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6.母はどっち?
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「歌ってくれないこと以外にもいくつもあった。あなたは私を嫌いで、いつも遠巻きにしていたでしょう?ずっとそう思ってた。でもあなたは私を嫌いなんじゃなくて、恐れていたんだ。コトミさんが目の前に現れたら、私があなたより彼女を親として選ぶんじゃないかって」
優子の視線が……有紗を捉えようとして、けれど耐えきれず逸れた。
「”ママ”教えて?さっきあなたは私を苦労して産み育てたと言ったけど、それは本当に心から望んだことだった?本当に心底から母親だった?」
「……知らない。私には答えられない」
「なぜ?」
優子は耐えかねたのか、急に声を荒げた。
「知る訳ないじゃない。琴美が勝手に身ごもってきたのよ、あなたを!」
「嘘。だって、コトミさんはほとんど外には」
二十年の間に数えるほど、ごく短期間しか出られなかったはずだ。それでも不可能ではないことに気づく。
「まさか、そのわずかな期間に?」
次の瞬間、父の顔が浮かんだ。年に数回は会って、気遣ってはくれるがいつも寂しげな顔をする父。母と有紗が喧嘩しても、いつも自分のことをかばってくれていた気がするが。
「待って。勝手に、って……」
琴美が表に出たとして、見知らぬ優子の夫を愛するだろうか?
それは優子が選んできた、琴美には縁のない相手……。愛せるかは疑わしい。
全くの他人ではないか。
「私の、本当のお父さんは誰なの?」
「知らない。少なくともあなたが知っている”パパ”ではないわ。血液型が合わない」
ふてぶてしく優子は答えた。
「覚えてる?あなた保育園で怪我をして、一日だけ入院したの。あの時、検査してわかったのよ。私がどれだけショックを受けたか想像できる?私だってずっと、彼との子だと信じてた。なのにあの女は。私たちの結婚生活も台無しにしたのよ」
目の前が暗転していく。身体がしびれたように動かない。
父の妙な優しさは、血のつながりがないことを知っていたからか?
「琴美はあなたに話したんじゃないの?彼女が望んだ結果、生まれたのがあなた。だから意気投合した」
「違う。コトミさんは、私のママはあなただって」
「知る暇もないでしょうよ。ずっと中に籠もったまま出てこなかったんだから。父親のわからないあなたを私に押しつけて」
押しつけて押しつけて押しつけて押しつけて。
有紗の中で、呪いの言葉が増幅する。
なぜ今、私はここに居る?誰がこの世に私を望んだ?
振動なのかめまいなのか、揺れる列車の壁にようやくすがった。
と、急に優子が頭を抑えて苦しみだした。
「やめて琴美。頭の中で叫ばないで!」
「ママ!ママなの?しっかりして」
母の体内で二つの人格が対立している。琴美は、追い詰められた娘を助けようとして?それとも。
有紗自身、どちらを呼んだのかわからなくなっていた。
コトミさん、と呼ぶはずがママと呼んでいる。
自分にとってどちらが母なのだろう?もう区別ができない……。
気づくと優子は薄暗い部屋にいた。
ここは前から知っている懐かしい場所だ。本来はここが優子の住処だった。琴美が外界を拒否してこの暗がりに籠もり、代わりに自分が外へ出ていた。
誰かがむっくりと起きあがる。
琴美が、果たし合いを待っていたかのようにそこに居た。
「あなたは私。私の身体をずっと使って生きていた」
そうだ。自分は琴美の人生を途中から乗っ取って、今まで我が物として歩んできた。
「だけど琴美、あなたは一番重要なところを奪ってここへ逃げ込んでいた。私が優子として生きられないように傷をつけた。有紗と言う異物を背負わせることで」
「異物?傷って何?有紗はあなたが産んだんでしょ?」
「いい加減にして?あんたがどっかの男と作ってきたんじゃないの!私が知らない間に」
「おかしな事言わないで。私が有紗を?そんなの知らない」
琴美は思い出しかけたのか、頭を抱えてうめく。被害者めいた姿が、さらに優子の怒りをあおった。
「都合の悪いことは忘れてしまうの?早く思い出しなさいよ。あんたは私が自分の歌のせいで意識を失った時に外に出て、いろんな男と会ってた。そのせいで私は尻軽女の烙印を押され、夫にも愛想尽かされたんだから」
「音源を回収し始めたのは、それで?」
「そうよ。歌を聴くとあんたが出てきて、勝手な事をするとわかったから。報道キャスターがゴシップまみれじゃ、信用なんて得られない。歌さえ封印すれば、あんたも出てこれないと思ったし、実際仕事もうまく行ってた。なのに……」
愛すべき娘は、知らない種から生まれた子だった。
「身体を得てなりすましたところで、そうそう上手くは行きませんって?夫にも蔑まれ、父のわからない子供を抱えながら。仕事も家庭も必死でがんばったのに」
「元々は私の身体。あなたは”ありさ”ではないのだから、この身体を使う資格はない」
かつての親友の名をあげた。
「しらばっくれないでよ、琴美。あんたは私に自分の子供を押しつけて逃げた、ホトトギスと同じなのよ」
優子は苦し紛れに、琴美の肩をつかんで叫んだ。
「ママ、ママ?しっかりして」
昏倒した母を揺さぶると、ぼんやりと目を開けた。
だけどこれは琴美なのか、それとも優子?有紗は息をのむ。
「ママ?」
あなたは誰?
集まった乗客に囲まれて、まさか口に出す訳にもいかない。恐る恐る答を待った。
「私、琴美だよ」
「本当にママ?優子さんじゃない?」
急病人が起きあがったので、乗客たちは怪訝な顔で席に戻って行った。
電車は鈍い音を立てて動き出す。
「で、どうするの?駅に着いたら」有紗が問う。
「家に帰って、母さんに会う。ずっとほったらかしだもの。父さんが亡くなった後、ずっと一人で辛かっただろうな。顔を出したらすぐに、ありさの家に行く」
「どうしてママが外に出てこれたの?優子さんは中で眠ってくれてるの?」
「わからない」
琴美は頭を振る。
どうやって自分が意識の外に出てきたのか思い出せない。ただ、今身体を明け渡している場合ではない。外に出て、やらなければならないことがあると念じながら戦っていたら目が覚めた。
この娘をみごもって来たのは自分だと、優子は言った。
相手の男を、自分は本気で愛していたのか?そもそもそれは誰なのか。優子が嘘をついている可能性もあるが、言い切る自信もない。
「ママ、無理しないで。まずは家に行こう」
「ごめん、だめな母親で」
娘のけなげな微笑みに救われる思いがした。
車内のアナウンスが流れる。最寄り駅だ。
駅全体がおもちゃのように可愛らしく、レトロな造りになっている。都会育ちの有紗からすれば、失われた良き時代がよみがえり姿を現したように見えた。
母と親友のありさは、この風景を当然のように見て育ったのだ。
優子の視線が……有紗を捉えようとして、けれど耐えきれず逸れた。
「”ママ”教えて?さっきあなたは私を苦労して産み育てたと言ったけど、それは本当に心から望んだことだった?本当に心底から母親だった?」
「……知らない。私には答えられない」
「なぜ?」
優子は耐えかねたのか、急に声を荒げた。
「知る訳ないじゃない。琴美が勝手に身ごもってきたのよ、あなたを!」
「嘘。だって、コトミさんはほとんど外には」
二十年の間に数えるほど、ごく短期間しか出られなかったはずだ。それでも不可能ではないことに気づく。
「まさか、そのわずかな期間に?」
次の瞬間、父の顔が浮かんだ。年に数回は会って、気遣ってはくれるがいつも寂しげな顔をする父。母と有紗が喧嘩しても、いつも自分のことをかばってくれていた気がするが。
「待って。勝手に、って……」
琴美が表に出たとして、見知らぬ優子の夫を愛するだろうか?
それは優子が選んできた、琴美には縁のない相手……。愛せるかは疑わしい。
全くの他人ではないか。
「私の、本当のお父さんは誰なの?」
「知らない。少なくともあなたが知っている”パパ”ではないわ。血液型が合わない」
ふてぶてしく優子は答えた。
「覚えてる?あなた保育園で怪我をして、一日だけ入院したの。あの時、検査してわかったのよ。私がどれだけショックを受けたか想像できる?私だってずっと、彼との子だと信じてた。なのにあの女は。私たちの結婚生活も台無しにしたのよ」
目の前が暗転していく。身体がしびれたように動かない。
父の妙な優しさは、血のつながりがないことを知っていたからか?
「琴美はあなたに話したんじゃないの?彼女が望んだ結果、生まれたのがあなた。だから意気投合した」
「違う。コトミさんは、私のママはあなただって」
「知る暇もないでしょうよ。ずっと中に籠もったまま出てこなかったんだから。父親のわからないあなたを私に押しつけて」
押しつけて押しつけて押しつけて押しつけて。
有紗の中で、呪いの言葉が増幅する。
なぜ今、私はここに居る?誰がこの世に私を望んだ?
振動なのかめまいなのか、揺れる列車の壁にようやくすがった。
と、急に優子が頭を抑えて苦しみだした。
「やめて琴美。頭の中で叫ばないで!」
「ママ!ママなの?しっかりして」
母の体内で二つの人格が対立している。琴美は、追い詰められた娘を助けようとして?それとも。
有紗自身、どちらを呼んだのかわからなくなっていた。
コトミさん、と呼ぶはずがママと呼んでいる。
自分にとってどちらが母なのだろう?もう区別ができない……。
気づくと優子は薄暗い部屋にいた。
ここは前から知っている懐かしい場所だ。本来はここが優子の住処だった。琴美が外界を拒否してこの暗がりに籠もり、代わりに自分が外へ出ていた。
誰かがむっくりと起きあがる。
琴美が、果たし合いを待っていたかのようにそこに居た。
「あなたは私。私の身体をずっと使って生きていた」
そうだ。自分は琴美の人生を途中から乗っ取って、今まで我が物として歩んできた。
「だけど琴美、あなたは一番重要なところを奪ってここへ逃げ込んでいた。私が優子として生きられないように傷をつけた。有紗と言う異物を背負わせることで」
「異物?傷って何?有紗はあなたが産んだんでしょ?」
「いい加減にして?あんたがどっかの男と作ってきたんじゃないの!私が知らない間に」
「おかしな事言わないで。私が有紗を?そんなの知らない」
琴美は思い出しかけたのか、頭を抱えてうめく。被害者めいた姿が、さらに優子の怒りをあおった。
「都合の悪いことは忘れてしまうの?早く思い出しなさいよ。あんたは私が自分の歌のせいで意識を失った時に外に出て、いろんな男と会ってた。そのせいで私は尻軽女の烙印を押され、夫にも愛想尽かされたんだから」
「音源を回収し始めたのは、それで?」
「そうよ。歌を聴くとあんたが出てきて、勝手な事をするとわかったから。報道キャスターがゴシップまみれじゃ、信用なんて得られない。歌さえ封印すれば、あんたも出てこれないと思ったし、実際仕事もうまく行ってた。なのに……」
愛すべき娘は、知らない種から生まれた子だった。
「身体を得てなりすましたところで、そうそう上手くは行きませんって?夫にも蔑まれ、父のわからない子供を抱えながら。仕事も家庭も必死でがんばったのに」
「元々は私の身体。あなたは”ありさ”ではないのだから、この身体を使う資格はない」
かつての親友の名をあげた。
「しらばっくれないでよ、琴美。あんたは私に自分の子供を押しつけて逃げた、ホトトギスと同じなのよ」
優子は苦し紛れに、琴美の肩をつかんで叫んだ。
「ママ、ママ?しっかりして」
昏倒した母を揺さぶると、ぼんやりと目を開けた。
だけどこれは琴美なのか、それとも優子?有紗は息をのむ。
「ママ?」
あなたは誰?
集まった乗客に囲まれて、まさか口に出す訳にもいかない。恐る恐る答を待った。
「私、琴美だよ」
「本当にママ?優子さんじゃない?」
急病人が起きあがったので、乗客たちは怪訝な顔で席に戻って行った。
電車は鈍い音を立てて動き出す。
「で、どうするの?駅に着いたら」有紗が問う。
「家に帰って、母さんに会う。ずっとほったらかしだもの。父さんが亡くなった後、ずっと一人で辛かっただろうな。顔を出したらすぐに、ありさの家に行く」
「どうしてママが外に出てこれたの?優子さんは中で眠ってくれてるの?」
「わからない」
琴美は頭を振る。
どうやって自分が意識の外に出てきたのか思い出せない。ただ、今身体を明け渡している場合ではない。外に出て、やらなければならないことがあると念じながら戦っていたら目が覚めた。
この娘をみごもって来たのは自分だと、優子は言った。
相手の男を、自分は本気で愛していたのか?そもそもそれは誰なのか。優子が嘘をついている可能性もあるが、言い切る自信もない。
「ママ、無理しないで。まずは家に行こう」
「ごめん、だめな母親で」
娘のけなげな微笑みに救われる思いがした。
車内のアナウンスが流れる。最寄り駅だ。
駅全体がおもちゃのように可愛らしく、レトロな造りになっている。都会育ちの有紗からすれば、失われた良き時代がよみがえり姿を現したように見えた。
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