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だから、隠した

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 ベル嬢のお部屋は、扉が開け放たれていた。
 クラリス殿の話によれば、15分に一度使用人が見に来るようになっているらしい。「アインスは?」と聞こうとしたが、俺らのせいで席を外していることに気づき言葉を飲み込んだ。

「お嬢様、失礼します。ロベール様がいらっしゃいましたよ」

 クラリス殿が声を出しても、もちろん返事はない。
 彼女に続けて挨拶をしてから部屋に入ったが、先ほど訪れた時から特に変化はなかった。強いて言うなら、一番奥の窓が開けられて、そこから心地良い風が部屋に入り込んでいることくらいか。
 俺は、クラリス殿と一緒にベル嬢のベッドへと足を進めた。

 先ほど見た時よりも、さらに痩せ細った気がする。
 こんな短時間で、人間痩せるのか? なんだか、得体の知れないものに彼女が囚われているような気がして、怖くなった。
 どんな理由でベル嬢に憑依したのかはわからんが、せめてこのお身体では辛い感情を抱いて欲しくないな。そう思うのは、エゴだろうか。

「イリヤさんを呼んできますね」
「お構いなく」
「呼ぶよう言われてるのですよ。車椅子だから、暇なんですって」
「……イリヤの怪我、どの程度のものなのでしょうか」
「数週間で治ると、アインスさんが言っていましたよ」
「なんと! 数週間で骨折って治るんですね」
「骨折されたことないのですか?」
「ないので、感覚がわからず……」
「しないに越したことないですよ」
「はは……」

 デスクワークばかりでと言おうとしたが、クラリス殿が柔らかい表情を向けながらベル嬢の頭を撫でているのを見てやめた。
 元老院を辞めただけで、なぜこうも表情が明るくなるのだろうか。元々、彼女には合わないところだったのか。事情を知らない俺には、わからない。
 その後、クラリス殿は「ソファでおくつろぎください」と声をかけて部屋を出て行ってしまった。
 
 テーブルにプレゼントを置いた俺は、お言葉に甘えてソファに腰を下ろす。
 考えてみれば、女性の部屋なんて姉さんとアリスお嬢様の部屋しか入ったことがない。彼女の中身がアリスお嬢様であろうが、ここはベル嬢のもの。そう考えると、一気に緊張するから不思議だ。あまり、視線を巡らせないようにしよう。

「……だれ」
「!?」

 そう思って、下を向いて5分は経った頃のこと。
 どこからか、女性のか弱い声が聞こえてきた。驚いて視線を巡らせると、ベッドの上でベル嬢が上半身を起こしてこちらを見ているではないか。ふらふらと身体を揺らしながら、今にでも倒れそうな様子で虚な目を俺に向けている。というか、倒れそうだ。

 ベッドの上とはいえ、倒れた時の衝撃はあまりよろしくないのでは? 咄嗟にそう考えた俺は、今までこんな焦ったことはあっただろうかと感心するほどのスピードでベル嬢の元へ向い、その身体を支えた。

「あ、れん?」
「はい、アレンですよ。お身体の調子はどうですか?」
「……」
「……?」
「……」

 今の行動によって、酸素を運んでいたらしい管が外れてしまう。しかし、ベル嬢は自発的に呼吸を繰り返し、特に変わった様子はない。……取ってしまっても良いものなのだろうか。とりあえずつけようとするも、ベル嬢が首を弱々しく振って拒否してくる。
 苦しそうになったらつけてやろうか。しかし、酸素の出ている機械を止める手段がわからない。ごめん、アインス……。

 俺の名前を呼んだと言うことは、アリスお嬢様で良いのか? ベル嬢との面識は……彼女は、いつからアリスお嬢様なのだろうか。イリヤは、サレン様が来たあたりからだと言っていたが、記憶が曖昧すぎてよくわかっていない。でも、ベル嬢なら俺のファミリーネームを呼ぶと思われる。……多分。

 そんな彼女は、俺の質問が聞こえていないかのように俯いている。
 誰か呼びに行った方が良いか? でも、15分に1回誰かが来ると言っていたし、イリヤもそろそろ来るだろうし待ってれば良いか。

「!?」
「…………」
「お、お嬢様」

 なんて悠長に構えていたら、急にベル嬢がこちら側に倒れてきた。油断していた俺は、彼女と一緒にベッドに向かって倒れこむ。
 フワッと彼女の甘い体臭が鼻をくすぐり、すぐに体勢を戻したが……。ベッドの上に腰掛けたまま動けない。

 と思いきや、今度は俺の腕にお嬢様が絡まってきた。
 突然の行動にどうしたら良いかわからなくなり、でも、彼女を振り払ってはダメだと思いそのまま座り続ける。……良いのだろうか。良くはない気がする。でも、どうしようもない。

 そんなわけで、俺はベル嬢のベッドに座り、その身を支える人と化しているんだ。起きた嬉しさ1/3、彼女の行動への困惑2/3という心境をわかって欲しい。
 いや、もう一層のこと、人じゃなくて壁になりたいな。壁になれば、こうも心臓がドクドクとうるさい音を立てることはないし、そのまま心臓が口から飛び出すのではないかと悩む必要もないだろう? というか、この部屋暑いな。他の窓も開けに……いけないや。


***


 と、回想をしてみるものの、一向に自分の身体は落ち着くことを知らない。
 そして、一向に誰も来ない。そろそろ誰か来てくれ……それか、俺を殺してくれ……。

「……お嬢様、苦しくないですか」
「…………」
「そうですか……」

 無言に耐えきれなくなって話しかけたが、首をフルフルと横に振るだけで会話は続かない。いまだに腕に柔らかい何かが押し付けられているし、彼女の甘い体臭が鼻に届いている。
 シエラやジェレミーが同じ状況になったら、喜ぶだろうな。代わってく……いや、俺で良かった。奴らは、彼女でよからぬことをするに決まってる。俺じゃなきゃ、ダメだ。

 アリスお嬢様は、全体的にスレンダーで柔らかいと思ったことはない。ベル嬢はどうだったかな。いつも、顔と小さな身長しか見てなかったからどんな身体だったのか思い出せない。身長が低いと、目線を合わせる時屈むだろう? それだけしか覚えてないんだ。

 話しかけると反応すると言うことは、体調に問題があるわけではなさそうだ。とはいえ、その痩せ細った身体が痛々しく映り込む。
 ベル嬢……というか、アリスお嬢様は、何に対してここまで怯えているのだろうか。何かを怖がっている印象がある。

「お嬢様、お土産にドライフルーツと鴨の干し肉を持ってきたんです。干し肉は胃に良くないので、ドライフルーツを召し上がりませんか? 食べるのはダメだと思いますが、口の中で舐めるだけなら問題ないと思うので」
「……」
「今、持ってきますね」
「……っ!」

 イリヤたちが来るまで、それで時間稼ぎができるかもしれない。
 そう思った俺は、テーブルに置いてきた袋を取りにベッドから立ち上がった。すると、お嬢様と繋がれていた腕が外れ、そこから隙間風を感じる。
 早く戻って、お嬢様の隣にいよう。また倒れたら大変だ。

 しかし、彼女は倒れなかった。
 その代わり……。

「あ、あ、ああああぁぁぁああああ!」
「!?」
「うわあああああぁぁああん、あああああ」
「お嬢様!?」

 紙袋を手に取った時、背後からものすごい声量の泣き声が聞こえてきた。
 振り返ると、今の今までおとなしくしていた彼女が醜態も何もなく泣き顔を晒している様子が目に飛び込んでくる。その泣き方は、アリスお嬢様の発作を連想させてきた。

 急いでベッドへ戻ると、彼女は力の入らない腕を懸命に伸ばし、俺を欲しながら泣き喚く。

「ごめんなさい、お嬢様」
「うああああ、ああああぁぁん」
「もう離れないので、大丈夫ですよ」
「うううううぁあああああ」
「お腹すいたでしょう。フルーツ、食べましょう」

 発作ではありませんように。
 そう願いながら、袋からドライフルーツを取り出したが予想は悪い方に的中する。

 彼女は突然、持っていたドライフルーツを引ったくるように奪い取り、無我夢中で口の中に詰め込み始めた。嗚咽を漏らしながら、涙をこぼしながら、彼女は必死になって食事をしようとしている。
 なぜかベル嬢に会った時は、食べ物をあげたい気持ちになったが、あれは中身がアリスお嬢様だったからかもしれない。

「お嬢様、落ち着いてください。誰も取りませんから」
「あ、あう。ふうううう」
「ゆっくり、ゆっくり。一緒に練習したでしょう」
「ううううううぅぅぅああ」

 無論、ベッドにはドライフルーツに付着する砂糖がボロボロとこぼれ落ちる。最初の方はキャッチしていたが、量が多すぎて全部は無理だ。
 俺が離れたから、不安になったのだろう。それに、身体が空腹状態なのも加わり発作が起きたのだと思う。彼女が発作を起こす時は、必ずグロスター伯爵から食事を取り上げられた次の日だったから。

 このお姿をフォンテーヌ子爵たちに見られたらどうなるのか。今の俺には、それが怖かった。
 拒絶しないで、受け入れて欲しい。でも、ジョセフのように恐怖心を抱き近寄らなくなる可能性だってある。

「お嬢様、側に居ますからね。もう誰も、お嬢様を否定する人は居ませんから」
「ふっ、う、う、う」
「……――お嬢様? 声が……お嬢様、何を」

 このまま隠し通して、発作をおさめよう。そう思って、いつものように背中をさすりながら声をかけていると、部屋の入り口に車椅子に乗ったイリヤが来てしまっていた。
 しまった、扉が開けっ放しだった。これだけ泣けば、誰かしら見に来ることくらいわかっていただろう。

 イリヤは、発作を起こされたベル嬢の姿を見ながら、扉前で固まってしまった。俺は咄嗟に、食事中のベル嬢の身体を抱きしめる。
 どうする……。なんて言えば良い? お願いだから、嫌わないでくれ。お願いだから、彼女を軽蔑しないでくれ。

 そんな無言が続く中、彼女のくちゃくちゃと食べ物を食む音とドライフルーツの入っていたビニールに触れているのかカサカサとした音が鳴り響く。
 
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