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第5章 堕天使たちの涙
その9 砂に消えた涙
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床の上にモナが倒れている。
脱がされた服が部屋のあちこちに散らばっている。
剝き出しになった尻と太腿は潮風がつくる砂丘のようだ。いまは日が暮れて黒い砂に生乾きの白い子虫がこびりついている。
執事が上着に袖を通す。肩のホコリを払って襟もとを整える。ボタンのとれたベストはだらしなく開いたままだ。
モナは目を閉じて動かない。耳もとでパタンと軽い音がする。目を開けると白い封筒が落ちている。
「…約束は守ったぞ」
モナが起きあがる。封筒を手に取ってぼんやりと眺める。封じ目に見慣れない印が押してある。
「開けるなよ、紹介状が無効になる」
モナの表情は動かない。執事はモナを見下ろしている。
「…旦那様がお前に新しいご主人様を紹介してくれた。ご友人のたっての願いでお前を手放すことにしたそうだ。さて、どうする?」
「…どのような方でしょう」
「ご友人の息子さんだ。お屋敷を出て人里離れた別荘で一人暮らしをされている。少し変わった人物だが大の犬好きのようだ。お前の仕事は若様と犬の世話だ」
「…お断りはできますか?」
「もちろんだ。お前が決めなさい…ただし、この紹介状はよそでは使えない。断れば今まで通りここで働くことになる」
モナが顔を上げる。執事は居心地が悪そうに咳払いをする。
「まあ、そういうことだ…わかっているとは思うが、今日のことは内緒だぞ。使用人の雑事で旦那様を煩わせることはない。それから、あっちの方も心配するな、中にはまったく出していない…お前は旦那様からの大切な預かり物だ。先方に無事届くまでは執事の私にも責任がある」
執事はモナの視線を避けてそそくさと出口にむかう。ドアの前でベストのポケットに手を入れる。
「…ミスター・カトウ」
声に振りむくとモナが鍵を差し出している。
「え…ああ、落としたか…すまんな」
執事は鍵を受け取るとモナの体に好色な視線を走らせる。
「…モナ、お前は九十五点で合格だ。さすがは旦那様のお仕込み、私もつい夢中になった。ただし、裏口の出迎えは感心しない。あんなに嫌がるとたいていの男は萎えてしまうぞ。とりあえず指で馴らしておいたから、後はお前の努力次第だ。旦那様はそちらの方もお得意のはずだが…いや、これは口が滑った。聞かなかったことにしてくれ…はあ、お前がここにいれば、赤い家にも行かなくて済むのになあ。あそこの女たちときたら、金ばかりむしり取ってろくなサービスをしない。お前とは大違いだよ。名残惜しいが、お前とはこれまでだ」
執事はドアに鍵を差しこんでガチャリと回す。ノブに手をかけてふと首を傾げる。
「モナ…」
「…え?」
執事は衣装箱の上のカップと皿を見つめている。モナが息を飲む。見開いた目に怯えが走る。
「お前、まさか…」
「違います、あれは…」
執事はモナを指差して声高に罵る。
「…怪しからん、メイドが夜中に盗み食いとは。最後の給料から引いておくぞ。それから、お前のせいで壊れた椅子も弁償してもらう。まったく、近頃のメイドときたら、お屋敷の持ち物をなんだと思ってるんだ!」
執事がドアを開ける。モナがボソッと呟く。
「わたし…」
「なんだ、まだ、なにかあるのか?」
「…犬が、嫌いです」
「大丈夫だ、犬がお前を気に入るよ…まったく、こんな上玉を手放すなんて、旦那様の気がしれない」
執事がバタンとドアを閉める。冷たい足音が遠ざかる。
モナが座り込む。体の芯は冷え切っているのにもう寒さは感じない。
手にした白い封筒を眺めてみる。さっきまで大切だったものがいまは紙屑に変わっている。
モナの背中が温かいものに包まれる。両手の指先が柔らかな布地に触れるとなぜか体が震えだす。
振り向くとパグがいる。毛布の上から強い力で抱きしめられる。人の体温が伝わってくる。
「ごめん」
「どうして…?」
「おれ、なんにもできなくて、お前を助けられなくて…」
モナの顔にポタポタと涙が落ちてくる。
「パグのせいじゃないよ…だれかを助けるなんて、きっとだれにもできないんだ。世の中には、仕方のないことがあるの」
「そんな、おかしいよ」
「…見たでしょう。あんな奴にひどいことをされても、あたし、気持ちが良かったんだ」
「お前、奴らになにをされたんだ…」
モナは黙って遠くを見つめている。
脱がされた服が部屋のあちこちに散らばっている。
剝き出しになった尻と太腿は潮風がつくる砂丘のようだ。いまは日が暮れて黒い砂に生乾きの白い子虫がこびりついている。
執事が上着に袖を通す。肩のホコリを払って襟もとを整える。ボタンのとれたベストはだらしなく開いたままだ。
モナは目を閉じて動かない。耳もとでパタンと軽い音がする。目を開けると白い封筒が落ちている。
「…約束は守ったぞ」
モナが起きあがる。封筒を手に取ってぼんやりと眺める。封じ目に見慣れない印が押してある。
「開けるなよ、紹介状が無効になる」
モナの表情は動かない。執事はモナを見下ろしている。
「…旦那様がお前に新しいご主人様を紹介してくれた。ご友人のたっての願いでお前を手放すことにしたそうだ。さて、どうする?」
「…どのような方でしょう」
「ご友人の息子さんだ。お屋敷を出て人里離れた別荘で一人暮らしをされている。少し変わった人物だが大の犬好きのようだ。お前の仕事は若様と犬の世話だ」
「…お断りはできますか?」
「もちろんだ。お前が決めなさい…ただし、この紹介状はよそでは使えない。断れば今まで通りここで働くことになる」
モナが顔を上げる。執事は居心地が悪そうに咳払いをする。
「まあ、そういうことだ…わかっているとは思うが、今日のことは内緒だぞ。使用人の雑事で旦那様を煩わせることはない。それから、あっちの方も心配するな、中にはまったく出していない…お前は旦那様からの大切な預かり物だ。先方に無事届くまでは執事の私にも責任がある」
執事はモナの視線を避けてそそくさと出口にむかう。ドアの前でベストのポケットに手を入れる。
「…ミスター・カトウ」
声に振りむくとモナが鍵を差し出している。
「え…ああ、落としたか…すまんな」
執事は鍵を受け取るとモナの体に好色な視線を走らせる。
「…モナ、お前は九十五点で合格だ。さすがは旦那様のお仕込み、私もつい夢中になった。ただし、裏口の出迎えは感心しない。あんなに嫌がるとたいていの男は萎えてしまうぞ。とりあえず指で馴らしておいたから、後はお前の努力次第だ。旦那様はそちらの方もお得意のはずだが…いや、これは口が滑った。聞かなかったことにしてくれ…はあ、お前がここにいれば、赤い家にも行かなくて済むのになあ。あそこの女たちときたら、金ばかりむしり取ってろくなサービスをしない。お前とは大違いだよ。名残惜しいが、お前とはこれまでだ」
執事はドアに鍵を差しこんでガチャリと回す。ノブに手をかけてふと首を傾げる。
「モナ…」
「…え?」
執事は衣装箱の上のカップと皿を見つめている。モナが息を飲む。見開いた目に怯えが走る。
「お前、まさか…」
「違います、あれは…」
執事はモナを指差して声高に罵る。
「…怪しからん、メイドが夜中に盗み食いとは。最後の給料から引いておくぞ。それから、お前のせいで壊れた椅子も弁償してもらう。まったく、近頃のメイドときたら、お屋敷の持ち物をなんだと思ってるんだ!」
執事がドアを開ける。モナがボソッと呟く。
「わたし…」
「なんだ、まだ、なにかあるのか?」
「…犬が、嫌いです」
「大丈夫だ、犬がお前を気に入るよ…まったく、こんな上玉を手放すなんて、旦那様の気がしれない」
執事がバタンとドアを閉める。冷たい足音が遠ざかる。
モナが座り込む。体の芯は冷え切っているのにもう寒さは感じない。
手にした白い封筒を眺めてみる。さっきまで大切だったものがいまは紙屑に変わっている。
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