遠くて近い君へ

中岡 始

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第1章 別れの時

6.隼人不在の影響

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隼人がフィレンツェへ出発した後も、青海の宿の日常は変わらず続いていた。しかし、翔にとってその「変わらない日常」には、隼人の不在がもたらす静かな物足りなさがあった。忙しいフロント業務に追われていても、隼人の明るい声や的確なアドバイスが聞こえてこないことが、ふとした瞬間に胸を締めつけた。

そんな中、系列ホテルから中村健一という若手スタッフが一時的に派遣されることが決まった。健一は25歳、隼人よりも少し若いが、フロント業務の経験はそれなりにあるという。とはいえ、新しい環境に慣れるまでは手がかかるだろうと、翔は自然にそのことを理解していた。

「翔、中村君の指導を頼む」

フロントチーフの高橋からそう言われ、翔は一瞬戸惑いを覚えた。これまで自分が指導を任されることなどほとんどなかったからだ。隼人がそばにいるときは、何かあれば彼がフォローしてくれるという安心感が常にあった。しかし、今は隼人がいない。翔自身が責任を持って新人を指導しなければならない立場になったのだ。

健一が到着し、フロントに立ったその日から、翔は新たな責任感を胸に抱くようになった。最初は少し頼りなさげに見える健一に対して、自然と隼人と比べてしまう自分がいたが、それでも彼をしっかりと導いていくことが自分の役目だと自覚していた。

「田中さん、次のお客様のチェックイン手続き、これで合ってますか?」

健一は書類を差し出しながら、少し緊張した表情で翔を見た。翔はその質問に丁寧に答えながら、少しずつ健一のペースに合わせて説明をしていく。隼人のような的確で冷静な対応ができるだろうか、と心の中で自問するが、やるしかないという思いがそれを押しのけた。

「中村君、落ち着いて。今の手続きは問題ないよ。あとはお客様に笑顔でご案内すれば大丈夫だから」

翔はできるだけ安心感を与えるように微笑みかけた。健一は頷きながらも、まだどこかぎこちなさが残っていた。それは自分自身も同じだったと翔は思う。隼人がいない今、自分も成長しなければならない。健一の指導を通じて、自分がどれだけの力を持っているのかを試されているようだった。

「隼人ならどうするだろう?」 

そう考えることが、翔の中で日常的になっていたが、それと同時に「自分なりのやり方」を模索する日々が始まっていた。隼人の不在は、翔にとって大きな喪失感をもたらしたが、それは同時に彼に新たな挑戦と成長の機会を与えていたのだった。
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