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アインスも、フォンテーヌ家の一員だったわ

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『さてと』

 私は、アインスと2人きりで寝室にいた。
 と言っても、何もやましいことはないわ。

 聞きたい話が聞けないから、お父様たちを追い出したの。だって、大きなリアクションばかりで一向に話が進まないんだもの。これじゃあ、現状を理解するよりも先にお父様たちの寿命が尽きちゃう!
 私がベッドから動けないため、アインスに残ってもらったの。

『お父様たちがごめんなさいね、と言うべきかしら?』
『ははは! どうやら、君は1年の間に睡眠学習でもしていたらしいですな』
『前の私は、どんな人だったの?』

 彼は、返事の代わりに白湯をくれた。
 本当は、冷たいお水がよかったのだけれど「胃が痙攣してもよろしければご用意します」って。もちろん、断ったわ。
 
 それを1口飲んだのを確認したアインスは、待っていたかのように口を開く。

『以前のお嬢様は、口数が少なく滅多なことで表情を変えないお方でした』
『え? あんな騒が……賑やかな中でも?』
『ふっ、正直で宜しい。まさに、そんな冗談なんか言えばきっと、城中の者がパーティを開催したことでしょう。それほど、物静かで内気だったのです』
『……所謂、何を考えているのかわからないタイプね』
『まあ、そうとも言います。イリヤ曰く「お嬢様は他人に弱みを見せないお方」と。モノは言いようですな』

 なるほど。
 ってことは、この城に居る使用人たちもテンションの高い人が多いのね。覚えておかなきゃ。
 毎日パーティを開催されちゃ、体力が保たない!

 グラスを持っている手が辛くなってきた私は、それをアインスに手渡そうとした。けど、「もう少し飲むまで受け取りません」って。
 結構スパルタだわ。これでも、ずいぶん飲んだつもりだったのだけれど。

『……前の私は、イリヤと仲が良かったの?』
『ええ。むしろ、イリヤ以外の人間を近寄らせなかった。だから、彼女が「お嬢様のために」と言って色々覚えたのです』
『色々?』
『油絵にバイオリン、創作料理……は、ダメだ。食えたもんじゃなかった。が、それ以外は全てベテラン級ですぞ。陶芸にお茶のブレンド、アクセサリー作りに』
『……すごい』
『ただ、本当に彼女の作る食べ物……特に、お菓子だけは口にしないよう』
『どうして?』

 3口飲むと、やっとアインスはグラスを受け取ってくれた。きっと、明日は筋肉痛ね。先ほどから腕が重くて、ピキピキとした痛みを感じるの。……こんな貧弱な身体を見せつけられたら、1年寝ていたって言葉も頷けるわ。

 その痛みを紛らわせるため軽く聞いた質問だったのだけれど、今の今まである程度ニコニコしていたアインスの顔が一気に無表情になっちゃった。どうしたの?

『……あれは食いもんじゃあありません』
『え?』
『これから、レッスンや個別授業など色々なことを学ぶ機会があるでしょう』
『……それとイリヤの料理が何か関係が?』
『ええ。もし、お嬢様がそれらを休みたいと思ったのならば彼女の料理をお召し上がりください』
『……?』
『まず、1口食べるとあまりの不味さに熱を出します』
『……』
『そして、2口目には全身から蕁麻疹が出て身体が食材への拒絶反応を示して』
『……』
『3口目で、完全に気絶できます』
『食べるわけないでしょう!』

 どうして食べると思ったのかしら!?
 だったら、レッスンや個別授業を大人しく受けていた方がマシってもんよ!!

 私が声を張り上げるとアインスは、ケタケタと笑い声をあげながら受け取ったグラスを往診台の上に置いた。完全に揶揄われている気がする。……というか、待って!?

『……貴方、食べたの?』
『はい。お嬢様のために作ったから試食して欲しい、と。料理長、メイド長、執事に旦那様、庭師、そして私。次の日から3日間、全員が寝込みました』
『……カオス』
『ちなみに、同じものをイリヤも食べたのですがピンピンしていましたぞ。いつも通り、お嬢様とお庭で散歩していましたから』

 ああ、アインスが遠くを見ているわ。
 そっちは壁だから、何もないわよ。どうせ遠くを見るなら、窓のある方にしなさい。そっちの方が、目の保養になるから。聞いてごめんなさいね。

 私は、そう心の中で謝罪をする。

『……わかったわ。とりあえず、イリヤはすごいってことが』

 きっと、イリヤ1人で国を制圧できるでしょうね。絶対に作らせないようにしないと!
 そして、なぜ「長」がつく人のほとんどが犠牲になっているのかしら。絶対、狙ってやったとしか思えない。お父様も、不用心なんだから。

『はは。まあ、彼女に悪意はないんです。以前、サルバトーレの野郎がお嬢様の悪口を言った時なんて、イリヤを止めるのに大の大人が3人も必要だった。そのくらい、彼女は本気でお嬢様を慕っているのです』
『……サルバトーレ?』

 イリヤは、しっかりベルのメイドをやっていたみたい。それなら、私が目覚めた時にあんなリアクションだったのも仕方ないわ。許してあげよう。

 なんて思っていると、「サルバトーレ」という新しい人物が出てきた。アインスの表情を見る限り、家の者ではなさそう。ベルの敵とか?

『サルバトーレって誰なの?』
『……』

 でもって、フォンテーヌ家とかなり険悪な間柄だったみたい。なんだか、アインスが答えにくそう。うーん、聞かない方が良かったかな。

 アインスの眉間のシワが深くなる一方、私は居心地を悪く感じて膝にかけてある毛布を少しだけ自分側に手繰り寄せる。そして、「別に、答えたくなければ良いわよ」と口を開こうとした時だった。

『……サルバトーレとは、ベルお嬢様の婚約者になります。ダービー伯爵の嫡男です』
『へえ。まあ、子爵令嬢ですもんね。婚約者が居て当然だわ』
『……そのご様子だと、何も覚えていないようですね』
『何が?』

 私にだって、婚約者は居たもの。こんな素晴らしい髪質を持っているベルは、きっと社交界で話題になっていたに違いないわ。……性格は、まあさておき。

 アインスは、苦虫でも食いつぶしているかのような表情を維持し続けている。……本当に食べてない? 「私が飲んだ水、飲んで良いわよ」って声をかけた方が良い?
 先ほどまで優雅な初老男性だったのに、今はなんだか武装した狼に見える。このままどこかに特攻していきそう。

 なんて言う、私の想像は的を得ていたようだ。だって、

『サルバトーレのクソ野郎が、ベルお嬢様を自殺に追いやった張本人ですよ』

 と、言いながら、アインスは片手に持っていたペンを握力だけで真っ二つにしてしまったのだから。先ほどまで、私の体調記入に使っていたのに。あれは、もう使えないわね。もったいない。

『……そう。とんだ救世主ね』

 一方私は、どんな返しをして良いのかわからなかった。
 だって、私はベルじゃないし。この身体の主の感情なんて、わかりっこない。

 でも、これだけは言えるわ。

『アインス。仮にも伯爵の嫡男を、「クソ野郎」なんて言ってはダメよ。同じ土俵に立ちたくないでしょう?』

 私が軽い口調でそう言うと、アインスは「やはりお嬢様は、睡眠学習でもしていたようだ」って苦笑しながら、壊れたペンを上着の胸ポケットにそっと入れていた。

 その後、私の体調を確かめつつも、アインスはフォンテーヌ家の財政状況も簡単に教えてくれた。本当は教えるつもりはなかったらしいけど、私の頭の回転の良さが気に入ったようでね。
 財政危機を乗り越えるための伯爵家との婚約だったこと、地方行政の官僚のお仕事がうまく行っていないこと、そして、城を維持できるだけの財産があまりないことまで。この寝室が、子爵令嬢という立場にしてはシンプルだった理由がわかった。

 正直なところ、今の私が絶望するような話は何一つなかった。むしろ、ホッとしちゃった。だって、お金を奪い合うことはないってわかったから。
 それに、こんな温かい人たちが出迎えてくれたわけだし。

『……教えてくれてありがとう』
『いえ。これくらいでしたら、いつでも』

 アインスもホッとしてるみたい。私が怒るとでも思ったのかしら?

 それよりも、ベルは「クソ野郎」に何をされたの? 私には、そっちの方が気になる。
 自殺するほどショックなことって何?

『お嬢様』
『なあに、アインス』
『私は、フォンテーヌ家の住み込み主治医です』
『ええ、とても優秀な主治医だわ』
『お嬢様……なんと光栄な』
『事実ですもの。それより、何か?』

 ああ、そろそろ身体が重くなってきた。それに、なんだか瞼も重い。
 ベルの身体は、起きているだけで体力を使うのね。まあ、1年も眠っていればそうか。
 これって、どのくらいで回復するのかしら。ずっと、こんな感じだったら不便極まりない。

 とりあえず、アインスの言葉だけは聞かないと。何を勿体ぶっているの?
 早くしないと、私寝ちゃうわよ。ほら、コクコク頭が重くなってきたもん。

『お嬢様、色々お忘れになって不安かと存じます。ですが。……ですが』
『……』

 そんな半分眠りに入ろうとしている私に、アインスは真剣な表情で両手を掴んできた。そこからは、人のぬくもりって言うのかな。なんだか、とても心地よい温かさを感じる。

 びっくりして顔をあげると、まるで神父のように優しく微笑むアインスと目があった。

『何があろうとも、このフォンテーヌ家、使用人全員はベルお嬢様の味方です。それだけは、どうぞ頭の片隅にでも良いので覚えておいてください』
『……』
『聞きにくいことや思い出したことがあれば、この老ぼれ主治医になんでもおっしゃってください。お嬢様のためになるのでしたら、このアインスが助言もいたしましょう』
『ありがとう、アインス』

 その言葉で、眠気が吹き飛んだ。

 この優しさは、本物よ。
 だって、シャロンやアレンと同じものを感じるから。とても、心地よくて懐かしいわ。
 最後にアレンの手を握ったのはいつだったかな。思い出せないけど、その温もりだけは覚えている。

『じゃあ、早速だけど教えて欲しいことがあるの』
『ええ、なんでも。財政状況を詳しくお教えしましょうか? それとも、家系図、官僚のお仕事。そうそう、お城の案内や使用人の紹介も。ああ、車椅子が必要ですな。それとも』
『あ、えっと。それらは追々……。私が聞きたいのは違うのよ』
『お嬢様の身体は、栄養不足なだけです。食事と睡眠、そして太陽の光を浴びていれば徐々に』
『そ、そうね。ありがとう。……じゃなくて! えっと』

 ああ、みんなよりは結構落ち着いてるなあってアインスのこと関心してたんだけど、やっぱりフォンテーヌ家の一員だわ。イリヤも彼も、どこかで早口の練習でも受けているのかしら。まあ、彼女のように大きな声を出さないだけまだマシだけど。

 私は、掛けていた毛布の端をギュッと握る。
 ちょっと聞くのが怖いけど、聞かないと始まらないものね。わかってるわ。ほら、深呼吸して。

『……私が知りたいのは、今が何年なのかってことなの』
『へ!?』
『何年の何月なのかってことを知りたいのよ』

 私が尋ねると、「もっと重要な話を聞きたがっているお顔でしたよ」と大笑いしながら、アインスは答えてくれた。


 ……アリスが毒を飲んだあの日から5年経った日付を、アインスは教えてくれたの。



***



 皇帝陛下直属部隊の待機室にて。
 俺は、いつも通り剣の手入れに励んでいた。すると、そこに同じ隊の奴らが数人入ってくる。その中には、幼馴染で副隊長のシエラもいた。なんだか、騒がしい。

「……なんの騒ぎだ?」
「聞いてくれよ、隊長。フォンテーヌ子爵の令嬢っ子を知ってるかい?」

 騒がしい1人であるシエラに肩をどつかれながら、そんなことを聞かれた。
 こいつ、人は良いんだけど力加減ってものを知らないんだ。全く、俺じゃなければ骨の1本や2本は折れてたぞ。

「……フォンテーヌ子爵と言えば、ダービー伯爵家の婚約者の」
「そうそう、あの物静かな美女! はあ、オレも一度で良いからお会いしたいよ」
「私も会ってみたい。あの美しい銀髪……1本で良いから欲しい!」
「もらってどうすんだよ」
「決まってら。自室の窓辺に飾る!」
「それは引くわ」
「んだとぅ!」
「……で、その美女がどうしたんだ?」
「そうだよ、聞いてくれよ」

 俺は、シエラたちの話を聞きながら砥石で整えた剣を光にかざす。

 女はもうたくさんだ。
 どんなに美しかろうが、俺に取ってはその辺の石と変わらない。

「おい、聞いてんのかよアレン隊長!」
「聞いてる聞いてる」
「絶対聞いてない!」

 俺、アレン・ロベールは、返答しつつも午後の特訓メニューについてどうするのかを考えていた。
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