃあるまいに亡霊みたいに出てきやがって。同じジャックとしてだまってられねえな」
ひとしきりケチをつけてから、再びビリーに尋ねました。
「で? なんであいつが切り裂きジャックなんだ?」
「そっくりだったのだ」
「そっくり?」
「あの男――仮に男とするが――の格好が伝説の切り裂きジャックとな」
「おい、ちょってまて。たしか、切り裂きジャックってのは捕まってないんじゃなかったか?」
「そうだ。捕まっていない。それどころか、目撃されてもいない」
「それで、なんで格好がわかるんだ?」
「目撃こそされなかったが、当時のロンドン市民の間ではいつの間にかひとつの殺人鬼像が定着していたのだ。それが……」
「あいつの格好?」
「そうだ。年齢三七歳。身長一六七㎝。濃い口髭と顎髭。シャツに色の濃いジャケット、ベストにズボン、黒いスカーフ、黒いフェルト帽、というな」
「ふん……」
ジャックは小さく鼻を鳴らしました。
顔は見えなかったので年齢まではわかりません。ですが、身長はそのぐらいでしたし、他の特徴はたしかに一致しておりました。
「……ってことは、切り裂きジャックを真似た模倣犯ってことか」
「その可能性は大いにあると思う。死体をばらばらに損壊し、一部をもちさるという手口も切り裂きジャックにそっくりだ。それと……」
「なんだ?」
「『ジャック・ザ・リッパー』を名乗る人物から新聞社に手紙が送られたことがある。そこには、
『おれは売女どもに恨みがあるんだ。逮捕されるまで、奴等を切り刻むのをやめないぞ』という一文があった」
「………」
「一連の事件の犯人が切り裂きジャックを真似ているのだとしたら、そして、本当に無差別殺人だとしたら、
『おれは全人類に恨みがあるんだ。逮捕されるまで切り刻むのをやめないぞ』
という意味の意思表示なのではないかな?」
「その手紙が本当に切り裂きジャック本人からのものだという証拠は?」
「ない。だが、模倣犯にとってそんなことは関係あるまい。『ジャック・ザ・リッパーを名乗るものからの手紙』というだけで充分だろう」
「もっともだ」
ジャックはうなずきました。それから、床を蹴りつけながらつぶやき捨てました。
「チッ。正真正銘、イカれた連続殺人者ってわけか。やっかいな」
気を取り直したようにビリーを見ました。
「しかし、お前、やけにくわしいな。科学マニアが何でそんなことまで知ってるんだ?」
『何を言っているのだ、この男は』
と、思わず言いたくなったとビリーは後に取材に対して語ったものです。
「いきなり現場の捜査に引っ張り出されたのだぞ。犯罪史ぐらい、勉強している」
「お前はそんな立派なやつだったのか!」
「なにしろ、君は典型的な脳味噌筋肉だからな。頭脳労働は私が担当するしかあるまい」
「大きなお世話だ!」
反射的に叫んでいたそうです。
「だがまあ、犯人が切り裂きジャックの模倣犯だというなら本家のことを知っておくのは必要だろう。くわしく教えてくれ」
ビリーはうなずきました。
「切り裂きジャックが現われたのは一八八八年のロンドン・イーストエンド。約三ヵ月の間に五人の娼婦を殺害している」
「三ヵ月? 五人? 意外に少ないんだな。世界一有名な殺人鬼ともなれば二〇~三〇人は殺ってるのかと思ったが」
「私もはじめて調べたときには驚いたよ。だが、ロンドン警視庁捜査課の元課長、サー・メルビル・マクノートンは切り裂きジャックの犯行は五件だけだと明言している」
「ふん……」
「不思議なことに、被害者を切り刻んでいながら姿も目撃されていなければ、被害者の悲鳴も聞かれていない。これだけ切り刻むには時間もかかったはずだし、被害者の苦痛も尋常ではなかったはずなのにな。まるで透明人間の仕業のように誰にも知られずにやってのけた。ちょうど、いまこの都で暴れまわっている殺人鬼のように。
被害者のうち、ひとり目から四人目、メアリ・アン・ニコルズ、アニー・チャプマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズはいずれもすでに中年で野外での犯行だった。唯一、五人目にして最後の被害者であるメアリ・ケリーだけがまだ二五歳の若さで、しかも自宅で殺害されている。ちなみに、妊娠三ヵ月だったそうだよ」
「最後の被害者だけ、ずいぶん手口がちがうじゃないか。それだけちがいがあれば普通は、別人による犯行だとみなすんじゃないか?」
「私は捜査の常識などは知らないから何とも言えない。君がそう思うならそうなのだろう。だが、当時の警察はメアリ・ケリーの殺害も切り裂きジャックの犯行に含めている」
「捕まえられもしなかったくせに、妙なところだけ自信があるんだな」
「そうだな。実際、この件に関する警察の捜査の奇妙な点は色々と指摘されている。たとえば、キャサリン・エドウズのエプロンの切れ端が発見されたとき、すぐそばに犯人からと見られるメッセージが記されていた。『ユダヤ人が何もしてなきゃ、非難されるはずないだろう』とな」
「犯人直筆のメッセージか。本物なら大変な証拠だな」
「ところが、現場に駆けつけたロンドン警視庁総監、サー・チャールズ・ウォーレンは写真もなにも撮らせずに消させてしまった」
「なんだと? そんな貴重な証拠物件を消したってのか?」
「そうだ」
「いくら現代ほど捜査方法が発展していなかったとはいっても無茶苦茶な話だな。当時の警察はそんなもんだったのか?」
「そういうわけでもないようだぞ。警察のお歴々は激怒したというからな」
「当然だな。何でそんなやつが総監だったんだ?」
「さあな。事情は色々あるのだろう。ともかく、この件に関しては『相当に地位のある人物をかばうためにわざと消させたのではないか』という憶測も飛びかっている」
「ふん……」
「それと、最後の事件であるメアリ・ケリー殺しだが、この事件は室内での犯行だったこともあり、警察はかなりの手がかりをつかんだはずだと言われている。その後、警察はなぜか、殺人鬼は自殺したものとみなしたようだ」
「そんな結論を出せるってことは……やはり、当時の警察は犯人像をつかんでいたってことか? だが、公にできないやつだった……」
「そうかも知れない。そうでないかも知れない。とにかく、切り裂きジャック事件はいまにいたるまで多くの研究がなされている。当然、多くの説が唱えられている。『雪靴を履いたカナダ人』という、どこから出てきたのかわからない説から、当時のイギリス女王の孫、クラレンス公爵という説までな。ちなみに、シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルは犯人像について『外科的な知識の持ち主で女装していたにちがいない』と語っている。女の姿をしていれば女性に警戒されずに近づけるし、警察の目もごまかせるからな」
「女装、ね」
そのとき、ジャックの頭に女装が似合いそうな美形の科学者の顔が浮かんだのは『偏見』の一言で片付けるべきものだったでしょうか。
「切り裂きジャックが本当に女だったという可能性は?」
「そんな説もあるにはあるが、一部の意見にとどまっているな。やはり、有力候補とされているのは男たちだ。そのなかでもっとも有力とされてきたのがモンタギュー・J・ドゥルイットだ。
一八五七年八月一五日生まれ。クラシック音楽を学んだ後、医学を一年間学び、法律家に転身。一八八五年、法廷に立つようになった。ブラックヒースで法廷弁護人および教師として働いていたが、一八八八年一二月一日に解雇されている。その後、コートのポケットに石をつめ、テムズ川に身投げしている。享年三一歳。彼の自殺を機に警察の捜査は打ち切られ、切り裂きジャックも姿を消した。偶然か否かはわからないがな」
「なるほど。話を聞くと『いかにも』って感じだな。だが、そいつは普通の一般庶民だろう? 『捕まったらまずい大物』ってわけじゃあるまい?」
「そうだな。そこでもう一方の有力候補の出番となる。名をサー・ウィリアム・ガル。当時の王室御典医だった男だ。女性たちを馬車に連れ込み、そこで殺害し、発見現場に放り捨てたと言われている。馬車での犯行だから姿も見られず、悲鳴も聞かれなかったのだとな。なぜ、そんなことをしたかというと、複雑な宗教がらみの問題があった。
前に言ったクラレンス公爵は町に遊びに出た際、カトリックの女性を妊娠させてしまった。一方、イギリス王家はプロテスタント系。両派の間には長い流血の歴史がある。もし、カトリックの血を引く王族ができれば、両派の間で再び、血みどろの争いが起きかねない。それを防ぐために狂人の仕業に見せつけてケリをつけたのだ、とな」
「ふん、なるほどな。もし、そのガルってやつが犯人で、裏にそんな事情があったなら、警察はとても犯人を捕まえられないわけだ」
「そういうことだ。その意味ではうなずける推測ではある」
「まとめると、だ。切り裂きジャックを気取るバカがいるとしたら、医学の知識と技量があって、人間に恨みをもっていて、しかも、貴族ってことか」
はい。もちろん、霧と怪奇の都には世襲制の貴族は存在しません。ですが科学や芸術など、なんらかの分野で高い業績をおさめた人物には称号としての爵位が与えられる制度があるのです。ケネス・シーヴァースの伯爵位もそのひとつです。一代限りのものであり、何らかの特権があるわけでもありませんので、爵位というより『名誉市民』というほうが近いものなのですが。
ジャックの言葉にビリーは眉を釣り上げました。
「君はまだ、伯爵ケニーを疑っているのか?」
「ちがう、と言いたそうだな」
「あの切り裂きジャックを見ただろう。あの人物の身長はせいぜい、一七〇センチだ。伯爵ケニーは一八〇センチ以上ある。変装で大きくはなれても、小さくはなれないはずだ」
「そもそも、あの足が作り物かも知れねえぞ」
「そこまで疑うのか? 君の方が偏執的になってきたな」
「だが、あいつは実際、空高く跳んだ。バネ足ジャックのようにな。他にそんなことができるやつに心当たりがあるか?」
「それは……ないが」
「だったら、ケニーのやつが第一容疑者であることに変わりはない。とにかく、もう少し、やつのことを調べてみるぞ」
「『切り裂きジャック』とか呟いてたな」
「……ああ」
「切り裂きジャックってのは、あの切り裂きジャックか?」
「そうだ。ヴィクリトア朝ロンドンに現われ、人々を恐怖におとしいれた世界一有名な連続殺人犯だ」
「その切り裂きジャックが二〇〇年の時を経てこの霧と怪奇の都に現われたってのかよ? チッ、バネ足ジャックだの、切り裂きジャックだの、ハロウィン・パーティーじゃあるまいに亡霊みたいに出てきやがって。同じジャックとしてだまってられねえな」
ひとしきりケチをつけてから、再びビリーに尋ねました。
「で? なんであいつが切り裂きジャックなんだ?」
「そっくりだったのだ」
「そっくり?」
「あの男――仮に男とするが――の格好が伝説の切り裂きジャックとな」
「おい、ちょってまて。たしか、切り裂きジャックってのは捕まってないんじゃなかったか?」
「そうだ。捕まっていない。それどころか、目撃されてもいない」
「それで、なんで格好がわかるんだ?」
「目撃こそされなかったが、当時のロンドン市民の間ではいつの間にかひとつの殺人鬼像が定着していたのだ。それが……」
「あいつの格好?」
「そうだ。年齢三七歳。身長一六七㎝。濃い口髭と顎髭。シャツに色の濃いジャケット、ベストにズボン、黒いスカーフ、黒いフェルト帽、というな」
「ふん……」
ジャックは小さく鼻を鳴らしました。
顔は見えなかったので年齢まではわかりません。ですが、身長はそのぐらいでしたし、他の特徴はたしかに一致しておりました。
「……ってことは、切り裂きジャックを真似た模倣犯ってことか」
「その可能性は大いにあると思う。死体をばらばらに損壊し、一部をもちさるという手口も切り裂きジャックにそっくりだ。それと……」
「なんだ?」
「『ジャック・ザ・リッパー』を名乗る人物から新聞社に手紙が送られたことがある。そこには、
『おれは売女どもに恨みがあるんだ。逮捕されるまで、奴等を切り刻むのをやめないぞ』という一文があった」
「………」
「一連の事件の犯人が切り裂きジャックを真似ているのだとしたら、そして、本当に無差別殺人だとしたら、
『おれは全人類に恨みがあるんだ。逮捕されるまで切り刻むのをやめないぞ』
という意味の意思表示なのではないかな?」
「その手紙が本当に切り裂きジャック本人からのものだという証拠は?」
「ない。だが、模倣犯にとってそんなことは関係あるまい。『ジャック・ザ・リッパーを名乗るものからの手紙』というだけで充分だろう」
「もっともだ」
ジャックはうなずきました。それから、床を蹴りつけながらつぶやき捨てました。
「チッ。正真正銘、イカれた連続殺人者ってわけか。やっかいな」
気を取り直したようにビリーを見ました。
「しかし、お前、やけにくわしいな。科学マニアが何でそんなことまで知ってるんだ?」
『何を言っているのだ、この男は』
と、思わず言いたくなったとビリーは後に取材に対して語ったものです。
「いきなり現場の捜査に引っ張り出されたのだぞ。犯罪史ぐらい、勉強している」
「お前はそんな立派なやつだったのか!」
「なにしろ、君は典型的な脳味噌筋肉だからな。頭脳労働は私が担当するしかあるまい」
「大きなお世話だ!」
反射的に叫んでいたそうです。
「だがまあ、犯人が切り裂きジャックの模倣犯だというなら本家のことを知っておくのは必要だろう。くわしく教えてくれ」
ビリーはうなずきました。
「切り裂きジャックが現われたのは一八八八年のロンドン・イーストエンド。約三ヵ月の間に五人の娼婦を殺害している」
「三ヵ月? 五人? 意外に少ないんだな。世界一有名な殺人鬼ともなれば二〇~三〇人は殺ってるのかと思ったが」
「私もはじめて調べたときには驚いたよ。だが、ロンドン警視庁捜査課の元課長、サー・メルビル・マクノートンは切り裂きジャックの犯行は五件だけだと明言している」
「ふん……」
「不思議なことに、被害者を切り刻んでいながら姿も目撃されていなければ、被害者の悲鳴も聞かれていない。これだけ切り刻むには時間もかかったはずだし、被害者の苦痛も尋常ではなかったはずなのにな。まるで透明人間の仕業のように誰にも知られずにやってのけた。ちょうど、いまこの都で暴れまわっている殺人鬼のように。
被害者のうち、ひとり目から四人目、メアリ・アン・ニコルズ、アニー・チャプマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズはいずれもすでに中年で野外での犯行だった。唯一、五人目にして最後の被害者であるメアリ・ケリーだけがまだ二五歳の若さで、しかも自宅で殺害されている。ちなみに、妊娠三ヵ月だったそうだよ」
「最後の被害者だけ、ずいぶん手口がちがうじゃないか。それだけちがいがあれば普通は、別人による犯行だとみなすんじゃないか?」
「私は捜査の常識などは知らないから何とも言えない。君がそう思うならそうなのだろう。だが、当時の警察はメアリ・ケリーの殺害も切り裂きジャックの犯行に含めている」
「捕まえられもしなかったくせに、妙なところだけ自信があるんだな」
「そうだな。実際、この件に関する警察の捜査の奇妙な点は色々と指摘されている。たとえば、キャサリン・エドウズのエプロンの切れ端が発見されたとき、すぐそばに犯人からと見られるメッセージが記されていた。『ユダヤ人が何もしてなきゃ、非難されるはずないだろう』とな」
「犯人直筆のメッセージか。本物なら大変な証拠だな」
「ところが、現場に駆けつけたロンドン警視庁総監、サー・チャールズ・ウォーレンは写真もなにも撮らせずに消させてしまった」
「なんだと? そんな貴重な証拠物件を消したってのか?」
「そうだ」
「いくら現代ほど捜査方法が発展していなかったとはいっても無茶苦茶な話だな。当時の警察はそんなもんだったのか?」
「そういうわけでもないようだぞ。警察のお歴々は激怒したというからな」
「当然だな。何でそんなやつが総監だったんだ?」
「さあな。事情は色々あるのだろう。ともかく、この件に関しては『相当に地位のある人物をかばうためにわざと消させたのではないか』という憶測も飛びかっている」
「ふん……」
「それと、最後の事件であるメアリ・ケリー殺しだが、この事件は室内での犯行だったこともあり、警察はかなりの手がかりをつかんだはずだと言われている。その後、警察はなぜか、殺人鬼は自殺したものとみなしたようだ」
「そんな結論を出せるってことは……やはり、当時の警察は犯人像をつかんでいたってことか? だが、公にできないやつだった……」
「そうかも知れない。そうでないかも知れない。とにかく、切り裂きジャック事件はいまにいたるまで多くの研究がなされている。当然、多くの説が唱えられている。『雪靴を履いたカナダ人』という、どこから出てきたのかわからない説から、当時のイギリス女王の孫、クラレンス公爵という説までな。ちなみに、シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルは犯人像について『外科的な知識の持ち主で女装していたにちがいない』と語っている。女の姿をしていれば女性に警戒されずに近づけるし、警察の目もごまかせるからな」
「女装、ね」
そのとき、ジャックの頭に女装が似合いそうな美形の科学者の顔が浮かんだのは『偏見』の一言で片付けるべきものだったでしょうか。
「切り裂きジャックが本当に女だったという可能性は?」
「そんな説もあるにはあるが、一部の意見にとどまっているな。やはり、有力候補とされているのは男たちだ。そのなかでもっとも有力とされてきたのがモンタギュー・J・ドゥルイットだ。
一八五七年八月一五日生まれ。クラシック音楽を学んだ後、医学を一年間学び、法律家に転身。一八八五年、法廷に立つようになった。ブラックヒースで法廷弁護人および教師として働いていたが、一八八八年一二月一日に解雇されている。その後、コートのポケットに石をつめ、テムズ川に身投げしている。享年三一歳。彼の自殺を機に警察の捜査は打ち切られ、切り裂きジャックも姿を消した。偶然か否かはわからないがな」
「なるほど。話を聞くと『いかにも』って感じだな。だが、そいつは普通の一般庶民だろう? 『捕まったらまずい大物』ってわけじゃあるまい?」
「そうだな。そこでもう一方の有力候補の出番となる。名をサー・ウィリアム・ガル。当時の王室御典医だった男だ。女性たちを馬車に連れ込み、そこで殺害し、発見現場に放り捨てたと言われている。馬車での犯行だから姿も見られず、悲鳴も聞かれなかったのだとな。なぜ、そんなことをしたかというと、複雑な宗教がらみの問題があった。
前に言ったクラレンス公爵は町に遊びに出た際、カトリックの女性を妊娠させてしまった。一方、イギリス王家はプロテスタント系。両派の間には長い流血の歴史がある。もし、カトリックの血を引く王族ができれば、両派の間で再び、血みどろの争いが起きかねない。それを防ぐために狂人の仕業に見せつけてケリをつけたのだ、とな」
「ふん、なるほどな。もし、そのガルってやつが犯人で、裏にそんな事情があったなら、警察はとても犯人を捕まえられないわけだ」
「そういうことだ。その意味ではうなずける推測ではある」
「まとめると、だ。切り裂きジャックを気取るバカがいるとしたら、医学の知識と技量があって、人間に恨みをもっていて、しかも、貴族ってことか」
はい。もちろん、霧と怪奇の都には世襲制の貴族は存在しません。ですが科学や芸術など、なんらかの分野で高い業績をおさめた人物には称号としての爵位が与えられる制度があるのです。ケネス・シーヴァースの伯爵位もそのひとつです。一代限りのものであり、何らかの特権があるわけでもありませんので、爵位というより『名誉市民』というほうが近いものなのですが。
ジャックの言葉にビリーは眉を釣り上げました。
「君はまだ、伯爵ケニーを疑っているのか?」
「ちがう、と言いたそうだな」
「あの切り裂きジャックを見ただろう。あの人物の身長はせいぜい、一七〇センチだ。伯爵ケニーは一八〇センチ以上ある。変装で大きくはなれても、小さくはなれないはずだ」
「そもそも、あの足が作り物かも知れねえぞ」
「そこまで疑うのか? 君の方が偏執的になってきたな」
「だが、あいつは実際、空高く跳んだ。バネ足ジャックのようにな。他にそんなことができるやつに心当たりがあるか?」
「それは……ないが」
「だったら、ケニーのやつが第一容疑者であることに変わりはない。とにかく、もう少し、やつのことを調べてみるぞ」
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