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第四章
おかえり、ただいま
しおりを挟む 長くも短くもあったラファエルの話が終わり、二人は屋敷に戻るべく支度を始めた。
宣言通り抱き潰されたラファエルの足腰は立たず、そして行為の激しさを物語るようにベッドの下に打ち捨てられたボロボロの服を見てラファエルは苦笑いし、アルフレッドはバツが悪そうに首をかいた。
これは仕方がないとアルフレッドが服を調達しに行き、その間になんとか立てるまで回復したラファエルはアルフレッドの買ってきた服を着て宿屋を出た。その際宿屋の店主が大袈裟すぎるほど驚いていたが慣れた光景のため気にせず、二人は馬に跨ってゆっくりと進み出した。
ちなみに馬は文字通り馬車馬のように働かされたのを覚えていたのだろう。二人を見た途端とてつもなく嫌そうな顔をした。
どうにか馬の機嫌も取り、アルフレッドに背中を預けながら爽やかな午後の陽気の中を進む。
「ねえアルフ」
「どうした?」
「アルフはさ、僕の話聞いてどう思った?」
「また漠然としてるな」
ラファエルの身体のこともありゆっくりと馬は進み、先程街を出たところだ。
街から出ると途端に自然が増えて人の気配もなくなり、聞こえるのは自然の音や鳥の声ばかりだ。
「…驚きはした」
「それだけ?」
振り返るラファエルに「危ねえ」そう声を掛けてた。
「…話を聞いて納得する部分の方が多かった。唯一不満があるとすればその話をアンジェリカから先に聞いたってことくらいだ。お前の口から全部聞きたかった」
「……もっと他にさあ、なんかあるでしょ」
思ったような返答じゃなかったからか、言葉のキレが悪い。けれど声音が沈んでいないから機嫌は悪くないなとアルフレッドは推測した。それならば、とアルフレッドから切り出す。
「旦那様達には話したのか」
すると案の定ラファエルは口を噤み、視線を下げた。
「……話した」
ぽつ、と蹄の音でかき消されてしまいそうな程小さな声で呟いた。
「どうだった?」
先程とは立場が逆転し、今度はラファエルが答える番となる。
「……みんなの反応を見る余裕なんてなかったよ。でも、やっぱり複雑でしょ。僕はラファエルの皮を被った別人だ。……今までずっとそれを黙ってて家族の一員としてそこにいたんだよ…?……そんなの詐欺と一緒だ」
表情は見えないが沈んだ声のトーンや白くなるまで握られた拳を見てラファエルがどれほど思い悩んでいるかを慮ることは出来る。確かにラファエルの言う通りだと思う。けれどそれはラファエルの側に立った時の思いだ。
ミゲル達の思いは当然別にある。
「エル、急ぐぞ」
「は?」
「悩み過ぎて抱え込むのはお前の悪い癖だ。多少荒くなるが耐えろよ」
それまでのんびりと歩きなんなら途中道中の草まで食んでいた馬が会話の流れが変わったのを敏感に察知してアルフレッドを見る。けれど生物としてアルフレッドの方が格上だと瞬時に察してしゅん、と項垂れた。
「ま、待ってアルフ」
「舌噛むぞ」
短くそう言ってアルフレッドは馬を走らせた。
今までの穏やかさが一変し、景色が矢のように流れていく。一言でも喋ろうものなら間違いなく舌を噛みちぎるような振動の中でさすがにラファエルも打つ手がなくそのまま屋敷へと続く道を進んでいく。
このペースで行けば予定より随分早くに屋敷に到着することになる。
ラファエルは焦っていた。最早何故焦っているかもわからないが、とにかく焦っていた。その焦燥は恐怖によく似ている。
そうだ、恐怖だ。
馬が進み景色が徐々に見慣れたものに変わっていく。恐怖が足からざわざわと上がってくる。その恐怖がなんなのか、わかっているような気がした。
「…まって!」
張り上げるように声を上げた。けれどアルフレッドは手綱を引かない。
この道は知っている、ここを進むと時期に屋敷の屋根が見えてくる。そうしたらもう本当に着いてしまう。
「アルフ!ねえ待ってよ!待ってってば!」
聞こえている筈なのにそれでも馬は止まらなかった。心臓が嫌な軋み方をする。
この恐怖はきっと防衛本能のようだと思う。今から自分が傷付くかもしれない場所に踏み込むことになる恐怖がラファエルの心を踏み荒らす。
もう言葉を発することもできなかった。それほどまでに、これはラファエルにとって怖いことなのだ。
スピードが緩やかになり、蹄が土を蹴る以外の音が届くようになった。
目の前にはもう屋敷があって、思わず顔を逸らした。
「エル、見ろ」
ようやく好きだと認めることができた男の声が今は憎らしく聞こえる。絶対にいうことを聞いてなるものかと頑なに顔を背けていたら足音が聞こえた。
草を踏み締めて、少し跳ねるような音だ。ただ慣れていないのか時々リズムが崩れてつんのめりそうになったのか声が聞こえた。それに目を開けて、ラファエルは顔を向けた。
「坊っちゃま!」
「…まりあ…?」
もうおばあちゃんと呼んでいい年のマリアが必死に走っていた。屋敷の中を走るラファエルをいつも叱っていたマリアが、少し離れていてもわかるほど涙を流しながら走っている。そしてまた転けそうになったのを見た途端、身体が動いた。
「マリア!」
転げるように馬から降りてマリアを支えた。
涙に濡れた大きな榛色の瞳を見て、ラファエルも泣きそうになる。
怖いのは、この人たちが特別だからだ。
この人たちは本当の家族じゃない。けれど、ラファエルにとっては同然なのだ。
ある日突然人が変わったラファエルを戸惑いながらも受け入れてくれた。新しいものを覚えたり、挑戦していたものが成功したらラファエル以上に喜んでくれた。ハンターの依頼が終わってたまに帰った時だって、最初の頃は無事であったことを泣く程喜んでくれた。
それ以外にも沢山ある。そんな人たちに冷たい態度を取られて飄々としていられるほどラファエルは強くない。
この人達に嫌われるのが怖い。
今にも零れ落ちそうな榛色がラファエルを見ていた。
心臓がバクバクと音を立て、口がからからに乾いていくのがわかる。何を言われるのだろうかと怯え、マリアの唇が動く気配に咄嗟に目を閉じた。
「おかえりなさい」
ふわりと、柔らかなものに包まれた。マリアに抱きしめられているとわかるのに時間は掛からなかったけれど、ラファエルは呆然と目を開いたまま固まった。
「…おかえりなさい」
もう一度伝えられた言葉にラファエルは声が出せなかった。
自分がそれを言っていい資格があるのかどうかすらわからなかった。
「…ラファエル、ああ、なんて呼んだら…」
年相応に深みのあるマリアの声は自然とラファエルの気分を落ち着かせる。けれどその言葉がいつも通りではないことにラファエルは構えて身を固くした。
「…………」
けれどいつまで経ってもマリアから言葉は紡がれず、恐る恐る顔を上げたラファエルはマリアの顔を見てビクッと肩を跳ねさせた。
眉間に深く皺を寄せ口をへの字に曲げてどこからどう見ても難しい顔をしている。何かを言おうとして口を開けるのにまたすぐ口を閉じて、というのを繰り返す。
「マリアさん、エルが困ってんぞ」
見兼ねたアルフレッドが呆れたように声を掛けて馬から降りた。
「……ダメね、沢山考えた筈なのにあなたの顔を見たら全て吹き飛んでしまいました」
やがて諦めたように笑ったマリアがそっと腕から力を抜き、表情も柔らかくしてラファエルを見た。
「おかえりなさい、待っていましたよ。お腹は空いていませんか?」
いつも通りの言葉に、ラファエルは首を小さく横に振った。
「…どうして、僕は」
「確かに、あなたは以前のラファエル様ではないのでしょう」
マリアは目を伏せた、昔を思い出しているのか口元には柔かな笑みが浮かび少し哀愁も感じさせた。
「だけど私は今のあなたもラファエル様と同じくらいかわいいと思っております」
「…ぇ」
「そう思っているのは私だけではありませんよ」
丸いけれど少し垂れた頬を緩ませてマリアが笑う。未だにうまく理解できていないラファエルをもう一度抱き締めて立ち上がるように促すがうまく立てなかった。
「エル、抱えるぞ」
「うわあっ!」
言うが早いか一気に抱き抱えられてラファエルは目を丸くし、反射で首に腕を回す。マリアが何やら小言をアルフレッドに言っているがうまく聞き取れず、アルフレッドの「はいはい」なんて生返事だけがしっかり聞き取れた。
アルフレッドの足が当然のように屋敷の玄関に向かい、そこで待っていた人物にまた心臓が締め付けられた。
「エル」
ラファエルの緊張を解すようにアルフレッドの柔らかい声が呼ぶ。
「怖がるな」
ラファエルは顔を上げた。
「しっかり見ろ。余計なこと考えず真っ直ぐ向き合え、いいな」
声は柔らかいのに言われていることは今のラファエルには至難の技で、思わず顔を顰める。それに笑ったアルフレッドが「その顔が出来るならいける」と零し、足を止めた。
そっと地面に降ろされて自分の足で立つ。
俯いた先に見えるのは良く磨かれた靴で、それはミゲルが好んで履いているものだった。ドクドクと脈打つ鼓動の音を耳の奥に聞きながらラファエルはゆっくりと顔を上げる。そうして見えたミゲルの表情に目の奥が熱くなった。
「……おかえり」
声を発する瞬間、ミゲルの息が震えた。掠れたように紡がれた言葉は語尾も震えていたように思う。
これにただいまと返すのが苦しいと思うのと同じで、マリアもミゲルも、一体どんな気持ちで自分におかえりと言ってくれたのだろうか。
ラファエルは短く息を吸って、今度はもう一度深く吸った。
「…ただいまって、言ってもいいの…?」
みっともないくらいに声が震えた。もう十八にもなったのに、もう数ヶ月で十九にもなるというのに、まるで壊れた蛇口のようにぼたぼたと涙が溢れた。
そのラファエルを見てミゲルが笑った。一歩踏み出して子供のように泣くラファエルを抱き締める。
「もちろんだ。…おかえり、ラファエル」
両手を背中に回してぎゅっと服を掴んだ。嗚咽が混じるせいでうまく言葉にできなかったが、どんなに不恰好でも声を出した。
「…っ、ただいま…!」
宣言通り抱き潰されたラファエルの足腰は立たず、そして行為の激しさを物語るようにベッドの下に打ち捨てられたボロボロの服を見てラファエルは苦笑いし、アルフレッドはバツが悪そうに首をかいた。
これは仕方がないとアルフレッドが服を調達しに行き、その間になんとか立てるまで回復したラファエルはアルフレッドの買ってきた服を着て宿屋を出た。その際宿屋の店主が大袈裟すぎるほど驚いていたが慣れた光景のため気にせず、二人は馬に跨ってゆっくりと進み出した。
ちなみに馬は文字通り馬車馬のように働かされたのを覚えていたのだろう。二人を見た途端とてつもなく嫌そうな顔をした。
どうにか馬の機嫌も取り、アルフレッドに背中を預けながら爽やかな午後の陽気の中を進む。
「ねえアルフ」
「どうした?」
「アルフはさ、僕の話聞いてどう思った?」
「また漠然としてるな」
ラファエルの身体のこともありゆっくりと馬は進み、先程街を出たところだ。
街から出ると途端に自然が増えて人の気配もなくなり、聞こえるのは自然の音や鳥の声ばかりだ。
「…驚きはした」
「それだけ?」
振り返るラファエルに「危ねえ」そう声を掛けてた。
「…話を聞いて納得する部分の方が多かった。唯一不満があるとすればその話をアンジェリカから先に聞いたってことくらいだ。お前の口から全部聞きたかった」
「……もっと他にさあ、なんかあるでしょ」
思ったような返答じゃなかったからか、言葉のキレが悪い。けれど声音が沈んでいないから機嫌は悪くないなとアルフレッドは推測した。それならば、とアルフレッドから切り出す。
「旦那様達には話したのか」
すると案の定ラファエルは口を噤み、視線を下げた。
「……話した」
ぽつ、と蹄の音でかき消されてしまいそうな程小さな声で呟いた。
「どうだった?」
先程とは立場が逆転し、今度はラファエルが答える番となる。
「……みんなの反応を見る余裕なんてなかったよ。でも、やっぱり複雑でしょ。僕はラファエルの皮を被った別人だ。……今までずっとそれを黙ってて家族の一員としてそこにいたんだよ…?……そんなの詐欺と一緒だ」
表情は見えないが沈んだ声のトーンや白くなるまで握られた拳を見てラファエルがどれほど思い悩んでいるかを慮ることは出来る。確かにラファエルの言う通りだと思う。けれどそれはラファエルの側に立った時の思いだ。
ミゲル達の思いは当然別にある。
「エル、急ぐぞ」
「は?」
「悩み過ぎて抱え込むのはお前の悪い癖だ。多少荒くなるが耐えろよ」
それまでのんびりと歩きなんなら途中道中の草まで食んでいた馬が会話の流れが変わったのを敏感に察知してアルフレッドを見る。けれど生物としてアルフレッドの方が格上だと瞬時に察してしゅん、と項垂れた。
「ま、待ってアルフ」
「舌噛むぞ」
短くそう言ってアルフレッドは馬を走らせた。
今までの穏やかさが一変し、景色が矢のように流れていく。一言でも喋ろうものなら間違いなく舌を噛みちぎるような振動の中でさすがにラファエルも打つ手がなくそのまま屋敷へと続く道を進んでいく。
このペースで行けば予定より随分早くに屋敷に到着することになる。
ラファエルは焦っていた。最早何故焦っているかもわからないが、とにかく焦っていた。その焦燥は恐怖によく似ている。
そうだ、恐怖だ。
馬が進み景色が徐々に見慣れたものに変わっていく。恐怖が足からざわざわと上がってくる。その恐怖がなんなのか、わかっているような気がした。
「…まって!」
張り上げるように声を上げた。けれどアルフレッドは手綱を引かない。
この道は知っている、ここを進むと時期に屋敷の屋根が見えてくる。そうしたらもう本当に着いてしまう。
「アルフ!ねえ待ってよ!待ってってば!」
聞こえている筈なのにそれでも馬は止まらなかった。心臓が嫌な軋み方をする。
この恐怖はきっと防衛本能のようだと思う。今から自分が傷付くかもしれない場所に踏み込むことになる恐怖がラファエルの心を踏み荒らす。
もう言葉を発することもできなかった。それほどまでに、これはラファエルにとって怖いことなのだ。
スピードが緩やかになり、蹄が土を蹴る以外の音が届くようになった。
目の前にはもう屋敷があって、思わず顔を逸らした。
「エル、見ろ」
ようやく好きだと認めることができた男の声が今は憎らしく聞こえる。絶対にいうことを聞いてなるものかと頑なに顔を背けていたら足音が聞こえた。
草を踏み締めて、少し跳ねるような音だ。ただ慣れていないのか時々リズムが崩れてつんのめりそうになったのか声が聞こえた。それに目を開けて、ラファエルは顔を向けた。
「坊っちゃま!」
「…まりあ…?」
もうおばあちゃんと呼んでいい年のマリアが必死に走っていた。屋敷の中を走るラファエルをいつも叱っていたマリアが、少し離れていてもわかるほど涙を流しながら走っている。そしてまた転けそうになったのを見た途端、身体が動いた。
「マリア!」
転げるように馬から降りてマリアを支えた。
涙に濡れた大きな榛色の瞳を見て、ラファエルも泣きそうになる。
怖いのは、この人たちが特別だからだ。
この人たちは本当の家族じゃない。けれど、ラファエルにとっては同然なのだ。
ある日突然人が変わったラファエルを戸惑いながらも受け入れてくれた。新しいものを覚えたり、挑戦していたものが成功したらラファエル以上に喜んでくれた。ハンターの依頼が終わってたまに帰った時だって、最初の頃は無事であったことを泣く程喜んでくれた。
それ以外にも沢山ある。そんな人たちに冷たい態度を取られて飄々としていられるほどラファエルは強くない。
この人達に嫌われるのが怖い。
今にも零れ落ちそうな榛色がラファエルを見ていた。
心臓がバクバクと音を立て、口がからからに乾いていくのがわかる。何を言われるのだろうかと怯え、マリアの唇が動く気配に咄嗟に目を閉じた。
「おかえりなさい」
ふわりと、柔らかなものに包まれた。マリアに抱きしめられているとわかるのに時間は掛からなかったけれど、ラファエルは呆然と目を開いたまま固まった。
「…おかえりなさい」
もう一度伝えられた言葉にラファエルは声が出せなかった。
自分がそれを言っていい資格があるのかどうかすらわからなかった。
「…ラファエル、ああ、なんて呼んだら…」
年相応に深みのあるマリアの声は自然とラファエルの気分を落ち着かせる。けれどその言葉がいつも通りではないことにラファエルは構えて身を固くした。
「…………」
けれどいつまで経ってもマリアから言葉は紡がれず、恐る恐る顔を上げたラファエルはマリアの顔を見てビクッと肩を跳ねさせた。
眉間に深く皺を寄せ口をへの字に曲げてどこからどう見ても難しい顔をしている。何かを言おうとして口を開けるのにまたすぐ口を閉じて、というのを繰り返す。
「マリアさん、エルが困ってんぞ」
見兼ねたアルフレッドが呆れたように声を掛けて馬から降りた。
「……ダメね、沢山考えた筈なのにあなたの顔を見たら全て吹き飛んでしまいました」
やがて諦めたように笑ったマリアがそっと腕から力を抜き、表情も柔らかくしてラファエルを見た。
「おかえりなさい、待っていましたよ。お腹は空いていませんか?」
いつも通りの言葉に、ラファエルは首を小さく横に振った。
「…どうして、僕は」
「確かに、あなたは以前のラファエル様ではないのでしょう」
マリアは目を伏せた、昔を思い出しているのか口元には柔かな笑みが浮かび少し哀愁も感じさせた。
「だけど私は今のあなたもラファエル様と同じくらいかわいいと思っております」
「…ぇ」
「そう思っているのは私だけではありませんよ」
丸いけれど少し垂れた頬を緩ませてマリアが笑う。未だにうまく理解できていないラファエルをもう一度抱き締めて立ち上がるように促すがうまく立てなかった。
「エル、抱えるぞ」
「うわあっ!」
言うが早いか一気に抱き抱えられてラファエルは目を丸くし、反射で首に腕を回す。マリアが何やら小言をアルフレッドに言っているがうまく聞き取れず、アルフレッドの「はいはい」なんて生返事だけがしっかり聞き取れた。
アルフレッドの足が当然のように屋敷の玄関に向かい、そこで待っていた人物にまた心臓が締め付けられた。
「エル」
ラファエルの緊張を解すようにアルフレッドの柔らかい声が呼ぶ。
「怖がるな」
ラファエルは顔を上げた。
「しっかり見ろ。余計なこと考えず真っ直ぐ向き合え、いいな」
声は柔らかいのに言われていることは今のラファエルには至難の技で、思わず顔を顰める。それに笑ったアルフレッドが「その顔が出来るならいける」と零し、足を止めた。
そっと地面に降ろされて自分の足で立つ。
俯いた先に見えるのは良く磨かれた靴で、それはミゲルが好んで履いているものだった。ドクドクと脈打つ鼓動の音を耳の奥に聞きながらラファエルはゆっくりと顔を上げる。そうして見えたミゲルの表情に目の奥が熱くなった。
「……おかえり」
声を発する瞬間、ミゲルの息が震えた。掠れたように紡がれた言葉は語尾も震えていたように思う。
これにただいまと返すのが苦しいと思うのと同じで、マリアもミゲルも、一体どんな気持ちで自分におかえりと言ってくれたのだろうか。
ラファエルは短く息を吸って、今度はもう一度深く吸った。
「…ただいまって、言ってもいいの…?」
みっともないくらいに声が震えた。もう十八にもなったのに、もう数ヶ月で十九にもなるというのに、まるで壊れた蛇口のようにぼたぼたと涙が溢れた。
そのラファエルを見てミゲルが笑った。一歩踏み出して子供のように泣くラファエルを抱き締める。
「もちろんだ。…おかえり、ラファエル」
両手を背中に回してぎゅっと服を掴んだ。嗚咽が混じるせいでうまく言葉にできなかったが、どんなに不恰好でも声を出した。
「…っ、ただいま…!」
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