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02
優しい手も冷酷な手も、淡雪にとっては毒だった
しおりを挟むあれは、夏の終わりだった。
窓を開けて、外の空気を吸いながらお仕事をまとめている時だった気がする。
『お嬢様、皇帝陛下より伝令です』
『え?』
私はその声に筆を止めた。
領土に新しい領民を迎えるための金銭、土地の計算がちょうど終わったところでね。計算用紙を手に取ってから顔をあげたの。
本当は、すぐ反応できれば良かったのだけれど。びっくりしすぎて。
何にびっくりしたのかって? それは……。
『貴方は……?』
伝令を受け取ったことではない。もちろん、部屋の扉は開けっ放しだったから、勝手に入ってきたことでもないわ。
私は、目の前でそれを告げる人物に驚いたの。
そこには、真っ黒な短髪を晒し、こちらを真っ直ぐ見つめる男性が1人。他の使用人と同様、燕尾服を身につけている。見たことがない顔だった。
『挨拶が遅れました。先週より、お城でお世話になっております。アレンとお呼びください』
『ご丁寧にどうも。知らなくてごめんなさいね』
『いえ。お部屋でお仕事をしていらっしゃるのは承知ですので。それよりも、こちらを』
『ありがとう。いただくわ』
アレンと名乗った男性は、とても真面目で好感の持てる人だった。
名乗ってすぐに頭を下げてくるなんて、誰にでもできることではない。だって、ここはグロスター伯爵の城……領民に使用人に、関わった人みんなに嫌われるところだもの。
だから、お父様たちの前ではお給金のためにヘコヘコしている使用人も、私の前ではまるでドブネズミを見るかのように見下してくるの。それが普通。
なのに、彼は、頭を下げた。
この、私に向かって。こんなこと、最後にされたのいつだったかしら。とりあえず、思い出せないくらい昔のことだわ。
『ご丁寧にありがとう』
『……いえ』
私も、それに応えるため立ち上がってお辞儀を返した。すると、すぐに寄ってきて伝令を渡してくれる。
何か、失敗でもしたのかしら。
私1人で執務をしているから、添削してくれる人が居ないの。それで皇帝陛下にご迷惑をおかけしていたら嫌ね。
そしたら、これからは目の前にいるアレンが添削してくれたり……。ううん、そんな負担なことをさせるわけにはいかないわね。彼にだって、お仕事があるのだし。
『……なんだ』
なんて思いながら座って伝令を開くと、そこにはなんてことない、お茶のお誘いが書かれていただけだった。しかも、正妃であるエルザ様からの。
皇帝陛下って、こんなお茶目な面もあるのよね。
以前、「伝令だ」なんて陛下のお城に呼び出しされて、何かと思えばご息女のアシ様が作ったお菓子の試食会だったこともあったわ。
あの時は、本当に何も書かれてなくてただ「登城しろ」とだけだったから、前夜は眠れなかったな。お父様たちにも相談できないし。
懐かしいわ。あの時ちょっと文句言ったから、今回は書いてくれたのかしら。
『皇帝陛下は、毎回無茶振りしているのですか?』
『へ!?』
『あ、いえ、その。……すみません、とてもホッとしたお顔でしたので』
『そんなわかりやすい顔してた?』
『はい、とても』
そんなことないと思うんだけど。
だって、私は「いつも不機嫌そうで近寄り難い」人らしいから。そう使用人が言っているのを、聞いたことがあるもの。
でも、アレンはそんな私の表情を見ながら微笑んでいる。
ここに入ってきた使用人は、1秒でも早く出ていきたいって表情を隠そうともしないのに。……変な人。
私は伝令を畳みながら、微笑む彼に話しかける。
『皇帝陛下から、お茶に誘われたのよ。伝令と言ってもこれは悪戯。よくあるの』
『そうですか』
『正確には、正妃のエルザ様から』
『あのエルザ様が?』
『……え、何か言った?』
『い、いえ。……私は、これで失礼します』
『ありがとう、アレン』
用紙のカシャッとした音で、彼の声が聞こえなかったわ。でも、そんな重要なことじゃなさそう。
アレンは、私が伝令を畳み終わる前に、またもや深々とお辞儀をして部屋を出ていってしまった。
本当、律儀な人ね。挨拶の仕方が、数週間前に居なくなったシャロンに似ているわ。良い使用人が来てくれて嬉しいな。
私は、伝令を……他人に見せてはいけない決まりのある伝令を、机の上に置いてあったマッチで火をつける。
お父様たちに見られたら何を言われるかわからないから、配慮して伝令をくださったのかもしれないわ。あの人たち、皇帝陛下の単語を聞くだけで媚を売りに行く準備をするんですもの。
『アレン……』
他の使用人とは違う、不思議な人。
背筋を伸ばし、ハキハキとした男性だった。誠実さが滲み出てて、一緒にお仕事をしてみたいと思ったわ。彼は、どこを担当しているのかしら。
次会えたら、領地に蒔く野菜の種や、肥料についてのお話をしたいな。
よくわからないけど、アレンなら真剣になってアドバイスをしてくれる気がするの。私の話を笑わずに聞いてくれる、そんな気が。
その予想が当たっていたのを知ったのは、それから数日後のこと。
アレンは、私の専属執事になった。経緯はわからないけど、お父様に突然言われてね。
シャロンが居なくなって不便していたから、喜んで迎えたわ。だって、それまでは使用人が変わるがわる見てくれるけど、視線が歓迎されていないそれだったし。
こういう時、貴族って嫌よね。自分のことは自分でやりたいのに、させてくれないんだから。
あーあ。アレンが女性だったら、湯浴みや支度もしてもらったのに。
でも、アレンはそれを補う以上にとても良く私の話を聞き、アドバイスをくれたわ。
一緒に喜び、時には叱ってくれて。なんだか、私の先生のようだった。まあ、1つ年下だったけど。
アレン。
私、貴方がいてくれたからグロスター家で頑張れるの。いつもありがとう。
これからも、よろしくね。
***
「……ン、アレン!」
「……!?」
とても、懐かしい夢を見ていた気がする。
シエラの声で目を覚ますと、視界が真っ黒だった。
「……え?」
「ははは! 寝てたな。まあ、21連勤目だから仕方ないか」
「あー……悪かった」
頭をあげると、皇帝陛下直属部隊の待機室が視界に入ってくる。周囲を見る限り、机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。
机には、城下町に今度出店予定のアクセサリー屋、香水屋の詳細が書かれた資料が散乱していた。幸いなことに、折れたり汚れたりはしていない。
「僕しか見てないから、黙っておくよ」
「……恩に着る」
ヨダレは……垂らしてない。いや、いつも垂らしてないけど。
それを心配してしまうほど、心地よい夢を見ていた気がするんだ。でも、内容は思い出せない。
はあ、仕事中に寝るとは失態だった。
入ってきたのがシエラで助かったな。他の奴だったら、体裁が保てなかった。
眠気覚ましに頬を叩いた俺は、自席で伸びをして立ち上がる。
今日は、デスクワークが中心だから背中の骨がバキバキだ。肩も目も痛いし、なんなら頭も凝り固まっている気がする。しかし、俺にとってその症状は嫌いなものではない。むしろ、心地良いまである。……って、ドMか!
「にしても、あの鬼の隊長が寝こけてたとか!」
「おい、黙っておくって今……」
「ここだけの話だってこと!」
「……お前、絶対口滑らせるだろ」
「さあ。夕飯でも奢ってもらえれば綺麗さっぱり忘れそうだよ」
「はあ……」
どうやら、今日の夕飯は騒がしいところで食べないといけないらしい。なんせ、こいつは大衆酒場が大好物だから。好きではないが、付き合うしかなさそうだ。
ただし、酒は奢らん。
酔った勢いで、寝ていたことをバラされたらたまったもんじゃあないからな。
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