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第5章 堕天使たちの涙
その1 モナの宝物
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パグは屋敷の地下の娘の部屋にいる。
小さな部屋のむきだしの壁には窓がなく片すみにベッドが置いてある。
パグは椅子に座っている。テーブル代わりの衣装箱の上には娘が運んできたホットミルクと山盛りのクッキーが並んでいる。
「食べなよ。毒なんか、入ってないから」
パグは手を出さない。娘は指先でクッキーをつまみ口に入れる。
パグの喉がゴクリと鳴る。昨日から何も食べていない。
手を伸ばしてひとつ食べると止まらなくなる。クッキーを頬張りミルクで流しこむ。たちまち皿が空になる。
「お腹、空いてたんだ」
娘はベッドに腰かけて大きな口でニッコリ笑う。カチューシャは外したがエプロンはまだ身につけている。
「あんた、なんて名前」
「…パグだよ」
「ふーん、それホントの名前?」
「知らないよ、誰かが勝手につけたんだ」
「あたしは、モナって呼ばれてるんだ。でも、本当はモナミっていうの」
「ああ、そうか」
「でも、これは秘密なの」
「どうして?」
「だって、モナミって『私の愛しい人』っていう意味なんだよ」
「それで?」
「好きでもない人に、そんな風に呼ばれたくないじゃない」
「そういうものなのか?」
「そういうものなの。この名前は、父さんと母さんがくれたあたしの宝物なんだ」
「ふーん」
「でもね…パグは、モナミって呼んでいいよ」
「え…?」
モナのキラキラした目がパグをじっと見つめている。
「あ、あ…あのさ」
「なに?」
「マリアのことを、教えてくれないか。ちょっと大変なことがあってさ。元気にしてるのか?」
「…あの子のことは、諦めなよ」
「え、どうして?」
「旦那様は、時々、施設から子どもを引き取ってくるの。それも綺麗な子ばっかり。毎日、素敵なドレスを着て美味しい物を食べて、歌や踊りの先生たちに色んなことを教わるんだ。でも、しばらくするとみんなどこかに消えちゃうの…キュリオ様がお屋敷に来てからは、新しい子は来てなかったけど…」
「待ってくれ。金持ちの家に引き取られた子どもは大事にされて、幸せになるんだろ」
「そういう子もいるかもね」
「違うのか?」
「知らないよ、あたしには関係ないもん」
「旦那様ってどんな奴だ、キュリオって誰だよ、マリアはどうなっちゃうんだ?」
「だめよ、聞かないで…」
「なにか、知ってるんだろ」
パグが立ち上がりモナの肩をつかむ。モナは唇を噛んで顔を背ける。
「頼む、教えてくれ!」
モナがパグにしがみつく。二人の体が重なってベッドの上に倒れこむ。モナはパグの髪をまさぐり豊かな胸を押しつける。
「おい…なんだよ…放してくれ」
「ねえ、お願い…あの子のことは忘れて、あたしを見て…」
パグの耳に柔らかな唇が触れる。モナの息は暖かく花の香りがする。心臓がドクンと音を立てる。
パグの両手がモナの背中に触れる。手のひらに肌の火照りが伝わってくる。二人の吐息が混じり合う。
パグが起き上がるとモナの体が下になる。しなやかに巻きついた腕がするすると解ける。モナは目を閉じて赤い唇を突き出している。
パグの体が吸い寄せられる。モナのまつ毛が震えている。互いの唇がその先にあるものを求めてそろそろと近づいてゆく。
誰かがドアをノックする。モナの顔が青ざめる。慌ててパグを押しのける。
「モナ、私だ」
「…隠れて!」
「どうしたんだ…?」
「お屋敷に誰か入れたことを旦那様に知られたら、大変なことになる…あたし、きっと殺される」
モナは部屋を見まわすが隠れる場所が見つからない。ノックの音が激しくなる。パグはベッドを飛び降りて狭い隙間に潜りこむ。
「お願い、声を出さないで…」
モナはベッドから降りて乱れた髪と服装を整える。エプロンのポケットに手を入れてドアの鍵を探す。冷たい床の上でパグが息を殺している。
「どうした、入るぞ」
外側から鍵が差しこまれガチャリと回る音がする。
小さな部屋のむきだしの壁には窓がなく片すみにベッドが置いてある。
パグは椅子に座っている。テーブル代わりの衣装箱の上には娘が運んできたホットミルクと山盛りのクッキーが並んでいる。
「食べなよ。毒なんか、入ってないから」
パグは手を出さない。娘は指先でクッキーをつまみ口に入れる。
パグの喉がゴクリと鳴る。昨日から何も食べていない。
手を伸ばしてひとつ食べると止まらなくなる。クッキーを頬張りミルクで流しこむ。たちまち皿が空になる。
「お腹、空いてたんだ」
娘はベッドに腰かけて大きな口でニッコリ笑う。カチューシャは外したがエプロンはまだ身につけている。
「あんた、なんて名前」
「…パグだよ」
「ふーん、それホントの名前?」
「知らないよ、誰かが勝手につけたんだ」
「あたしは、モナって呼ばれてるんだ。でも、本当はモナミっていうの」
「ああ、そうか」
「でも、これは秘密なの」
「どうして?」
「だって、モナミって『私の愛しい人』っていう意味なんだよ」
「それで?」
「好きでもない人に、そんな風に呼ばれたくないじゃない」
「そういうものなのか?」
「そういうものなの。この名前は、父さんと母さんがくれたあたしの宝物なんだ」
「ふーん」
「でもね…パグは、モナミって呼んでいいよ」
「え…?」
モナのキラキラした目がパグをじっと見つめている。
「あ、あ…あのさ」
「なに?」
「マリアのことを、教えてくれないか。ちょっと大変なことがあってさ。元気にしてるのか?」
「…あの子のことは、諦めなよ」
「え、どうして?」
「旦那様は、時々、施設から子どもを引き取ってくるの。それも綺麗な子ばっかり。毎日、素敵なドレスを着て美味しい物を食べて、歌や踊りの先生たちに色んなことを教わるんだ。でも、しばらくするとみんなどこかに消えちゃうの…キュリオ様がお屋敷に来てからは、新しい子は来てなかったけど…」
「待ってくれ。金持ちの家に引き取られた子どもは大事にされて、幸せになるんだろ」
「そういう子もいるかもね」
「違うのか?」
「知らないよ、あたしには関係ないもん」
「旦那様ってどんな奴だ、キュリオって誰だよ、マリアはどうなっちゃうんだ?」
「だめよ、聞かないで…」
「なにか、知ってるんだろ」
パグが立ち上がりモナの肩をつかむ。モナは唇を噛んで顔を背ける。
「頼む、教えてくれ!」
モナがパグにしがみつく。二人の体が重なってベッドの上に倒れこむ。モナはパグの髪をまさぐり豊かな胸を押しつける。
「おい…なんだよ…放してくれ」
「ねえ、お願い…あの子のことは忘れて、あたしを見て…」
パグの耳に柔らかな唇が触れる。モナの息は暖かく花の香りがする。心臓がドクンと音を立てる。
パグの両手がモナの背中に触れる。手のひらに肌の火照りが伝わってくる。二人の吐息が混じり合う。
パグが起き上がるとモナの体が下になる。しなやかに巻きついた腕がするすると解ける。モナは目を閉じて赤い唇を突き出している。
パグの体が吸い寄せられる。モナのまつ毛が震えている。互いの唇がその先にあるものを求めてそろそろと近づいてゆく。
誰かがドアをノックする。モナの顔が青ざめる。慌ててパグを押しのける。
「モナ、私だ」
「…隠れて!」
「どうしたんだ…?」
「お屋敷に誰か入れたことを旦那様に知られたら、大変なことになる…あたし、きっと殺される」
モナは部屋を見まわすが隠れる場所が見つからない。ノックの音が激しくなる。パグはベッドを飛び降りて狭い隙間に潜りこむ。
「お願い、声を出さないで…」
モナはベッドから降りて乱れた髪と服装を整える。エプロンのポケットに手を入れてドアの鍵を探す。冷たい床の上でパグが息を殺している。
「どうした、入るぞ」
外側から鍵が差しこまれガチャリと回る音がする。
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