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9.運命の再会
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次の朝。
三月にしては久々に冷え込み、一部霜が降りる所もあった。
白い息を切らせながら、二人は鉄道に乗り込んだ。
「ママ、寒いよ?ここホントに静岡なの?」
「春が近づくと揺り戻しがあるのよ。何年かに一ぺんだけどね」
両耳を覆って琴美は押し黙る。
「ママ?」
「……大丈夫。あの日もたぶん、こんな寒い日だった」
ふと携帯が鳴った。琴美はためらいながら取り出す。
「……名倉?」
「あ、ああ良かった。ようやくつながった。今、どこに居るんですか?」
「山奥」
「そんなことだろうと思ってました。大変ですよ、マスコミが実家に向かってます。昨日の夜、あおり記事で失踪と書かれたんで」
「なっ、何で?」
「わかりません。移動中に目撃されたんじゃないですか」
「ああ、じゃあばれてたってことか。甘かったわ」
「もし記者たちに囲まれたら、うまく優子として対応できますか?それが一番心配です。僕もすぐそっちに向かいますが……」
「ママ、どうしたの?」
琴美は頭を抱えて苦しみ出した。
「やめて、優子。出てこないでくれる?あんたに出てこられたら困るのよ」
母の中で優子が目覚めようとしている。有紗の顔が強ばった。
「ママ頑張って、お願い。今優子さんに身体を取られたら、もう二度と自分の人生は生きられないんだよ」
琴美の身体がびくっと震え、視点が定まった。
有紗が携帯を奪って告げる。
「名倉さん、私がママを守るから。ママが精神的に不安定になると優子さんが出てこようとするから、あまり優子さんの話をしないで。とにかくどうすればいいの?教えて」
「有紗さん、随分強くなりましたね」
「え?そんなことない。この状況じゃ嫌でもそうなります」
少し図太くなった気はする。でも本当の理由は、琴美を娘として守らなければと思ったからだ。
「今どこですか?……電車に乗ってる?そうですか、じゃあ最寄りの駅に僕も向かいます。次の駅を教えてくれますか?下手にホームに降りないで下さい。マスコミに囲まれたら逃げられません」
追っ手より先に駅を探し当てられないと、母はありさとの別れを思い出せない。
「もしもし?聞いてます?有紗さん」
名倉の呼びかけに答えず、電話を切った。
「次は……です。お降りの方は……」
目星をつけた駅だ。
アナウンスに後押しされて席を立った。二人きり電車からホームへと降りる。
近くには高校もあると言うのに、春休みのせいか人影もなかった。
「ここなのかな?」
ビデオカメラの映像と見比べる。年数は経っているが、電柱や看板の位置は同じだ。
まだ朝日が十分には差し込まず、地面から冷気さえ上がっている。ホーム中央にあるひさしの下のベンチ、それが映像から予想する二人の場所だった。
「……ママ、どう?」
きんと冷えた空気が耳に刺さる。
琴美は寒ささえ噛みしめるように、目を強く閉じた。
「……懐かしい」
はっと気づいたように目を見開く。
「ねえ。桜が舞っている?」と琴美。
「え?桜の木なんてないよ」
日差しに照らされて光りながら空を漂う、たくさんの粒。
違う。これは花びらじゃなくて……。
「風花」
なごり雪が、きらきらと光りながら二人に降り注ぐ。
辺りが完全に晴れた時、そこに誰かが立っていた。
遠目にわかる紺の学生服、白いソックスと制服にそぐわない茶色のニット帽を被っている。気になるのは、映像に比べてかなりやせた印象だった。でも意志の強そうな眉、いたずらっぽい瞳は変わらなかった。
少女の名前は。
「ありさ」
琴美は万感の思いを込めて、呼びかける。
「琴美、覚えててくれてありがとう。約束したよね」
散々映像で繰り返された涼やかな声。間違うはずもない。
「ありさ、だよね?」
はにかみながら、少女は笑顔でうなずいた。
「二十年後の今日、ここで会おうって。私の無理な約束を、琴美はどうにか果たそうとしてくれたんだね」
有紗は、二人から少し離れた場所で見守る。目を輝かせて話す、制服の少女を見つめた。
これは幻なのか。それでも有紗にも再会の光景は見えていた。
母が切望した、親友・ありさとの再会。でも有紗に沸き上がった感情は意外にも憤りだった。
「ありささん。一体あなたはどんな言葉で、ママを縛ったの?二十年も」
あなたの死がきっかけで、母は自分の人生も優子に引き渡し、歌も辞めた。
それくらい親友の死は耐えられず辛いものだった。娘の私も母を奪われた。優子と言う他人と暮らす冷淡な生活と、歌を共有できない断絶された母子。
発端はすべてあなただった。ありさ、あなただった。
「どうして死んだのよ?ママをおいて!」
声は届かずに、当時の風景が繰り返される。
ありさの幻は現在の琴美と向き合って、懐かしげに微笑む。
二〇××年三月二十二日。
何についても前向きではっきりとした少女は、自分の行く末さえしっかりと告げた。
「私ね、あと二ヶ月くらいで死ぬの」
「な、何の冗談?ありさに限って、そんなこと」
「……そうだよね。ホント、冗談だったら良かったって何度も思ったけど」
力尽きたようにぺたん、とうずくまる。
「ありさ?」
肩を抱くと、背中へ響く不安定な息をして苦しげに笑った。
「ごめん、治療で髪の毛、随分抜けたんだ。帽子の中は見せられない。身体も軽いでしょ?あまり食べると吐いちゃうから。でも、琴美には言いたくなかったから。東京で頑張ってるとこずっと見てたから。隠しててごめん」
「こんな所に来て大丈夫なの?家か病院に居なくちゃいけないんじゃ」
「だって、ここが私たちの場所でしょ。二人きりで会いたかったんだ」
それは琴美にとっても同じだった。
だけど、こんな病状になっているなんて……知らなかった。
「……治療法はないの?」
「いろいろ調べたよ、白衣の天使になるつもりだったから。……でも、わたし、なれないみたい」
声を詰まらせて咳き込んだ。
見守る琴美も、体調を悟ったか……頬を涙が伝う。
「無理しないで。もういいから、家に帰ろう?」
「琴美待って。お願いがあるの、歌を歌って。私が頼んでいたあの……」
どの曲を指して言っているのかは、すぐに気づいた。
琴美は涙を拭いて歌い出す。
不思議とメロディは口をついて出た。ありさを前にして、琴美は語りかけるように優しく歌った。
白い息が煙るあの場所で 僕らたくさんの夢を話した
透きとおった時間 すべてが宝物
ありさはうなずきながら微笑んだ。
三月にしては久々に冷え込み、一部霜が降りる所もあった。
白い息を切らせながら、二人は鉄道に乗り込んだ。
「ママ、寒いよ?ここホントに静岡なの?」
「春が近づくと揺り戻しがあるのよ。何年かに一ぺんだけどね」
両耳を覆って琴美は押し黙る。
「ママ?」
「……大丈夫。あの日もたぶん、こんな寒い日だった」
ふと携帯が鳴った。琴美はためらいながら取り出す。
「……名倉?」
「あ、ああ良かった。ようやくつながった。今、どこに居るんですか?」
「山奥」
「そんなことだろうと思ってました。大変ですよ、マスコミが実家に向かってます。昨日の夜、あおり記事で失踪と書かれたんで」
「なっ、何で?」
「わかりません。移動中に目撃されたんじゃないですか」
「ああ、じゃあばれてたってことか。甘かったわ」
「もし記者たちに囲まれたら、うまく優子として対応できますか?それが一番心配です。僕もすぐそっちに向かいますが……」
「ママ、どうしたの?」
琴美は頭を抱えて苦しみ出した。
「やめて、優子。出てこないでくれる?あんたに出てこられたら困るのよ」
母の中で優子が目覚めようとしている。有紗の顔が強ばった。
「ママ頑張って、お願い。今優子さんに身体を取られたら、もう二度と自分の人生は生きられないんだよ」
琴美の身体がびくっと震え、視点が定まった。
有紗が携帯を奪って告げる。
「名倉さん、私がママを守るから。ママが精神的に不安定になると優子さんが出てこようとするから、あまり優子さんの話をしないで。とにかくどうすればいいの?教えて」
「有紗さん、随分強くなりましたね」
「え?そんなことない。この状況じゃ嫌でもそうなります」
少し図太くなった気はする。でも本当の理由は、琴美を娘として守らなければと思ったからだ。
「今どこですか?……電車に乗ってる?そうですか、じゃあ最寄りの駅に僕も向かいます。次の駅を教えてくれますか?下手にホームに降りないで下さい。マスコミに囲まれたら逃げられません」
追っ手より先に駅を探し当てられないと、母はありさとの別れを思い出せない。
「もしもし?聞いてます?有紗さん」
名倉の呼びかけに答えず、電話を切った。
「次は……です。お降りの方は……」
目星をつけた駅だ。
アナウンスに後押しされて席を立った。二人きり電車からホームへと降りる。
近くには高校もあると言うのに、春休みのせいか人影もなかった。
「ここなのかな?」
ビデオカメラの映像と見比べる。年数は経っているが、電柱や看板の位置は同じだ。
まだ朝日が十分には差し込まず、地面から冷気さえ上がっている。ホーム中央にあるひさしの下のベンチ、それが映像から予想する二人の場所だった。
「……ママ、どう?」
きんと冷えた空気が耳に刺さる。
琴美は寒ささえ噛みしめるように、目を強く閉じた。
「……懐かしい」
はっと気づいたように目を見開く。
「ねえ。桜が舞っている?」と琴美。
「え?桜の木なんてないよ」
日差しに照らされて光りながら空を漂う、たくさんの粒。
違う。これは花びらじゃなくて……。
「風花」
なごり雪が、きらきらと光りながら二人に降り注ぐ。
辺りが完全に晴れた時、そこに誰かが立っていた。
遠目にわかる紺の学生服、白いソックスと制服にそぐわない茶色のニット帽を被っている。気になるのは、映像に比べてかなりやせた印象だった。でも意志の強そうな眉、いたずらっぽい瞳は変わらなかった。
少女の名前は。
「ありさ」
琴美は万感の思いを込めて、呼びかける。
「琴美、覚えててくれてありがとう。約束したよね」
散々映像で繰り返された涼やかな声。間違うはずもない。
「ありさ、だよね?」
はにかみながら、少女は笑顔でうなずいた。
「二十年後の今日、ここで会おうって。私の無理な約束を、琴美はどうにか果たそうとしてくれたんだね」
有紗は、二人から少し離れた場所で見守る。目を輝かせて話す、制服の少女を見つめた。
これは幻なのか。それでも有紗にも再会の光景は見えていた。
母が切望した、親友・ありさとの再会。でも有紗に沸き上がった感情は意外にも憤りだった。
「ありささん。一体あなたはどんな言葉で、ママを縛ったの?二十年も」
あなたの死がきっかけで、母は自分の人生も優子に引き渡し、歌も辞めた。
それくらい親友の死は耐えられず辛いものだった。娘の私も母を奪われた。優子と言う他人と暮らす冷淡な生活と、歌を共有できない断絶された母子。
発端はすべてあなただった。ありさ、あなただった。
「どうして死んだのよ?ママをおいて!」
声は届かずに、当時の風景が繰り返される。
ありさの幻は現在の琴美と向き合って、懐かしげに微笑む。
二〇××年三月二十二日。
何についても前向きではっきりとした少女は、自分の行く末さえしっかりと告げた。
「私ね、あと二ヶ月くらいで死ぬの」
「な、何の冗談?ありさに限って、そんなこと」
「……そうだよね。ホント、冗談だったら良かったって何度も思ったけど」
力尽きたようにぺたん、とうずくまる。
「ありさ?」
肩を抱くと、背中へ響く不安定な息をして苦しげに笑った。
「ごめん、治療で髪の毛、随分抜けたんだ。帽子の中は見せられない。身体も軽いでしょ?あまり食べると吐いちゃうから。でも、琴美には言いたくなかったから。東京で頑張ってるとこずっと見てたから。隠しててごめん」
「こんな所に来て大丈夫なの?家か病院に居なくちゃいけないんじゃ」
「だって、ここが私たちの場所でしょ。二人きりで会いたかったんだ」
それは琴美にとっても同じだった。
だけど、こんな病状になっているなんて……知らなかった。
「……治療法はないの?」
「いろいろ調べたよ、白衣の天使になるつもりだったから。……でも、わたし、なれないみたい」
声を詰まらせて咳き込んだ。
見守る琴美も、体調を悟ったか……頬を涙が伝う。
「無理しないで。もういいから、家に帰ろう?」
「琴美待って。お願いがあるの、歌を歌って。私が頼んでいたあの……」
どの曲を指して言っているのかは、すぐに気づいた。
琴美は涙を拭いて歌い出す。
不思議とメロディは口をついて出た。ありさを前にして、琴美は語りかけるように優しく歌った。
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