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第7章 老狐の野望
その4 小鳥と風のワルツ
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モナと老人の後で深紅のイブニングドレスを着た女が拍手をしている。
「やあ、マダム、立ち聞きとは人が悪い」
「そうね。でも、聞こえてしまうのは仕方ないでしょう?」
老人はマダムの右手を取って手の甲にキスをする。人差し指には燃え立つような紅玉の指輪が輝いている。
「それに、素敵なお話だったわ。うちの娘たちにも聞かせてやりたい。さて…このお嬢さんは?」
「モナだ、うちで働いている。モナ、こちらは赤い家の女将だ」
「あの、始めまして…メイドのモナです」
モナは深々と頭を下げる。
「ダメよ」
「え…?」
「今日のあなたにはそんなお辞儀は似合わない。ほら、見てみなさい」
マダムはモナの耳もとで囁くと肩を抱いて真っ直ぐに立たせる。
モナは改めて辺りを見まわす。周囲の男たちが話の合間にチラチラとこちらを眺めている。男たちのひとりが同伴者の目を盗んでこっそりとウインクをする。
「わかった? もっと自分の価値を理解しなさい。ここは女の戦場よ。全員が命を懸けて戦っているから、倒れてもだれも助けてくれない。自分を卑下するなんてもってのほか。参加したからにはあなたも堂々と前に出なさい」
オーケストラが演奏を始める。会場に軽快なワルツが流れる。
「モナ、ワシはマダムと話がある。お前はだれか相手を見つけて踊って来なさい」
「え、でも…」
「うん?」
「わたし、ダンスなんてできません」
「心配するな、ダンスというものは様式化した男女の営みに過ぎん。いわばリズムに合わせた抜き挿しの繰り返しだ。お前はただ素直に相手の動きに身を任せればよい」
「そんな…」
「ふむ、ではワシが魔法をかけてやろう」
老人は上着の内ポケットに手を入れる。ガラスの小瓶を取りだすとコルクの蓋を抜いてモナの鼻さきにかざす。慣れ親しんだ香の匂いが立ち上る。
モナの頬がフワッと赤くなる。濡れた瞳がキラキラと輝きを増す。
姿勢の良い若者が軽やかな足取りで近づいてくる。女たちの一団がぞろぞろと後をついてくる。若者は右足を引き右手を体に寄せて優雅に頭を下げる。
「ご老人、お久しぶりです」
「ああ、リーノか。お前の周りはいつも騒がしくてかなわん」
「申し訳ありません。お嬢さん方、少々お静かに」
取り巻きの女たちに声をかけるとキャッキャと嬌声が上がる。
「でも、ぼくはそのために招待されたと思っていましたが…」
「そうね、あなたは立派に役目を果たしているわ」
「お褒めに預かり光栄です、マダム」
「ああ、ちょうど良い。この娘の相手をしてやってくれ」
「はい、かしこまりました…さあ、行こう」
「え…?」
リーノはモナの手を引いてフロアの中央に連れてゆく。取り巻きの女たちが一斉に溜息を漏らす。
「キミ、名前は?」
「モナです。わたし…」
「大丈夫、ぼくに任せて」
「あ…はい」
澄んだ瞳がモナを見つめている。リーノが差し出した左手に右手を添える。右手が脇の下を潜り背中に触れると体がフッと吸い寄せられる。
大きく踏み出したリーノの右足を左足を引いて受け止める。左右と踏み出すと右左とついてゆく。
二人の指が絡み合う。体がピッタリと重なって風車のように回りだす。
「初めてなんて、ウソだよね」
「いえ、ホントです」
モナはリーノの体から流れる気を全身で受けとめている。気は波のようにうねり渦を巻きスルスルとモナを運んでゆく。
緩急のリズムの中でモナは波間に沈みまた顔を出す。ステップを踏むごとに鼓動が高まって胸が弾けそうになる。
リーノがモナにほほえみかける。
「モナ」
「はい」
「走るよ!」
「あ…!」
リーノがフロアの中央を風のように駆け抜ける。風と戯れる小鳥のようにモナがピタリとついてゆく。踊っていたカップルたちが息を飲んで振り返る。
「さあ、羽ばたいて!」
リーノはモナを空高く押し上げる。翼を広げたモナがクルクルと宙を舞う。
歓声とともに大きな拍手が巻き起こる。
空を飛ぶ小鳥の目に驚きと興奮で真っ赤になった観客の顔が映っている。
「やあ、マダム、立ち聞きとは人が悪い」
「そうね。でも、聞こえてしまうのは仕方ないでしょう?」
老人はマダムの右手を取って手の甲にキスをする。人差し指には燃え立つような紅玉の指輪が輝いている。
「それに、素敵なお話だったわ。うちの娘たちにも聞かせてやりたい。さて…このお嬢さんは?」
「モナだ、うちで働いている。モナ、こちらは赤い家の女将だ」
「あの、始めまして…メイドのモナです」
モナは深々と頭を下げる。
「ダメよ」
「え…?」
「今日のあなたにはそんなお辞儀は似合わない。ほら、見てみなさい」
マダムはモナの耳もとで囁くと肩を抱いて真っ直ぐに立たせる。
モナは改めて辺りを見まわす。周囲の男たちが話の合間にチラチラとこちらを眺めている。男たちのひとりが同伴者の目を盗んでこっそりとウインクをする。
「わかった? もっと自分の価値を理解しなさい。ここは女の戦場よ。全員が命を懸けて戦っているから、倒れてもだれも助けてくれない。自分を卑下するなんてもってのほか。参加したからにはあなたも堂々と前に出なさい」
オーケストラが演奏を始める。会場に軽快なワルツが流れる。
「モナ、ワシはマダムと話がある。お前はだれか相手を見つけて踊って来なさい」
「え、でも…」
「うん?」
「わたし、ダンスなんてできません」
「心配するな、ダンスというものは様式化した男女の営みに過ぎん。いわばリズムに合わせた抜き挿しの繰り返しだ。お前はただ素直に相手の動きに身を任せればよい」
「そんな…」
「ふむ、ではワシが魔法をかけてやろう」
老人は上着の内ポケットに手を入れる。ガラスの小瓶を取りだすとコルクの蓋を抜いてモナの鼻さきにかざす。慣れ親しんだ香の匂いが立ち上る。
モナの頬がフワッと赤くなる。濡れた瞳がキラキラと輝きを増す。
姿勢の良い若者が軽やかな足取りで近づいてくる。女たちの一団がぞろぞろと後をついてくる。若者は右足を引き右手を体に寄せて優雅に頭を下げる。
「ご老人、お久しぶりです」
「ああ、リーノか。お前の周りはいつも騒がしくてかなわん」
「申し訳ありません。お嬢さん方、少々お静かに」
取り巻きの女たちに声をかけるとキャッキャと嬌声が上がる。
「でも、ぼくはそのために招待されたと思っていましたが…」
「そうね、あなたは立派に役目を果たしているわ」
「お褒めに預かり光栄です、マダム」
「ああ、ちょうど良い。この娘の相手をしてやってくれ」
「はい、かしこまりました…さあ、行こう」
「え…?」
リーノはモナの手を引いてフロアの中央に連れてゆく。取り巻きの女たちが一斉に溜息を漏らす。
「キミ、名前は?」
「モナです。わたし…」
「大丈夫、ぼくに任せて」
「あ…はい」
澄んだ瞳がモナを見つめている。リーノが差し出した左手に右手を添える。右手が脇の下を潜り背中に触れると体がフッと吸い寄せられる。
大きく踏み出したリーノの右足を左足を引いて受け止める。左右と踏み出すと右左とついてゆく。
二人の指が絡み合う。体がピッタリと重なって風車のように回りだす。
「初めてなんて、ウソだよね」
「いえ、ホントです」
モナはリーノの体から流れる気を全身で受けとめている。気は波のようにうねり渦を巻きスルスルとモナを運んでゆく。
緩急のリズムの中でモナは波間に沈みまた顔を出す。ステップを踏むごとに鼓動が高まって胸が弾けそうになる。
リーノがモナにほほえみかける。
「モナ」
「はい」
「走るよ!」
「あ…!」
リーノがフロアの中央を風のように駆け抜ける。風と戯れる小鳥のようにモナがピタリとついてゆく。踊っていたカップルたちが息を飲んで振り返る。
「さあ、羽ばたいて!」
リーノはモナを空高く押し上げる。翼を広げたモナがクルクルと宙を舞う。
歓声とともに大きな拍手が巻き起こる。
空を飛ぶ小鳥の目に驚きと興奮で真っ赤になった観客の顔が映っている。
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