上 下
66 / 217
09

心を濡らす、きつねの嫁入り

しおりを挟む


 そろそろ日が沈みかける時間帯。
 私は、陛下のいらっしゃる執務室で監視兼書き仕事をしていた。

 この辺りで業務にカタをつけようと気合を入れ直していると、そこにロベール卿が入室してくる。
 表情を見る限り、複雑そうだわ。それもそうよね、ずっと一緒に戦ってきた相棒が行方不明なのだから。しばらくは、彼のことを気にしておかないと。

「失礼いたします、陛下。クリステル様も」
「お疲れ様、アレンよ。どうした?」

 承認書類に印を押していた陛下も、その扉の音で顔を上げる。思っていることは、私と同じみたい。まるで、息子を心配する親のような視線をロベール卿に送っているもの。
 彼は一度、アリスお嬢様の件で精神を病んでいる。……あの時は流石の私も精神を持っていかれそうだったけどね。今回だって、そうならない保証はない。

 私は、立ち上がりロベール卿へとお辞儀をした。
 こういう時は、いつも通りに接するのが一番だわ。

「お仕事中失礼します。頼まれておりました、トマ伯爵の件でお話をと思いまして」
「おお、アドリアンか。見つかったのか?」
「はい。とても元気にされておりました。陛下が危惧されたように、既に元老院には居場所を知られているそうです」
「……やはり。では、アドリアンはまた別の場所に隠れるのか? その費用やツテは?」
「陛下。こちらからトマ卿へお金を出すことはできませんし、ツテの紹介も不可能です」
「む……。では、私が直接出向いて……」
「陛下」
「……わかっとる。言ってみただけだ」

 陛下がお会いしたいのも無理はない。彼とは歳が近く、思考が似ていらっしゃるから。
 昔は良く、そのお2人でおサボりしていたわね。お忍びで城下町なんて行くものだから、探すのが大変だった。トマ伯爵は御者もなんなくこなす、本当に色々できたお方だったわ。
 口には出さないけど、私は今でも彼が冤罪だったと思っている。陛下もね。だから、彼を王宮から遠ざけた……。

 でも今更、私たちが彼を頼るなんて虫の良い話。それは、陛下も十分わかっていらっしゃると思うの。

「トマ伯爵は、移住せず今の場所に踏みとどまるとおっしゃっておりました。ですので、お手紙を書かれてはいかがでしょうか?」
「すぐに書こう、友として。受け取ってもらえなくても、良い」
「でしたら、私が責任を持って届けます!」

 まあ、手紙くらいなら良いか。

 ロベール卿の提案を聞いた陛下は、私の顔色を伺うようにこちらを向く。
 反対されると思ったのね。私が視線を逸らし「見てません」アピールをすると、嬉しそうになって筆を取られたわ。
 にしても、どうしてロベール卿も嬉しそうなのかしら? トマ卿が、陛下のお手紙を欲しがっていたとか?

「ロベール卿は、お仕事がありますでしょう。元老院に居場所を知られているのであれば、別の者に行かせてもよろしいのでは?」
「あ、いえ、その……。仕事終わりに行きますので」
「でも、少しでも休まれた方が」
「とんでもございません。私は、動いていた方が気が休まるタチなのです」
「……左様ですか」

 いつもなら、「ラベルにやらせます。私は、演習場で特訓を」って答えるのにおかしいわ。
 でもまあ、思ったより落ち込んでいないのなら良いか。きっと、トマ卿とウマが合ったのね。とても優しいお方で、カイン皇子も良く懐いていたもの。

「アドリアンは、今何をしているのだ?」
「現在は、子爵家の医療者として働いておいででした」
「そうか! 良かった……良かった。それが一番心残りだった。その子爵家にもお礼を言いたい。名前を教えてくれるか?」
「フォンテーヌ子爵です」
「ん? フォンテーヌ子爵と言えば、アインスという医療者が居ただろう。ほれ、以前アレンの治療をしてくれた……」
「そういえば、グロスター伯爵の検死もしてくださった方ですよね。私はお会いできていませんが、ロベール卿が現場で遭遇したと」

 と言うことは、子爵家に医療者が2人? 普通、お抱えの医療者は1人では? 
 そんなお金持ちの子爵家があったのね。フォンテーヌ子爵は、お仕事ができないことで有名だったはずだけど……。こういう話を聞くと、グロスター伯爵のように領民に対して不当な搾取をしていると菅くぐってしまうわ。

 私は、記憶に残っている限りの情報をロベール卿に話した。すると、予想外の言葉が返ってくる。

「その方です。トマ伯爵」
「……は?」
「え?」
「元老院に知られてしまったので、陛下にも現在の名前をお伝えして良いと言われております」
「え、ちょ、ちょ……。なぜ、伯爵が子爵家に仕えている?」
「陛下、落ち着いてください。そもそも、トマ卿は爵位を剥奪されております。癖でそう呼んでいるので、お忘れかと思いますが」
「にしても……」

 陛下の言わんとしていることはわかるわ。
 名前を変えたなら変えたで、もっと他に良い就職先があったはず。彼の腕前があれば、侯爵家にだって雇ってもらえるはずよ。本名なら罪名が出てくるでしょうが、名前を変えたのでしょう? どうして彼は子爵家に?

 わからない。それに、……そうよ!

「待ってください、ロベール卿。そういえば、イリヤもフォンテーヌ子爵家でお世話になっていると聞きましたが……」
「ああ、そうですね。一緒でした」
「……陛下、一度私がご挨拶にお伺いしても?」
「……そうだな。では、私も」
「陛下はダメです」

 イリヤが居るのなら、フォンテーヌ子爵を信用できるわ。警戒心の強いあの子が住み着いていると言うことは、そう言うことだから。
 にしても、フォンテーヌ家はどうなっているの? なんだか、ロベール卿も懐いているようだし。ますます謎だわ……。これは、時間を作ってでもご挨拶にお伺いしなければ。

 私は、机に出してあったスケジュール帳を開きながら動ける日程を確認する。
 アリスお嬢様とロイヤル社に出向いた日の午後なら、時間が取れそうね。


***


 目が覚めると、イリヤが部屋の窓を開けているところだった。
 外は既に、オレンジ色に染まっている。薄いカーテンを通して、その光が私の目にも美しく映り込むの。朝日とはまた違った眩しさね。

「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、イリヤ」
「お顔色が戻っていますね。ゆっくり休めましたか?」
「ええ。ベルとお話して、私がアリスだって言われてきたわ。心配かけてしまって、ごめんなさい」
「良かったです。イリヤも、ベルお嬢様と同じ考えですから」
「信じてくれて、ありがとう」
「イリヤは、一度信じたものを翻しません」

 外の空気が入り込み、少しだけ寒さを感じる。
 でも、イリヤはなんだか顔が真っ赤だわ。夕日のせい? それとも、川に入ったから風邪引いちゃったかしら? どっちにしろ、今日は早めに上がってもらいましょう。

 起き上がると、そんなイリヤが素早く駆け寄ってくる。そして、側に置かれていた真っ赤な膝掛けを肩にかけて、頭をポンポンと撫でてくれた。それが気持ちよくて、私は、

「……イリヤ、ぎゅー」

 と、両手を広げる。
 パトリシア様も、お父様がいらっしゃらない時にお姉様にこうやるんだって。私はお兄様にしたことがないけど、イリヤにならしてみたいなって思う。

 すると、イリヤはなぜかベッド脇の壁に額を思い切りぶつけているわ。
 びっくりして「どうしたの?」って聞いたら、虫がいたんですって。窓を開けていたから、お庭にいたミツバチでも入ったのね。でも、虫も生きているのだから殺したらダメよ。

「お、お嬢様、あの、えっと。イリヤは、生物学上……」
「わかってるわ。でも、私にとってはお姉様なの」
「……あ、そっち」
「パトリシア様も、こうやってお姉様にしてもらうんですって。だから、私もされてみたいなって思って」
「そう言うのは、旦那様と奥様にお願いしてみてはいかがでしょう。とても喜ぶと思いますよ」
「どうして? パトリシア様は、お父様の目を盗んでするって言っていたわ」
「どうしてって……。フォンテーヌ子爵なら、子どもである貴女様が甘えてくるのは嬉しいものです。お嬢様だって、以前ご両親に甘えたことがあるでしょう」

 相変わらず、イリヤは壁に向かって話している。まだ虫がいるのかしら? だとしたら、お外に逃してあげなきゃ。
 そう思って壁を覗こうとすると、今度は真面目な声が聞こえてくる。良く見ると、顔の赤みが消えているわ。

 私は、その言葉でグロスター家の屋敷での生活を思い出した。

「ええ。昔、お母様は私に食事前の祈り作法を教えてくれたの。お父様は、ペンのインクの補充方法をね。とても嬉しくて、今でも一字一句覚えているわ」
「あ、いえ。そう言うのではなく、……その、パトリシア様がお姉様になされているようなことです」
「……? それは、お姉様やお兄様にするものではないの?」

 イリヤの言っている意味がわからない私は、広げた両手をしまい膝掛けを掴む。急に、隙間風が入ってきたように寒気を覚えたから。
 やっぱり、窓は閉めた方が良いわね。

 勝手に閉めると「それはイリヤの仕事です」って怒るから、了承を得ようと目の前に居る彼女の顔を覗いた。すると、とても悲しそうな表情をしているじゃないの。
 これは、私がさせてしまっているのかしら?
 専属をお姉様呼ばわりしたらダメだった?

「ごめんなさい、今のなし。嫌わないで」
「あっ、ち、違います! 合っております! 正解です、大正解です!!」

 目を見ながら謝ると、イリヤが声を張り上げてきた。いつもはしないその慌てように、私はベッドの上で笑う。
 良かった。嫌われてなさそう。

 それを確認し、ベッドから降りようと足を地面につける。
 すぐに、イリヤが手を貸してくれたわ。そこに向かって手を差し出すと、彼女の体温が私の身体に心地よく染み渡る。
 その体温に安堵していると、

「……お嬢様は、誰かに甘えたことがないのですか」

 と、今度は真顔になって聞いてきた。視線は合わない。

「あるわ。シャロンには毎回甘えてた。感謝祭の企画と伯爵家のお仕事がかぶってしまった時は、お仕事の方の期限を伸ばしていただくよう直談判してくれたり、料理長の腕が間違って当たってしまって階段から落ちた時も治療をしてくれたわ。それに、お仕事がうまくできなくて食べ物を没収された時だって、内緒で丸パンを持ってきてね。シャロンはとても優しかった」
「……」
「アレンにだって、たくさん甘えたわ。ハンナ……えっと、メイド長のハンナが運んできたスキレットが私の手に当たった時に「お嬢様、もう良いです」」
「え?」
「もう良いです。……ごめんなさい」
「……イリヤ?」

 立ちながら懐かしい思い出を話していると、イリヤが私の身体を抱きしめてきた。それだけなら、前もしてくれたから驚かない。
 彼女は私を必要以上に強く抱きしめながら、肩を震わせていたの。
 私、何か変なこと言った? 確かに、懐かしさで嬉しくなってしゃべりすぎたのかも。でも、泣くような話ではない。みんな優しかったって話よ?

 良くわからず呆然としている私に、イリヤが押し殺したような小さな声でこう続けてくる。

「どうして貴女様はそこまでされているのに、家族を愛しているのですか」

 そこまでしてくれたから、愛しているのよ。家族を愛することってそんなに変? 
 言っている意味が、良くわからないわ。

 そう言おうとしたのだけれど、いつの間にか一緒になって涙を流していたから声が出なかった。
 この涙は、なんの涙なの? 深く考えられない。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【本編完結】実の家族よりも、そんなに従姉妹(いとこ)が可愛いですか?

のんのこ
恋愛
侯爵令嬢セイラは、両親を亡くした従姉妹(いとこ)であるミレイユと暮らしている。 両親や兄はミレイユばかりを溺愛し、実の家族であるセイラのことは意にも介さない。 そんなセイラを救ってくれたのは兄の友人でもある公爵令息キースだった… 本垢執筆のためのリハビリ作品です(;;) 本垢では『婚約者が同僚の女騎士に〜』とか、『兄が私を愛していると〜』とか、『最愛の勇者が〜』とか書いてます。 ちょっとタイトル曖昧で間違ってるかも?

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

処理中です...