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2章
15話
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空野という苗字。
言葉を話せない障害。
どんな状況でも強く生きていた女性。
間違いない。僕はその女性を知っている。
あの日、僕の話を真剣に聞いてくれた人。
僕に向き合うことを望んだ人。
僕のために……命を捧げてくれた人。
今まで我慢していた涙が次々と地面に落ちていく。上を向いてもなお、地面の色が変わっていく。
少女も鼻をすすりながら、必死に涙を堪えている。
「会いたい。彼女に会いたい」
「会いたい。お姉ちゃんに会いたい」
僕らは息を合わせたように言った。叶わぬ願いと分かっていても、この想いを消すことはできない。
しばらくしてようやく涙が止まりかけたとき、僕は少女に一つ聞いた。
「頭……撫でてもいい?」
拒否されるかもしれない。何でこんな時にと思われるかもしれない。だけど、どうしても少女がここにいることを確かめたかった。
「良いですよ」
少女は悩む素振りも見せずに行った。既に覚悟を決めているようだった。
僕はゆっくりと腕を伸ばし、少女の頭に手をのせた。
ポフッ。
見た目通り、さらさらとしていて、つやのある髪はとても若々しさを感じさせた。
……大丈夫。すり抜けたり、消えたりしていない。少女は確かにここにいる。
少女も安心したのか、止めていた息をふぅと吐き出した。
僕は少女の頭の上に置いた手で、三回優しく円を描いた。そしてゆっくりとその手を離す。
「もういいのですか?こんなチャンスもうなかなか来ませんよ?」
「それじゃあもうちょっと……ってできるわけないじゃん。この状況でまた触れられる人なんて見たことないよ」
二人はクスクスと笑い合う。和やかな雰囲気に僕らは包まれていた。
少女は僕のことを優しいと言ったが、少女の方がよっぽど優しい人柄だと感じた。
ところで、と少女は僕に問いかける。
「何か分かりそうですか?」
「えっ?何のこと?」
「もしかして忘れたなんてことはないですよね?タイムリープの事ですよ」
「あっ……」
そうだった。集中すると、それにしか目が向かなくなるいつもの癖が出ていた。自分の事なのに恥ずかしい限りである。
「その様子だと考えてすらなかったようですね。ご自身の事なのに呆れちゃいますよ」
「……すいません」
男子高校生が女子小学生に深々と頭を下げて謝っている。うん、思ったほど屈辱的ではない。
「まあ、私の話が上手すぎて、それどころじゃなかったんですね。仕方ないです」
「うんうん、そうだよね。仕方ないよね」
「自分で言わないでください。私が言うから意味があるんです」
「……すいません」
まさかこれほどまで短い間に二回も謝罪するとは……。もうどっちが年上か分からないな。
「で、何かありますか?」
「考え方を変えないといけないことは分かったけど……」
「それはもう聞きました。他にありませんか?」
「そんなにせかさないでよ。学校の先生みたい」
「将来の夢は学校の先生です」
「お姉ちゃんはいいの?」
「……お姉ちゃんも学校の先生になりたかったんですー!」
勢いで言った言葉をさらに勢いで返してくるあたりは、まだまだ小学生だな。人のこと言えないけど。
「でも本当に分からないんだ。しかも今回は過去に戻っちゃってるし」
少女はコホンと威厳を取り戻すような仕草をみせながら言った。
「二つの事柄を一気に考えるのが難しいようなら、一つずつに分けてみてはどうですか?」
「なるほど。僕が考え方を間違った理由と、タイムリープした理由を分けて考えればいいんだね」
「そうです。そして同じような問題はその共通点を見出すと明確な原因が分かりやすくなりますよ」
「そう……なの?」
「ええ、そうですよ。もっと言うと、その共通点は私の話の中でも出てきた言葉です。もちろん、私のそれとは意味合いが違いますが」
僕は少女の話を振り返る。
少女自身の話。
お姉さんの話。
そして僕の話。
それらを僕の経験したループの件と結び付ける。その結果、僕の中で一つの言葉が導き出された。
「帰る場所……」
僕が同じ日を繰り返しているとき、心の帰る場所を見失っていた。しかし、少女の力を借りて、無事にそれを取り戻すことができた。
「そうですね。これで1/3はクリアしました」
「えっまだあるの?」
「もちろん。あなたの答えはあくまで土台です。何の『帰る場所』を見失っているか。いや、違いますね。今回の場合は、見失ったというより自ら手放したと言う方が正しいかもしれません。それが重要です」
「僕が……自分で手放したもの?」
「はい。心当たりありませんか?」
全く思いつかない。ましてや自分で望んで失っているものなど想像もつかない。
僕がしばらく考え込んでいると、少女は言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「今日……9月11日に感じたこと。あの日……9月17日に感じたこと。それをよく思い出してください」
9月11日。その日は少女に背中を押され母との関係を修復した日。少女に会えなかったことを除いて、一日中晴れやかな気分で過ごすことができた日。
9月17日。その日は……進路希望調査が渡された日。将来への不安や、今の自分のままでいいのかと悩んだ日。そして……現実を突きつけられた日。
迎えたくない未来。
逃げ出したい現実。
失いたくない過去。
もしかして――。
「お気づきになったようですね。あなたが自ら遠ざけたもの。過去に戻ってしまうくらい逃げ出したかったもの」
僕は視線を落とす。しかしすぐに少女を直視する。その顔に笑顔はなく、真剣な眼差しで僕を見ていた。
僕が帰りたくない場所は――現実だった。
言葉を話せない障害。
どんな状況でも強く生きていた女性。
間違いない。僕はその女性を知っている。
あの日、僕の話を真剣に聞いてくれた人。
僕に向き合うことを望んだ人。
僕のために……命を捧げてくれた人。
今まで我慢していた涙が次々と地面に落ちていく。上を向いてもなお、地面の色が変わっていく。
少女も鼻をすすりながら、必死に涙を堪えている。
「会いたい。彼女に会いたい」
「会いたい。お姉ちゃんに会いたい」
僕らは息を合わせたように言った。叶わぬ願いと分かっていても、この想いを消すことはできない。
しばらくしてようやく涙が止まりかけたとき、僕は少女に一つ聞いた。
「頭……撫でてもいい?」
拒否されるかもしれない。何でこんな時にと思われるかもしれない。だけど、どうしても少女がここにいることを確かめたかった。
「良いですよ」
少女は悩む素振りも見せずに行った。既に覚悟を決めているようだった。
僕はゆっくりと腕を伸ばし、少女の頭に手をのせた。
ポフッ。
見た目通り、さらさらとしていて、つやのある髪はとても若々しさを感じさせた。
……大丈夫。すり抜けたり、消えたりしていない。少女は確かにここにいる。
少女も安心したのか、止めていた息をふぅと吐き出した。
僕は少女の頭の上に置いた手で、三回優しく円を描いた。そしてゆっくりとその手を離す。
「もういいのですか?こんなチャンスもうなかなか来ませんよ?」
「それじゃあもうちょっと……ってできるわけないじゃん。この状況でまた触れられる人なんて見たことないよ」
二人はクスクスと笑い合う。和やかな雰囲気に僕らは包まれていた。
少女は僕のことを優しいと言ったが、少女の方がよっぽど優しい人柄だと感じた。
ところで、と少女は僕に問いかける。
「何か分かりそうですか?」
「えっ?何のこと?」
「もしかして忘れたなんてことはないですよね?タイムリープの事ですよ」
「あっ……」
そうだった。集中すると、それにしか目が向かなくなるいつもの癖が出ていた。自分の事なのに恥ずかしい限りである。
「その様子だと考えてすらなかったようですね。ご自身の事なのに呆れちゃいますよ」
「……すいません」
男子高校生が女子小学生に深々と頭を下げて謝っている。うん、思ったほど屈辱的ではない。
「まあ、私の話が上手すぎて、それどころじゃなかったんですね。仕方ないです」
「うんうん、そうだよね。仕方ないよね」
「自分で言わないでください。私が言うから意味があるんです」
「……すいません」
まさかこれほどまで短い間に二回も謝罪するとは……。もうどっちが年上か分からないな。
「で、何かありますか?」
「考え方を変えないといけないことは分かったけど……」
「それはもう聞きました。他にありませんか?」
「そんなにせかさないでよ。学校の先生みたい」
「将来の夢は学校の先生です」
「お姉ちゃんはいいの?」
「……お姉ちゃんも学校の先生になりたかったんですー!」
勢いで言った言葉をさらに勢いで返してくるあたりは、まだまだ小学生だな。人のこと言えないけど。
「でも本当に分からないんだ。しかも今回は過去に戻っちゃってるし」
少女はコホンと威厳を取り戻すような仕草をみせながら言った。
「二つの事柄を一気に考えるのが難しいようなら、一つずつに分けてみてはどうですか?」
「なるほど。僕が考え方を間違った理由と、タイムリープした理由を分けて考えればいいんだね」
「そうです。そして同じような問題はその共通点を見出すと明確な原因が分かりやすくなりますよ」
「そう……なの?」
「ええ、そうですよ。もっと言うと、その共通点は私の話の中でも出てきた言葉です。もちろん、私のそれとは意味合いが違いますが」
僕は少女の話を振り返る。
少女自身の話。
お姉さんの話。
そして僕の話。
それらを僕の経験したループの件と結び付ける。その結果、僕の中で一つの言葉が導き出された。
「帰る場所……」
僕が同じ日を繰り返しているとき、心の帰る場所を見失っていた。しかし、少女の力を借りて、無事にそれを取り戻すことができた。
「そうですね。これで1/3はクリアしました」
「えっまだあるの?」
「もちろん。あなたの答えはあくまで土台です。何の『帰る場所』を見失っているか。いや、違いますね。今回の場合は、見失ったというより自ら手放したと言う方が正しいかもしれません。それが重要です」
「僕が……自分で手放したもの?」
「はい。心当たりありませんか?」
全く思いつかない。ましてや自分で望んで失っているものなど想像もつかない。
僕がしばらく考え込んでいると、少女は言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「今日……9月11日に感じたこと。あの日……9月17日に感じたこと。それをよく思い出してください」
9月11日。その日は少女に背中を押され母との関係を修復した日。少女に会えなかったことを除いて、一日中晴れやかな気分で過ごすことができた日。
9月17日。その日は……進路希望調査が渡された日。将来への不安や、今の自分のままでいいのかと悩んだ日。そして……現実を突きつけられた日。
迎えたくない未来。
逃げ出したい現実。
失いたくない過去。
もしかして――。
「お気づきになったようですね。あなたが自ら遠ざけたもの。過去に戻ってしまうくらい逃げ出したかったもの」
僕は視線を落とす。しかしすぐに少女を直視する。その顔に笑顔はなく、真剣な眼差しで僕を見ていた。
僕が帰りたくない場所は――現実だった。
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