上 下
101 / 217
13

まだ夢の中なら良かったのに

しおりを挟む


 静かな部屋の中、アインスの持つ試験管の中の液体が揺れ動いている。
 医学的知識がない俺が見ても、その光景が何をしているのかさっぱりわからない。なのに、見入ってしまうのはなぜなのか。

『……毒性があってアルカリでこの匂い』
『それだけでわかるのですか?』
『何度も嗅いでいますからね。これは、ベラドンナでしょう』
『……はい、そうです』
『だから、宮殿侍医から受け取っていた薬を飲み続けていたのですね』
『はい。私は、体内にある毒と同じ毒を摂取し続けないと自家中毒で死ぬそうなので。でも、もう飲めないですよね。こうなったら』

 自家中毒。
 それは、彼女が自身の毒によって弱まっていく……ということか。毒を抜くなんて簡単だと思っていた反面、その言葉に驚愕するしかない。
 アインスは、どう抜くつもりでいるのだろうか。表情を伺うに、特に不安はなさそうに感じる。

 俺は、そんな光景をソファで座りながら見ていた。横になってろと言われたのだが、そうするとサレン様とアインスの居るベッドの方が見えないんだ。ただ寝ているだけだと、居づらいしな。

『すぐに同等の薬を作るのは難しいでしょうな。ストックなどはあるのでしょうか?』
『私は持っていないわ。ジャックからいつももらっていたから』
『では、医療室を後ほど拝見させていただきますね。1錠拝借してはいますが、サンプルとしては弱い』
『……私は、これからも薬を飲み続けるのですか?』

 サレン様は、先ほどとは真逆の質問をアインスに向かってしている。
 きっと、彼女の中で「飲まないと死ぬ」思いと「もう飲みたくない」という気持ちが交差しているのだろう。今まで、どんなことを思って飲み続けていたのか。それを考えるだけで、胸が締め付けられていく。彼女も、被害者だったということだ。

 開け放たれた窓から吹く風は、どことなくそんな雰囲気を壊すかのように部屋を駆け巡る。風に香りなんて無いのに、なぜかとても新鮮で深呼吸したくなるほど美味と感じてしまった。
 それほど、この空間に充満している毒が強いのだろうか。頭痛は治らないし吐き気もあるが、慣れは恐ろしい。先ほど解毒薬を飲んだこともあり、あまり気にならなくなっている。

 それに、アインスはあんな近づいてもケロッとしてるなんてすごいな。手袋は装着しているが、マスクはしていない。なのに、顔色は良いし普通にサレン様と話している。あんな直近で。
 それだけ、過去に毒を扱ってきたのか? だとすれば、すごいな。

『私は医療者なので、患者が望むコンディションにさせるのが仕事です。もし、貴女様が毒のない生活をしたいのであればそうしましょう。ただ、リスクはありますので、今のまま毒を食む生活を続けたいのでしたらそれも手助けできますよ』
『……私の気持ち次第ってことですか』
『はい。医療者とは、そう言うものなのです』

 アインスは、毒を目の前にしてもいつも通りのおっとりとした話し方を変えない。きっと彼は、どんな時でも冷静沈着なんだろう。その精神力が羨ましい。

 そんな声を聞いたサレン様の表情が、ゆっくりと崩れていく。

『……諦めなくて良いの?』
『貴女様が諦めたら、私も諦めざるを得ませんね』
『それは嫌だわ』
『なら、一緒に頑張りましょうか』
『……ええ、ええ。私、知ってることは全部話すわ。全部、この国に情報を差し上げます。だから……アインス』
『はい』
『……私を助けてください。もう、毒を飲む生活は嫌なんです。記憶のない時間を悔やむのも嫌なんです』

 サレン様は、そう言って一筋涙をこぼされた。……いや、一筋だけじゃないか。堰を切ったように、次々と彼女の頬を濡らしていった。
 その様子は、今まで生きてきた時間に我慢してきたものと思ってしまうほど感情の昂りが激しい。その涙さえ毒になるというのだから、どれだけ残酷な日々を送ってきたのだろうか。

 懸命に涙がアインスの方へ行かないよう、サレン様は横を向き全身を震わせる。
 その身を抱きしめてやれたら、どれだけ彼女の心が……俺の心が軽くなるのか。そう思ったと同時に、彼女がアリスお嬢様ではないと自身に鞭を打つ。

 そもそも、彼女がアリスお嬢様を名乗ったのにも理由があるはずだ。それは、後で聞いてみよう。答えてくれる気がする。

『サレン様、私も協力します。情報をいただける代わりに、その身をお守りしましょう』
『……ありがとう、アレン』
『私も、全面的に貴女様をバックアップしましょう。ただ、サンプルはいただきますよ』
『サンプル?』
『はい。毒の強度を図るため、全身の体液をいただきます。それから、今までの生活のヒアリングに治験も』
『そこまでするのか……?』
『ええ。毒人間なんて、私も初めてですから。命の危険がない程度に色々試させていただきますよ』
『そのくらいなら良いわ。いくらでも協力します』
 
 ソファから見たサレン様の顔は、今まで見たどの表情よりも凛々しく硬く決意した印象を与えてきた。先ほどまで泣いていたのが嘘のように、晴れやかな表情で前を向いている。

 俺は、そんな表情をするアリスお嬢様を見ていたかった。でも、それが叶わないのはわかっている。
 しかし、目の前に座る彼女はまだ間に合う。こんな、大人の都合で人生を無駄にするなんて2度とあってはならない。次こそ、この笑顔を守り抜こう。そのために、俺は鍛えてきたじゃないか。

『では、具体的なスケジュールを決めましょう』
『ええ。お願いします』
『もしかしたら、外出許可をいただくかもしれませんなあ』
『その辺りは、私が陛下に直談判します』
『それはありがとうございます、ロベール卿』

 そう言って頭を下げたアインスが、羊皮紙と万年筆を取り出した。それを覗き込むサレン様は、微笑ましいほど子どものような無垢な表情をする。
 この頭痛も吐き気も倦怠感も、全て彼女からもらったものなのにやはり俺には憎めそうにない。むしろ、支えてやりたいと思ってしまう。


 のちに、その表情を思い出し「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の重みを感じるようになることを、今の俺はまだ知らない。




***




 ベルと会話を終えた私は、眠い目を擦りながら現実へと戻ってきた。

 目を開くと、眩しいほどの太陽光が私に降り注いでいる。びっくりして目を閉じ布団をかぶってしまったわ。どうして、カーテンが引かれてないの? 確か、寝る前に自分で引いたはずなのだけど……。

「!?」

 寝る前の行動を思い出しながら布団をかぶりモゴモゴしていると、床に陶器が落ちたような鋭い音が響いてきた。その音で完全に目が覚めたわ。

 私は、かぶっていた毛布をパッと取り去りそちらに目を向ける。
 すると、そこにはメイド姿のイリヤがソーサーだけを持って立ち尽くしていた。よくよく見ると、床に散らばっているのがティーカップっぽい形をしている。

「……お、お嬢様?」
「おはよう、イリヤ」
「お、お、……お?」
「お?」
「お……」
「……お?」

 え、待ってなにこのやりとり。
 イリヤは、どうしてしゃべらないの? というか、私がしゃべれば良いのか。……なんて考えつつも、今なお「お」のやりとりが続いている。

 とりあえず、私が抜け出しましょう。

「お、お、……お仕事元気?」
「……はい?」

 あっ! 違う!
 イリヤ、元気? って聞きたかったのに! どうして、先にお仕事が出てくるのよ私の馬鹿!

 でも、とりあえず効果はあったみたい。
 イリヤは、私の意味不明な言葉で正気に戻った。

「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。何かあったの? 私ったら、サヴィ様のことを放っていつの間にか眠ってしまったわ。彼の容態は……」
「またベルお嬢様とお話でもされていたのですか?」

 サヴィ様の容態を尋ねると、それを無視してイリヤが話しかけてくる。会話のキャッチボールって難しいわ。今度、コミュニケーションを充実させる系の本を読まなきゃ。もちろん、イリヤもね。
 ……いえ、イリヤは必要ないかも。だって、私がベルとお話してきたことに気づいたんだもの。どうしてわかったのかしら?

 そう思いつつベッドから降りると、「わあ、カップが割れてる! お嬢様、ベッドにいてくださいまし!」とイリヤが慌て出す。どうやら、今気づいたらしい。

「ベッドにいるわ。でも、どうして私がベルと話してたってわかったの?」
「だって、お嬢様がベッドに入られてからすでに3日が経っていますよ」
「……え?」
「以前の状態と似ていたので、旦那様たちにはアインスが「まだ身体が生活についていけてない」って誤魔化しておいてくれました」
「そうなの、ごめんなさいね」

 ってことは、お仕事が溜まってしまってるわ。お部屋を歩けるようになったら、すぐにでも取り掛からないと。
 いえ、でもその前に……。

 私は、陶器の破片を拾い集めているイリヤへ再度質問を投げかける。

「ねえ、サヴィ様は? あれから、目を覚ましたの?」

 なのに、イリヤは黙々と作業をするだけ。まさか、この距離で聞こえなかったってことはありえない。滑舌が悪いわけでも……多分ないし。
 まさか、彼に何かあったのでは? そう思ってしまってもおかしくない場面よね。

 イリヤの作業が一段落するのを待ってから、再度声をかける。

「ねえ、サヴィ様は……」
「……2日前に目を覚まされました。アインスによると、治療後の経過は順調とのことです」
「よかった……」
「そうでもありません」
「え?」

 いつもは私が起きたらあれだけ騒ぐ彼女の声が沈んでいることに、今更ながら気づく。

 イリヤがこんな沈んだ表情をするのも、珍しいわ。一体、どうしたの? 経過は順調なのでしょう?
 それとも、まさか……。

「クラリスに何かあったの?」
「いえ。彼女はすぐに起き上がって今もずっとサルバトーレ様のお側にいらっしゃいます」
「そうなの。……じゃあ、何があったの? 何かあったのよね?」
「……」
「イリヤ?」

 私は、床に再度足をつきながらイリヤの顔を見る。いつもなら、「まだ小さな破片があるので、ベッドにいてください!」って怒るのに。今日はそれすらない。
 不思議に思って催促するように名前を呼ぶと、やっと口を開いてくれた。

 でも、それは私の想像していたことを遥に超えるものだった。

「……ダービー伯爵家が、本国へ攻撃をした疑いでテロリストとして指名手配されました。もちろん、サルバトーレ様も例外ではありません」
「え?」
「先ほど僕も聞いたのですが、最近、城下町周辺の領民が使用する水道管へ毒が流されていたそうです。亡くなる方が多く、生き残っても後遺症が残る方も多いらしく。その毒を流したのが、ダービー伯爵の疑いがあると……」
「……今、伯爵はどちらに?」
「それが、行方がわからないのです。このお屋敷を出てから、ダービー伯爵夫人と共に消えてしまったようです」
「そんな……」
「サルバトーレ様は、クラリスさんと医療室でお過ごしになっております。が、時間の問題でしょう……」
「嘘よ……」

 いまだに、部屋へは太陽光が差し込んでいる。
 その光は、相変わらず眩しい。真っ暗な闇の入り口を照らしてくれるかのように、淀みなくこちらへ光を届けてくる。
 私は、その光の中に身を起きながら、しばらく動けなかった。

 イリヤの話が本当だとすれば、そんな大量殺人のようなことをしたダービー伯爵一家は処刑される。……サルバトーレ様も含め。
 その事実が、大きすぎて受け止められない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

はずれのわたしで、ごめんなさい。

ふまさ
恋愛
 姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。  婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。  こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。  そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····

藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」 ……これは一体、どういう事でしょう? いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。 ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全6話で完結になります。

処理中です...