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第7章 老狐の野望
その3 オダリスクの誇り
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車は都心に聳え立つ三つ子ビルに到着する。
老人は先に降りてドアの脇に立つと右手を差し出す。モナが老人の手のひらに左手を載せて車内から姿を見せる。
育ち盛りの豊満な肉体を黒く輝くドレスが引き締めている。成熟した体と裏腹の愛嬌のある幼い顔立ちが不思議な色香を放っている。
二人が入り口を通り抜ける。両脇の男たちがポカンと口を開けて振り返る。モナは熱い視線に戸惑って老人の左腕に右腕をギュッと巻きつける。
エレベーターが到着する。二人が乗り込むと音もなく扉が閉まる。
地上1600メートルの三百二十階建ての建物を磁気昇降機がスルスルと上ってゆく。灯りが消えて籠の中が暗くなる。
「モナ」
「はい」
「後ろだ」
「あ…」
眼下にトキオ市の夜景が広がっている。群れをなす街の灯は生き物のように呼吸しながら遥かな山並みへと続いている。左手に見える黒い大河は遠い海へと流れてゆく。
「よく見ておけ、これはすべて人が創り上げたものだ」
「…なんて、キレイなの」
「だが、これがいつまで続くかはだれにもわからん」
老人が空を眺める。街の灯りの眩しさで星が見えない。
「人生は一夜の祭りだ。灯りのあるうちに思い切り楽しんでおけ」
「…はい、旦那様」
パーティー会場は華やかに着飾った男女の群れで賑わっている。年配の男と若い女の二人連れが目立つ。女たちは衣装と化粧に工夫を凝らして美しさを競い合っている。
「綺麗な人ばかりですね」
「そう思うか」
「はい、驚きました」
「ここにいる女は、みんな金のために体を売った愛の奴隷だ」
「…え?」
「身体価値の適正な評価と動産化は資本主義の必然だ。この国もついに重い腰を上げて自己責任による人身売買を合法化する新国際人権条約に批准したのだ。トキオ市は第五次産業革命の旗手として、全国に先駆けて条例を撤廃し性産業の育成を決定した」
「いっている意味がわかりません」
「つまり、ここにいる女たちはトキオ市が公認した最高級の娼婦だということだ」
「…」
「売れるものには、なんでも値段をつけて売りまくる。それが資本主義の仕組みだ」
「旦那様…」
「なんだ」
「わたしも、そうなんですか?」
「どういうことだ?」
「…わたしは、お金のために旦那様のお手伝いをしています。それも体を売ることなのでしょうか?」
「お前は、自分が娼婦と呼ばれることを恐れているのか?」
「…はい」
「それは、この女たちすべての生き方を否定することになるぞ」
「…」
「ここにいる娼婦たちは自らの肉体を市場に出して対価を得ている。そして、美という脆く儚い価値を保つために日々努力を続けているのだ。その生き方になんの疚しいことがある?」
「それは…」
「この女たちは愛の奴隷と呼ばれている。それはもちろん主人の欲望に従って夜の営みの相手をするからだ。だが、もうひとつは金という不思議な魔物に魅入られて、進んでひれ伏したからでもある」
二人の周りでは男と女がグラスを傾けて噂話に花を咲かせている。知り合いを見つけてはにこやかに近づいて目の端で相手の品定めをする。
「モナ、お前はなぜワシの手伝いをする気になった」
「それは、お金のためです」
「その金はなんのためだ?」
「あの、家族のためです」
「お前自身のためでは、ないのか?」
「わたしも…お金が欲しいと思いました」
「それで?」
「昔みたいな貧しい暮らしは沢山です…この国に来てわかりました、やっぱりそうなんだって。ただここで生まれただけなのに、みんなが当たり前に贅沢をしている…でも、それっておかしいでしょう? わたしの国ではどんなに努力しても無駄なんです。せっかく積み上げたものだって、風が吹けば吹き飛んでしまう。だから、夜の海を渡ってこの国に来たの…わたしはお父さんとお母さんに売られたんじゃない。子どもだったけど自分でここに来るって決めたの。どうして、わたしたちが幸せになっちゃいけないの? わたしはお金持ちになりたいの!」
「お前のいうことはもっともだ。当たり前の価値は奪われたものにしかわからん。望みを叶えるために我が身を差し出したのなら、他人からなんと呼ばれようと気にするな。モナ、自分の決断に誇りを持て。娼婦という言葉も所詮は人のつけた名札だ。そう思わんか?」
老人はモナの肩を叩く。
「…はい、旦那様」
「それで良い。お前は素直で賢い娘だ」
老人は先に降りてドアの脇に立つと右手を差し出す。モナが老人の手のひらに左手を載せて車内から姿を見せる。
育ち盛りの豊満な肉体を黒く輝くドレスが引き締めている。成熟した体と裏腹の愛嬌のある幼い顔立ちが不思議な色香を放っている。
二人が入り口を通り抜ける。両脇の男たちがポカンと口を開けて振り返る。モナは熱い視線に戸惑って老人の左腕に右腕をギュッと巻きつける。
エレベーターが到着する。二人が乗り込むと音もなく扉が閉まる。
地上1600メートルの三百二十階建ての建物を磁気昇降機がスルスルと上ってゆく。灯りが消えて籠の中が暗くなる。
「モナ」
「はい」
「後ろだ」
「あ…」
眼下にトキオ市の夜景が広がっている。群れをなす街の灯は生き物のように呼吸しながら遥かな山並みへと続いている。左手に見える黒い大河は遠い海へと流れてゆく。
「よく見ておけ、これはすべて人が創り上げたものだ」
「…なんて、キレイなの」
「だが、これがいつまで続くかはだれにもわからん」
老人が空を眺める。街の灯りの眩しさで星が見えない。
「人生は一夜の祭りだ。灯りのあるうちに思い切り楽しんでおけ」
「…はい、旦那様」
パーティー会場は華やかに着飾った男女の群れで賑わっている。年配の男と若い女の二人連れが目立つ。女たちは衣装と化粧に工夫を凝らして美しさを競い合っている。
「綺麗な人ばかりですね」
「そう思うか」
「はい、驚きました」
「ここにいる女は、みんな金のために体を売った愛の奴隷だ」
「…え?」
「身体価値の適正な評価と動産化は資本主義の必然だ。この国もついに重い腰を上げて自己責任による人身売買を合法化する新国際人権条約に批准したのだ。トキオ市は第五次産業革命の旗手として、全国に先駆けて条例を撤廃し性産業の育成を決定した」
「いっている意味がわかりません」
「つまり、ここにいる女たちはトキオ市が公認した最高級の娼婦だということだ」
「…」
「売れるものには、なんでも値段をつけて売りまくる。それが資本主義の仕組みだ」
「旦那様…」
「なんだ」
「わたしも、そうなんですか?」
「どういうことだ?」
「…わたしは、お金のために旦那様のお手伝いをしています。それも体を売ることなのでしょうか?」
「お前は、自分が娼婦と呼ばれることを恐れているのか?」
「…はい」
「それは、この女たちすべての生き方を否定することになるぞ」
「…」
「ここにいる娼婦たちは自らの肉体を市場に出して対価を得ている。そして、美という脆く儚い価値を保つために日々努力を続けているのだ。その生き方になんの疚しいことがある?」
「それは…」
「この女たちは愛の奴隷と呼ばれている。それはもちろん主人の欲望に従って夜の営みの相手をするからだ。だが、もうひとつは金という不思議な魔物に魅入られて、進んでひれ伏したからでもある」
二人の周りでは男と女がグラスを傾けて噂話に花を咲かせている。知り合いを見つけてはにこやかに近づいて目の端で相手の品定めをする。
「モナ、お前はなぜワシの手伝いをする気になった」
「それは、お金のためです」
「その金はなんのためだ?」
「あの、家族のためです」
「お前自身のためでは、ないのか?」
「わたしも…お金が欲しいと思いました」
「それで?」
「昔みたいな貧しい暮らしは沢山です…この国に来てわかりました、やっぱりそうなんだって。ただここで生まれただけなのに、みんなが当たり前に贅沢をしている…でも、それっておかしいでしょう? わたしの国ではどんなに努力しても無駄なんです。せっかく積み上げたものだって、風が吹けば吹き飛んでしまう。だから、夜の海を渡ってこの国に来たの…わたしはお父さんとお母さんに売られたんじゃない。子どもだったけど自分でここに来るって決めたの。どうして、わたしたちが幸せになっちゃいけないの? わたしはお金持ちになりたいの!」
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老人はモナの肩を叩く。
「…はい、旦那様」
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