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5:心優しいキメラ少女、サツキ

05-エピローグ①:七ツの因果律が彼女を飲み込む時

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 悲劇とは、日常が重なって起きるもの。始めのうちは、それがいつもと変わらないもの故誰も気づかない。しかし、気づけば光の見えないどん底まで一気に突き落とされるのだ。それは、偶然でも何でもない。
 ボールが坂から転がり落ちるように、必然的に起こるひとつの事象なのだ。


***



 ナイトメアが、黒世で『七ツの因果律』を……キメラの禁断書を手に入れてしまった。
 研究に勤しむマッドサイエンティストの手に渡ってしまえば、あとはどうなるのか子どもでもわかるもの。その組織で、人を人と思っていないような人物がいたのも、悲劇の始まりだったのかもしれない。

「ふふ、存分に活用してあげましょう」

 名は「八代」。
 彼は、とにかく研究が大好きだった。その大義名分があれば、人を人として扱わなくて良いという思考を持ち合わせた人物だった。
 八代は薄暗い部屋の中、少々重みのある禁断の書を大切なもののように抱きかかえると、誰もが怯えてしまうほどの笑みをこぼしてくる。

 ここは、彼専用の実験室。
 いつの間にか血と薬剤の臭いが入り混じり、組織の人も滅多に寄り付かない場所になってしまった。しかし、彼にとっては都合が良い。人を切り刻む度、白い目で見られていたのだからそれがなくなればもっと楽しいことができるのだ。彼にとって、そこは楽園のような場所だった。

「私が、もっともっと精度の高いキメラを作ってみせます」

 彼は、絶対に嘘はつかない性格だった。


***


「サツキ、こっち!」
「待ってよ、カイト。走りすぎて疲れた」

 サツキは、同じ組織に属しているカイトと一緒に午後の散歩へと出向いていた。暮らしている施設の隣にある大きめの森林は、他の子どもたちの遊び場になっている。彼女たちも例外なく、よくこの辺りで日向ぼっこしたり涼んだりしていた。
 今日は夕飯まで何も予定がない。だから、夕方に戻れさえすればあとは何をしていてもよかった。周囲は鉄格子のようなもので囲われているので脱走はできないにしても、だ。

「早く早く!」
「もう!」

 カイトのはしゃぎ顔を見たサツキは、悪態をつきながらもまんざらではない様子。むしろ、こんなに話せる人と一緒にいることが幸せで仕方がなかった。
 明日も明後日も、ずっとずっと、彼と一緒に居たい。そう、願ってしまうほどカイトに夢中になる自分が居た。それを、隠せているのかどうかが、最近の悩みらしい。

「なんなの、カイト。急に走って……」

 息を切らして声を発するも、それは最後まで続かなかった。疲れたからではない。目の前に広がる光景に息をのんだためだ。

「……すごい」
「でしょ?昨日の夜見つけてさ」

 サツキの驚愕した表情を見たカイトは、得意げな顔を披露する。
 そこには、幻想的な花畑が広がっていた。白い花を中心に、赤、黄色、ピンクと様々な花が気持ち良さそうに風に揺られている。

「ほら、サツキの好きなねじり花もあるよ!」
「……」

 その花は、彼が初めてプレゼントしてくれたもの。
 綺麗なピンクの小さな花を指差し、カイトが顔をのぞいてくる。しかし、サツキは感動したのか話せない。

「……サツキ?」

 そんなサツキを心配してか、カイトの表情が少々暗くなる。そして、それは見る見るうちに慌てふためく表情へと変わっていく。

「サ、サツキ!?」

 サツキは、泣いた。
 こんな綺麗な景色を見たことがなかったから。そして、この景色を共有しようとする人もいなかったから。
 今、目の前でオロオロとしている彼がいなければ、こんな景色を見られなかっただろう。それは、彼女にとって大きな変化だった。

「……綺麗。すごく。すごく、綺麗」
「……へへ。絶対最初に、サツキへ見せようって思ったんだ」

 彼は、夜行性だった。夜目も効くらしく、よく夜中に部屋を抜けて遊びに出かけているらしい。しかも、一度も大人に捕まったことがない。それが羨ましいのだが、どうしても夜は眠くなって起きていられないのだから、仕方ない。

「ありがとう、カイト」
「……これからも、この景色見に行こうね」
「うん、うん!また一緒に見に行きたいな」
「約束だよ」
「うん!」

 そう言って約束を交わした2人は、手を繋ぎながらその景色を目に焼き付ける。


***


 それから1ヶ月が経とうとしていた。
 八代の保有する実験室に、少年の……怒り狂ったカイトの叫び声がこだまする。

「やめて!お願い!!!」

 カイトは、組織の人間に羽交い締めにされても、それに争うように今まで出したことのないような大きな声で「それ」を主張した。

「お願い、お願い!!!僕がやるから!僕が代わる!だから」

 目の前には、目を虚ろにしてベッドに腰掛けるサツキの姿が。その隣のテーブルには、大小様々な水色と透明に光る美しい石……蛍石が無造作に置かれていた。
 そして、お願いをしている対象の人物……八代の手にはレンジュの禁断書である『七ツの因果律』が握られている。これから起こることを聞いたカイトは、怒り狂って大人へと感情をあらわにした。しかし、

「カイトくんは適性なしだったんですって」
「でも!だからってサツキに……やめて!お願いします!!!」
「21号には適性があるんです、20%。通常は5%もないのに、これはすごいことなんですよ」
「違う、21号じゃない!こいつは、サツキだ!」

 大人はなんとも思っていないらしい。淡々と、禁断の書を読み漁りながら目の前で瞳を虚ろにする彼女の頭を撫でている。

 カイトは、大事な彼女がキメラ実験の被験体に選ばれたと聞いた。そのために連れてきた子どもだったということも。しかし、それが納得する理由になることはない。
 キメラの実験は、死に直結するもの。何度も失敗し人間の形を失った「もの」を見てきているカイトには、許せなかった。これからも一緒に笑い合う彼女を犠牲にすることだけは、どうしても許せなかった。

 いくら目の前で嬉しそうに力説されても、80%は失敗するという事実は変わらない。
 失敗すれば、もう生きて彼女には会えない。そんなの、許せない。やっと心を通わせられた彼女とこんな最期を迎えることなど、カイトは許さない。

「嫌だ!やめて!!サツキ!サツキ!」

 カイトが懸命に彼女の名前を叫ぶも、本人は聞こえていないように前を見続けている。
 それもそのはず。今のサツキは、八代特製の麻痺薬をその身体に入れられている。大人用のそれは、彼女の小さな身体によく効くのだ。

「カイトくんと仲が良いって聞いていたので呼んだのですが、嬉しくなかったですか?」
「ふざけるな!ふざけるな!!!」

 八代は、本気でそう聞いていた。本気で、カイトが叫んでいる理由をわかっていない。
 こんなやつに、大好きなサツキの身体をいじられてたまるか。その一心で、言葉を叫び続ける。

「人間じゃない……!お前は!人間の皮を被った鬼だ!」
「吸血鬼に鬼と言われるのは光栄ですねえ」
「…………」
「今まで自由にしていた分、ですよ?」

 目の前にいるのは、本当に人間ではないのかもしれない。
 吸血鬼であるカイトは、それを言われてしまえば何も言い返せなくなってしまう。そうなのだ、自身も人間ではない。だからこそ、組織にいられるしこうやってキメラの実験にもされない。
 しかし、彼は確信している。こんな酷なことを平気で口にして実行しようとしている彼は、人間じゃない、と。吸血鬼以下だと。大人に押さえつけられこの光景を見せられている彼には、そうとしか思えなかった。

「八代さん、そろそろ。後がつかえています」
「そうですねえ。じゃあ、始めましょうか」
「サツキ!逃げろ!サツキ、サツキ!聞こえるか、僕だ!カイトだ!!」

 組織の人間に引き摺られるように彼女との距離がとられていくも、幼いカイトの力だけではどうもならなかった。瞳を真紅に染め吸血鬼の力を発動させても、大人数人に取り押さえられれば何もできない。

「……」

 サツキは、相変わらず何も見えていない瞳で前を見据えている。いくらカイトが騒いでも、彼女には届いていない様子。

「21号。横になれるかな」

 だが、八代の声は聞こえるらしい。小さな身体が、その指示に従ってゆっくりと腰掛けていたベッドへ横たわる。

「……っ」

 その表情は、無だった。何も感情がない。
 こんなサツキを、カイトは知らない。最近、よく笑うようになった彼女は、もうどこにもいない。

「サツキ!サツキ!!お願いだ、目を覚まして!サツキ!!!」

 懸命な叫びも虚しいものでしかなかった。
 カイトはその声を最後に、押さえつけられていた組織の人間に後ろ首を取られて気絶してしまう。

「すみません、うるさかったもので」

 と、八代の方を向きながら攻撃した本人が謝罪を入れている。

「いいよ、許す」
「ありがたきお言葉」
「じゃあ、始めるね」
「はっ」

 組織の中でも、トップに位置する八代に従う人間は多い。むしろ、尊敬されていると言っても過言ではない。そんな大人がいる中、カイトがいくら暴れようにも痛くも痒くもない。だからこそ、ここに呼ばれたのだ。

 カイトは、気絶してもなお組織の人間複数人によって取り押さえていた。
 吸血鬼は気絶時間が短い。それを知られているからこそ、その辺に放っておくわけにはいかないのだ。

「七ツの因果律、解放」

 それとは対照的に、特に何にも縛られていないサツキへ、呪文が書かれた禁断書のページを開き手をかざす八代。その顔には、恍惚とした一種の快楽が浮かぶ。
 彼の身体を中心に光が発せられると、それに応えるよう周囲に散りばめられていた蛍石も一斉に光り出した。

 すると、その光に反応するように、無表情だったサツキの瞳に光が宿る。
 誰かが、自身を呼んでいた気がした。その人物は、彼女が知る限り1人しか知らない。

「……カイト?」

 それが、人間だった彼女の最期の言葉になった。


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