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第6章 全軍改革、始動
積み上がる紙の山
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魔王軍本城の一角、人事局が入る軍政庁の建物は、他の戦闘部署とは異なり静まり返っていた。
外観こそ黒曜石と重厚な金属装飾で重々しいが、中に足を踏み入れると途端に埃っぽい紙の匂いと、澱んだ空気が迎えてくる。
山本はその中央にそびえる書庫室に足を踏み入れた瞬間、思わず息を詰めた。
広い空間の中央に、背の高い書架が十列以上並び、壁一面には古びた巻物や冊子が積み重なっている。床の上にも、分類されきれなかったらしい紙束が紐でくくられ、山のように転がっていた。照明は魔導灯で灯されているが、その光さえも紙埃の中でくぐもって見える。
リリシアは何も言わず、足音ひとつ立てずに進み、部屋の奥にある金属製の保管棚の前で立ち止まった。
「ここが全軍人事記録の主幹保管庫。配置記録、階級査定、離脱・殉職報告、戦歴履歴、通報記録まで、すべて“ある”にはあるわ」
山本は思わず口元をしかめた。
「なるほど……“ある”ことと、“使える”ことは別だな」
棚を開けると、鉄の引き出しから黄ばんだ紙がごっそりと現れる。そのひとつを取り出してみると、手書きの文字はかすれ、魔法の印が押されているはずの場所が滲んで読めない。
別の資料に目を移すと、そこには表紙に『第九補給隊・人員変動記録』と記されていたが、ページを開いた瞬間、山本の眉がひそまった。
「これは……前任者の記録だけで、更新が止まってる。半年分空白か。しかも、転属理由も“適正により”とだけ。誰の判断かも書かれていない」
「形式上の報告だけを優先して、中身を省いたのね」
リリシアは無感情に言いながら、別の巻物を引き出した。今度は斥候部隊の人員配置表。開いた瞬間、紙が風化したようにぱりっと裂けた。
「こっちは……同じ兵が二箇所の部隊に同時所属している記録になってる。つまり、誰もチェックしていない」
山本は片膝をついて、束ねられた紙の山を少しずつ崩すようにして手に取っていく。
「この報告書……名前だけあるが、評価欄がすべて空白。戦歴も、適性欄も記入なし」
リリシアは腕を組み、淡々とした口調で言った。
「文書で管理した気になって、誰も“内容”を見ていない。それが現状よ」
その言葉が、山本の胸にずしりと響いた。
彼はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。
見上げれば天井まで届く紙の塔。
棚という棚に詰め込まれた、見る者のいない記録たち。
兵たちの人生の断片が、こんな形で放置されている。
「なるほど……“組織病”の典型だ」
その言葉には、怒りではなく、静かな諦念が混じっていた。
「紙の上だけの管理。報告のための報告。形骸化した評価制度。現場を見ずに記号化された人間。
これはもう、情報の墓場だ」
リリシアが僅かに頷いた。
「改革の初期段階でここを訪れると決めた理由が、わかった気がするわ。あなたは、“まず見る人”なのね」
「現場の資料を扱う以上、それが何を意味しているかを知らなければならない」
山本は深く息を吐いた。
「これを整理するところから始めるのは、非効率だが――必要だ。
現場を動かすには、まず“事実”がなければならない。
その土台が腐っているなら、どれだけ適性を見抜いても、正しい配置はできない」
彼は視線を落とし、散乱する書類の中から一枚を手に取った。
若い兵士の評価記録だった。
読み進めると、その兵は戦場での報告精度が高く、斥候向きとあった。
だが、その次の転属記録では“魔術訓練班”へと回されている。
「誰が、なぜ、この判断をしたんだろうな」
呟いたその声には、過去の職場で何度も同じ疑問を口にしてきた、あの頃の山本の声が重なっていた。
評価されない者。間違って配置された者。
声を上げられずに埋もれた力。
そして、それを誰も“見なかった”ことへの責任。
「俺は、同じことを繰り返すためにここに来たわけじゃない」
山本は小さく口元を引き結び、そっと紙束を棚に戻した。
「まずは、この記録群を読み解く“目”と“手”を育てる必要がある。
仕組みそのものを整理する人材と、現場との橋渡しができる人材。どちらも揃えないと、動かせない」
「候補は?」
「少し思い当たる節がある。だが、まずは現場を回ろう。見ない限り、机上の空論にしかならない」
リリシアが片眉を上げた。
「全軍を?」
「必要なら全軍でも回るよ。変えるためには、まず自分が動くしかない」
二人の影が、書庫の灯に長く伸びた。
動かすべきは、書類ではない。
その奥に潜む、“見ないふりをした構造”そのものだ。
山本は手帳を開き、端に一行だけ記した。
『書類に魂を取り戻すこと。それが、改革の第一歩だ』
外観こそ黒曜石と重厚な金属装飾で重々しいが、中に足を踏み入れると途端に埃っぽい紙の匂いと、澱んだ空気が迎えてくる。
山本はその中央にそびえる書庫室に足を踏み入れた瞬間、思わず息を詰めた。
広い空間の中央に、背の高い書架が十列以上並び、壁一面には古びた巻物や冊子が積み重なっている。床の上にも、分類されきれなかったらしい紙束が紐でくくられ、山のように転がっていた。照明は魔導灯で灯されているが、その光さえも紙埃の中でくぐもって見える。
リリシアは何も言わず、足音ひとつ立てずに進み、部屋の奥にある金属製の保管棚の前で立ち止まった。
「ここが全軍人事記録の主幹保管庫。配置記録、階級査定、離脱・殉職報告、戦歴履歴、通報記録まで、すべて“ある”にはあるわ」
山本は思わず口元をしかめた。
「なるほど……“ある”ことと、“使える”ことは別だな」
棚を開けると、鉄の引き出しから黄ばんだ紙がごっそりと現れる。そのひとつを取り出してみると、手書きの文字はかすれ、魔法の印が押されているはずの場所が滲んで読めない。
別の資料に目を移すと、そこには表紙に『第九補給隊・人員変動記録』と記されていたが、ページを開いた瞬間、山本の眉がひそまった。
「これは……前任者の記録だけで、更新が止まってる。半年分空白か。しかも、転属理由も“適正により”とだけ。誰の判断かも書かれていない」
「形式上の報告だけを優先して、中身を省いたのね」
リリシアは無感情に言いながら、別の巻物を引き出した。今度は斥候部隊の人員配置表。開いた瞬間、紙が風化したようにぱりっと裂けた。
「こっちは……同じ兵が二箇所の部隊に同時所属している記録になってる。つまり、誰もチェックしていない」
山本は片膝をついて、束ねられた紙の山を少しずつ崩すようにして手に取っていく。
「この報告書……名前だけあるが、評価欄がすべて空白。戦歴も、適性欄も記入なし」
リリシアは腕を組み、淡々とした口調で言った。
「文書で管理した気になって、誰も“内容”を見ていない。それが現状よ」
その言葉が、山本の胸にずしりと響いた。
彼はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。
見上げれば天井まで届く紙の塔。
棚という棚に詰め込まれた、見る者のいない記録たち。
兵たちの人生の断片が、こんな形で放置されている。
「なるほど……“組織病”の典型だ」
その言葉には、怒りではなく、静かな諦念が混じっていた。
「紙の上だけの管理。報告のための報告。形骸化した評価制度。現場を見ずに記号化された人間。
これはもう、情報の墓場だ」
リリシアが僅かに頷いた。
「改革の初期段階でここを訪れると決めた理由が、わかった気がするわ。あなたは、“まず見る人”なのね」
「現場の資料を扱う以上、それが何を意味しているかを知らなければならない」
山本は深く息を吐いた。
「これを整理するところから始めるのは、非効率だが――必要だ。
現場を動かすには、まず“事実”がなければならない。
その土台が腐っているなら、どれだけ適性を見抜いても、正しい配置はできない」
彼は視線を落とし、散乱する書類の中から一枚を手に取った。
若い兵士の評価記録だった。
読み進めると、その兵は戦場での報告精度が高く、斥候向きとあった。
だが、その次の転属記録では“魔術訓練班”へと回されている。
「誰が、なぜ、この判断をしたんだろうな」
呟いたその声には、過去の職場で何度も同じ疑問を口にしてきた、あの頃の山本の声が重なっていた。
評価されない者。間違って配置された者。
声を上げられずに埋もれた力。
そして、それを誰も“見なかった”ことへの責任。
「俺は、同じことを繰り返すためにここに来たわけじゃない」
山本は小さく口元を引き結び、そっと紙束を棚に戻した。
「まずは、この記録群を読み解く“目”と“手”を育てる必要がある。
仕組みそのものを整理する人材と、現場との橋渡しができる人材。どちらも揃えないと、動かせない」
「候補は?」
「少し思い当たる節がある。だが、まずは現場を回ろう。見ない限り、机上の空論にしかならない」
リリシアが片眉を上げた。
「全軍を?」
「必要なら全軍でも回るよ。変えるためには、まず自分が動くしかない」
二人の影が、書庫の灯に長く伸びた。
動かすべきは、書類ではない。
その奥に潜む、“見ないふりをした構造”そのものだ。
山本は手帳を開き、端に一行だけ記した。
『書類に魂を取り戻すこと。それが、改革の第一歩だ』
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