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番外編1

最終兵器忠勝①

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※現代を舞台にした番外編。転生かもしれないし、他人の空似かもしれない。
 自作リメイク。



「ったく、殿のせいで」

 ぼそり。忠勝が低い声で呟く。
 その声に即座に反応して、くっきりとした美しい弧を描く眉を盛大に顰めると、家康は同じくひそやかに、しかしさも心外そうに返した。

「支払いの時点でカードが使えないとか言われても、儂だって訳が分からんわ。なかなか良い店だったのに、恥ずかしくて二度と行けないではないか」
「だから、最初から俺が奢ると言うたのに」
「組長が、子分に奢ってもらうわけにいかんだろう」
「組長、ねえ」
「大体、それで本当に財布を忘れてくる、忠勝も忠勝じゃ」

 ぐちぐちと文句を垂れ流している目の前の家康を、忠勝が見つめる。 
 パチパチと瞬く長い睫毛、こんな時でさえまるで星でも浮かんでいるんじゃないかと思わせる、キラキラ煌めく黒い瞳。その二つの瞳のちょうど真横の辺りに、家康の白い手の平が二つ、力なく上がっていた。

「そうだな。俺も悪いが、殿も悪い」
「儂のカードについては、何らかのトラブルなだけじゃ。残高も問題は無い筈だ。大体、お主があの場で立て替えといてくれれば、こんな事にはならなかったのに」
「だから、金は俺が出すと」
「忘れてきたくせに」
「はい、はい。俺が悪い」
「何じゃ、その可愛くない仏頂面は」

 思わず声を荒げそうになって、慌てて口を噤む家康。
 それに合わせて、ふっくらとしたまろい頬の横に並んでいた両の手の平も、ピクピクと揺れた。

「仕方ないだろ。財布をホテルに忘れてきたのだから。だから、こうして殿の金を下ろしに来て」
「そのせいで、こうしてやっかいごとに巻き込まれとるんじゃろうが。どうせ普段は、綺麗なおなごに奢られてばかりいるんじゃろ。康政が言うには、忠勝は大層モテるらしいからのう」
「康政の野郎」
 
 自分がモテるかどうかなんて、忠勝は知らない。
 たまに見知らぬおなごに呼び出されることもあるが、モゴモゴと頬を赤くして、要領を得ないことを言ってきてよく分からぬ。「女心の分からない奴だなあ、忠勝殿は」なんて康政に絡まれたりもするが、正直忠勝にとってはどうでもいいことなのだ。
 たった一人以外、他のどんなおなごに好かれたとしても──。

「その言葉、殿にそっくりお返しする」
「何故じゃと」
「そもそも、あんな高い店でアホみたいに注文しおって」
「アホみたいって、言い方」
「忠次殿や数正殿は、殿に甘すぎるんじゃ。こんな世間知らずに、湯水の如くカードを使わせるなど。みたらし団子の上に、餡子を乗せて、生クリームを絞って、佐藤錦を砂糖でまぶした求肥で包んだかのようなゲロ甘じゃ」
「はああ?」

 冷たく固い床の上に腰を降ろし、まるで赤ん坊にいないいないばあでもするかの様に両手を顔の横に上げた恰好で、声を潜めて言い争うスーツ姿の二人の人物。

 万歳、お手上げ、抵抗しません……この格好には、そういう意味があっただろうか。

 無理矢理やらされている格好に、忠勝の中に眠る武人としてのプライドが、ひくりと怒りで震えるのを感じた。
 とにかくこの二人こそ、平成生まれの本多忠勝と、徳川家康その人である。ちなみに、忠勝の性別は男性で、家康は女性だ。そして、端から見るとなかなかシュールなこの光景には、実はのっぴきならない訳がある。


「お前ら! 静かにしろっ!!」


 段々とヒートアップし始めていた言い争いの声が、ぴたりと止む。
 二人は暫くの間、無言で見つめあうと、はああと大きな溜息を吐いて肩をがっくりと落とした。


 徳川家康は、元々は普通の女子高生だった。
 普通というと、語弊があるかもしれないが。本人の中では、そのつもりだった。
 だが、その正体は、多くの子分を持つ広域暴力団徳川組の一人娘だったのだ。組の者たちに蝶よ花よと可愛がられてはいたが、しょせんは女。
 いつか家を出て、社会人となり、いずれは素敵な殿方と結婚……などという淡い夢物語を描いていた時期も、家康にはあった。
 しかし、先代組長である家康の父親が敵対勢力に撃たれて急死したことで、事態は急変する。組織内のツートップである酒井忠次と石川数正のどちらが組を継いでも、きっと大きな内部抗争が起こる。そのことを恐れた家康の母が、無理やり家康を徳川組の跡目にしたのだ。

 そんな嫌々組を継がされた家康も、現在は二十五歳のお年頃。もし違う未来があったなら、仕事に恋に趣味にと、貴重な二十代の日々を楽しんでいた頃かもしれない。
 しかし、彼女は今、徳川系列の極道が内輪で集まる会合。東京で、二日間に渡り予定されている極道の会に参加していた。頭で描いていた淡い未来像とは、またえらい違いである。
 徳川家からは、組長である家康と、その補佐役である忠勝が上京していた。
 極道のお務めとはいえ、ここ花の東京に憧れのある家康はどこか浮足立っている。  
 とりあえず、今日の会合は昼過ぎには終了したので、家康は忠勝と遅めのランチに繰り出すことにした。

 忠勝が家康の食事のお供をするのは、それほど珍しい事ではない。
 忠勝は徳川組の部屋子として、十三歳の頃から家康と一緒にいるのだ。ただ、いつもはその辺のファストフード店だったり、適当な居酒屋で済ませる事が多い中、今日の店は珍しくまともな店だと聞いている。
 ちなみに、忠勝は現在十九歳。居酒屋に入っても、アルコール類を頼むことはない。「見かけによらず、真面目じゃの」と家康に揶揄われるのだが、忠勝の叔父が大酒飲みで、その姿を見て育った忠勝は、どうしても酒に対する拒否反応が拭えないのだった。

 今日、向かうレストランは、最近都内に出来た話題の店らしく、雑誌で見た家康が一度行ってみたかった場所だという。上手ければ食べ物などどうでもいい忠勝は、大人しく家康の後をついていった。そして、忠勝が連れて行かれたのは、細長いガラス張りのビルの最上階にある畏まった雰囲気の高級店だった。
 アンティーク調の落ち着いた家具で統一された店内に、完璧な所作の店員。料理も絶品で、食後に出されたコーヒーも美味かった。
 そんないつもとはちょっと雰囲気の違う高級店で、家康は値段を気にすることなく好き放題にメニューを頼み、さて会計となった時点で、奢ると言っていた家康のカードが何故か使えなかった。
 慌てた家康が鞄に手を入れると、手がすかっと悲しく宙を掴んだ。
 あくまで平然と、優雅な所作で何度繰り返しても、本来そこにあるべき筈の家康の財布に触れる事は叶わなかった。

「ふふふ……あれぇ?」

 強張った微笑みを張り付かせながら、ごそごそと鞄の中を必死に探す家康。結局、鞄の中に財布は見当たらず、代わりに底の方に銀行のカードが一枚だけ落ちていた。
 家康が、忠勝の方を振り返る。

「儂も、ホテルに財布置いてきたっぽい」
「はあ?」

 焦る忠勝と顔面蒼白の家康のやり取りを横目に、レジを打つ店員は完璧な微笑を貼り付けたまま、微動だにしない。
 ゾワリ。普段、タマの取り合いの前線にいる極道者の背筋に、冷たい脂汗が流れる。




「ああああ、恥ずかしい。早いとこ金を持って行かないと、儂たち食い逃げ犯になるぞ」
「だから、俺がツケといてくれって頼んだだろうが。それを殿が、銀行に行ってくるからちょっと待っててくれと店員に」
「あんな店で、ツケなんか出来るわけないじゃろ。大体お前は、常日頃から極道界に染まり過ぎて、一般人とのギャップが――」
「殿」
「何だ」
「黙れ」
「何じゃとっ」

 忠勝が声を潜めて、興奮気味の家康を制する。

「それ以上ヒートアップすると、撃たれる」

 一段低い声で遮った忠勝が、片方の眉を吊り上げる。
 視線の先には、銀行のカウンターの上に乗り上げて銃を構えている浅黒い肌の男がひとり。
 角刈りの様な金髪に、黒い瞳。浅黒い肌は逞しい筋肉に隆々と覆われ、身長も180はゆうに超えているだろう。見るからに屈強そうな、おそらく軍隊崩れか格闘技の経験者であろうその男の鋭い視線が、家康をギロリとねめつけている。
 忠勝はごく自然に、奴らの視線を遮るように家康の前に座り直した。
 そして銀行のカウンターの前には、男の仲間であろう二人の男が、それぞれ少し離れた場所で同じく銃を構えていた。
 カウンターの男から見て左側に佇む男もやはり長身で、ゆるくうねった茶髪に茶色の瞳。口の周りにはだらしない無精髭を生やしている。
 右側の男は、目の覚めるような赤色に髪を染めていた。この男は痩せぎすで、他の二人に比べると少々小柄だった。
 白昼堂々の銀行強盗。
 そして、この三人の銀行強盗の前には、十数人の男女が一か所に集められ、床の上に力なく座り込んでいる。
 突然自分の身に襲い掛かった不運に、ただただ蒼褪める事しか出来ないいたいけな客の中に紛れて、同じく不運に巻き込まれた組長とその補佐は、この状況で声を潜めてお互いを責め合っていたのだ。

 静まり返った銀行内に、しくしくという押し殺した泣き声が響く。
 銀行強盗が突入した際、不運にも居合わせてしまった客と行員たちは、犯人の指示でロビーの中央に集められ、その集団の一番後方に、忠勝と家康は座り込んでいる。
 二人とも会合に出席した硬めのスーツ姿のままなので、おそらく働き盛りのサラリーマン、女上司と硬派な部下にでも見えているのかもしれない。
 「はあ。何でこんな事に」と、力なく肩を落とす家康の隣で、顔はあくまで正面に向けたまま、忠勝の漆黒の瞳がせわしなく動いている。

「三人、か。それほど多くないな」
「……忠勝」
「殿、あのカウンターの上の男。あれ以外、持っている銃はみんなフェイクだ。これなら何とかなる」
「人質がいる。万が一にも、堅気に危害が及ぶような真似はやめよ。それにあいつら、全員服の下にナイフを仕込んどる」
「ナイフくらい、素手でどうとでも出来る」
「自信過剰……と言いたいところだが、お主の場合はそうでもないな。でも、駄目じゃ」
「そんなこと言って、あいつらいつ人質に危害を加えるか分からんぞ。ナイフなんかで俺は死なんし、この場で悪党をのすのは、堅気じゃない俺の役目なんじゃないのか」
「馬鹿者」
「はあ。相変わらず、弱虫な殿様で」
「いいから、大人しくしてろ。ここは赤坂だ。すぐに警察も駆けつける。銀行強盗を捕まえるのは極道じゃなくて、彼らの仕事だ」

 むうぅ。
 忠勝の口元が、分かりやすくひん曲がる。
 なりは大きくなってもまだまだ子供じゃと、家康が小さく笑った。
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