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閃光と共に

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 牢屋は、いつ入っても気分が良いものではない。石畳だからか、季節に関係なく常に湿った空気になってしまうのも相まって。
 それに、この物々しい雰囲気。俺は、何度入っても好きにはなれない。

「何か変わったことは?」
「特にございません。ただ、先ほど交代したばかりなので、その前のことは存じ上げず……」
「そうか。引き続き、監視を頼む」
「はっ!」

 監視役で立っている役人に頭を下げ、俺とシエラは牢屋に続く階段を降りていく。服についた雨水を払いつつ、滑らないよう慎重に歩かなくては。ここで転けでもしたら、洒落にならない。

 コツコツと靴音が反響すると、それだけで気分が滅入りそうになった。しかし、この瞬間だってベル嬢が苦しんでいるのかも、怖がって縮こまっているのかもしれないと考えると、自然と足は早くなる。
 シエラも、後ろからそのスピードに合わせて無言でついてきてくれていた。

「……特に、変わったところもなさそうだな」
「そうだね。争った後もなさそうだし。強いて言うなら……」
「なんだ?」
「強いて言うなら、甘い匂いがするね」
「そうか? 俺にはわからん」

 地下に到達すると、いつも通りの薄暗い牢屋が俺たちを出迎えてくれる。見張り役も、いつも通りの場所にいるし、こちらに向かって敬礼をしてるし。
 すでに視界にジョセフが入っているが、特にそちらも変わった様子はない。何をしているのかここからだと確認できないが、暴れているとかそういったことはなさそうだ。

 シエラに言われた通り周囲の匂いを確認するも、俺には普通に雨の湿っぽい匂いしかしないが。甘い香りって、どんな香りだ?

「多分、昼食に甘味でもあったんだろう。気にすることはない」
「まあ、そうかも。……すみません、ジョセフと会話します」
「承知です。予定外の訪問ですので、20分以内にお願いします」

 シエラが見張り役に声をかけると、訪問用記録ノートを開きながら許可をくれた。それを横目で盗み見ると、俺たちの前に来たのは先ほど捜索に来た騎士団らしい。その前は、……ジャック・フルニエ? 宮殿侍医が来るなんて、誰か体調でも崩したか? 報告はなかったが。
 いや、それは後回しだ。

「では、どうぞ」
「ありがとう」

 俺らは、そのままゆっくりとジョセフの居る牢屋へと向かった。
 今は他にも、強盗や不正飲食で捕まった奴が数人居るんだ。その中でも、ジョセフは入り口に一番近い位置に収容されている。ここにいる奴らの中で、最も聞き取りなどで訪問が多いからな。

 ジョセフのところへ行くと、すぐに目が合った。すると、こちらに向かって笑いかけてくる。

「なんだ、アレンか」
「……ジョセフ?」

 一瞬で、違和感を覚えた。
 シエラも同様らしく、難しい顔をしながらジョセフを眺めている。

 その違和感は、奴の表情だ。
 ジョセフは今、とても晴々しい表情で俺らを見ている。いつもそうなら良い。だが、最近は膨れっ面をしているか、ご機嫌を伺うような笑みしか浮かべないんだ。そんな奴が、こんな表情をするのか?

「アリスなら、さっき来たぞ。粉っぽいクッキーを持ってどこかへ行ったから、お前のこと探してるんじゃないか?」
「……報告通りだね」
「ああ……」

 それに、まるで俺しか居ないように話しかけてくるのも気になった。隣にシエラが居るのにも関わらず、俺ばかり見ているんだ。
 それでも、一刻も早く手がかりを見つけないといけない状況を思い出し、俺はそのままジョセフと話を合わせることにした。

「ジョセフ様」
「なんだい、アレン」
「お嬢様は、どのような格好でしたか? 申し訳ございませんが、お探しするのに髪型や服装をご教示ください」
「格好か? そんなの、いつも通りの銀髪に控えめのドレスだったぞ。なんだ、アレンは妹の姿も覚えてないのか」
「銀髪だと? お嬢様は、金だろう」
「銀だ。銀のストレート髪だぞ。全く、それで専属執事を名乗るとは恥知らずだな。お父様お母様に報告してやろう」
「……シエラ。ここに来たのは、ベル嬢だ」
「だね。銀のストレート髪なんて、そうそう居ない。というか、彼女しか見たことがない」

 しかし、なぜジョセフはベル嬢とアリスお嬢様を間違えているんだ?
 いくら憔悴していたとしても、金と銀を取り間違えることはないと思うのだが。それとも、そのくらい奴は混乱状態とでも言うのか。

「なんだ、アレン。そんな難しい顔して」
「……そんなの」
「わかったぞ! アリスがジェレミーと居たから妬いてるのだろう!? ははは、大丈夫だ。使用人と主人が結ばれることはな「ジェレミーだと!?」」
「……ジェレミーがここに居たと?」

 高笑いしながら、ジョセフがありえない名前を出してきた。
 その名は、指名手配されながら逃げ続ける殺人鬼のもの。まだイリヤが騎士団に居た頃、一度遭遇して取り逃してしまった大物だ。逃げ足が速く、イリヤでさえ奴の顔に刃物傷を残すのが精一杯だった。
 最近めっきり名前を聞かなくなったが、奴がここに居たのか? ここは、王宮内だぞ。貴族でないのに、入れるもんか。

 そうだ、ジョセフが嘘をついている可能性だってある。

「ああ、いたぞ。何をそんなに驚いてるんだ? 前から、うちの屋敷に来ていただろう?」
「……そうなの、アレン?」
「いや、知らん。聞いたことがない」
「ジェレミーの奴、どうせまた隣国に戻るのだろうな。アリスもそれについて行ったところを見ると、満更でもなさそうだったぞ。残念だったな、アレン。お前は眼中にないそうだ」
「隣国、だと?」

 でも万一、この話が本当だったらどうだ?
 ジョセフの言っていることをまとめると、ジェレミーがベル嬢を連れて隣国に向かっているという情報が残る。それは、ベル嬢が居ないという事実と一致するんだ。
 何も手がかりのない中、その情報を信じ行動しても良い気がした。

 それに、ジェレミーが隣国と関わっているという噂は確かにある。

「シエラ」
「わかってるよ。僕は、このままジョセフと会話して情報を取る。彼が何か知っているのは確かだからね。君は、ベル嬢を追って。隣国への道を辿れば、いるかもしれない」
「すまん。何かわかったら、早馬を寄越してくれ」
「はいよ。ただ、僕的にはこの場所の管理体制に疑問がある。ちょっと調べるから、第一騎士団のメンバーを呼んでくる」
「ジェレミーがここに来たとすれば、俺も疑問だ。見張り役の係だったやつも調べてくれ」
「言われなくても。それに、ジョセフの精神鑑定もしてみるよ」

 やはり、長年連れ添っているだけはある。シエラは、俺のやりたいことをわかってくれたようだ。
 俺は、見張り役に聞こえないよう小さな声で伝言を残し、先に入り口へと向かう。

 いや、その前に。

「ジョセフ様」
「なんだ、アレン」
「なぜ、ジョセフ様は銀髪の女性がアリスお嬢様だと思ったのですか?」

 ふとした疑問をぶつけると、奴は笑いながら、

「なぜって……。お兄様と呼ぶやつを妹と思わずなんだというのだ? お前は面白いな! お父様お母様に笑い話として聞かせてやろう!」

 と、言ってきた。
 意味がわからない。やはり、シエラの言うように精神鑑定も必要そうだ。

「終わりですか?」
「はい、ありがとうございました。また後ほど来ます」
「承知です。一旦、記録残しますね」
「ああ、お疲れ様」

 見張り役は、何事もなかったかのようにサッと記録を取っている。この人物は、よく見るから信頼しても良さそうだ。
 挨拶をした俺は、急いで厩舎へと走っていく。


***
 

「どうしたの、クリス」
「……お嬢様、失礼します」

 王宮内で人攫いがあったかもしれないとの情報を受け取った私は、その足でサレン様のお部屋を訪れた。すると、ベッドの上で読書をしていた彼女が、キョトンとした表情で私を見てくる。この顔を見る限り、異常はなさそう。

 安堵した私は、そのまま部屋の中へと足を進める。

「なあに、怖い顔して。まさか、お母様が見つかったとか?」
「いえ。それは、まだです。すみません……」

 彼女には、グロスター伯爵と使用人の死を伝えてある。というか、新聞を読んでわかってしまったから、詳しく説明せざるをえなかったという感じだ。内容を読まずに新聞与えてしまったカイン皇子を睨みつけたのは、言うまでもない。

 あれからも、彼女は「アリスお嬢様」としてここに居る。サレンお嬢様のお姿で、アリスお嬢様でしか知りえないお話をしてくるの。
 私とカイン皇子は慣れてきたけど、ロベール卿はなんだか怖がってあまりここに来ない。陛下も、時間が空いた時だけ……つまり、数える程しか来ないわ。

「ごめんなさい、貴女を責めたわけじゃないのよ。何か、話題が欲しかっただけで」
「お気遣いありがとうございます。ところで、カイン皇子は?」

 陛下は、彼女に対していつも当たり障りない会話だけをして去っていく。その態度に、「貴女を疑っています」という気配すら感じさせないところは、やはりすごいとしか言いようがない。私なんて、気を抜いたら表情に出てきそう。
 それでも私は、目の前で息をするのがアリスお嬢様だと信じてるわ。信じて、こうやって会話をするの。

「先ほどまで、ここで読書をしていたわ。読み終わったから、新しいのを持ってくると言って出て行ったけど……」
「では、書庫にいらっしゃいますね」
「そうそう。皇子って、いつも読書しているからまったりしたお人かと思ったのに、剣術も政界のお話もできるのね。びっくりしたわ」
「将来、国を背負うお方なので、その辺りは常日頃学んでおりますよ」
「すごいわ。なのに私ときたら、花嫁修行もやらずにベッドでこんな生活を送るだけ。……私、ここに居て良いの?」
「……お嬢様」

 読んでいた本を閉じた彼女は、そのまま下を向いてしまった。
 確かに、学びの意欲が人よりも高い彼女ならそう思ってもおかしくはない。自身が隣国からやってきた公爵令嬢であること、そして、将来陛下になるであろう皇子に嫁ぐ身であるのを知れば、花嫁修行が止まっていることに罪悪感を覚えるでしょうね。

 でも、再開させるためにはロバン公爵の許可が必要なの。
 不思議なことに、ロバン公爵が全く捕まらなくてね。伝達用の手紙は手元に届いているはずなのに、てんで音沙汰がないってちょっと不自然。
 隣国の慣れない地に大切な娘を寄越しているのだから、飛んででもくるべきなのに。

「申し訳ございません、お嬢様。貴女様は、隣国の姫なのです。他国である私たちが何かをするなら、公爵の許可が必要になります」
「そう、よね……。わかってるわ。ごめんなさい」
「……カイン皇子が戻るまで、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「ええ! 嬉しいわ。あのね、あの新聞に載っていた植物カレンダーのお方に会った時に聞きたいことをまとめたのだけれど……」

 どうせなら、この国の人に憑依してくれればよかったのに。

 そうすれば、陛下だってアレンだってもっと喜んで迎え入れてくれたはず。
 国境って、思った以上に厚いものだわ……。


***



「もう痛まねえだろ」
「……ありがとう」

 男性は、ずっと泣いていた私に傷の手当をしてくれた。
 さっきの衝撃で、床にあった木材のささくれで頬を切っちゃって。まさか、治療してくれると思ってなかったからびっくりして涙も止まっちゃったわ。
 顔を見せたってことは、私のこと生かして帰さないのかなって思ったけど、だったら傷の治療なんてしないわよね。この男性の目的はなんなのかしら。

 私は、膝を抱えて小さくなりながら、必死になって今の状況を整理しようとする。さっきよりは、冷静になっている気がするの。

「私、どこにいくの?」
「さあね。俺の側に居るか?」
「それは嫌……」
「はは、傷つくなあ」

 馬車は、相変わらず揺れている。さっきまで揺れが酷かったけど、今はそこまででもないわ。それよりも、雨風の音がすごい。ちょっと気を抜けば、隣で喋っている声も聞き取れないほど音が大きい。

 男性は、私の言葉に気を悪くしたような感じもなく、笑いながら頭を撫でてくる。怒ったりこうやって優しくなったり、よくわからない人。
 でも、この優しさは本物だわ。それだけはわかる。

「……昔、お前に似たような女が居たんだよ」
「昔?」
「ああ。取引先の屋敷でチラッとしか見なかったが、芯があって気高い女だった。貴族の女なんてみんな、自分勝手で高慢で領民を見下すやつばかりだと思ってたのに、そいつは違かった。いつ見ても自分のことなんか後回しで、お前のようにハキハキと言いにくいことも意見してな」
「……ごめんなさいね、言いにくいことを意見して」
「そうそう。そうやってちょっと捻くれて、メイドを困らせている場面も見たな。あー、なんであんとき声をかけなかったんだ」

 そう言って深々とため息をついている姿は、嘘をついているようには見えなかった。どこか懐かしそうな顔して私を見ている視線も、話しかけてくる口調も、本当のことを言っていると思うわ。会って間もない私に話している理由は、よくわからないけど。

 まあ、この言い方だとフラれたのでしょうね。そりゃあ、こんなガサツならフラれて当然。……なんて、口が滑っても言ったらダメだわ。とりあえず、話を合わせよう。

「今から声を掛ければ良いじゃないの」
「いんや、もう遅い」
「なぜ?」
「5年前、そいつは俺が奴に渡した毒で死んじまっ……伏せろ!」
「!?」

 話の途中、男性が私の後頭部を力一杯押してきた。膝を抱えていた私は、その衝撃でダルマのように前へと転がって床に倒れてしまう。
 それと同時に、馬車が急停車した。

 驚いて首だけ後ろを振り向くと、今までもたれかかっていた布地から銀色に鈍く光る何かが2つ突き出ているのが見えた。あれは、私が居た場所じゃなくて男性が座っていたところだわ。

 それに、これは何?
 肌がピリピリ痛むような、息をするのも慎重になってしまうほどの緊張した空気へと一気に変わっていったの。

「ッチ、お前引退したんじゃねぇのかよ」

 すると、男性は懐から刃物を取り出して壁に向かって話しだした。
 そこで初めて、布地に刺さっているのが剣だと理解する。閃光が視界をチラつく度、全身がガタガタと震えるのを止められない。

 私は、ここで死ぬんだ。
 ごめんね、ベル。せっかくチャンスをくれたのに、無駄にしちゃって。貴女の身体まで傷つけちゃうわ。
 ごめんね。

 そう思い、祈りを捧げていた時。
 布地が大きく真横に裂かれ、その隙間から見知った、しかし、見慣れない顔が現れた。

「お嬢様を返せ、ジェレミー」
「……イリヤ?」

 そこに居たのは、朝一緒に出かけた時と同じ格好をしたイリヤだった。びしょ濡れになりながらも、それをなんとも感じていないように剣を2本持って立っている。
 それに、その身に纏っている空気は、知らない誰かのもの。私は、こんな彼女を知らない。

 こんな鋭く冷たい顔をする彼女を、私は知らない。

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