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カモミールティは安息の味
しおりを挟むアレンが私の専属になって、1ヶ月が経とうとしていた時のお話。
『アレン、お庭に行きたいのだけれど良いかしら』
『はい。天気も良いですし、お茶をお持ちしましょうか?』
執務に区切りをつけ、椅子から解放され背伸びをしていると、追加書類を持ってきたアレンが視界に入ってくる。
この背伸びね、とても気持ち良いの。気分を変えられる魔法の動きって私は呼んでいた。
『えっと、お茶を摘みたいなと思って』
『なるほど。カモミールの芯が高くなってきているので、収穫にちょうど良い時期だと思われます』
『あら、良くわかったわね』
『お嬢様の考えることは、大抵頭に入れておりますから』
さすが、アレン!
こういう勉強熱心なところ、彼らしいわ。私が一度話したことは、次の日には応用まで話せるようになっているの。どんな勉強方法を取っているのか、いつも聞きそびれちゃう。
ここに来た時は植物のことを一切知らなかったのに、今では屋敷内で庭師のジェームズと私の次に物知りだと思う。私も、彼に教えてもらうことは多い。
『ありがとう。アレンが居ると、なんだかだらけそうで怖いわ』
『だらけて良いのですよ。お嬢様は、働き過ぎです』
『いいのよ。私が好きでやっているのだから』
『……』
アレンは、隙あれば私を甘やかす。
仕事で煮詰まった時は、勝手に口の中へドライフルーツを放り込んでくるし、お茶だってお水で良いのにダージリンをどこからか持ってくる。
それだけじゃないわ。毎日のように、私の部屋にある花瓶に綺麗なお花を生けてくれるの。お休みの日だって、早朝からそれだけのために来てくれることあったな。
気分が沈んでいる日は、必ず真っ赤な薔薇なのよ。
今も、こうやって不安そうな顔して私を心配してくれる。何時ぞや、貴方は「何もできない自分で申し訳ございません」と頭を下げてきたわね。
アレン。私は、これが自分の役目だと思っているのよ。今まで育ててくれたお父様お母様、幼少期に飴玉のおいしさを教えてくれたお祖母様、勉学のための本を譲ってくださったお祖父様、それに、私を気にかけてくれるお兄様に恩返しがしたいの。わかってくれるでしょう?
でも、今はちょっと休憩しても良いよね。
『アレン、乾燥させるためのネットはあるかしら?』
『水切りでしたら、厨房からお借りできますよ』
『良いわね! あ、でも、調理に使う?』
『大丈夫ですよ。他のメニューを考えてもらうだけです』
『なんだか悪いわ』
『それでは、出来上がったカモミールティを分けてさしあげたらいかがでしょうか? 料理番のメアリーはハーブティーがお好きでしたし』
『だったら、ミントも収穫しちゃいましょ!』
そうと決まれば、行動あるのみ!
私は庭に向かうため、計算用紙を引き出しにしまい、万年筆のインクを抜いた。以前、そのままにしてペン先ダメにしちゃったの。今日は忘れないわよ。
『ジェームズに声かけてきますね』
『ええ! お願いね!』
どこで乾燥させようかな。やっぱりお外? それとも、メイド長のハンナにお洗濯が乾きやすい場所を教えてもらう? まあ、収穫してから決めましょう。
最初の一杯は、アレンに飲んでもらいたいな。いつもありがとうって。
それからだったわ。お仕事がひと段落したら、カモミールティを作る習慣ができたのは。
その後、呼びかけに集まってくれた使用人たちと一緒に飲むようになったのもね。
***
ガロン侯爵とのお話は、多分成功に終わった。次の日取りも決められたってことは、また王宮に呼んでくださるってことでしょう?
ちなみに「多分」っていうのは、私的にはどこがガロン侯爵が気に入ってくださったのかがわからなかったから。手応えがなかったから、次も呼んでくださるお話をいただいた時は変な声を出してしまったのよ。恥ずかしい。
まあ、その話は置いておきましょう。
今は、こっちが大変なの。
「ベルよ、おめでとう!」
「ベル、良くやってくれたわっ! 自慢の娘!」
「お嬢様ああああ。イリヤは、生きていて良かったでずゔゔゔぅ」
「良かったですね、お嬢様」
「お嬢様は、頑張りました」
「お嬢様、万歳!」
誰が送ったのか想像がつくけど、早馬を走らせこの結果を先に知らせた人が居たの。だから、屋敷に帰るなりものすごい歓迎ムード! ……こんな早馬の無駄使い、聞いたことある?
玄関先に使用人がずらっと並び、先頭にはお父様とお母様が立っていた。全員、涙を流さんばかりの勢いでね。
ちょっと怖いわ。
いえ、だいぶ怖いわ。
でも……。
「……ありがとう」
それ以上に、心が熱くなった。
私のしたお仕事を見てくれる人が居る。そして、こうやって褒めてくれる家族がいる。
それは、やって当たり前の視線を浴びてきたアリスの時にはあり得なかったこと。シャロンとアレンが見ていてくれただけだった私は、こんな大勢に喜んでもらった記憶がない。
自然に涙が溢れてしまうのは、今日だけは許してほしいわ。
「お嬢様あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! 泣がないでくだざい゙ィィ」
「泣いて、ないわ……」
「泣゙い゙でま゙ずウゥ」
「……泣いてないもん」
イリヤのが泣いてるわよ!
私なんか、貴女の1/10も泣いてないと思うもの。
……あのね。
別に私は、誰かに褒めてもらうためにお仕事をやっているわけじゃないの。家族のため、そして、領民のためにやっていただけ。それは、アリス時代から変わってないわ。
息をするのを褒めてくれる人が居ないように、伯爵の爵位に相応しい働きをしていただけなの。
それでも、こうやって褒められるととても嬉しいわ。また頑張ろうって気になれる。
「おい、ザンギフ! 今日はパーティだ! ベルの大好物のサーモンサラダを「だから貴女! まだこの子に生モノはダメと昨日も言ったでしょう!」」
「ゔェェ……。旦那様……今日は豪勢なものを作りましょう。ええ、私が作りますとも。料理長の名に恥じないよう、腕によりをかけて作りますわっ!」
「ちょっと待ってちょうだい。まずは、ベルに食べたい物を聞かなくては」
「む、そうだな! ベルよ、食べたいものを言ってごらんなさい。今日は特別だ! 新鮮なものを取り揃えよう」
涙を拭いた私は、お父様とお母様の方を向きながら何が良いか考える。
お二人の好物は、なにかしら? 私がそれに合わせたいのだけれど、それじゃダメ?
急に言われても、出てこないのよ。
ダメ元で「みんなの好きなものを食べたい」と言ったけど、却下されたわ。特に、ザンギフなんて「お嬢様の好きなものは、私たちの好きなものになるのよっ!」とオネェ全開発言をいただく始末。
これは、笑って良いの? ちょっと、まだ距離感が掴めない。
「うーん……。好きなもの、好きなもの」
「メインじゃなくても、デザートだって良いぞ!」
「……あ、それなら」
「なんだ?」
「何が食べたいの?」
いまだに玄関先にてものすごいたくさんの視線を浴びる中、昔の記憶をふと思い出した。
アレンとハーブティーを作って飲んだ、優しい記憶。
なんでも良いなら、飲み物でも良いわよね?
そう思った私は、こう答える。
「カモミールティを。……少しミントを入れたカモミールティを飲みたいわ。ここにいるみんなで」
もちろん、拍手と歓声が上がるまでに、時間は要さなかった。
***
「アレン、お疲れ様」
「……シエラ、どうした?」
宮殿の書庫で調べ物をしていると、シエラが入ってきた。
その表情を見る限り、良い知らせではなさそうだ。無論、雑談でもない。
読んでいた本を閉じ席を立とうとすると、シエラが対面して座ってきた。ここで話をするらしい。
人が居ないから、良いか。
「ミミリップ地方が、まずいことになってる」
「というと?」
「今しがた来たデュラン伯爵からの早馬で判明したんだが、グロスター伯爵の領地が荒地より酷い状態らしい」
「……は?」
今、ちょうどジョセフが「当てた」という鉱山に関しての記録を読んでいたところだった。
記録でも、彼の名前が記されていているところまでは確認できたが……。この続きを読むのは、シエラの話の後になりそうだ。
「ロベール侯爵の管理下だろう。何か聞いてないか?」
「お父様からは、何も……。グロスター伯爵からの定期連絡と記録は?」
「調べた感じだと、いつも通りだったらしい。領民長の印は確実に押されてたって、さっきヴィエンが言ってた」
「……であれば、書類の偽装か」
領地は、地方ごとに侯爵が現状把握・定期報告をするものと決められている。
しかし、地方につき侯爵1人では広大すぎて荷が重い。そのため、ここ最近……歴史の本によると10年前からは、その地方をさらに地区ごとに区分けし、1地区につき伯爵1人を置き領民との橋渡しをする様になった。
地区の管理を任された伯爵は、そこに住む領民長と連携を取り、現状を事細かく……領民の暮らしぶり、田畑の様子、さらには、水道水の使用料、犯罪数などを資料にまとめなくてはいけない。しかも、書類が出来上がったら、領民長に確認してもらい齟齬がなければサインをもらって初めて、侯爵に提出できるという結構な重労働なのだ。
人が複数関わることでより正確な情報になるため、このような流れが採用されているのだが……。
「そこがまだ。先ほど、確認のためロベール侯爵が元老院に呼ばれて行ったよ」
「……大事だな。それほど酷かったのか」
「ああ、人が消えてるらしい。それに、餓死者も居るとか。木の根っこを食べて過ごす人もいたと報告があったよ」
「そうか……」
王宮へ来た早馬は、門番と騎士団、侯爵以上の爵位を持つ者の最低3人で確認しないと行けない。この様子だと、シエラとヴィエンが確認したのだろう。
良く見ると、こいつにしては顔色が悪すぎる。それほど、酷い報告だったのか。
シエラは、机上に腕を置き前のめりになって話してくる。
「近々、確認でグロスター伯爵のところに行かなくてはいけなくなるかもしれないな」
「ああ……」
「無理すんなよ」
「いや、俺が適任だと思うよ」
「……そうだな」
目の前の彼も、過去に俺が潜入捜査をしていたと知っている。だからこそ、そう聞いてくれたんだ。
きっと、クリステル様も駆り出されることだろう。そんな気がするよ。
「大丈夫か?」
「大丈夫」
「大丈夫かって聞かれて、すぐ大丈夫って答えるやつのほとんどは大丈夫じゃない」
「なんだそれ」
「……心配してんだよ、親友として」
いつになく真剣な顔をしたシエラは、低い声でそう言ってくる。真剣すぎて、俺はその声に返答ができない。嘘はつけないんだ。
俺がちょっと動くと、目の前に置かれていたペンが机上を転がりそのまま、床に落ちてしまった。カーンと、金属音がその場に響き渡る。
「大丈夫だよ、心配ありがとさん」
「……何かあったら言えよ」
ペンを拾うため腰をかがめたと同時に、シエラが立ち上がる。
そして、そのまま書庫室を出て行ってしまった。
「……あ、ベル嬢」
静まり返った部屋の中、しばらくぼーっとしていると彼女のことを思い出す。
時計を見ると……ダメだ、午後になっている。挨拶、行けなかったな。
いや、今はそれよりもグロスター伯爵の管理する領地に関してだ。
餓死が今の時代にあることに驚きだ。人の命がかかっているなら、なおさら急いで動かないと。きっと、すぐに騎士団への護衛依頼がくるだろう。備えておかなくては。
「……ジョセフに話を聞いてみよう」
少しでも、お父様の助けになれば良いが。
読んでいた資料を棚に戻した俺は、その足取りで牢屋のある地下室へと向かう。
これを終えたら、カモミールティを飲もう。確か、クリステル様が持ち歩いていたはずだから、少し分けてもらって。
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