夜に滲むはきみのまぼろし

浦見晴

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19.弟

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「あらあらジェイ様、おかえりなさい」
「ただいま。ルクスと話したいからちょっと外してくれるか」
「ええ。どうぞごゆっくり」
「ありがとう。アンドロニカも、あとで話そう」
「ええ、ええ。喜んで」

 部屋で一息ついた後、俺は隣室──ルクスの私室へと訪れた。室内には召使いであるアンドロニカが控えていた。

 彼女は俺が引き取られる前からこの家に仕えていた者で、元々はロベルタの実家──ウォルシュ家の従者だった。ロベルタが実家を出る際に一緒に連れてきたらしく、それからは俺やルクスの世話を中心に家のことを色々やってくれている。
 アンドロニカはロベルタと同じく妖精族で、しかし妖精族にありがちな気難しい部分がなく、おっとりとしていて穏やかな女性だ。料理が得意で、綺麗好きで、そしてよく尽くしてくれる。俺にとっては第二の母親のような存在である。
 今はルクスがいつ目を覚ましても気付くことができるよう、召使いの誰かしらがルクスの部屋に控えているが、その大半はアンドロニカが担っていた。ルクスが眠る静かな部屋で、アンドロニカは編み物をしたり、刺繍をしたりしているらしい。


 彼女が部屋を出ていった後、俺は白い天蓋付きベッドで眠る弟──ルクスの元へと歩を進めた。
 ルクスは厳密には眠っているわけではない。胸が上下しないのは、彼が仮死状態にあることの証左である。

 俺はベッドの縁に腰掛け、ルクスの横で一緒に眠っているいくつかのぬいぐるみの位置を直してやった。きっとロベルタかアンドロニカが置いたのだろう。
 肩に届く程度の柔らかな髪。華奢な身体。伏せた目を縁取る睫毛は長く、家族の贔屓目を加味して考えてもルクスは美形の部類に入るだろう。まだ子どもっぽさが残るから、美少年といった方が正しいかもしれない。ちなみに幼い頃はよく女の子と間違えられていた。
 そんなルクスの白くてまろい頬を撫でながら、俺は柔らかな声色で話し始める。

 今期から首席になったこと。
 カレッジでの生活や最近出会った変わった奴らのこと。
 自身について、ホワイトと一緒に研究することになったこと。
 サウィン祭でルベルに打ち明けてしまったこと。
 当然返事はないが、まるで二人で会話しているかのように俺は滔々と言葉を紡いだ。ルクスが祝福を受ける以前と何ら変わらない、穏やかな兄弟の時間だった。

「じゃあ、またあとで来る。おやすみ」

 額にキスを落としてから腰を上げる。
 幼い頃はよく二人で眠る前にキスをし合った。カレッジに入ってからその習慣はなくなってしまっていたが、最近は帰省してルクスに会うたびに再びするようになっていた。

 天蓋から垂れるカーテンを閉じた時、聞こえる筈のない衣擦れの音がした。僅かにベッドが軋む。
 まさかと思い慌てて再度カーテンを開けると、

「ルクス……」

 薄く目を開けて、顔だけこちらに向けている弟の姿があった。起きている姿を見るのは約2ヶ月ぶりだった。
 ルクスはまだ寝ぼけているのか、何度かぱちぱちと瞬きをした。そして目の前にいる俺が幻でもなんでもなく本物であることに気付くと、子どものような無垢な笑みを浮かべてこちらに手を伸ばした。

「おはよ、兄さん。久しぶり」
「ああ、……おはよう。すぐに母さん達を呼んでくるよ」

 そう言ってベッドを離れかけた俺の服をルクスが引っ張る。引き止めるには随分と弱々しい力だが、俺にとっては十分な効力を持っていた。

「行かないで。ふたりで話そうよ」

 まだ眠たげな瞳が俺を見上げる。
 母によく似たヘーゼルナッツ色の瞳。俺は昔からこの目に弱かった。頼み事をされる時なんかは、この大きな目にじっと見つめられるとなんやかんやで最後には聞いてしまう。
 俺はそっとルクスのベッドに腰を下ろした。僅かにフレームが軋む音が、やけに大きく聞こえたような気がした。

「……わかった。ここにいるよ」




 ──ルクス・スタンリーはヴィンセントとロベルタの血の繋がった息子であり、俺の義弟である。
 兄弟間に血の繋がりはないが、ルクスが生まれて間もない頃に俺が引き取られたので、俺たちは本当の兄弟同然に育った。
 昔からルクスは風邪を引きやすい体質で、両親の目の届かないところでは俺がよく面倒を見てやっていた。ルクスは俺によく懐いていたし、俺もまたルクスの世話をすることが好きだった。側から見ても仲の良い兄弟だろう。
 ルクスはどこへ行くにも俺に着いてこようとして、時折無理をして案の定風邪を引くというのがいつしかお決まりになっていた。それはカレッジに入ってからも変わらなかったが、今となっては思い出話である。


 ルクスが死眠りの魔法をかけられてから、言い換えれば天使の祝福を授けられてから、約半年が経過していた。
 この強力な死眠りの魔法はブラッツ・カレッジの学長であるロデリックによってかけられたもので、起きるタイミングや頻度は全くのランダムだ。1週間に1、2回起きることもあれば、1ヶ月目を覚まさないこともあった。
 なぜ時々目を覚ますのかその理由を尋ねたことがあるが、ロデリックは平然と「ずっと眠ったままだと身体が勝手に死んだと判断して本当に死んじゃうときがあるからね」と言っていた。だからこれは必要な覚醒なのだ。

 また、ロデリック曰く、この死眠りの魔法は〝魔法〟というより〝呪法〟に近いという。
 術者が近くにいなくても効果が持続すること。術者もしくは第三者が解除しない限り効果は半永続的であること。そして死に纏わるということ。たしかに特徴としては呪法そのものだ。


 さて置き、ルクスは眠っているとき仮死状態になる。
 祝福を授けられた代償が具体的にどんなものであるかわからない以上、解決策が見つかるまで可能な限り進行を送らせようというわけだ。身体の時間の流れを止めてその間に調査をするなどとんだ力業だが、それを実現させるのがS級魔法士の力である。
 ──尤も、祝福の対価が短命であることだとわかった今では、この呪いにも近い眠りの魔法は、ただただ不必要にルクスから残りの時間を奪うものとなってしまったが。


 

「今回は何日ぶり?」
「母さんは2週間前に一度起きたと話していたよ。今日は11月1日だ」
「結構寝てたなぁ。ちょうど兄さんが帰ってきたタイミングで起きれてよかった」

 ルクスがふにゃりと破顔する。
 何気なくルクスの手に触れると、当然のように手を握ってくる。滑らかな指が絡みついて、弱々しい力だというのに簡単には離れそうにない。

「ね、兄さん。いつまで起きてられるかわからないから、なるべくたくさん話したいんだ。だからここにいて」
「でも」
「母さん達とはこの前話したから大丈夫だよ。それより兄さん、ちょっと痩せた?」
「いや……別に、変わらないよ。お前の方こそ痩せたんじゃないか」
「そう? 寝てる時はお腹空かないし、起きても別に食欲とか湧かないからなぁ」

 仮死状態にあるとは即ち、眠っている間は時間が止まっているということである。体調の変化もなければ食欲もない。希望も絶望もない状態でただそこに存在しているだけ。
 それがいいことなのか悪いことなのか、誰にも判断ができない。ただ、少なくともルクスはあまり深刻には考えていないらしかった。

「あーあ、こうも寝てばっかりだと魔法の使い方を忘れちゃってる気がするよ。カレッジのみんなは元気かなぁ……」
「ここ最近カレッジに大きな変化はないが、今年のサウィン祭は少し特別だったぞ。珍しく満月が出たんだ」
「えー、すごい! おれも見たかったなぁ。ロデリックおじさんの篝火送り」

 そういえばルクスは、最近知り合った獣人族の生徒──シルキーと同じ学年だ。まぁ同学年といっても生徒の数はかなり多いので、接点があるかはわからない。
 シルキーは見た目こそ強面だが案外人見知りをするタイプだ。しかも普段は植物園の秘密のアトリエにいることが多い。わりと誰とでも仲良くできるルクスとはかなりタイプが違うので、もしかしたらお互いの存在すら知らないかもしれない。

「対価がわかったら、おれカレッジに戻ってもいいんだよね? 交流祭は出たいなぁ……」
「……そうだな。父さんも母さんもお前のために頑張ってる。もう少しの辛抱だ」
「兄さんも?」
「ん?」
「兄さんもおれのために頑張ってるの?」
「ああ、もちろん」

 不安げな顔をするルクスの手をぎゅっと強く握る。
 空いていたもう片方の手で顔にかかった髪を避けてやると、ルクスは花が綻ぶように柔らかな笑みを浮かべた。

「そっか、よかったぁ」

 この安堵の裏には、周囲が自分のことを忘れていないか、という不安があるのだろう。
 ルクスは仮死状態にあるとき、夢を見ることはないという。本人が以前そう話していた。ルクスからしてみれば目を閉じてまた開けただけのことなのに、現実の世界では何日も何週間も経っている。その不自然な乖離に不安になるのは当然だ。
 この先自分がどうなるのか予想もつかず、何を与えられたのか、何を奪われたのかもわからない。自分が同じ立場にあったとして、果たしてルクスと同じように朗らかな笑みを浮かべられるだろうか。

 繋いだ手がぽかぽかと温もりを持ち始めた頃、ルクスが大きな欠伸をして、それからひどく眠そうに目を細める。
 俺はそんなルクスの頭を優しく撫でた。気持ちよさそうにルクスが手にすり寄ってくる。

「うーん……もう眠いや……また話そう、兄さん」
「ルクス、………ああ、おやすみ」

 うつらうつらと船を漕いでいたルクスが、ついに俺の肩に寄りかかるようにして眠りにつく。
 人形のように動かなくなったルクスを優しくベッドに寝かせてやりながら、俺は眉を下げた。すくすくと成長したが寝顔だけは昔から変わらない。



 ルクスは16歳だ。もう2ヶ月もすれば17歳になる。まだカレッジの2年生で、始まったばかりの人生を歩んでいる。
 カレッジに入学したての頃は、ゆくゆくは魔法生物の研究をしたいと言っていた。いつかドラゴンの背に乗るのだと、未来を想像して笑っていた。母ロベルタがよく魔法生物の話をしてくれたものだから、それに憧れを抱くのは自然なことだった。
 授業にも意欲的で、親しい友人も多く、教員や事務員からの印象もいい。ルクスは何の罪もない清らかな子だ。誰に聞いてもいい子だと答えるくらい、裏表のない自慢の弟だ。


 どうして、俺ではなくルクスなのだろう。


 俺は指先が白むほど手をぎゅっと握った。
 言えない。言える訳がない。未来あるかわいい弟に、対価が短命であることだと判明したなどと、誰が言えよう。
 対価は本当に寿命なのだろうか。もしかしたら何かの間違いで、もっと別の何かを奪われた可能性はないのだろうか。
 この思考が現実逃避であることなど俺自身もわかっているが、そう思わなくてはやるせなさに押し潰されてしまいそうだった。

 ルクスの頬に触れる。柔らかく、そして体温はない。
 代わってやれるものならこの兄が代わってやりたい。寿命でもなんでもくれてやるから、弟の輝かしい未来を奪わないでほしい。

 何故なら、本来であれば天使に選ばれるのはルクスではなく、俺だったのだから。



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