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5:心優しいキメラ少女、サツキ
9:金魚玉から飛び出た人魚は自由を手に入れる④
しおりを挟むユキは、瞳孔を見開き目の前の狼と向き合った。
その身体から発せられる「殺気」は、瞬時にサツキを動けなくしてしまう。それが彼女に向いていないとしても、同じ空間にいるだけで膝をついてしまった。その地面には、恐怖で失禁したのか色を変えて濡れている。
「……なん、なの。あなたは」
「さあ。バケモノかもね」
「……」
「……」
その殺気に動けないのは、風音も同じだった。サツキのように膝を折りはしないが、今「動け」と言われてもきっと難しいだろう。彼自身、震える膝を抑えることで精一杯だった。
「おいで、狼さん。俺が遊んであげる」
ユキがそう優しい声で言うと、すぐに狼が急所を狙って噛み付いてくる。
それを腕で止め、戯れるように転がるユキ。側から見れば、それは本当に「遊んでいる」ように見えた。しかし、彼の出す殺気、噛み付かれた箇所から滴る血が遊びではないことを教えてくれる。
「あ、まの……」
「大丈夫、俺がやる」
せめて回復で援助しようとするも、ユキの手が静止してくる。手は出すな、と言うことか。為す術もない風音は、固定されたかのように動かない足をさすり感覚を取り戻す。
その間も、ユキは血だらけになりつつも狼と戯れ合っていた。今にでも笑い声が聞こえてきそうなほど、それは楽しそうに思える。取り出したナイフを使わず、ただただ狼と向き合う彼は、何を考えているのか。
「もっとおいでよ、遊ぼうよ」
とはいえ、やはり殺気は消えない。ユキは、鋭い雰囲気を発しながら狼の動きを1つ足りとも逃さないよう息をすることも忘れて身体を動かした。それへ応えるように、狼が遠吠えや噛みつきを繰り返す。その牙は、ユキの両腕に止まらず腹部や足にも向けられた。
「みんな……」
サツキから見ても、狼は楽しそうにしている。その光景を見た彼女は、涙を流していた。人間だった頃の面影を探しているのか、必死に狼の顔を目で追っている。
しかし、ユキを犠牲にした時間は、長くは続かなかった。
「楽しめたかな。……これ以上は遊んでやれないよ、ごめんね」
全身を噛み跡だらけにしたユキは痛みを感じていないのか、優しく……本当に優しそうな表情でそう言った。そして、地面にポツポツと血を滴らせながら持っていたナイフを構えた。
「安らかに。また来世一緒に遊ぼうね」
「……!天野、やめろ!!」
何がしたいのかに気づいた風音の絶叫が、フィールドに響き渡った。
しかし、ユキは止まらない。
「ごめんね、今楽にしてあげるから」
ユキは、わかっていた。
この姿になってしまえば、もう人間に戻れないことを。すでに、獣としての意識しか残っていないことを。そして、彼らに残された道が「死」のみであることを。
身体の大きさからして、彼らは本来のユキとさほど変わらない年代の子供だったのだろう。キメラの実験は、子供の方が成功率が高い。
この子供たちは、どんな顔して笑っていたのだろうか。どんな人生を歩んできて、これからどんな人生を歩んでいく予定だったのだろうか。……こんな姿になることへの意思はあったのだろうか。考え出したらキリがないことが、ユキの頭の中に次々と思い浮かぶ。
「やめろ、天野!罪のない人を……子供を殺すな!」
「人じゃないよ。もう、人じゃないんだ。先生」
「やめろ!お願いだ!やめてくれ!!!」
しかし、風音はユキの殺気によって動けない。動かない足を地面につき必死に前へと進もうとするが、それはただのあがきにしかならない。それに、魔法を使えるほど、彼の精神は安定していなかった。
その言葉を無視したユキは、目の前で不思議そうに、「まだ遊ぼうよ」と問いかけてきているような狼5匹を……いや、5人を一気にナイフで切り裂いた。
「あ、ああああ!!!やめろ、天野!!!」
狼の動脈を切り、次は手足、心臓部分を切り刻むようにナイフを滑らせる。その動きは、いつも暗殺をしている時と変わらないもの。きっと、痛みを感じる隙もないだろう。
それでも、風音は叫んだ。目の前で、罪のない子供が殺されているのがわかっているから。
彼は、キメラについてどこまで知っているのだろうか。ユキがそう考えるも、今は別のことに集中しないといけない。癒えない傷を抱え、必死に腕を上げて狼を切り刻んでいく。
そして、最後の1人の首を片手で掴むと、素早く真っ二つに引き裂いた。
「ーーーっっっっっ!!」
ブシュッっと真っ黒な血があたり一面を覆うように飛び散ると、それを見た風音が嗚咽とともに地面に向かって嘔吐した。動けない、そして、助けてあげられなかった自身を呪い、何度も何度も嘔吐を繰り返している。
「……先生、大丈夫?」
全員息が止まったことを確認したユキは、殺気を消しナイフをしまい風音に近づいていく。いまだに止血されていない身体から、点々と地面に血を垂らしながら。
それでも、彼を心配して背中をさすろうと手を伸ばしたが、
「近づくな、人殺し!!!」
それを、大きな声で拒絶する風音。今までに聞いたことがないような罵声が飛んできた。
しかし、ユキにはその態度になることをわかっていたのだろう。少しだけ悲しそうに笑うと彼から離れて、フィールドの端で放心状態になっているサツキへと近づいていった。
「ね、俺は強いよ。精神的にも、物理的にも。きっと、君の組織が束になっても勝てない存在だと思う」
「……」
既に、先ほどのような傲慢な態度はない。今の戦闘で、完全に戦意消失したらしい。ただただ、目の前でピクリとも動かない狼たちに視線を向けていた。そんな彼女の頭を掴むユキの手は、青色の光に包まれる。
「それでも、君の「先生」に媚び売って俺と対立する?」
「……っ!」
それは、記憶を読み取る魔法。今、ユキは彼女の記憶を読み取り、なぜここにきたのかを探り当てた。どうやら、彼女を作った「先生」と、「リーダー」の指示らしい。
その言葉で、初めてサツキに人間らしい表情があらわれた。眉間にシワを寄せるが、瞳に光が戻り赤面している。
「ここにいる人も先生なんだけど、君の言う「先生」みたいに君の身体は貪らないよ。それは保証する」
「……」
「これからも、「先生」に身体を預ける?嫌悪する薬を身体に入れて、自我をなくして戦う?」
「……っ」
「君の友達を殺すような、君の小さな身体を弄ぶような人間と、これからも身体を重ねる?」
「いや、いや……やめて。言わないで」
読み取り魔法によって手に入れた情報をつらつらと読み上げる度、サツキは置かれている手を振り払うように頭を抱えて首を振り続ける。その行動は、事実を聞きたくないのか、否定したいのか。
それを確かめるため、ユキは震えて縮こまる彼女の胸元に素早く手を入れた。
「あっ……!」
「思ったより温かいんだね、蛍石」
すると、サツキの顔がすぐに快楽へと変わっていった。頬に赤みがさし体温が上昇しているのが、触れているユキにも伝わってくる。
それを確認すると、彼女の耳元で
「君が望むなら、俺も男だから君の中に欲しいものあげられるよ」
と、甘い言葉で呟いた。すると、全身をビクッとさせそれに応えるようにすがりついてくる。
ユキは、その間何かを探すかのように蛍石全体を優しく撫で上げながら難しい顔をしていた。すると、
「ん、うぁ……っ」
「ここか。サツキちゃんは、可愛いね」
「あ、あ、……そこ、や」
「今、楽にしてあげるからちょっと待ってて」
「ん……。ん、ん」
石の真ん中を撫で上げると、彼女の声が一段と高くなりその瞳からは涙がこぼれ落ちた。どうやら、ユキが探していた箇所のようだ。すぐさま、先ほど出した青よりも淡い色の光を宿らせながら、愛撫を続ける。
「……」
嗚咽の治った風音は、その様子を静かに見ていた。視線は、2人ではなくサツキに向いている。
風音も、今ユキが放っている光と似たものを彼女に向かって発動させた身だ。その胸に光る石を取り除こうとした魔法に類似したそれは、彼女を自由にさせようとしているもの。それに気づいた風音は口元を袖で拭い、すぐさま立ち上がった。幸い、足は動く。
「天野、お前……」
キメラは、飼い主が必要な生き物だ。元々うまくいかない感情のコントロールをするため、魔法で誰かと繋がっていないといけない。その繋がっている人物とは、絶対的な主従関係が成立する。故に、この見えない鎖を切らないと彼女はずっと組織の言いなりなのだ。
それを知っているユキは、彼女の石を通して組織との繋がりを切ろうとしていた。
「……サツキ」
風音は、そのまま2人に……気持ち良さそうに顔を歪めているサツキに近づくと、落ち着いたいつもの声で名前を呼んだ。真剣さのにじみ出ているその声に、快楽に溺れきっていたサツキが意識を取り戻し目線を合わせてくる。
そのタイミングで、ユキは蛍石から手を離し一歩だけ下がった。手に宿っていた光が消えたということは、組織との繋がりを切断できたのだろう。
「サツキ。……組織じゃなくて、オレのところ来ない?」
「……?」
「オレと一緒に暮らそう。全部面倒見るから」
地面に膝をつき彼女の手を握ると、その瞳からは快楽とは違う別の涙が流れ出した。意味を理解したのか、目を見開いて綺麗な涙をホロホロ溢しはじめる。
「オレは、君の嫌がることをしない。ちゃんと向き合って、君を理解したい」
「……」
「本当は、争いごとが嫌いなんでしょ?誰かが傷つくのを見るのが嫌なんでしょ?見ててわかるよ、無理してるの」
「……嫌い。私は……誰も傷つけたくない」
「わかってるよ。もうそんなことさせないから」
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
かけた言葉によって嗚咽するサツキを抱きしめると、応えるようにしがみついてきた。風音は、それを取りこぼさないように力強く抱き返す。
すると、サツキの身体に異変が。
「……やっぱ、こっちが本当の姿なんだね」
彼女の身体は、縮んで子どもの姿になった。小さい肩から少々伸びてしまった服が滑り落ち、蛍石がさらけ出される。それは、今まで見た光の中で、一番温かく輝いていた。
「……」
それを一歩引いて見守るユキ。
サツキの泣き声を黙って聞きながら、しばらくの間風音の少し安心した顔を見て微笑んだ。
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