おもくてあまくてにがいもの

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「……店長、今日も乗り切りましたね」
「あれくらい慣れろ、何年やってんだお前。アイオレG1番様です」

 カウンターに置かれたアイスのカフェオレと新人ちゃんの元気のいい「はい!」という返事のおかげで店内は日常を取り戻す。俺のシフトは大体8時~18時までで、今日もそのイレギュラー以外では特に変わったところはなく時間が進んでいく。

 明るかった空の色がオレンジになり藍色に変わった頃、俺の仕事は終わる。最後にレジ金の計算だけして残った仕事を夜の人たちに引き継いでバックヤードに戻って息を吐くと先に来ていた店長が煙草を吸いながら、すっかり温くなった珈琲を渡してくれた。

「あざーっす」
「おう、お疲れ」

 店長はもう還暦を過ぎているおじさんなのに未だに現役バリバリで店に立ってる。この後もなんやかんや言いつつ20時くらいまで残るのだろうなと思いながら、フロアに立つ従業員だけが着るベストを脱ぎ始めた時だ。

「ユウキ」

 低くて渋い声に呼ばれて振り返る。

「なんすか?」
「…まだ親父さんは帰って来ねえのか」
「全然っすね。まあもう戻って来ねえんじゃないですか」

 店長は眉間に深く皺を刻んで煙草を持つ手を灰皿の置いてあるカウンターに置いた。親指でフィルターを軽く弾いて灰を落とし、前髪をくしゃっと乱す。

「…警察は」
「捜索願い出しますか? って言われたけどあの親父見つかったところでって感じじゃないですか。俺としてももうバイト代盗まれないで済むんで正直安心してるんすよ」

 俺の親父は現在消息不明だ。どんな言い方をしても大袈裟に聞こえるけれど事実としていなくなってしまった。そりゃあ最初の数日は店長に泣きついたりもしたけれど2週間なんの音沙汰もなければ俺も察する。
 俺と親父は2人暮らしだ。

 俺が小学校の高学年の頃までは母親と妹もいたけれど親父の酒癖の悪さと浪費癖が原因で離婚してしまった。当然親権は母親に移ると思われたのだが、親父は離婚の時に俺か妹を残していけなんてふざけた条件を叩きつけた。
 母親はもう疲れ果てていて正常な判断を下すことができなかったのか、それてもすぐにでも親父と離れたかったからなのかそれを二つ返事で了承して結果俺を残して家を出た。

 正確にいえば俺が自分から残るって言ったんだ。だってその頃まだ妹は小さくて、子供ながらにこんな親父と二人にしちゃいけないって思ったんだ。そしてその思いは正解だったんだと俺は母親がいなくなってすぐに思い知ることになる。

 母親がいなくなって親父は荒れた。酒をもっと飲むようになってギャンブルにも手を出すようになった。
 それまではなんとか続けていた会社にも行かなくなって、俺が働ける年になると無理矢理俺を外に放り投げた。当然そんな親が学費を出してくれるはずもなくて俺の学歴は中卒止まり。
 で、放り出された時幸運にも店長に拾って貰って俺はそこからここ喫茶カメリアでバイトとして働いている。
 給料は俺がお願いして現金支給にして貰っていた。そうしろって親父に言われたからだ。

 当然その金は親父の酒とギャンブルに消えた。今思わなくても素直に渡してた俺が馬鹿だと思うけれど、過ぎたことを思ってもしょうがないのだ。

「俺案外ハッピーって思ってるから大丈夫っすよ、店長。バイト代貯めて定時制の高校行くって決めたんで。そんで勉強してもっと金貯めて大学も行く。もし出来たらすごくねえっすか?」

 最初は親父がいないことが不安でしょうがなかったのに時間が経つ程に冷静になって、今が人生で一番自由なんじゃないかとさえ思う。
 それを体現するみたいに体は軽いしやりたいことが無限に湧いてくる。
 働くのは好きだけど目標が出来たことで景色も色付いて見える気がした。

「……困ったらなんでも言え。お前一人くらいなら俺の家に住まわせてやるからな」
「嫌っすよ店長の家絶対煙草臭いじゃん」
「お前人の厚意をなんだと思ってんだアホンダラ」

 俺たちはバックヤードでゲラゲラと笑って、着替えて、店を出る。
 今日は店長も一緒に店を出て飯を奢って貰った。店長は色々な経歴を持っている人でなんか頭も良くてすげえ頼りになる。今日俺が言った高校の話とかも真剣に聞いてくれるし、めちゃくちゃ的確なアドバイスもしてくれる。
 こういう人が父親だったら俺の人生変わってたのかなとか思うけど、そんなの思ったってしょうがない。
 腹一杯飯を食わせて貰って駅で解散して、俺は電車に乗り込んだ。

 揺られること十数分、ドアが開いて一緒に降りる人たちと足並みを揃えて進んでいく。改札にICカードを一瞬置いて軽い音と一緒に駅から出る。
 大都会東京なんて行っても少し離れたら普通の家が立ち並ぶ町に変わる。駅前にあるコンビニとか弁当屋とかを無視して真っ直ぐに家への道を歩く。頭の中にあるのは明日の朝飯についてだ。

 親父がいなくなったからといって贅沢が出来るわけではない。冷蔵庫にあるものを思い浮かべながらなるべく手軽に出来るものを想像するとどうしてもお茶漬けとかになってしまうがまあ美味いしいっか、とそこで明日の朝食が決定する。

 街灯の明かりで照らされた道路を歩き、大きなマンションが見えると左に曲がる。道なりに進むと大きな道路があって、信号が変わるのを待ってから横断歩道を渡る。
 渡ってすぐにあるコインランドリーを見て「あ、洗濯物しねえと」と思い出した。
 それから更に歩いてもうほとんど人の気配がしなくなり少し離れた場所に俺の家が見え始めた。

 当然マンションなんて上等なんて物のはずが無く、少し錆びた階段があるアパートの一階が俺の家だ。築年数が結構いってて塀には苔が生えているし外装には少しヒビも入っていたりする。
 向かい側の少し離れた場所には公園があって、そこで遊ぶ子供たちが「あの家すげえボロい!」なんて大声で言ってしまうような外観だ。
 まあそんな家でも俺にとっては城なわけで。

 もう少しで着くというところでポケットに入れたままの家の鍵を取り出そうと手を突っ込んで慣れた感触を握り、視線を上げる。

「ユウキ君」

 聞き覚えのある声に顔を向けた。
 ちょうど向かい風で、嗅いだことのある香水と煙草の混ざった匂いが鼻に届き俺はゆっくりと瞬きをした。

「…タツさん?」

 街灯が少ししかない場所のせいで姿は完全には見えないけれどこの声と匂いを俺は知っていた。公園の方からやってきたタツさんの顔が見えるくらい近くに来た時にはもう俺の前に立っていて、高い場所にある顔を見上げる。

「…どうしたんすか、タツさん。この辺りに住んでるとか?」
「んやぁ。……へえユウキ君そういう服着るんじゃ。店におる時より幼う見える」

 もう暗いからかタツさんはサングラスをしていなくて、初めて見る素顔はいつもより迫力があって俺は少し尻込みする。

「ところで」

 タツさんは少し背を丸めて俺に顔を近付ける。ぎょっとして一歩下がろうとするけれどいつの間にかタツさんの左手が背中に回っていて出来ない。

「お前の名字、ドウジマ?」

 低く、蛇が這うような声に無意識に体が強張った。恐る恐る頷くとタツさんは嬉しそうに頬を染めて笑って、今度は右手で俺の頬を触る。

「親父の名前はアキヒコ?」
「なん、で…」

 親父の名前、と続けようとしたけれどその言葉は出なかった。

「ん、んんぅ⁉︎」

 頬を撫でていた手が顎を掴んだと思ったらそのままタツさんの唇が俺のと重なっていた。甘い匂いと煙草の煙たさが至近距離にあって、何が起きているのか分からなくて目を丸くして抵抗する俺にタツさんの口角が上がる。
 唇が離れて息を吸おうとした瞬間親指が歯の間に入り込み口を閉じられなくなる。それに驚く暇もなく再び唇が重なって、今度は熱くて湿ったものが入ってきた。

「っ、ぅ…っ! んふ、ぅ…、ぁ」

 それがタツさんの舌だと気がつくのに時間は掛からなくて、男の舌が自分の口に入ってる事実が意味わからな過ぎて俺は必死に顔を振ろうともがいたりタツさんの身体を叩いたりと抵抗した。
 けどなんの意味もなかった。

 口に入っていた指が抜けた代わりに大きな手が後頭部を掴んでいるせいで逃げられないし、隙間がないくらい抱き締められて腕も動かせない。それに何より、タツさんの舌が別の生き物みたいに俺の口の中をぐちゃぐちゃにするから、次第に力が入らなくなる。
 長くて熱い舌が上顎のざらついた場所を擽って俺の口からは変な声が漏れた。
 それを聞いたタツさんが上機嫌に唇を離して、俺の顔をうっとりとした表情で見る。

「飲んで、ユウキ君」

 聞いたことがないくらい色気のある声で囁かれ、俺は言われた通りに口内に溜まった二人分の唾液を飲み込んだ。こくりと喉仏が上下して、半開きの俺の口にもう一回タツさんの指が突っ込まれる。

「んぇ…っ」
「…確かめようにも暗うとよお見えんのお。まあええわ、これからずっと一緒じゃけ」

 指が抜かれて、俺の身体は軽々とタツさんに抱き上げられる。

「ぇ、な、何…っ」
「お前の親父、ウチから金借りとるんだわ」

 ガンと頭を殴られたような衝撃が走った。
 意味の分からない状況に抵抗しようにももう手遅れで、俺の身体はいかにも高級と思われる車に押し込まれた。
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