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閑話2
貴女の記憶の1ページに、その味を載せて
しおりを挟む《イリヤ視点》
小さい頃、僕は身体が弱かった。
外で遊べば風邪を引き、アカデミーで集団生活をすれば流行り病をもらってくる、そんな子だった。
この体質は、母様譲り。母様も良く、ベッドで寝込む生活を送っていた。むしろ、起きている時の方が珍しかったかも。
その辛さがわかる分か、熱を出すと不機嫌になる父様とは違い、母様は優しくしてくださる。
『イリヤ、美味しい?』
『……おい、し』
『ゆっくり食べてね』
高熱で食欲がなくなると必ず、母様は不思議なヨーグルトを作ってくる。
ヨーグルトとは名ばかりで、チーズのような味が後を引くんだ。最初はクリームチーズかと思ったんだけど、母様は「ヨーグルト」と言う。だから、僕の中では「不思議なヨーグルト」。
バナナは確実に入ってる。蜂蜜も、多分。ブルーチーズとかそう言うのも入ってそう。でも、確実じゃない。とにかく、不思議な味なんだ。
けど、とても美味しい。食欲がなくて食べたらすぐに吐いちゃう時でも、なぜかそれだけは食べられた。
『イリヤ、ゆっくり休んでね』
『……はい。母、様……』
『いいこ、いいこ』
数日ぶりに胃の中が満たされると、すぐに瞼が重くなる。
もっともっと、母様と話をしたい。
いつも父様に睨まれてできないから、今しか話せないのに。
僕は、母様の子守唄と温かい手によって、夢の中へと堕ちていく。
結局、あの不思議なヨーグルトの作り方を知ることなく、母様はこの世を去ってしまった。
***
《アリス視点》
イリヤが夏風邪を引いてしまったらしい。
ここ2日、何も食べていないとか。
4日前、庭でバーバリーとドミニクと一緒に水浴び……というか、ホースが暴走して結局全員水浸しになったって話をしていたから、原因はそれだと思う。身体が冷え切った状態で、午後も過ごしたらそりゃあそうなりますよねって。
むしろ、風邪を引かなかったバーバリーとドミニクがおかしいと思う。元気に庭を駆け回ってるのをさっきも見たし。……まあ、あれはバーバリーに無理やり追いかけられて逃げ回るドミニクって感じかしら? でも、楽しそうに見えたから止めなかったわ。
「イリヤ、食べられそうなもの持ってきたわ。入るね」
アインスからは、「うつらない風邪なので、イリヤが疲れない程度に見舞いはOKです」って言われたの。だから、用が済んだらすぐ退室するつもり。
イリヤの部屋は、私の部屋とは別棟にある。ここまで5分くらいかな。
使用人専用の棟なんて、普通子爵が「作ろう!」とはならないもの。なのに作っちゃうなんて、お父様お母様はお金の使い方が上手だわ。きっと、グロスターのお父様お母様なら、お酒に消えちゃうと思う。
「失礼します。イリヤ、起きて……ない」
部屋へ入ると、質素な空間が出迎えてくれた。
というか、芸術家の部屋ってこんな感じなんだろうなって感じ。全然質素じゃないわね。
ベッドが1つに、洋服をしまう棚が1つ、それに、デッサンイーゼルが大小1つずつ。床には、絵の具やパレット、筆が綺麗に並べられている。色まで揃えられているあたり、イリヤの性格が出てるわね。それが、なんだか微笑ましい。
イリヤは、その家具に埋もれてベッドで縮こまって眠っていた。額の汗がすごいわ。
アインスが言っていたけど、汗をかけるようになれば熱が下がる兆候だとか。後で伝えておきましょう。
食べ物の入った容器をサイドテーブルに置いた私は、一緒に持ってきた冷たいタオルで、寝ているイリヤの額に光る汗を拭った。……というか、拭おうとした。
「……だれ?」
「イリヤ、大丈夫? 私よ」
「……んぅ」
イリヤに触れると、鋭い視線と共にものすごいスピードで手が伸びてきた。手首をガシッと掴まれてびっくりするものの、力が入ってないからか痛みはない。
それに、最初は敵意みたいなのを向けられていたのに、すぐさまそれは甘えに変わる。しかも、タオルを持つ方の手にすりすりと頬を寄せてくるの。可愛い!
何、この可愛い生き物はっ!
「イリヤ、汗で髪の毛ぺたぺたしちゃうから、拭かせてね」
「……うー」
「よしよし。すぐだからね」
余った方の手で頭を撫でると、へにゃっとした笑みをこちらに向けてくれる。
けど、多分私だって認識してないと思う。こんな甘えてくるなんて、今までなかったし。誰と勘違いしてるのかな? 夢に出てきたワンちゃんとか? 私もよくそうやってぬいぐるみを抱きしめて熱を我慢したことあるし。
本当は、服を脱がせて全身の汗を拭いてあげたい。でも、それは後でアインスがやるってことだった。診察も一緒にするんだって。「お嬢様にそのようなことをさせるわけには」って言われたけど、別にそう言うのは関係ないと思うんだけどな。
アインスにそう言うと、「イリヤが起きた時卒倒するので……」って返ってきた。どういう意味か、今考えてもよくわからない。
「気持ち良いね」
「う……」
「よしよし」
「んー……」
一通り顔と首周りの汗を拭き終えた私は、もう一度イリヤの頭をゆっくりと撫でた。またもや、すぐにへにゃっとした顔で手に頬を擦り付けて懐いてくるわ。……お持ち帰りしても良いかしら? なんなの、この可愛さ。
これで男性だって言うんだから、神様って不公平よね。こんな女子力高めの子が男性だなんて! 私にもちょっとその可愛さを分けてほしい。
って! 私ったら。
ご飯を食べさせるために来たんでしょう? 早くしないと、温かくなっちゃう。
「イリヤ、ちょっとだけ起きられる? ご飯食べてないって聞いたから、私が作って来たの」
「……いや」
「一口で良いから、食べて。私が熱出した時、自分でよく作ってたものなの。味は好き嫌いあるかもだけど、栄養あるし食べやすいと思うから」
「……」
「吐いちゃっても、桶もあるから大丈夫。それより、食べないと治らないってアインスが」
「……ん」
イリヤがコクンと頷いた。目が虚ろだけど、多分今頷いたと思う。
それを見た私は、シエラで練習したように彼女の背中に右手を入れて上半身を起こした。イリヤは、シエラよりずっとずっと軽いわ。これで騎士団時代は最強だったって凄いな。どこにそんな力があるのかしら?
まあ、それはともかく。長居してはダメだから、パッと食べさせましょう。
ぬいぐるみにしか食べさせたことないから上手にできるかわからないけど……。
「イリヤ、あーん」
「あー」
「いいこ、いいこ」
食べた! でも、結構これ難しいわ。
片手で身体を支えながら、もう片方でスプーンを持って口の中に運ぶ……。アインスはすごいわね。こういうのをパッとやってしまうのだから。私が熱を出した時も、こうやって白湯を飲ませてくれたな。
ちょっとでも気を抜けば、イリヤごと私もベッドに倒れそう。
でも、ちゃんと口に運べた。もぐもぐと口を動かして食べてくれている。
不謹慎だけど、やっぱり可愛いわ。いつものように笑顔じゃないけど、一生懸命な感じとかが。それに、涙を流しながら食べ……え、涙!?
「えっ……ご、ごめん。美味しくなかった? こ、これに吐き出して良いから」
イリヤの表情をボーッと眺めていると、その頬に涙が流れていくのが見えた。
びっくりして桶を差し出したけど、彼女は真っ直ぐに何かを見つめながら懸命に口の中のものを咀嚼し、飲み込んだ。そして、一言。
「……かあ、さま」
確かに、そう聞こえた。
イリヤは、「母様」と言葉を漏らして声をあげて泣き出した。
彼女の母親は、流行り病で他界したと聞いている。
この涙は、嫌悪ではない。でも、何かはわからないな。自分に置き換えて考えてみたけど、お母様へ向けるどの感情にも当て嵌まらない。
イリヤは、どうして泣いているの?
私は、イリヤに作ってきた塩入りのヨーグルトに視線を落とす。
これはね、私が熱を出した時に厨房にあった余りもので作ったデザートなの。熱がある中、厨房に放置されてた塩とヨーグルトを混ぜて、お茶っ葉を乾燥させてた網でこして少しだけ冷蔵庫で寝かせてね。その間にバナナの端っこを生ゴミの中から見つけて皮を剥いて、戸棚の2番目にある蜂蜜を見つからないように1匙だけ垂らして完成。蜂蜜は、あまり使うとバレちゃうから何回かしか使ったことはないけど。
もちろん、今日作ったヨーグルトには、ちゃんと綺麗なバナナを使ったし、ザンギフから許可をもらって蜂蜜を2匙も入れたわ。
アインスは、病人食として完璧だと褒めてくれた。
塩分を取れて、消化の良いヨーグルトとバナナが入って、喉に良い蜂蜜がある。それが高評価だった。そういうの考えてなかったけど、いざ褒められると嬉しかったな。
「……まだ食べられそう?」
「いただきます……。全部、いただきます」
「全部いける? 少しずつ食べましょう」
「はい……。はい、母様」
涙を拭ったイリヤは、そう言って自分の力で上半身を起こす。今まで私の支えが必要だったのに。
でも、やっぱり誰かと勘違いしてる。母様って聞こえたけど、私をお母様と間違ってるのかな。……イリヤは、お母様が好きなのね。なのに、早くに亡くしてしまって。寂しいよね、大切な人がいなくなるって。
お母様じゃないわ、なんて言うつもりはない。
今日だけは、貴女のお母様になりましょう。貴女が良ければ、いつだってなるけど……熱が下がったら、いつもの大人なイリヤに戻っちゃうんだろうな。それが、なんだかぽっかりと心に穴が空いたように寒さを運んでくる。
「美味しい?」
「はい……。美味しい、とても、美味しいです」
イリヤは、涙をボロボロとこぼしながらヨーグルトを完食した。
午前中まで、食べたものを全部吐き出した話を聞いていたからちょっとだけ安心したわ。
あとは、ゆっくり休んでね。ヨーグルトは簡単だから、いつでも作れるし。
「おやすみ、イリヤ」
泣き疲れて眠りにつくイリヤの頭を撫でながら、私はふと考える。自分がこうなった時、私は誰を求めるのだろうって。
それは、お母様でもお父様でもない。一番最初に頭に浮かんだのは、なぜかアレンだった。
最後に熱を出した時、ドライフルーツを紅茶でふやかして食べさせてくれたアレン。
半年しか一緒に居なかった、ただの執事なのに。それが、私の記憶の1ページになっていることは間違いない。
どうしてなのか、私の中に答えはないみたい。
考えても、頭が真っ白になるわ。
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