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目の前の彼女と資料越しの彼女
しおりを挟む結局、いつまで経っても「保護の彼女」は来なかった。
少しだけ鷹であることを期待した俺は、自室を片付けて飼えるようなスペースを確保したが……無駄に終わってしまった。でもまあ、マーレリーさんに褒められたし良いか。
それから数年後、父様のお仕事を覚えるため王宮に出入りするようになった俺は、その「保護の彼女」と会うことになる。
『アリス、久しぶりだな』
『お久しぶりです、ロベール侯爵と……?』
『私の息子です。ご挨拶をしなさい、グロスター伯爵のご令嬢だよ』
『……』
『どうした?』
父様と一緒に、2年もの時間を要する現領主の引き継ぎ作業をしていた時のこと。王族専用の受付にて、取り寄せた資料の謁見申請をしているところへ、女性がやってきた。
その女性は、気品を保つようなスーツ姿で父様を見ていた。
ゴールドの美しいウェーブ髪、背筋を伸ばしたお姿、それに、とても真っ直ぐとした瞳に一瞬にして心を奪われてしまう。姉さんがよく言っていた「一目惚れは、脳に雷が落ちる」という言葉がよくわかった。馬鹿にしてごめん、姉さん。
とにかく俺は、父さんの言葉が聞こえずに彼女の容姿に釘付けになってしまった。
今朝、寝癖が酷かったけど大丈夫かな。ネクタイが曲がっていたらどうしよう。ああ、マーレリーさんに言われた通り、靴を磨くべきだった。
いや、でもその前に挨拶しなきゃ、挨拶、挨拶……。
『は、初めまして! アレン・ロベールと申します!』
『アレン、遅いぞ……』
『え、あれ?』
気づくと、彼女は居なくなっていた。
必死に首を動かしたが、後ろ姿すら見当たらない。受付には、さほど人が居ないのに。
横を見ると、父様がニンマリとした表情でこちらを見ている。
失敗した……。先ほど、資料作成で褒められたばかりなのに。でも、なんで笑っているんだ? いつもなら、毅然とした態度で注意されるのだが……まさか。
『大丈夫かい? 疲れちゃったかな』
『あ、いえ……えっと。ごめんなさい、挨拶できませんでした』
『どうした、顔が赤いぞ』
『なっ!? そ、それは……』
『ははは! さては、見惚れていたな?』
『っ……』
やっぱり。
親にそれを気付かされるほど、恥ずかしいことはないと思う。故に、熱くなった顔を隠すように下を向くしかできなかった。
こんなんじゃダメだ。俺は、父様の後を継いで侯爵を背負うんだ。女性にうつつを抜かしているようじゃ、務まりはしない。
なんて、思ってるだけ。
すでに脳内では、彼女が微笑みながら挨拶をしている様子が繰り返し映し出されている。なんだ、これは。
『そうか……。アレンが』
『わ、忘れてください! すみませんでした。お仕事に戻りましょう』
『はは、そうだな。……アレンなら、もしかしたら』
『……?』
『アレン』
『はい、なんですか』
俺は、父様の呟きを聞き逃した。
いや、違うんだ。彼女のことで頭がいっぱいだったわけじゃない。仕事に頭を切り替えている最中だったから聞こえなかっただけなんだ。
次の瞬間、そんな俺に耳を疑うような発言が降り注ぐ。
『半年間、執事学校に通いなさい』
『……は!? え、侯爵のお仕事は……』
『それも、侯爵の仕事の一貫だよ。できるかい』
『はい、できますが……』
まさか、今の失態がそんなに響いたのか?
先ほどの彼女は、それだけ地位の高い方だったのかもしれない。王宮で気を抜いてはいけなかったのに俺は……。ちゃんと地に足をつけていないと、侯爵のお仕事なんてできないぞ。
今までは、猶予があった。失敗したらそれを埋める課題があったんだ。
それすらないということは、これが「仕事」と言うものなのだろう。父様は俺に社会勉強をさせようとしているんだ。
このままお仕事をしていれば、彼女にもう一度会えたのに……いや、それも邪心だ。
『アレン。少しだけ、君にしかできない仕事をさせようとしてるだけだよ。そう落ち込まないで』
『でも、父様……』
『……アレン、聞いてくれ。彼女は、……いや。これは、決まってから話そう』
『父様?』
父様は、何かを言おうとした。でも、直前でその言葉を飲み込んだ。
代わりに、俺の顔を見ながらいつものように頭を撫でてくる。……外でやらないで欲しい。これでも、もうすぐ15歳になるのに。
人目があるからやめてと言おうとした時、先に父様が口を開いた。
『彼女は、私が数年後に統治することになる領地に住む伯爵令嬢だ。アレンと同年代だよ』
『……え? 彼女が同年代?』
『もっと上かと思ったか?』
『はい……』
『はは、正直でよろしい。今後、彼女との仕事が増える。その前に、アレンには彼女の……アリスの手伝いをして欲しいんだ』
『それは……』
『確定したら、細かい打ち合わせをしよう。2、3日で伝令がくだると思う』
『はあ!?』
そう、父様は小声で仰った。
でも、ちょっと待って欲しい。
伝令って、王族から発令される絶対的な命令だよな。なぜ、彼女の手伝いに伝令が出てくるんだ? 王族も、彼女を優秀だと認めてるってことか?
急に執事学校に通えと言われて落ち込んでいるところに、とんでもない情報が舞い込んできたものだ。思考が追いつかない。
そのせいで多少大きな声を出してしまった。
気づいて周囲を見渡したが……誰もこっちを向いていない。大丈夫、次気をつけよう。
『陛下も気に入っている子でね。彼女が成人になったら、王族側の付き人候補に名をあげている。だから、伝令なんだよ』
『……そんなすごいお方なのですね。同い年なのに』
『君が執事学校を首席で卒業できたら、色々教えてあげよう。やってくれるかな』
『はい、王族のお役に立てるならいくらでも』
『良い返事だ。執事学校は、うちから通いなさい。その合間に、侯爵の仕事も教えよう』
『はい! ……あ、ごめんなさい』
いけない。また大きな声を出してしまった。
今度は、近くを通ったご婦人に睨まれてしまったよ……。ごめんなさい。
正直俺は、長になって周囲を引っ張っていくような器じゃないことを早々に理解していた。だから、こうやって「補佐」的な仕事を言われても反発がない。むしろ、どんな風に支えようかを考える方がワクワクするんだ。
もしかしなくても、俺は執事に向いているのかもしれない。……まだ、どんなものかわかっていないけど。
『じゃあ、これが終わったら書庫で過去の統治方法を勉強しててもらって良いかな』
『父様は?』
『私は、陛下と話があるから。それが終わったら、母さんにお土産を買って帰ろう』
『はい!』
こうして、よくわからないまま俺は短期で執事学校へと飛び込んだ。
父様は「半年」と言ったが、まさか1年のカリキュラムを半年でこなせということだとは思わなかった。でもまあ、やってみせる。彼女のために。……違う。王族の未来のために、だ。
***
父様に言われた通り、執事学校を半年で首席卒業できた。
しかし、本当の執事になるためにはもう1年、それに実践を2年も積まないといけないらしい。このままいけば相当良い執事になると、先生たちに何度も止められたが……俺には別の目的があったから断った。
それでも、首席で卒業できたという事実は嬉しいもの。
俺は、ルンルン気分になって屋敷へと戻った。すると、そこには陛下とエルザ様、それに、付き人のクリステル様のお姿が。なぜか、クリステル様は片目に包帯を巻かれて、それを隠すように俯かれている。
『アレン、陛下とエルザ様がいらしたよ』
『お久しぶりです、陛下、王妃様。……クリステル様。お約束通り、首席で卒業して参りました』
一瞬、彼女の名前は呼ばない方が良いかなと思った。俯いているってことは、話しかけて欲しくないかもしれないし。
でも、だからと言って無視するわけにはいかないだろう。声をかけながら頭を下げると、反応したのは陛下と王妃様だけだった。父様が呼んでないのだから、余計なことをしたかもしれない。
陛下と王妃様は、いつも領民たちの前に出ている時のような明るい笑顔で褒め称えてくださった。そして、予定通りアリス・グロスター伯爵令嬢の執事になれという伝令を直にいただけた。
しかし、その伝令を呼んだ瞬間、喜びが消え、胸に重い鉛が落ちてくる。
『……え』
『先に説明せんですまんな。先入観を持たずに読んで欲しかったから、私がロベール侯爵に口止めをしていたんだよ』
『でも、陛下。これは……』
その伝令書には、こう書かれていた。
タイトルは、「グロスター伯爵家への極秘潜入捜査」、と。
俺が知っている法律に、潜入捜査を禁ずる項目がある。それを許してしまうと、国のバランスが崩れるかららしい。なのに、陛下はそれを俺にやれと言っている。犯罪者になれってことか?
驚いて父様の方を見るも、完全に無視だ。外なんか眺めて、何をしているのやら。
『全部読んでから、質問に答えよう』
『……承知です』
俺は、陛下の仰った通り、伝令書に目を通す。
紹介所を通してグロスター伯爵家に執事として派遣されること、「アリスお嬢様」の執事になれるよう動くこと、そして、グロスター伯爵と夫人、祖父母、兄……アリスお嬢様以外の人々に逮捕状が出るよう罪名を見つけ証拠を掴むこと。その3つが書かれていた。
それだけで1枚だ。
情報が多すぎて頭が混乱しそうだったが、陛下は「全部読んでから」と仰った。だから俺は、2枚目を手に取る。早く読み、陛下たちに読解力があるとアピールしよう。
そう意気込んだが、そんな気軽に見て良いような内容ではなかった。
『……な、んですか、これは』
そこには、アリス・グロスター伯爵令嬢のことが書かれていた。
彼女の過去の出来事、住んでいる環境、代理領主を務めている領地に住む民から言われている噂……それらは全て、「彼女は、誰からも愛されていない」ということを俺に教えてくれる。
その内容が、まるで機械のように紙の中に収められていたんだ。2枚目を読み終えて既に胃の内容物が口から出そうなのに、良く見ると3枚目もある。嫌な予感しかしない。
今度は、深呼吸してから伝令書をめくった。
覚悟してめくったのに、やはりそんな覚悟はちっぽけなものだった。
『……っ。こんなの、潜入捜査する必要はありません!』
内容は、さらに酷いものだった。いや、酷いと一言で片付けてしまうには、その範疇を大きく超えている。
女だからという理由で、屋根裏で育てられた……放置させられたご令嬢が今まで居たか?
貴族の中に、窓についた結露で喉を潤わせていたやつがいるか? 餓死寸前の状態で発見されたご令嬢が居て良いのか!?
しかも、今は伯爵に代わって仕事をしているとのこと。
あの時会った彼女は、……キラキラと輝いていた彼女は、誰だったのだろうか。確か、同じ名前だった気がするが、紙に書かれている「アリス・グロスター」とは似ても似つかない。
その内容、視線を逸らす父様を見て、あの嵐の日に言っていた「保護の彼女」がアリス・グロスターだったんじゃないかと気づく。どんな形で発見したかは不明だが、きっとそうに決まってる。
なぜ、父様はこんな酷いことを黙っていたんだ? 陛下に言われていたからと言っても、限度がある。知っていれば、王宮でお会いした時に無理矢理にでも引っ張ってロベールの屋敷で保護したのに。
『今すぐ、彼女を保護しましょう! じゃなきゃ、アリス・グロスターは死んでしまいます!!』
俺は、執事学校でもらった卒業証明書をアリス・グロスターの書類と一緒に投げ捨てて、陛下に向かって怒鳴った。あの笑顔を思い出す度、涙が止まらない。
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