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五章
その女性ジェニー
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「わたしはジェニファー・ウェルチ。二三歳。観光客相手のガイドを勤めています」
金髪の女性はそう名乗りました。
ジャックはとりあえず気を失ったままの被害者の女性を署に運んで保護することにしました。ジェニーにも参考人として同行を願い出たのです。半ばは断られるのを覚悟してのものでしたが、意外なことに彼女は快く了承してくれました。尋問にも応じてくれるとのこと。
ジャックはまたも感動しました。いまどき、存在さえ忘れ去られている警察に協力してくれる市民なとめったにいるものではありません。この金髪の女性は美しいだけでなく、そのめったにいない例外だったのです。実際、ジャック自身、ふたつ返事で協力を了承してくれる市民に会ったのははじめてでした。それだけでジャックにはこの女性が天使に見えました。
署につくと被害者の女性を仮眠室のベッドに寝かせ、医者を呼びました。それまでの間、ビリーが介抱することにしました。なにしろ、怠け者の集まりである警察のこと。深夜まで署につめているような感心な働き者などいるはずもありません。いるとしたらそれは、昼寝のしすぎで頭がぼんやりしてしまい、家に帰るのも面倒だ、という理由で署内の冷蔵庫をあさって腹を満たし、本格的な睡眠時間に入った者だけです。
そんな人間が何かの役に立つはずもなく、すべてジャックとビリーのふたりで行なわなければならないのでした。
被害者の女性をビリーに任せると、ジャックはジェニーのためにコーヒーをいれました。自分の分のコーヒーカップを手にジャックは言いました。
「しかし、あなたは勇敢な女性ですな、ミズ・ジェニファー・ウェルチ」
「ジェニーと呼んでください、そのほうが慣れていますから」
「わかりました。では、ジェニー。よくあんな怪人の前に立ちはだかるようなことができましたね」
「夢中でしたから。いまになって震えています」
そう言ってジェニーは小さく笑いました。
ちょっと照れた様子を含んだなんとも魅力的な笑みでした。やわらかい金髪は短く整えられ、律動的なビジネス・スーツに身を包んだ姿はいかにもキビキビした様子を感じさせます。美しい顔立ちは凛々しさのなかに女性らしいやさしさを感じさせ、一枚の名画を感じさせるほどでした。
ジャックはますます彼女に好意的になりました。敬意を込めてコーヒーカップをかかげてみせたものです。
「無我夢中で行動できる人間を勇敢と言うんですよ。臆病者は夢中になればなるほど震えているしかできなくなる」
そう言ってコーヒーを一口すすりました。
「え~、では、いくつかお聞きしたいのですが……その前にまず、お断わりしておきます。質問の内容に関してはあなたを不愉快にさせるものもあるかも知れません。ですが、それは何もあなたを疑っているとか、個人的な好奇心とかいうのではなく、あ熊でも職務上のことです。どうか、その点をご了承いただきたい」
「ええ。わかっています。なんなりとどうぞ」
「ありがとうございます。まったく、あなたのような人ばかりなら我々も楽なんですがね」
『まったく』以降は胸のなかだけで呟いて、ジャックは質問を開始しました。
「え~と、それではまず……なぜ、あんな時間に女性おひとりで出歩いていたのかをお聞きしたいのですが。ガイドをなさっているということはやはり、夜間観光の帰りということですか?」
「いえ……」
ジャックの質問にジェニーは頬を赤らめながら答えました。
「その……実は彼との旅行から帰ってきたばかりで……」
「ほほう。あなたのような美しく勇敢な女性を恋人にできるとは、うらやましい男がいたものですな」
「……飛行機が遅れて都市に入るのがこんな時刻になってしまったのです。お疑いならゲートに記録が残されているはずですから……」
「いやいや、あなたはあくまでも参考人であって容疑者ではありません。そんな確認は不要ですよ。それより、旅行帰りということはあの怪人のこともご存じなかったのですか?」
「はい。あんな怪人のことは何も知りませんでした。あの怪人はいったい、何者なのです?」
ジャックはかいつまんで説明しました。ジェニーはおぞましそうに身を震わせ、両腕で自分の身を抱き締めました。ですが、その表情に恐怖以外の要素があることをジャックの刑事としての目は見逃してはいませんでした。
「そんな怪人が現われていたなんて。知っていれば彼に送ってもらったのですが……」
「そう言えばなぜおひとりで? 馬車を呼ぼうとは思われなかったのですか?」
「……自分の身は自分で守れ、が、この都市のポリシーですから」
ジェニーの声は苦々しそうでした。
「それに、馬車だってあてになりませんから」
「もっともですな。何しろ、御者と客が喧嘩になってお互いに撃ち合う、なんてことはしょっちゅうですからね、この都市では。まったく、どれもこれも死刑権解放同盟のせいですよ。あいつらが死刑権を開放したりするものだから……」
ジャックの声はだんだん熱が入り、乱暴と言っていいほどのものになりました。腕は振りまわす、床は踏みならす、唾は飛ばす。まったくもって粗暴そのものの姿でありまして、この場にビリーがいれば、角を生やして責め立てたことでありましょう。ミズ水・ジェニファー・ウェルチはより慎ましい女性でありましたから、口に出してジャックの粗暴さを責めるようなことはしませんでした。ですが、表情に嫌悪感がにじんでしまうのはどうしようもありません。
ジャックもようやく、ジェニーの表情に気がつきました。さすがに頬を赤らめ、わざとらしく咳払いなどして見せます。
「……失礼。つい、興奮してしまいまして」
「いえ……」
そのとき、ドアを開けてビリーが入ってまいりました。
「署長。彼女に面会だ」
ビリーの小柄な体を強引に押しのけて室内にずかずかと入ってきたのは、二〇代半ばの堂々とした体格の男性でした。
「アラン」
男を一目見るなりジェニーはそう言って立ちあがりました。アランと呼ばれた男性はジャックになど目もくれずにジェニーに近づき、その太い腕で彼女を抱きしめました。
「ああ、よかった。連絡を受けてすぐに飛んできたんだ。やっぱり、家まで送るべきだった。あんな怪人がいると知っていれば君が何と言おうと離さなかったのに。ああ、でも、本当に無事でよかった。君にもしものことがあったらおれは……」
いまにも泣きだしそうな表情といい、妙に甘ったるい口調といい、堂々たる体躯の大男にふさわしいとは言いがたいものでした。ですが、彼がどれほどジェニーを大切に思っているかははっきりと伝わる姿でありました。
「ちょ、ちょっと、アラン。人前よ」
ジェニーは頬を赤く染めてたくましい男の腕から逃れようともがきました。アランは決してはなすまいと腕に力を込めました。
「いいじゃないか。人目を気にしなきゃいけない関係じゃないだろう」
「アラン、もう!」
ジェニーはもがきつづけますが、アランの腕はびくともしません。ジャックが帽子を片手にのんきな口調で尋ねました。
「あ~、ミズ・ジェニファー・ウェルチ。失礼ですが、こちらの男性が例の?」
ジェニーは耳まで真っ赤にしながらようやく愛の包容を逃れると、ジャックに答えました。
「は、はい、一緒に旅行に行ったわたしの、その……婚約者です。名前はアラン・ヴォーンと言います」
「ああ、なるほど」
ジャックは帽子をかぶりなおして呟きました。そのジャックにアランが強烈な視線を向けました。一瞬でジャックの頭に血が昇り、沸騰するほどの強烈な敵意と反感のこもった視線。まるで親の仇でも見るかのような、そんな視線だったのです。
「……てめえ。なんだ、その目は」
市民に対しては親切丁寧な対応を心がけているジャックですが、たちまち仮面が外れ、荒々しい地がむき出しになりました。すぐ隣でビリーが顔に手を当てておりました。
アランはジャックをにらみつけると言い放ちました。
「ふん。役立たずどもが」
「……なんだと?」
ジャックの両目が釣り上がりました。眼球のなかで激しい怒りが稲妻となって飛び散ったものでございます。いきなり殴りかからなかったのは、あまりに激しい怒りのせいで逆に体が硬直したからにすぎません。
ジャックが一歩、アランに近づきました。鍛えぬかれた肉体をもつジャックですが、アランはさらに一まわり大きな体格をもっておりました。格闘の心得もあるのでしょう。ひるむどころか『望むところだ』とばかりに自分からも一歩、近づきます。ふたりの視線がぶつかり合い、空気が帯電しました。
腕に覚えのある屈強な男ふたりが本気でにらみあっているのです。周囲の空気が急激に熱を帯び、上昇気流が発生したようにさえ思えました。
嵐の予感にビリーは『あっちゃっー』とばかりに顔を押さえ、ジェニーはハラハラした様子でふたりの顔を交互に見ておりました。
ジャックがにらみながら言いました。
「聞き捨てならねえな。警察が『役立たず』とはどういう意味だ?」
「そのまんまだろうが」
「なんだと?」
「きさまら警察なんぞしょせん、被害が出てからでなきゃ何もできねえだろうが。肝心の被害を防ぐ役を果たせない連中を役立たずと言って何が悪い」
「アラン、失礼よ!」
たまりかねてジェニーが叫びました。
「この人はあたしを保護してくれたのよ」
「ふん。犯人は逃がしたんだろ? そいつがいつ、どこで悪さをするかもわからないじゃないか。おれならその場でぶち殺してやってたぜ」
「言ってくれるじゃねえか、てめえ」
ジャックはトレード・マークの帽子を放り捨て、さらに一歩近づきました。ジャックが帽子を捨てるときは正真正銘、本気の喧嘩モードに入ったときだけです。それを知っているビリーは嵐の予感に、ジェニーを連れてそっと部屋の隅に移動しました。
ジャックはアランの顔をにらみつけると言いました。
「いいか。警察ってのはな。あくまでも市民の保護が仕事なんだ。市民を放ったらかしにして犯人を殺すためにあるんじゃねえんだよ」
「そんなこたあ、被害が出る前に殺してからほざくんだな」
「なんだと?」
「てめえら、警察はしょせん、犯罪者のお守り役だ。他人の人生を奪った極悪人どもを刑務所という名の別荘に招待し、何不自由なく暮らさせてやる。それに味を占めた犯罪者どもは別荘を出ればまたぞろ同じことを繰り返す。そのせいで、おれたち善良な市民はいつだって犯罪に怯えていなくちゃならねえ。犯罪者なんざ片っ端から撃ち殺しゃいいんだ」
「その言い方……てめえ、死刑権解放同盟のメンバーだな?」
「ああ、その通りさ。死刑権解放同盟こそおれたち善良な市民の味方だ。てめえら、犯罪者のお守り役とはちがってな。解放同盟が死刑権を万人の権利として解放してくれたからこそ、おれたち善良な市民は殺される前に殺せるようになった。自分の身を守れるようになったんだ。解放同盟こそ善良な市民の救世主だ」
「……てめえ」
アランの言い草にジャックの怒りは極限まで高まりました。眉を吊り上げ、睨み付けます。
その一方、部屋の片隅に移動したビリーはジェニーに話しかけておりました。
「脳筋どもは勝手に争わせておくとして……ミズ・ジェニファー・ウェルチ」
「は、はい」
「あなたにお聞きしたいことがあります」
「な、なんでしょう?」
「あの怪人を見たとき、あなたはこう呟痛そうですね。『ケニー』と」
「それは……!」
「それは『伯爵ケニー』のことですか?」
「ケニーをご存じなのですか⁉」
「新・大砲クラブの会誌は欠かさず読んでおりますので」
「そ、そうですか……」
「失礼ですが、あなたは伯爵ケニーとどのような関係なのです?」
「その……彼とは幼なじみなんです。生まれた頃からいつも一緒で姉弟同様に育ちました」
「なるほど。それでなぜ、あの怪人を見たとき、呟いたのです?。『ケニー』と」
「それは……」
「隠し事はなさらぬように。後になって知られたら立場がまずくなります。あなたも、伯爵ケニーもね」
もともと鑑識で刑事畑の人間ではないとは言え、ジャックに見込まれ、付き合わされている身。この程度のテクニックは弄するのです。
ビリーの言葉にジェニーは意を決したようでした。真っすぐにビリーを見つめ、答えました。
「その……似ていたんです」
「似ていた?」
「はい。あの怪人の笑い声が。ケニーは悲しかったり、つらかったりするとき、あんなふうに仰け反って大笑いする癖があるんです」
「その笑い声があの怪人のものに似ていると?」
「はい……」
ジェニーは小さくうなずいてからあわてて付け加えました。
「でも、勘違いしないでください! ケニーはとても内気で繊細で、わたし以外の女性とはまともに口も聞けないぐらいなんです。そのケニーが女性を脅かして回るなんてありえません!」
「興奮なさらずに。伯爵ケニーはこの都市でも名の知れた立派な科学者です。その彼がこんな質の悪いいたずらをするわけがない。わたしもまったく同感です」
「……あ、は、はい、すみません」
ジェニーは我に返ったようでした。頬をうっすらと赤く染め、うつむきました。そこへ、ズカズカと音を立ててアランがやってきます。グローブのような手でジェニーの細い腕をつかむと、強引に連れ出します。
「帰るぞ、ジェニー。こんなところにいる必要はない」
「え、でも……」
「おい、まて、このゴリラ男。彼女はバネ足ジャックに目撃されているんだ。へたに出歩いたらまた狙われるかも知れねえんだぞ」
ジャックがアランの前に立ちはだかりました。ですが、アランは鼻を鳴らして見下すばかり。
「ふん。よけいなお世話だ。ジェニーはおれが守る。こいつでな」
と、アランは拳ダコの盛り上がった拳を見せつけました。そして、ジェニーの腰に腕をまわすと、抱きかかえるようにして歩き去ったのです。
ふたりの姿が消えるとジャックは思い切り床を蹴りつけました。
「チッ! 胸糞悪りいっ」
「まあそう言うな。いまどきの市民なんてあれが普通だ」
嵐が去ったのを確認してビリーがジャックのそばによってきました。ジャックは忌々しげに吐き捨てます。
「わかってるよ! だから腹が立つんだ」
「それはそれとしてだ、署長。彼女からは実に有意義な情報が聞けたぞ」
「なに?」
ビリーはジェニーから聞いたことをジャックに伝えました。ジャックは眉をひそめて尋ねました。
「笑い声が同じ? あの馬鹿野郎とそのケニーってやつがか? そのケニーってのは何者なんだ?」
「本名ケネス・シーヴァース。通称・伯爵ケニー。若いが、この都市でも最も名の知れた科学者のひとりだ。そして……」
「そして?」
「バネ足ジャックの正体について心当たりがあると言っただろう。その当人だ」
「何だと⁉」
「私の部屋に来てくれ。見せたいものがある」
金髪の女性はそう名乗りました。
ジャックはとりあえず気を失ったままの被害者の女性を署に運んで保護することにしました。ジェニーにも参考人として同行を願い出たのです。半ばは断られるのを覚悟してのものでしたが、意外なことに彼女は快く了承してくれました。尋問にも応じてくれるとのこと。
ジャックはまたも感動しました。いまどき、存在さえ忘れ去られている警察に協力してくれる市民なとめったにいるものではありません。この金髪の女性は美しいだけでなく、そのめったにいない例外だったのです。実際、ジャック自身、ふたつ返事で協力を了承してくれる市民に会ったのははじめてでした。それだけでジャックにはこの女性が天使に見えました。
署につくと被害者の女性を仮眠室のベッドに寝かせ、医者を呼びました。それまでの間、ビリーが介抱することにしました。なにしろ、怠け者の集まりである警察のこと。深夜まで署につめているような感心な働き者などいるはずもありません。いるとしたらそれは、昼寝のしすぎで頭がぼんやりしてしまい、家に帰るのも面倒だ、という理由で署内の冷蔵庫をあさって腹を満たし、本格的な睡眠時間に入った者だけです。
そんな人間が何かの役に立つはずもなく、すべてジャックとビリーのふたりで行なわなければならないのでした。
被害者の女性をビリーに任せると、ジャックはジェニーのためにコーヒーをいれました。自分の分のコーヒーカップを手にジャックは言いました。
「しかし、あなたは勇敢な女性ですな、ミズ・ジェニファー・ウェルチ」
「ジェニーと呼んでください、そのほうが慣れていますから」
「わかりました。では、ジェニー。よくあんな怪人の前に立ちはだかるようなことができましたね」
「夢中でしたから。いまになって震えています」
そう言ってジェニーは小さく笑いました。
ちょっと照れた様子を含んだなんとも魅力的な笑みでした。やわらかい金髪は短く整えられ、律動的なビジネス・スーツに身を包んだ姿はいかにもキビキビした様子を感じさせます。美しい顔立ちは凛々しさのなかに女性らしいやさしさを感じさせ、一枚の名画を感じさせるほどでした。
ジャックはますます彼女に好意的になりました。敬意を込めてコーヒーカップをかかげてみせたものです。
「無我夢中で行動できる人間を勇敢と言うんですよ。臆病者は夢中になればなるほど震えているしかできなくなる」
そう言ってコーヒーを一口すすりました。
「え~、では、いくつかお聞きしたいのですが……その前にまず、お断わりしておきます。質問の内容に関してはあなたを不愉快にさせるものもあるかも知れません。ですが、それは何もあなたを疑っているとか、個人的な好奇心とかいうのではなく、あ熊でも職務上のことです。どうか、その点をご了承いただきたい」
「ええ。わかっています。なんなりとどうぞ」
「ありがとうございます。まったく、あなたのような人ばかりなら我々も楽なんですがね」
『まったく』以降は胸のなかだけで呟いて、ジャックは質問を開始しました。
「え~と、それではまず……なぜ、あんな時間に女性おひとりで出歩いていたのかをお聞きしたいのですが。ガイドをなさっているということはやはり、夜間観光の帰りということですか?」
「いえ……」
ジャックの質問にジェニーは頬を赤らめながら答えました。
「その……実は彼との旅行から帰ってきたばかりで……」
「ほほう。あなたのような美しく勇敢な女性を恋人にできるとは、うらやましい男がいたものですな」
「……飛行機が遅れて都市に入るのがこんな時刻になってしまったのです。お疑いならゲートに記録が残されているはずですから……」
「いやいや、あなたはあくまでも参考人であって容疑者ではありません。そんな確認は不要ですよ。それより、旅行帰りということはあの怪人のこともご存じなかったのですか?」
「はい。あんな怪人のことは何も知りませんでした。あの怪人はいったい、何者なのです?」
ジャックはかいつまんで説明しました。ジェニーはおぞましそうに身を震わせ、両腕で自分の身を抱き締めました。ですが、その表情に恐怖以外の要素があることをジャックの刑事としての目は見逃してはいませんでした。
「そんな怪人が現われていたなんて。知っていれば彼に送ってもらったのですが……」
「そう言えばなぜおひとりで? 馬車を呼ぼうとは思われなかったのですか?」
「……自分の身は自分で守れ、が、この都市のポリシーですから」
ジェニーの声は苦々しそうでした。
「それに、馬車だってあてになりませんから」
「もっともですな。何しろ、御者と客が喧嘩になってお互いに撃ち合う、なんてことはしょっちゅうですからね、この都市では。まったく、どれもこれも死刑権解放同盟のせいですよ。あいつらが死刑権を開放したりするものだから……」
ジャックの声はだんだん熱が入り、乱暴と言っていいほどのものになりました。腕は振りまわす、床は踏みならす、唾は飛ばす。まったくもって粗暴そのものの姿でありまして、この場にビリーがいれば、角を生やして責め立てたことでありましょう。ミズ水・ジェニファー・ウェルチはより慎ましい女性でありましたから、口に出してジャックの粗暴さを責めるようなことはしませんでした。ですが、表情に嫌悪感がにじんでしまうのはどうしようもありません。
ジャックもようやく、ジェニーの表情に気がつきました。さすがに頬を赤らめ、わざとらしく咳払いなどして見せます。
「……失礼。つい、興奮してしまいまして」
「いえ……」
そのとき、ドアを開けてビリーが入ってまいりました。
「署長。彼女に面会だ」
ビリーの小柄な体を強引に押しのけて室内にずかずかと入ってきたのは、二〇代半ばの堂々とした体格の男性でした。
「アラン」
男を一目見るなりジェニーはそう言って立ちあがりました。アランと呼ばれた男性はジャックになど目もくれずにジェニーに近づき、その太い腕で彼女を抱きしめました。
「ああ、よかった。連絡を受けてすぐに飛んできたんだ。やっぱり、家まで送るべきだった。あんな怪人がいると知っていれば君が何と言おうと離さなかったのに。ああ、でも、本当に無事でよかった。君にもしものことがあったらおれは……」
いまにも泣きだしそうな表情といい、妙に甘ったるい口調といい、堂々たる体躯の大男にふさわしいとは言いがたいものでした。ですが、彼がどれほどジェニーを大切に思っているかははっきりと伝わる姿でありました。
「ちょ、ちょっと、アラン。人前よ」
ジェニーは頬を赤く染めてたくましい男の腕から逃れようともがきました。アランは決してはなすまいと腕に力を込めました。
「いいじゃないか。人目を気にしなきゃいけない関係じゃないだろう」
「アラン、もう!」
ジェニーはもがきつづけますが、アランの腕はびくともしません。ジャックが帽子を片手にのんきな口調で尋ねました。
「あ~、ミズ・ジェニファー・ウェルチ。失礼ですが、こちらの男性が例の?」
ジェニーは耳まで真っ赤にしながらようやく愛の包容を逃れると、ジャックに答えました。
「は、はい、一緒に旅行に行ったわたしの、その……婚約者です。名前はアラン・ヴォーンと言います」
「ああ、なるほど」
ジャックは帽子をかぶりなおして呟きました。そのジャックにアランが強烈な視線を向けました。一瞬でジャックの頭に血が昇り、沸騰するほどの強烈な敵意と反感のこもった視線。まるで親の仇でも見るかのような、そんな視線だったのです。
「……てめえ。なんだ、その目は」
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アランはジャックをにらみつけると言い放ちました。
「ふん。役立たずどもが」
「……なんだと?」
ジャックの両目が釣り上がりました。眼球のなかで激しい怒りが稲妻となって飛び散ったものでございます。いきなり殴りかからなかったのは、あまりに激しい怒りのせいで逆に体が硬直したからにすぎません。
ジャックが一歩、アランに近づきました。鍛えぬかれた肉体をもつジャックですが、アランはさらに一まわり大きな体格をもっておりました。格闘の心得もあるのでしょう。ひるむどころか『望むところだ』とばかりに自分からも一歩、近づきます。ふたりの視線がぶつかり合い、空気が帯電しました。
腕に覚えのある屈強な男ふたりが本気でにらみあっているのです。周囲の空気が急激に熱を帯び、上昇気流が発生したようにさえ思えました。
嵐の予感にビリーは『あっちゃっー』とばかりに顔を押さえ、ジェニーはハラハラした様子でふたりの顔を交互に見ておりました。
ジャックがにらみながら言いました。
「聞き捨てならねえな。警察が『役立たず』とはどういう意味だ?」
「そのまんまだろうが」
「なんだと?」
「きさまら警察なんぞしょせん、被害が出てからでなきゃ何もできねえだろうが。肝心の被害を防ぐ役を果たせない連中を役立たずと言って何が悪い」
「アラン、失礼よ!」
たまりかねてジェニーが叫びました。
「この人はあたしを保護してくれたのよ」
「ふん。犯人は逃がしたんだろ? そいつがいつ、どこで悪さをするかもわからないじゃないか。おれならその場でぶち殺してやってたぜ」
「言ってくれるじゃねえか、てめえ」
ジャックはトレード・マークの帽子を放り捨て、さらに一歩近づきました。ジャックが帽子を捨てるときは正真正銘、本気の喧嘩モードに入ったときだけです。それを知っているビリーは嵐の予感に、ジェニーを連れてそっと部屋の隅に移動しました。
ジャックはアランの顔をにらみつけると言いました。
「いいか。警察ってのはな。あくまでも市民の保護が仕事なんだ。市民を放ったらかしにして犯人を殺すためにあるんじゃねえんだよ」
「そんなこたあ、被害が出る前に殺してからほざくんだな」
「なんだと?」
「てめえら、警察はしょせん、犯罪者のお守り役だ。他人の人生を奪った極悪人どもを刑務所という名の別荘に招待し、何不自由なく暮らさせてやる。それに味を占めた犯罪者どもは別荘を出ればまたぞろ同じことを繰り返す。そのせいで、おれたち善良な市民はいつだって犯罪に怯えていなくちゃならねえ。犯罪者なんざ片っ端から撃ち殺しゃいいんだ」
「その言い方……てめえ、死刑権解放同盟のメンバーだな?」
「ああ、その通りさ。死刑権解放同盟こそおれたち善良な市民の味方だ。てめえら、犯罪者のお守り役とはちがってな。解放同盟が死刑権を万人の権利として解放してくれたからこそ、おれたち善良な市民は殺される前に殺せるようになった。自分の身を守れるようになったんだ。解放同盟こそ善良な市民の救世主だ」
「……てめえ」
アランの言い草にジャックの怒りは極限まで高まりました。眉を吊り上げ、睨み付けます。
その一方、部屋の片隅に移動したビリーはジェニーに話しかけておりました。
「脳筋どもは勝手に争わせておくとして……ミズ・ジェニファー・ウェルチ」
「は、はい」
「あなたにお聞きしたいことがあります」
「な、なんでしょう?」
「あの怪人を見たとき、あなたはこう呟痛そうですね。『ケニー』と」
「それは……!」
「それは『伯爵ケニー』のことですか?」
「ケニーをご存じなのですか⁉」
「新・大砲クラブの会誌は欠かさず読んでおりますので」
「そ、そうですか……」
「失礼ですが、あなたは伯爵ケニーとどのような関係なのです?」
「その……彼とは幼なじみなんです。生まれた頃からいつも一緒で姉弟同様に育ちました」
「なるほど。それでなぜ、あの怪人を見たとき、呟いたのです?。『ケニー』と」
「それは……」
「隠し事はなさらぬように。後になって知られたら立場がまずくなります。あなたも、伯爵ケニーもね」
もともと鑑識で刑事畑の人間ではないとは言え、ジャックに見込まれ、付き合わされている身。この程度のテクニックは弄するのです。
ビリーの言葉にジェニーは意を決したようでした。真っすぐにビリーを見つめ、答えました。
「その……似ていたんです」
「似ていた?」
「はい。あの怪人の笑い声が。ケニーは悲しかったり、つらかったりするとき、あんなふうに仰け反って大笑いする癖があるんです」
「その笑い声があの怪人のものに似ていると?」
「はい……」
ジェニーは小さくうなずいてからあわてて付け加えました。
「でも、勘違いしないでください! ケニーはとても内気で繊細で、わたし以外の女性とはまともに口も聞けないぐらいなんです。そのケニーが女性を脅かして回るなんてありえません!」
「興奮なさらずに。伯爵ケニーはこの都市でも名の知れた立派な科学者です。その彼がこんな質の悪いいたずらをするわけがない。わたしもまったく同感です」
「……あ、は、はい、すみません」
ジェニーは我に返ったようでした。頬をうっすらと赤く染め、うつむきました。そこへ、ズカズカと音を立ててアランがやってきます。グローブのような手でジェニーの細い腕をつかむと、強引に連れ出します。
「帰るぞ、ジェニー。こんなところにいる必要はない」
「え、でも……」
「おい、まて、このゴリラ男。彼女はバネ足ジャックに目撃されているんだ。へたに出歩いたらまた狙われるかも知れねえんだぞ」
ジャックがアランの前に立ちはだかりました。ですが、アランは鼻を鳴らして見下すばかり。
「ふん。よけいなお世話だ。ジェニーはおれが守る。こいつでな」
と、アランは拳ダコの盛り上がった拳を見せつけました。そして、ジェニーの腰に腕をまわすと、抱きかかえるようにして歩き去ったのです。
ふたりの姿が消えるとジャックは思い切り床を蹴りつけました。
「チッ! 胸糞悪りいっ」
「まあそう言うな。いまどきの市民なんてあれが普通だ」
嵐が去ったのを確認してビリーがジャックのそばによってきました。ジャックは忌々しげに吐き捨てます。
「わかってるよ! だから腹が立つんだ」
「それはそれとしてだ、署長。彼女からは実に有意義な情報が聞けたぞ」
「なに?」
ビリーはジェニーから聞いたことをジャックに伝えました。ジャックは眉をひそめて尋ねました。
「笑い声が同じ? あの馬鹿野郎とそのケニーってやつがか? そのケニーってのは何者なんだ?」
「本名ケネス・シーヴァース。通称・伯爵ケニー。若いが、この都市でも最も名の知れた科学者のひとりだ。そして……」
「そして?」
「バネ足ジャックの正体について心当たりがあると言っただろう。その当人だ」
「何だと⁉」
「私の部屋に来てくれ。見せたいものがある」
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