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閑話

月が綺麗だから

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※いつもお読みくださりありがとうございます。GWで執筆時間が取れないため、期間中は更新しても番外編のみになります。すみません。

***






 ガロン侯爵に、香りもののお仕事をいただいた日の夜のこと。
 私は、バルコニーに出てホットレモンを飲んでいた。さっきまでパーティ会場……というかダイニングにいたのだけどね。暑くなって抜け出してきたの。
 その時、ザンギフが「外に行かれるなら、これを」って言って温かい飲み物をくれたわ。ほんのり蜂蜜の味がして、とても美味しい。

 バルコニーは、風の通りが良い。
 ここで目を閉じていると、お庭にあるお花や木々の葉音が聞こえてくるの。サワサワと、まるで私の耳を優しく撫で上げてくれているよう。もう少し寒くなければ、ずっとここに居ても良いのだけど……。

 それでも、そろそろお部屋に入ろうかなって気には、全くならない。
 それには、理由があってね。

「お嬢様、お風邪を引かれますよ」
「……イリヤ。くすぐったいわ」
「寒いより良いでしょう」
「うー……」

 バルコニーの手すりに寄り掛かり空を見上げていると、後ろからイリヤがやってきた。
 どうやら、バルコニーへの入り口を閉めていなかったみたい。でも、書類は引き出しにしまってあるし、空気の入れ替えができたと思えば良いか。ちょっと寒いけど。

 声に反応して後ろを振り向くと同時に、肩へ真っ赤な膝掛けがふわっと掛けられる。そして、そのまま私と同じ方に視線を向け、

「……月が、綺麗ですね」

 と、隣に並んだイリヤがボソッとつぶやいてきた。

 そうなのよ。
 目の前には、月があってね。電気を付けなくても、周りがはっきりと見えるくらい大きく輝いているの。
 それに魅力されて、私は部屋の中に入れない。

 月って、不思議よね。あんなに明るいのに、周りで輝いている星の邪魔はしないのだから。むしろ、月と星が夜空で共存しているような、そんな印象を与えてくる。
 それは、今も昔も変わらない。まさか、この景色をまた見れるなんて誰が想像したのでしょう。ベルには、感謝しっぱなしね。

「ええ。昔から、月は綺麗だったわ。全然変わらない」
「……!?」
「……どうしたの?」

 イリヤの言葉に返答すると、なぜかものすごい勢いでこっちを見てきた。……あれ、もしかして何かと聞き間違えたかしら? 
 月が綺麗とかじゃなくて、バルコニーの掃除が行き届いている話とかだった? 綺麗は確実に聞き取れたけど、木々のざわめきが大きくてよく聞こえなかったのよ。

 その勢いにびっくりして彼女の方を向くと、なぜか顔を真っ赤にして視線を逸らされた。

「イリヤ、寒い? これ、重ねなければ貴女も包まれると思うけど」
「い、いいえ! そ、そんなことはできません!」
「そう……。風邪引かないでね」
「……お嬢様こそ」
「私は、大丈夫よ。ザンギフからもらった、ホットレモンがあるから」

 でも、気のせいだったかも。
 私が話しかけたら、すぐにいつものイリヤになったし。それに、月が明るくても、そこまで顔色はわからないものね。赤くなかったかもしれない。

 ……そういえば昔、同じようなことを言われたな。
 思い出したら、なんだかおかしくって笑っちゃうわ。

「どうされました?」
「え?」
「微笑んでいらっしゃったので、何か見えたのかなと」
「ああ、違うわ。昔、アレンに同じようなことを聞かれたから、やっぱり2人は仲良しだなって思って」
「……は?」

 え、待って。イリヤ、怖い。

 私が笑っていると、なぜかイリヤの表情がスッと消えた。
 でもそれは一瞬で、すぐにいつものニコニコ顔になる。……今のは、何?

「イリヤ、その話ぜひ! 聞きたいです」
「ただの昔話よ」
「お嬢様の害虫駆じ……えっと、過去のことを知りたいので、ぜひ!」
「そ、そう……。じゃあ、」

 がい……? 外灯? 
 何か聞こえたけど、イリヤの様子を見る限りそこまで重要なことを言っていたわけではなさそう。

 そう判断した私は、ベルの姿でアリス・グロスターだった頃の話を始める。


***


 あの日も、世界を飲み込んでしまうのでは? ってほど大きな月だったわ。
 お仕事を一段落させた私は、気分転換にバルコニーへ出て月光浴をしていたの。確か、そうね。あの時は、ロイヤル社に提出しないといけない資料を作っていた気がする。……後日、先方に「そんな話はしてない」って突っぱねられて無駄にしてしまったけど。

 今は、あの地方はアレンのお父様……ロベール侯爵が管理しているのですってね。昔は、別のお方だった。
 名前は覚えていないけど、お付きの方はバロン・マドアス様というお方だったわ。とても珍しいお家の名前だったから、今でも覚えてるの。
 いつもうちにお仕事を運んで下さってね。何度かお話したけど、とても賢明なお方で。……まあ、それは良いとして。

「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですね」
「……アレン、探させちゃった?」
「ええ。そろそろ休憩かと思って、声をかけようとしたのに居ないんですから。心配で探しましたよ」
「ふふ、ごめんね。ありがとう、アレン。私が居なくなっても、貴方くらいしか探しに来ないわ」
「……でも、俺……えっと、私は、お嬢様がどこで隠れん坊していても、必ず探してみせますよ」
「まあ、怖い! お仕事が嫌になっても逃げられないわね」
「そんなこと、貴女様はしませんよ」

 バルコニーに置かれたソファに座っていると、顔色を真っ青にしたアレンが入ってきた。
 確かに、部屋から見るとここって見辛いから、人がいるかどうかわからないのよね。

 よく見ると、アレンは肩で息をしていた。
 ということは、屋敷中探させちゃったかな? 悪いことをしたわ。

「アレン、お詫びにちょっと付き合って」
「なんでしょうか」
「ここ、座って。月光がとても心地よくて、アレンにもこの気持ちを分けたいの」
「……でも」
「お嫌なら、良いわ」
「い、嫌ではないです。……むしろ」
「え?」
「あ、いいえ! そ、それじゃあ、失礼します」

 日光浴は、心を元気にする。
 それなら、月光浴は疲れた身体を癒してくれる効果があるかもしれない。

 そう思った私は、座っている場所をずらし、彼が座れるだけのスペースを用意する。すぐに、座ってくれたわ。
 もしかして、これって私に言われたら逆らえないとかない? 強制させてないかしら。アレンって、嫌って言わないのよね。……ああ、私がお仕事をやめないと「嫌です、休憩してください」って言うけど。でも、それって私を思っての「嫌」ですものね。
 本当、こう言うところが律儀だわ。

「……確かに、心地良いですね」
「でしょう? 身体が軽くなって、どこか飛んでいっちゃいそう」
「飛んでいっても、私が回収しに行きますよ」
「ふふ。アレンなら、やりかねないわね。お父様に罰として部屋に閉じ込められても、いつも貴方がすぐに迎えにきてくれるし。……ねえ、あれって、毎回お部屋が違うのに、どうしてわかるの?」
「わかりますよ。お嬢様の居るところは、ここが教えてくれるので」

 そう言って、アレンは心臓を片手で抑えてきた。

 ……どう言う意味?
 アレンったら、そんなすごい能力を持っているの? とても便利だわ。
 それなら、騎士団に入って、迷子になった子どもや行方不明の捜索をした方が適任では? 私なんかに付いていて大丈夫かしら。

「ふはっ!」
「へ!?」
「ふふ、す、すみません。お嬢様が、とても愉快なお顔をされていたので」
「え!? ど、どんな顔!?」
「可愛らしいお顔です。何か、考え事をしていましたね」
「ちょっと! 逸らさないでよぅ。……愉快って何よぅ」
「逸らしていませんって」
「嘘おっしゃい!」

 ほら。
 アレンは、私のどんな表情も見逃さない。そう言うところ、敵わないなって思う。
 彼は結構若いけど、とても優秀な執事だわ。お父様が紹介所から引き抜いてきたって言っていたけど、きっとそこで登録している執事やメイドは優秀なお方ばかりなのね。

 私が食ってかかると、それをなんとも思っていないかのようにアレンが笑い飛ばしてくる。
 そして、その和やかな空気はなんの前触れもなくピタッと静かになった。

「……」
「……」

 風のざわめきが、耳をかする。
 よく聞くと、下でお酒をあけているお父様とお母様たちの声が遠くに聞こえるわ。飲みすぎないと良いのだけど。

 でも、それだけ。
 隣にアレンがいることを忘れてしまうほど、近くからは何も聞こえない。本当に居なくなってしまったのかと思って隣を見ると、月に視線を向けている彼の横顔が飛び込んできた。
 月の光を浴びたアレンは、いつもの彼とはまた違った雰囲気で見惚れてしまう。ずっと見ていても飽きない何かがあるの。言葉では、うまく表せない。

 どのくらい見ていたのでしょう。
 沈黙が恥ずかしくなって口を開こうとした時、先にアレンが話し出す。

「……月が綺麗ですね」

 その声は、なぜか震えていた。

 私に話しかけたのではないかも。だって、視線はそのまま月に向いているし。
 でも、その光に照らされた彼の横顔は、ほんのり赤い。

「……一緒に見ているからね、きっと」

 私が返事をすると、アレンはポカンとした表情になってこっちを向いてきた。でも、私の顔を見るとすぐに、含みを持たせたようなため息と一緒に笑顔になる。
 よくわからないけど恥ずかしくなった私は、言い訳のように急いで言葉を紡ぐ。

「あ、えっと。……さっき、1人で見ている時は光が気持ち良いなって思ってただけだったから。その、綺麗とかそう言うのは思ってなくって」
「……今は、綺麗だと思いますか?」
「……ええ、とても」
「なら、良いです。……お嬢様」
「なあに、アレン」

 1人で焦っていると、アレンが真剣な声で話しかけてきた。
 それに返事をすると、すぐに、

「……私は、いつ、どこにいてもお嬢様の味方ですから。忘れないでください」

 と、目を見ながら言ってきた。
 そのセリフは、今まで何回聞いてきたのかわからない。家族や領民に嫌われている私にとって、その言葉は蜜よりも甘い。でも、信じちゃダメ。
 嫌われ者の私が貴方に寄りかかったら、きっと倒れちゃうから。だから、私は1人で立って前へ歩く。

 それに、貴方は紹介所から派遣された仮の執事。ハンナやメアリーのようにうちで雇用されているわけじゃないから、きっとシャロンのようにある日突然居なくなる。
 前もって覚悟していれば、彼女の時のように落ち込まなくて済むから。アレンには申し訳ないけど、私はその言葉に乗らないわ。
 でも……。

「……ありがとう、アレン」

 お礼くらいは言わせてね。

 いつもありがとう、アレン。
 これからも、よろしくね。



***



「って感じで……って、イリヤ!?」
「……お嬢様!」
「は、はい!?」

 昔の話をしていると、イリヤの表情が険しいものになっていく。というか、いつからそんな顔してた? 全然気づかなかったわ。

 びっくりして話しかけると、ドンッと手すりに両拳を押し当て名前を呼んでくる。
 ……え、何。手すりを壊さないでよね。

「イリヤも、お嬢様の味方です! どこに居たって連れて帰りますし、ちゃんとふかふかのお布団でねんねさせます! 美味しいご飯も……作れないけど、ザンギフに用意してもらえればイリヤがお運びします!!」
「あ、え……えっと、ありがとう」
「それに、イリヤはアレンに負けていません! お嬢様だって、そう思うでしょう!?」
「……? そ、そうね」
「ふふん。イリヤは、お嬢様のナンバーワンな付き人なのです。しかも、可愛い」

 よくわからないけど、私が肯定するとイリヤは、いつも通りの自信に満ち溢れた表情になった。
 今のはなんだったの? 手すりは……大丈夫、ヒビも入ってない。

 イリヤって、結構力があるのよ。
 厨房で洗い物をしていたらお鍋を凹ませたことがあるって言っていたし、りんごを片手でフンッて潰せるんですって。そう言う話を聞くと、男性なんだなって実感するの。

「イリヤは、私を信じてくれたんだもの。とても優しいメイドだわ。可愛いし」
「ふふん。可愛くて優しいメイドなので、そろそろお嬢様のお身体が心配です。中に入りましょうか」

 確かに、膝掛けをしていても寒いのよね。
 もう少し寒くなければな。寒くなければ……。

「イリヤと、ずっと見ていたかったな。だって、とても綺麗で心地……イ、イリヤ!?」

 そう言うと、イリヤったらバルコニーの壁に激突しに行ったわ。
 何が何だかわからない私は、とりあえず怪我をしていないか確認するため彼女のいる方へと向かう。

 手に持っていたカップは、いつの間にか冷めていた。
 
 
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