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番外編3
ひとでなしのこい④
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「何か用か?」
初めて感じる胸の痛みにどうしていいか分からず、迷子の子供のように立ち尽くしていた家康の耳に、何の抑揚も無い平坦な声が響く。
はたと顔を上げると、バチリと黒い瞳と目が合った。
先程まで物憂げな様子で庭先に向けられていた忠勝の瞳が、いつの間にかこちらに向けられていたのだ。
陽光を浴びて反射するその奥に覗いた瞳の色を見て、家康は表情を失くした。
あんなにもどろどろとした熱を孕んでいた瞳からは、今や一切の温度が消え失せ、ただただ真冬の湖水のように冷え切った瞳が家康を見つめていたからだ。
これが、家康に向けられる忠勝の瞳。そして先程の狂おしいまでの熱い眼差しは、きっとどこか遠い場所にいる彼の想い人に向けられた瞳――。
全身からざあっと血の気が失せていくのを、家康はどこか他人事のように感じていた。
「聞いているのか?」
忠勝の問いかけに、家康が我に返る。
相変わらず、何の感情も窺えない忠勝の顔。しかし、ほんの僅かに眉根が寄せられている事から、もしかしたら彼は苛立っているのかもしれないと家康は感じていた。
「あ……いや、えっと」
乾いた舌が縺れて、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。焦れば焦れるほど、挙動不審になる自分の様子に、家康の焦燥が益々加速していく。
「ちゃんと、聞いてる」
忠勝にそう返すが、こちらはまるで蛇に睨まれた蛙。
逸らされる事の無いチリチリとした忠勝の強い視線を感じて、しどろもどろな家康は、段々と俯いていく。やがて、何も言葉を発する事が出来なくなり、下を向いたまま真新しい自分の下駄の鼻緒の柿色を見ること以外、出来なくなった。
家康は、忠勝の視線が苦手だった。
別にこれといって何かをされたわけではない。されるどころか、そもそも殆ど話もしたことのない相手だ。夫とはいえ、街ですれ違う赤の他人とさほど変わらない。
だがしかし、家康は初めて会った時から、忠勝の視線が妙に苦手だった。まるで自分が標本ケースの中の昆虫にでもなってしまったかのように、両の手足を雁字搦めに張り付けられて、家康の一挙手一投足、そのすべてを監視されているかのような、得体の知れない恐怖を感じてしまうのだった。
だから家康は、忠勝に見つめられると、上手く動けなくなってしまう。
それからどれくらい経っただろうか。
随分長い時間だった気もするが、ずっと感じていた忠勝の視線がふいと逸らされたのを感じた。そして、聞こえてくる溜息。
呆れられた。
柔らかな手の平に爪が食い込むほど強く、家康が拳を握る。
「そんなに俺と話をしたくないなら、もういい」
「別にっ、話したくないわけじゃ!」
思わず声を荒げた家康の肩が、びくりと竦む。
既に家康への興味を失った様子の忠勝は再び庭の方に視線を移しており、だがその横顔は酷く不機嫌そうで、完全に家康を拒絶しているように見えた。
家康の瞳が、じわりと滲んでいく。みるみる間に水分の膜を湛えた大きな瞳から、ぽろりと雫が落ちる直前、家康は忠勝に背を向けて駆け出した。
鼻の奥がツンと痛い。
裏庭の片隅に辿り着いた家康は、深緑色の袴が汚れるのも構わずその場にしゃがみこむと、後から後から溢れてくる雫をそのままに、声を押し殺して泣いた。
初めて感じる胸の痛みにどうしていいか分からず、迷子の子供のように立ち尽くしていた家康の耳に、何の抑揚も無い平坦な声が響く。
はたと顔を上げると、バチリと黒い瞳と目が合った。
先程まで物憂げな様子で庭先に向けられていた忠勝の瞳が、いつの間にかこちらに向けられていたのだ。
陽光を浴びて反射するその奥に覗いた瞳の色を見て、家康は表情を失くした。
あんなにもどろどろとした熱を孕んでいた瞳からは、今や一切の温度が消え失せ、ただただ真冬の湖水のように冷え切った瞳が家康を見つめていたからだ。
これが、家康に向けられる忠勝の瞳。そして先程の狂おしいまでの熱い眼差しは、きっとどこか遠い場所にいる彼の想い人に向けられた瞳――。
全身からざあっと血の気が失せていくのを、家康はどこか他人事のように感じていた。
「聞いているのか?」
忠勝の問いかけに、家康が我に返る。
相変わらず、何の感情も窺えない忠勝の顔。しかし、ほんの僅かに眉根が寄せられている事から、もしかしたら彼は苛立っているのかもしれないと家康は感じていた。
「あ……いや、えっと」
乾いた舌が縺れて、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。焦れば焦れるほど、挙動不審になる自分の様子に、家康の焦燥が益々加速していく。
「ちゃんと、聞いてる」
忠勝にそう返すが、こちらはまるで蛇に睨まれた蛙。
逸らされる事の無いチリチリとした忠勝の強い視線を感じて、しどろもどろな家康は、段々と俯いていく。やがて、何も言葉を発する事が出来なくなり、下を向いたまま真新しい自分の下駄の鼻緒の柿色を見ること以外、出来なくなった。
家康は、忠勝の視線が苦手だった。
別にこれといって何かをされたわけではない。されるどころか、そもそも殆ど話もしたことのない相手だ。夫とはいえ、街ですれ違う赤の他人とさほど変わらない。
だがしかし、家康は初めて会った時から、忠勝の視線が妙に苦手だった。まるで自分が標本ケースの中の昆虫にでもなってしまったかのように、両の手足を雁字搦めに張り付けられて、家康の一挙手一投足、そのすべてを監視されているかのような、得体の知れない恐怖を感じてしまうのだった。
だから家康は、忠勝に見つめられると、上手く動けなくなってしまう。
それからどれくらい経っただろうか。
随分長い時間だった気もするが、ずっと感じていた忠勝の視線がふいと逸らされたのを感じた。そして、聞こえてくる溜息。
呆れられた。
柔らかな手の平に爪が食い込むほど強く、家康が拳を握る。
「そんなに俺と話をしたくないなら、もういい」
「別にっ、話したくないわけじゃ!」
思わず声を荒げた家康の肩が、びくりと竦む。
既に家康への興味を失った様子の忠勝は再び庭の方に視線を移しており、だがその横顔は酷く不機嫌そうで、完全に家康を拒絶しているように見えた。
家康の瞳が、じわりと滲んでいく。みるみる間に水分の膜を湛えた大きな瞳から、ぽろりと雫が落ちる直前、家康は忠勝に背を向けて駆け出した。
鼻の奥がツンと痛い。
裏庭の片隅に辿り着いた家康は、深緑色の袴が汚れるのも構わずその場にしゃがみこむと、後から後から溢れてくる雫をそのままに、声を押し殺して泣いた。
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