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第8章 マリアとアカネ

その12 虚偽と欺瞞

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 12月某日ボウジツ早朝、〇〇市ノ河川敷ヲ歩行中ノ住民ガ意識不明ノ少女Aヲ発見。通報ニヨリICUニ搬送サレル。重度ノ低体温症カラノ回復後、身体的後遺症ハ見ラレズ。

 着衣ノ乱レト膣内ニ残留シタ多量ノ精液及ビ零下ノ屋外ニ遺棄サレタコトカラ本件ヲ強制性交致傷ノ事案トシテ捜査ヲ開始。近隣ノ監視装置ノ映像カラ被疑者トシテ住所不定無職ノ男(56歳)ノ身柄ヲ確保。DNA鑑定ノ結果、当人ト断定シタ。

 調ベニ対シ男ハAガ既ニ死亡シタモノト誤信シテ行為ニ及ンダト供述。Aノ側ニモ抵抗シタ形跡ハ見ラレナイ。男ノ供述ヲ一部認メ本件ノ容疑ヲ昏睡状態ノAニ対スル準強制性交ニ切リ替エル一方、昨年九月ニ発生シタ画家ヲ被害者トスル別件ノ殺人事件ニツイテ現場ニ残サレタ指紋ト遺留物カラ同女ガ重要参考人トナル可能性ガ浮上シタ。

 Aノ身元ニツイテハ行方不明者ノ名簿ニ該当者ハ無ク捜索願モ提出サレテイナイ。本人ノ衣服及ビ所持品カラ市中ヲ徘徊ハイカイシ生活スル住民票ヲ抹消サレタ居所不明児童キエタコドモ又ハ出生届ノナイ無戸籍児童イナイコドモノ可能性ガアル。

 事件前、地域ノ篤志家ボランティアガ所有者不明ノ空家デ生活スルAヲ発見。複数ガ交替デ不定期ニ訪問シ助言ヤ援助ヲ行ッタ。現在ハ○○市ノ児童福祉施設ガ同女ノ身柄ヲ預カッテイル。

 蘇生後、Aハ重篤ジュウトクナ記憶障害及ビ情緒反応の欠乏等ノ精神的後遺症ヲ示ス。本件及ビ別件ノ捜査ト立件ニ向ケテ同女ノ精神鑑定、詐病サビョウノ有無、及ビ証人トシテノ信頼性ニツイテ専門家ノ助言ヲ求ム。

 看護師と付き添いの施設職員がドアを閉めて診察室を出る。

 回転椅子に座った医師は眼鏡越しに表示装置ディスプレイを見つめている。水色の検査服を着た少女は静かに椅子に座っている。

 警察からの鑑定依頼を読み終えると医師は別件の事件についての報道記事に目を通す。

 昨年9月、著名な老画家が自宅に侵入した民間軍事会社PMCの元契約社員コントラクターの男を射殺。画家自身も侵入者の凶器で背中を刺されて出血多量で死亡した。

 老婆に変装して侵入した男は全裸の状態で後頭部と鼠径部そけいぶを撃たれ即死した。現場のアトリエには遺作となった素描スケッチが残されていたがモデルとなった少女は失踪している。

 被害者は屋根裏に作った子供部屋で下半身を露出した状態で死亡しており血染めの寝具には本人の精液とともに別人の血液と体液が付着していた。また、衣装箪笥クローゼットからは被害者が蒐集しゅうしゅうしたと見られる少女のドレスや下着が多数発見されている。

 世間を騒がせた猟奇殺人のことは医師も知っている。少女と画家の関係や男が侵入した動機について噂話ゴシップ醜聞スキャンダルが飛びかった。真相を解明できない警察に対しても非難が高まっている。

 医師は表示装置ディスプレイの画面を切り替えて少女の検査結果を確認する。

 脳のCT画像に器質障害は見られない。血液と尿検査の値も正常だ。識字能力が不明の少女に実施した人物画テストは比較的高い知能を示している。

 顔を上げて振り返ると少女は首をかしげたままボンヤリと床を眺めている。公開された素描スケッチによく似ているが幼い顔立ちからは表情がすっかり消えている。

「君のこと、なんて呼ぼうか」
「…マリア」
「良い名前だね、誰がつけたの?」
「知らない」

「ここが何処どこだかわかる?」
「病院」
「そうだね。僕は医者だ」

「…先生」
「なんだい?」
「わたし、病気なの?」

「どうかな、特に悪い所は見当たらないけど」
「もしも、病気だったら直してくれる?」
「もちろんさ。それが僕の仕事だよ」

「わたし…すぐ忘れちゃうの」
「たとえば?」
「見たことや聞いたこと」

「君は河原にいたんだよ」
「そうみたい」
「なにをしてたの?」
「わからない」

「どこに住んでたのかな」
「人のいないお家」
「一人で?」
「うん、前は友だちがいたけど…」

「そうか、誰だろう」
「…たぶん、女の子」
「名前は知ってる?」
「知らない…忘れちゃった」

「食事はどうしたの?」
「ときどき知らない人が来て…」
「うん」
「いなくなると、食べ物やお金が置いてあるの」

「一人だけ?」
「わからない…いろんな人かな」
「そうか、君を心配して来てくれたんだ」
「…違うと思う」
「え…なにかあったの?」

「センセイ…」
「どうしたの?」
「お腹、イタい」
「ええと、ここかな?」
「もうちょっと下…うん、そこ…」
「ほら、ここで横になって…どうだい?」
「すこし楽…でも、まだイタい」
「わかった、しばらくジッとして」

「ねえ…」
「なんだい?」
「…ホントに知りたい?」
「ああ、知りたいな」
「話したこと…誰にもいわない?」
「大丈夫、僕たち医者には秘密を守る義務があるんだよ」

「あたし…イケないことしたの」
「イケないことって」
「子どもがしちゃ、イケないこと」
「たとえば?」

「あのね…こんなこと」
「君、なにを…」
「イヤ…怒らないで」
「違う、そうじゃなくて…」

「男の人はココを見せると優しくなるの…ねえ…触っていいよ…最初はキモチ悪かったけどいまはスキ…ヘンなのが出てきて…キモチ良くなっちゃう…だからお願い…ほら…こうすると…イタいのも治るから」

「ア…センセイ…上手だね…もう出てきた…ウン…穴も平気だよ…でも…そこ触ると…ちょっと…イッちゃうけど…アッ…アッ…アアッ…こっちも見て…ほら…チッちゃいけど…オッパイ吸って…そう…先がスキなの…噛んで…もっと…ハアッ…またイッた…あと…みんなね…オシッコとか…ウンチの出る穴を見るたがるの…ヘンタイだよ…汚い所をペロペロ舐めるの…ねえ…センセイも舐めたい?」

「ウ…ウン…やっぱりスキなんだ…ホントはあたしもスキ…キモチいいから…でもイケないことなの…子どもはダメ…あたしは悪い子…でも仕方ないよ…無理にされちゃったんだ…キモチ悪い男とか…おジイちゃんとか…それから家に来たオジさんたち…でもセンセイは違う…カッコ良くて優しいから…イヤがる子にはしないでしょ…アアッ…イイよ…センセイも…見せて…あたしも…口でシテあげる…ングッ…ングッ…ングッ…」

「マリア…待ってくれ」
「センセイも、そろそろだね」
「いや、僕は…」
「あたし、もうデキるよ」
「ダメだ、そんなこと…」
「誰にもいわない…二人だけの秘密」

「ウ…ウウ…」
「出そうなの?」
「ア…ウン」
「じゃあ、早く入れて…中で出しなよ…あたし子どもだから、まだ赤ちゃんできないよ」
「教えてくれ…どうして、君は…」
「ひとりは淋しいの…ねえ…助けて…ひとつになりたい!」
「ああ…マリア!」

「ウッ…ウウッ…センセイが…入ってくる…オッキイよ…壊れちゃう」
「キツい…アツい…こんなの初めてだ」
「あたし、イイの?」
「最高だ…ほら…ここに脚をかけて…腕を巻きつけて…さあ…行くよ」
「アッ…アッ…アッ」
「イイぞ…もっと出して…この部屋の声は…誰にも聞こえない」
「アン…アン…アン!」

「センセイ…」
「…どうした?」
「あたしのこと…好き?」
「スキだ…ダイスキだ」
「愛してる…?」
「アイしてる」

「あたしのせいで…みんな死んじゃった」
「アア…そうか」
「あたしは…悪い子」
「ウン…ワルい子だ」
「でも、嫌いにならないで…」
「なるもんか…すごく…イイ」

「あたし…生きてて…いいの?」
「イイよ…とってもイイ」
「嬉しい…でも…ゴメンナサイ」
「どうして…?」
「あたし…マリアじゃないの!」
「オッ…オッ…オアアッ!」

 看護師がドアを開けて施設の職員と一緒に診察室に入ってくる。

 医師は表示装置ディスプレイに向かってキーボードを叩いている。少女は椅子に腰かけてボンヤリと天井を眺めている。

 職員は医師に挨拶をすると少女の手を引いて出て行こうとする。少女はクルリと振りむくと冷たい手を振り払いパタパタと走りだす。驚く医師の首に抱きつくと耳もとで囁きジッと目を見つめてニッコリと笑う。

 水色の検査服の背中がドアの向こうに消えてゆく。

「先生、すっかりなつかれちゃって」
「ああ、そうだね」
「あんな可愛い子に…なんて言われたんですか?」
「内緒だよ。患者クライアント秘密プライバシーだからね」

 看護師が笑いながら出てゆくと医師は鑑定書の仕上げにかかる。

 被鑑定者ノ脳ニハ器質異常ヤ神経伝達物質ノ過不足ニヨル行動異常ハ見ラレナイ。タダシ、過去ノ精神的外傷ニヨリ記憶ノ一貫性ト人格ノ統合ニ支障ヲキタシタ可能性ガアリ詐病トハ言イ難イ。

 同女ノ人格ニハ分裂ガ見ラレ比較的冷静ナ主人格Aニ対シテ感情ノ起伏ガ激シイ交代人格Bガ出現スル。Aニハ見当識ノ低下ト同時ニ事件当日ヲ起点トスル逆行性健忘ガ顕著ニ見受ケラレル。一方、Bハ世界ヲ敵ト味方ニ二分スル独特ノ世界観ヲ持チ他者ニ対シテ極端ナ愛憎ノ感情ヲ抱キヤスイ。マタ、過去ノ苛烈ナ体験ガ自己ノ存在ニ疑問ヲ持タセ生存自体ニ対スル罪悪感ニ起因スル人格ノ崩壊ヲ回避スルタメ時二妄想ヲ必要トシ記憶ノ欠落ヲ補ウタメニ作話サクワヲスル傾向ガアル。

 同女ハ顔画像ト身体ノ発育状況カラ無条件デ保護サレルベキ児童ト推定サレルガ実年齢ガ不明ノタメ、精神鑑定ノ結果カラ本件ノ強制性交ノ被害者デアルト立証スルノハ難シイ。タダシ、同女ノ低体温ニヨル身心喪失ニ乗ジテ性交ガ行ワレタトスレバ準強制性交ノ要件ガ成立スル。一方、別件ニツイテハ証言内容ノ信頼性ガ極メテ低ク事件ノ証人トシテノ適格性ヲハナハダシク欠クト言ワザルヲ得ナイ。

 ナオ、面談中ニBトオボシキ人格ガ支援ニ訪レタ地元ノ篤志家ボランティアカラ性的暴行ヲ受ケタコトヲホノメカス発言ヲ行ッタガ担当医ニ愛着ヲ抱イタBノ注意ヲクタメノ虚言キョゲント思ワレル。Bハソノ推定年齢ト不釣リ合イナ性的ナ言動デ担当医ヲ驚カセタ。今後モ継続的ナ観察ト治療ガ必要ト懸念サレル。

 医師は鑑定結果を送信しながら少女の笑顔を思い出す。最後に残したその言葉が愛情なのか呪詛じゅそなのかどうしても分からない。

「あたし、もう大人だよ。アレが来てるから…センセイの赤ちゃん、できるかも…」
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