渋面が見たい僕っ娘ちゃん

越知 学

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初手にして終わり得る一手

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 時代遅れと言われても仕方のない入学式の導入から1週間が経過した。
 この1週間という期間の長さを早いと感じるか遅いと感じるかはもちろん人によるだろうけど、僕にとっては「時間は皆平等」という言葉を疑いたくなるぐらい早く感じた。
 敢えて触れておくが、決して「楽しかったから時間が短かった」という理由ではない。あくまで彼の観察及び行動の考察をしていたら、いつの間にか1週間が経っていたというだけだ。
 もう一つ補足しておくと、僕は「僕っ娘」であって「ツンデレ」という属性は持ち合わせていないつもりだ。
「別にあの子が気になる訳じゃないんだからね!」という言葉を知ってはいても使う事はない。まあこれだけでツンデレ認定するなとツンデレ愛好協会から苦言を申し立てられたらぐうの音も出ないが、1週間そこらでツンがデレに変わるようなやつは、真のツンデレとは言えないだろう。
 僕は彼が気になってしょうがないと宣言してもいいくらいだ。これをクラスの自己紹介で明かしても良かったのだが、彼に警戒されるとその後が苦労しそうなので、その計画はやめにした。
 もし観察眼に優れている人であるならば、1日足らずで彼の情報を把握してしまうかもしれない。
 しかし僕は空気は読めても相手を読み解くスキル、いわばプロファイリングはあまり得意ではない。30代と思っていた女性が40代後半だったり、めちゃくちゃキザだと思ってたやつがとんだ道化師だったりと、人を見抜く力は無いようなのだ。
 それが分かっているのがせめてもの救いかもしれないが、自分の抱いた彼の第一印象を常に疑い、もしかしたらを追求することで彼の情報を細分析していったのだ。だから1週間掛かってしまったと言い訳させてもらおう。
 ーー前置きはこの辺にして、僕は「彼には弱点と呼べる何かは存在しない」という結論に至ったのだった。
 ……いや、前置きは終わりだと言ったけど、これは弁明させてほしい。だって、第一印象から全く変わらないだもん!
 こっちは疑ってかかっているのに、その期待をこと如く裏切っていくんだよ!?むしろ被害者と加害者の構図が完成してしまいかねないと思っている。
 それに僕はストーカーや付きまとい族にはなりたくないから、観察できるのは精々彼が隣の席にいる間くらいだ。もし彼が隣の席ではなかったらという想像はーーしないけど「ほんと見る目ないんだな」なんて罵倒はどうかやめてほしい。
 さて……「弱点が見つからない」相手にどうやって嫌な顔をさせればいいのだろう。
 ……蝉の抜け殻でもおいてみるか?
 いや今春だし。それに僕にとって蝉は誰もが恐れる「G」と肩を並べるくらい苦手だ。その実態ではないとしても、僕には触ることさえできないだろう。
 高校生になって2度目の月曜日が後数時間で終わろうとしている中、僕は頭を悩ませる。
 椅子に座って前屈みの状態から、背もたれに背中を預けて伸びをする。
「もういいや」なんて僕らしくもない思考に追い討ちをかけるように、本棚の一冊に目が止まった。
『今日はあなた』
 このタイトルを見てあまりの高揚に「っんきた!!」と声を上げてしっまった。
 この本は滅多に衝動買いなんてしない僕でさえ手に取らずにはいられなかった貴重な一冊である。
 タイトルの言葉はーーまあわかる人にはわかるだろうし、何より表紙の男性達が絶世の美男子なのだ。
 イケメンが嫌いな奴なんていないはず。だってーーイケメンなんだよ?
 そのイケメン達とタイトルはもちろん関係ないけど、あの言葉を題目に選んだ人だ、傑作に違いないと、衝動買いしたのだった。
 帰りの電車では絶対我慢しようと思っていたのに、どうしても待ちきれず本の数ページを試し読み感覚で読んだ。
 そして僕は言葉を失う。
 ーーこれって、あの、いわゆるボーイズラブ?
 知識として知ってはいたけど、まさかこんなにエロいとは。
 …………いい。
 新たな扉が開いた週間だったーー。
 なにはともあれ、これはひょっとしたらいけるんじゃないか?
 僕はたまたまBLに理解ある人種だっただけで、世間一般的に考えればまだ万人に受容されるものではないと認識している。
 何より、人前で読むには些か勇気のいる代物だ。僕だってもう一度電車内でカバーをつけずに読めと言われても、少なからず抵抗してしまう。今考えれば、なぜあの表紙で気付かなかったものかと自省しているほど、見ただけでジャンルがわかってしまうのだ。
 腐女子を極めし方々には失礼を承知で言わせて貰えば、そんな恥ずかしくなってしまうものを思春期真っ只中の「男の子」が見れば、嫌な顔をしてしまうのではないだろうか?たとえ隙のない美しい彼であったとしても。
 作戦が決まってしまえば後は待つだけだ。とりあえずーー久しぶりに読もう。
 ルーティンアラームをオフにして僕はただただ没頭した。ビギナー腐女子として。

 次の日、正確には3時間寝た後、僕はすでに準備された教材と『今日はあなた』を鞄にしまい、いつも通りの時間に家を出た。
 本当に少しなんだけど、道中に羞恥心を捨てきれなかった。この辺が振り切れてない、中途半端な人間だよなと思う。
 でもいいんだ、後々「彼を初めて渋面に陥れた誉れ高き人間」として称される未来のためなら、こんな羞恥心などいくらでも浴びてやろう。
 深夜テンションを捨て切れてない状態で僕は学校へ向かう。
 教室に入るとまだ人影はおろか、電気さえ付いておらず、朝の日光が窓越しに部屋を明るくしているのみ。当然だ、その時間を狙ったのだから。
 僕はまず自分の席に荷物を置く。この些細な過程が意外と大事だったりするのだ。
 アニメでありがちな「あっ入れる机間違えちゃった、えへへ」みたいな展開は今この瞬間だけは必要とされていない。
 そこから始まるイベントも大いに結構だが、今ではないのは確かだ。
 鞄のファスナーを開け、うん今日もいい開封音だ、なんてもう寝不足のテンションでは言い訳できないレベルにきている自分に気づき、一度深呼吸をする。
 表紙を塞いでいない透明のカバーをつけた本を取り出し、右隣の椅子を少しだけひいて、机の中に入れ込む。
 さすが僕の認める優等生、置き勉はしていないようだ。後付け極まりない「予想通り」で少し悦に入る。
 正直もうこれで終わってしまうのだと思うと少し名残惜しい気もする。まるでこれで関係が終わってしまうようだった。
 いや、良く考えたら始まってすらいないな。「おはよう」すら交わしたことないのに。
 少しの後ろめたさと半分くらいの心の高まりを胸に僕は自分の椅子に腰を下ろす。

 何人か教室に入ってきた後、本命の彼が登場した。先程の半分くらいの高揚が10分の9くらいまで上昇する。そう、もう心臓バクバクである。
 しかしそれは期待というよりむしろ、失敗による冷や汗モノに近い。僕は重大なミスを犯してしまった。
 僕の算段では朝読書が始まり、彼が引き出しの本を取り出すことからスタートする。
 でも、そもそも僕が引き出しに本を入れた時、机は空だったのだから、少なくとも彼は本を置きっぱなしにしていない。
 それに加え、席に着いたらすぐにとは言わずとも、引き出しに今日使う教材を入れるはずだ。それが朝読書後とは限らない。なんなら僕は座るや否や、真っ先に引き出しにしまう派だ。
 すなわち、朝読書中にその顔を拝めるという背徳感を味わえないじゃないか!
 ーー案の定、彼は席に座ると、鞄を左側に置き、手際よく鞄から引き出しへと運んだ。
 そして教科書類が収まらないことに気づき、真顔で首を傾げるとその勢いで引き出しを覗き込んだ。
 さようなら、僕の背徳感。
 でも失敗したわけではない。あれを取り出したが最後、あなたは初経験を果たすことでしょう。
 もうキャラブレブレの僕をよそに、彼は『今日はあなた』を手に取り、表紙に目を向ける。
 さあ、さあ、さあ!!
 しかし彼は表情を少しも変えない。モアイ像ーーというとあまりにも彼に失礼だが、とにかく彼は全く渋面を見せず、表紙を凝視することもなく、裏表紙を見た。
 次いで本の上と下、両方の背表紙を確認したところで周りをキョロキョロし始めた。
 唖然とする僕は隣にいるのだから、当たり前のように目が合ってしまった。
「ん?」
 彼が「君の?」と言わんばかりの顔と声を僕に向けるもんだから、反射的に頷いてしまった。
 この時僕はどんな顔をしていたのだろう。
 わかるのは、まるで拾ったボールを笑顔で返してくれるお姉さん、もとい綺麗な人が「これ面白いよね」という言葉とともに僕に手渡してくれた、ということだけだ。
 時間が止まったようだとはよく言うけれど、彼のその言葉だけが永遠ループして、時間を進めてくれない。
 ……面白いよね?えっ、なんで知っているの?
 ……僕、腐女子認定されちゃったかな?
 ……あなた、イケるクチなの?
 ……あなたは女神、もとい神様ですか?
 ……ほんと、それ面白いよね。
 時間にすれば10秒に満たない時間の中で、言葉が浮かんでくるが口が追いつかない、というか動かない。
 その10秒は彼を不安にするには十分だったようだ。
「大丈夫?」
 彼の心配そうな顔は、それはそれであまり見たことがなかったため、僕は我にかえる。
「あの、うん、ありがとうございます」
 何故か敬語の僕に戸惑うことなく、彼は僕の右手にその本を渡してくれた。
「良かった。やっと話せた」
 彼はそう言って、笑った。その笑顔は、選挙ポスターのような、学校パンフレットのような、笑顔を教える教科書があるのなら、まずこれに違いないというモノだった。
「……冷蔵庫に貼ってある水道のおじいちゃんみたい」
「水道のおじいちゃん?ああ、電話番号が載ってる『即日修理!』みたいな標語が載ってる人のこと?」
「えっあっそう。いや、おじいちゃんみたいと言いたいわけではなく、そのくらいいい笑顔って言いたいの」
「確かにあの人、いい笑顔だよね。なんで笑ってるかはわかんないけど。こっちが大変な時にあんな顔見ても。安心はしないよね」
 僕の狂言とも言える発言に答えてくれたうえに、サラッとツッコミまで入れてくれた。
 僕が感動していると、彼は口の横に手を添えて小さく言った。
「心配しなくても、このことは言わないよ。その代わり、今度それ、語りたい」
 その時初めて僕は不安そうな顔をしていると認識した。アフターフォローまで完璧だとは。
「うん、僕も語りたい」
 ようやく吃らずに言うことができた。彼、いや女神様は弾んだ声で「やった」と言い、途中だった作業に取り掛かる。
 始まっていなかった関係性が動き出す。
 そうして彼との距離が少し縮まったのだった。
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