黄昏に舞う戦乙女

Terran

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【天を見上げる戦乙女】

第043話

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 考えるまでもなかった。
 ヨルドは二人乗りとはいえ戦馬の全力疾走にすら追い付いた脚力を持っているのだ。
 いくらセレンが法力で強化した筋力で走ろうとも逃げ切れるようなものではない。

〈逃げるナアァァァッ!〉
「(それは無理!)」

 それでも捕まらないのは、走りやすい道よりも森の中を優先して駆け抜けているからだ。
 セレンは森の中での追走劇でなら捕まらない自信がある。加えて今は深夜帯。雲で覆われた月の見えない夜で視界はかなり悪かった。
 それでもヨルドはセレンを見失う度に足を止めて目を瞑り、何かを感知して辿ってくる。

〈出て来ォいイィィィッ!〉
「(おかしい。一番おかしいのはこのヨルドだ。デカいのに速い、それはおかしい)」

 セレンは一度は逃げ切れたと思って中断していたヨルドに対する考察を再開した。
 この分では逃げ切るのは難しいだろう。
 不可能ではないかも知れないが、ヨルドが諦めない限り終わるまで何日掛かるか分からない。

〈絶対に許さないイィィィ!〉
「(蜘蛛の魔物だって魔物という点を差し引いても、デカくなって元の大きさの俊敏性は失われている。例え魔物でも大きくなったら同じ比率で動ける訳が無い。そんな事ができたら不自然だ)」

 迫るヨルドの突進はちょっとやそっと回り込もうとしても攻撃面積の広さから躱しきれないのは明白。
 なまじ全力疾走して躱しきれたとしても、元の速度差から第二波で詰んでしまう。

〈逃げても無駄ダァァァァ!〉
「(ヨルドは異常だ。人間がそのまま大きくなったみたいに俊敏に動き回っても、まるで動きに不具合が無いように観える。こんなのに襲われたら、そりゃ軍隊でも魔物の群でも簡単に蹴散らされる)」

 死中に活。セレンは敢えて迫りくるヨルドを迎え撃つ進路を取って加速。
 纏う法力を一際輝かせた瞬間にパッと消す。
 視覚のトリックを使って姿をくらまし、方向転換から斜めに交差するように離脱した。

〈俺はもうお前を憶えたァァァ!〉
「(巨人族って何だ。皆ヨルドみたいに人間の比率のまま巨体になって蹂躙出来るの? そんな馬鹿な話があるか! もしそうなら地上はとっくに巨人族が支配してなきゃおかしいだろ…)」

 セレンを見失ったヨルドは急停止して佇み集中するように項垂れて、暫くすると何かを察知して逃げたセレンの方角へと視線を向けた。
 どうあっても逃がすつもりは無く。前傾姿勢を取ると法力の爆発で初速の推進力を得て猛進する。

〈俺は獲物を逃がしたことが無いイィィィ!〉
「(コイツだ。きっとヨルドだけがおかしいんだ。だから大勇士《ネームド》に選ばれた。…そうだ、このヨルドの二つ名は何だった…?)」

 しつこく追ってくるヨルドをチラリと観て顔をしかめる。

「『フレイムピラー』」

 視界さえ奪えれば十分と考えて時限式の炎柱を飛び込んだヨルドの目の前で吹き上がらせる。
 そのタイミングで方向転換。
 とにかく対策を考える時間の確保を優先し、あわよくば逃走も狙う。

〈敵は殺オォォォす!〉
「(そうだ。確か“狂奔”ヨルドだ…。狂奔か、それが『法技』と関係していてるのは明白だ)」

 敵の張った罠地帯の一つにでも誘い込もうかとも思ったが、あの巨体に通じそうな物は無さそうだったと思い返して断念。

〈ズルくて汚い法士も殺オォォォす!〉
「(“星石”アグラーハは星を落とした。“剣墓”ベルガンは巨大な剣を大地に突き立てた。なら“狂奔”ヨルドはどんな『法技』なんだ…?)」

 走りながら水筒を取り出して一口飲んでは走り。
 冷静に地図を取り出して現在地を確認する。

〈悪い敵の法士は殺して殺オオォォォォすッ!!〉
「(もしアタシの推測が正しいなら、コイツの『法技』は…)」

 置き法撃で迫るヨルドの視界を潰し、足元を崩し、破壊した岩や木々を障害物としてばら撒く。

「(えっと、地図によれば現在地がここだから…。はぁ~…、参ったわね。アタシ、命を懸けるなんて馬鹿な真似はしたくないんだけど…)」

 思い付いてしまった方法に自ら呆れながら、進路を変更するのだった。



◇◆◇



 セレンとヨルドの追走劇が始まってどれだけの時間が経っただろうか。
 セレンの息はだいぶ辛くなってきていた。

「『ダークミスト』」
〈そこだァァッ!〉

 何度目かの黒い霧による視界封じはヨルドの躊躇いのない突進であっさりと突破される。
 もはや目を開けてすらいない。

「『ブラスティングレイ』」
〈無駄アァァァ!〉

 セレンの向けた二本指から放たれた熱線は、一度上手く直撃させた時に効かなかったのが分かってからは避けもしなくなった。

「ハァ…ハァ…。これでも、くらっとけ…ッ!」
〈ハハッ、効かない効かなァァいッ!〉

 青く輝く投槍はヨルドの纏う分厚い法力の鎧に阻まれて弾かれる。長時間の法力維持でバテないものかと期待したがまるで効いていない。

〈女ァァァ! 追い付いたぞォォォッ!〉

 ヨルドの勢いは些かも減衰せず距離を詰める。

「ハァ…ハァ…。せめて、馬に乗ってれば…、逃げられたんだけどなあ…」

 それでも諦める訳には行かない。
 荒い息使いで腹の底に力を込めて法力を引き出す。

〈逃げても無駄アァァァ!〉
「『ダークミスト』!」

 法力を多く込めて黒い霧が一気に広がる。
 振り返らずに脚力を強化して全力疾走!

〈ハハッ、追いかけっこは終わりイィィィッ!〉

 一瞬屈んだヨルドは法力を爆発させて跳躍。
 一気にセレンとの距離を縮めて両腕を伸ばす。

「そ・れ・は・どうかな~?」

 クルリと振り返ったセレンの顔は、笑っていた。
 目を瞑っているヨルドにはそれが見えていない。

〈なっ? 飛び降りてる、だとォッ! 何で、何でッ?!!〉

 急な浮遊感に違和感を覚えて目を開けたら、ヨルドはセレン共々崖へと飛び込んでいた。

「なーに驚いた顔してんの。まともにやっても殺せないから、この方法を選んだだけよ」
〈駄目だッ! 駄目だッ! そんな死に方は赦さないィィィッ!!〉

 あまりの事に思考が追い付かず、半狂乱になって空中でジタバタともがいて叫ぶ。
 咄嗟に法力で減速を試みるが焼け石に水。
 空中ではそれ以上の推進力が得られずセレンを掴むこともままならない。

〈お前は俺を馬鹿にしたァッ! 戦士の宣誓を侮辱したァァァッ! 卑怯な手で神聖なる決闘を汚したァァァッッ!!〉

 混乱し慌てふためきながらも怒りと殺意で顔を歪めるヨルドの様子を観ながら、セレンは何が可笑しいのか嘲るように嗤い…。

「『スカイウォーク』」

 突如減速して空中落下を止めた。
 一人落ちるヨルドはまた騙されたのだと悟り、遂に怒りが頂点に達した。

〈殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!!!〉
「はいお疲れさん。下の蜘蛛によろしくね~」

 昏い崖の底を観たヨルドは、そこで蠢く赤黒い絨毯が無数の蜘蛛の群であると地表間際に認識して。

 直後に轟音を立てて墜落した。





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