ぺんぎんうどん

きさらぎ いち

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一杯目 はじまりのはじまり

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 …… 困ったねぇ ……
 痩せた《かあさん》猫は溜息交じりにつぶやきました。
 小雨降る秋の夜更けのことでした。美味しい物の詰まったゴミバケツや、人間が自分たちを追い払うのに使うホーキやホース。そんなものが散らばる狭い通用路の奥で、散らばるゴミに隠されるようにそっと置かれた段ボールの中で、小さな塊がちょこんと座っていたのです。
「捨てられたんだね」
 痩せたかあさん猫より、ずっと荒れた毛並と、指も爪も見えない小さなてのひら。かあさん猫をおどおどと見上げる目と目の間には小さな皺も寄っています。
「お腹が空いているんだね」
 かあさんが『にゃぁ』とかけた声に、ちょっとだけ安心したのか、その仔も『なぁ』と小さく鳴きました。
 ゴミバケツから身の付いている魚の骨を選んで、ダンボールにぽいっと入れられると、その仔は骨を抱えて夢中になって、舐めるように食べました。
 かあさんはまた、つぶやきます。
「それにしても何て不細工な仔だろうねぇ。耳も無けりゃ尻尾もちんちくりんな変な形だよ。産後で苛立った母親にかじられでもしたかねぇ、不憫な仔だよ。
 こんな不細工な仔を人間に見られちまったら、きっと気持ち悪がられて殺されちまうだろうよ」
 かあさんはその仔の首をひょぃっとくわえて段ボールから引っ張り出すと、路地の奥のさらに奥、人の入ってこれない一番狭い場所へ連れてゆきました。
「いつもなら表通りで、独り立ちするまで面倒見るんだよ。悪さしないように育ちゃ人間も可愛がってくれるし、家に連れて帰ってくれる人も、たまーに居るからね。けれどあんたは、ねぇ……」
 そこは、じめじめと湿っていて昼間でも暗いビルの隙間。
 暖かな陽射しが射し込んで、捨て仔を暖めてくれるのは一日のうちでもほんの僅か数分だけです。遊び相手になってくれる他の猫も来ない、寂しい場所。かあさんはここで、捨て仔をこっそり育ててやることに決めたのです。

 捨て仔はかあさんが届けてくれる魚のくずで、すくすくと育ちました。
 何も無い誰もこない場所で、ビルの小さな窓から中をこっそりと覗いて、日がな一日を過ごすのです。
 窓の向こうは、小さな部屋でした。女の人がいつも何人か居て、四角い板のような物を見ています。板の中にも人間が居て、笑ったり喋ったりしています。女の人が居ない時でも、板の中にはいつも誰かが居て、それを見るのがたったひとつの楽しみでした。

「そいつぁテレビっていうのさ。本当に中に人間が入っているわけじゃないんだぜ」
 その日も窓に張り付いて部屋の中を覗いていた捨て仔の背中で、知らない声が聞こえました。振り返ると、かあさんよりずっと大きくて、かあさんとはちょっと形の違う誰かが立っています。
「誰だい?」
「そいつは犬ってやつさ」
 尋ねる捨て仔に答えたのはかあさんでした。
「ここは私達の縄張りなのに、何度追い払ってもやってくる困ったやつさ」
 かあさんが毛を逆立てながら牙を剥くと、犬は「くぅん」とひと鳴きして、肩をすぼめます。
「待っておくれよ、かあさん」
 捨て仔が二匹の間に割って入りました。
「犬さんは困ったやつじゃないと思うよ。今、あたしにあの板がテレビってやつだって教えてくれたんだ」
 これにはかあさんも今まで以上に驚いてしまいました。
「あんた、犬の言葉がわかるのかい!?」
「うん。かあさんにはわからないのかい?」
 捨て仔はちょこん、と首をかしげます。
「わしにも猫の言葉はわからんよ。おまえさん、良かったらこのおいぼれの話しを猫に伝えてくれんかね」
 捨て仔と犬が何やら話し始めたのを聞きながら、かあさんは二匹のまわりをうろうろとして警戒します。
 捨て仔が「わかったよ、かあさん!」と、にこにこしながら駆け寄りました。

 犬の名前は《しばさん》といいました。
 近所の家で飼われているのですが、飼い主さんが面倒くさがって散歩をしてくれないので、自分で首輪をすぽっと抜いて、自由気ままに歩くのです。もう随分な長生きで、人間の迷惑にならないように、こんな裏道を選んで歩いているのだ、と言いました。
「悪さはせんよ。猫たちの縄張りを荒らして食べ物を奪うつもりもない。ただ、ずっと鎖に繋がれて独りぼっちでおると、無性に歩きたくなってなぁ。ちょこっと端の方でいいえら歩かせてくれると嬉しいんじゃ」
 しばさんの話しを、捨て仔は両手をぱたぱたはためかせながら一生懸命伝えました。
 かあさんは、大きな溜息を「ふぅっ」と吐いて、逆立てていた毛を納めます。
「まったく、変わった仔だと思っていたけど、本当に妙な仔だよ」
 そしてちらりとしばさんを振り返り、
「好きなしな。小さい仔らをいじめたり餌を奪ったりしないって約束してくれりゃ、私は文句言わないさ」

 しばさんは、かあさんが自分に対して怒っていた理由をわかっていました。
「ここで騒ぎを起こすとな、人間が猫を疎ましがって、飼い主の居ない仔らを捕まえたり、殺そうとするんじゃよ。だからかあさんは余所者が入ってくることを嫌うのさ」
 けれど、この街の片隅で、捨てられたり親に先立たれて路頭に迷っている仔猫たちがひとりでも生きていけるように世話をしてやっている、強く優しい猫だということも知っていました。
 そんなかあさんの事が気になっていて、しばさんはずっと『友達になりたい』、と思っていたのです。
 かあさんの警戒が収まった様子を見て、しばさんは一度家に帰り、まだ戻ってきました。お近づきのしるしだと、咥えて持ってきたドッグフードをちょこんと置いて「くーん」と鳴かれると、かあさんも口の端をやんわりと緩めてしまいます。
「ふん、くれるってんなら、もらってやらなくもないよ」
 捨て仔と一緒にドッグフードを頬張りながら
「犬のご飯も悪かぁないね」と、かあさんが言えば、猫の言葉はわからないけれどしばさんも何となく嬉しくなって、「くん」と鳴きます。

 それからしばさんはちょくちょく捨て仔を訪ねてやってくるようになりました。
 捨て仔に、人間の事、この街の事、たくさんの話しを聞かせてくれます。
 かあさんはその様子を傍で見守りながら、うたた寝をします。
 穏やかでのんびりとした毎日が続きます。

 けれど。

 ふっ、と、かあさんは神妙な顔を見せる事が増えました。
「これは問題じゃないのかね。犬の言葉がわかる猫なんて、この世にいるわけがないんだからね。
 変わった仔にしても、変わりすぎているよ。
 これでますますこの仔は表を歩けなくなっちまったよ」

 人間は変った生き物を嫌います。
 猫の尻尾がふたつに分かれただけで、石を投げ、火を放ち、時には生きたまま土に埋めて岩で塞いで出れないように閉じ込めてしまうのだと、かあさんは自分の母親から、そして母親もまたその母親から、と、代々聞かされてきているのですから、本当に大変な事になってしまったと頭を抱えてしまいました。
 こんなに変わったところだらけの捨て仔が人間に見つかったら、どんな酷い目に合わされることか。

 やがてひとつの季節が過ぎて、捨て仔はかあさんよりひとまわりほど大きくなってしまいました。けれど、広い通りに出ることはゆるされません。
 楽しみは、時々訪ねて来てくれるしばさんから外の話しを聞かせてもらうことと、テレビの中で動く人間を見ることだけでした。
「本当に不憫な仔だよ。まったく」
 かあさんはぼやきながら、今日もご飯を運びます。
 すると、この日の捨て仔はいつもと違っていました。
 丸い目をさらに大きくまんまるに見開いて
「かあさん! かあさん、大変だ!」
 駆け寄ってくるのです。かあさんもびっくりして
「どうしたんだい? もしや人間が入り込んできたかい?」
「違うよ! もっとびっくりだよ!」
 捨て仔は小さな両腕でぱたぱたと体を叩きながら興奮して言いました。
「あたしは猫じゃなかったんだよ!」
 かあさんはまた、びっくりしたけれど、少しホッとして、尻尾をゆらりとくゆらせて捨て仔の背中をぽんと弾いて笑いました。
「あんたは猫さ。最初に見つけた時、ちゃんと猫の言葉でしゃべったじゃないか。
 猫の言葉をしゃべる他の動物なんて聞いたことも見たこともないよ。
 犬の言葉もわかるようだけど、姿はどっちかっていえば猫だからね」
「そうじゃないんだ、かあさん聞いておくれよ」
 やれやれ、と苦笑するかあさんをよそに、捨て仔はまだ興奮覚めやらず続けます。
「あたしはペンギンだったんだよ!」
「何だいそれは?」
 初めて聞く言葉に、かあさんは目を丸くしました。
 捨て仔は窓の向こうのテレビを振り返って、
「ほら、あれを見て!」
 そこにはたくさんの黒い群れが映っていました。言われてみれば確かに、捨て仔は猫よりもそちらに似ているように見えます。
「でも何であれが《ペンギン》ってやつなんだってわかるんだい?」
「テレビの中の人間がそうしゃべっているよ」
「あんたは人間の言葉も分るのかい!」
 捨て仔はこくんと頷きました。その姿に、かあさんは深く深く溜息を吐きました。

 テレビの中には、人間に囲まれて楽しそうに手をパタパタさせたり泳いでいるペンギンたちが居ます。それを見ながらかあさんはしばらくの間黙って考えこんでしまいました。そして、
「私はあんたの育て方を間違ったのかもしれないねぇ。
 あんたは人間の中で育ててもらうべきだったのかもしれないよ」
 テレビを見ながら、人間はどうやら、ペンギンという生き物が好きなのだと気付いたのです。

 変わったところだらけの捨て仔でした。
 犬の言葉も、人間の言葉もわかります。
「私にはわからないけれど、ペンギンっていうのはそういう生き物なのかもしれないねぇ」
 呟いて、かあさんはひとつ大きな決心をして顔を上げました。
「もう一度あの箱に入って、大きな通りに出てごらん。人間が見つけて育ててくれるかもしれないよ」
 捨て仔が本当にペンギンなら、きっと大事にしてもらえるでしょう。こんな薄暗い狭い通用路の奥で、縮こまって暮らす必要はないのです。
 けれど、捨て仔が入っていた段ボールは小さくなってしまって、再び入ることはできません。
「もう少し大きな箱が要るね」
 かあさんと捨て仔は大きな通りの近くまでトコトコ歩いてきました。すると、ちょうどぴったりの箱が捨て仔の目にとまりました。
「かあさん、あれなら入れるよ」
 小さなお店の前に置かれてあったダンボールに向かって駆けだしました。
「お待ち、あれは……」
 かあさんが止めようとしたけれど、その声は届きませんでした。
 今まで人間に見つかってはいけないよ、と言われて過ごしてきた捨て仔は、お店から現れた人間から隠れるようににするりするりと足元をすり抜け走って、ダンボールに飛び込んだのです。すると、人間は箱に捨て仔が入った事に気付かないまま、パタンと閉じて、テープで封をしてしまいました。

「かあさん、あたし、どうなるんだろう」
 箱の中で不安になって捨て仔がつぶやきましたが、かあさんにはもう、どうすることもできません。
 入り口が閉じて真っ暗になってしまうと、うとうとと眠くなってきてやがて瞼を閉じてしまいました。

「おーい、荷物はこれで最後だな」
 人間が箱を持ち上げて車に積み込むと、車が動き出しました。
 かあさんはその様子を眺めながらうな垂れてしまい、言葉も出ません。
 けれど、しばらくして頭を上げて言いました。
「きっと何とかなるだろうさ」
 捨て仔の背中に、小さく別れを告げたのです。

 姿形は不恰好だけどさ、いろんな生き物の言葉がわかるようだし、話をした事もない私と犬を仲良しにしちまったり、あんなに薄暗い狭い住処でさえ楽しく過ごしていた、不思議な仔だからね。
 頑張りな。
 あんたの未来は、今始まったばっかりなんだろうさ。
 これからも毎日幸せに、楽しく過ごすんだよ。

 トラックが遠くへ遠くへ走り去り、小さくなってしまい、やがて見えなくなるまで、かあさんは祈りながら、見送りました。



===== 続く =====
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