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第1章 別れの時
1. 研修オファー
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リゾートホテル「青海の宿」のフロントで働く佐々木隼人は、12月の冷たい風を感じながら、フロントデスクに立っていた。
彼は27歳という若さでありながら、その落ち着いた仕事ぶりで、客からも同僚からも一目置かれる存在だった。背の高い隼人は、整った顔立ちに黒髪を短く整え、いつも制服をきちんと着こなしている。
そんな彼に突然、松永総支配人から呼び出しがあったのは、ある静かな午後のことだった。
総支配人室に入ると、松永はいつもの落ち着いた表情で隼人を迎え入れた。
「佐々木君、来てくれてありがとう」
軽くうなずく隼人に、松永は続けた。
「今日は君に、とっておきの話を持ってきた」
松永の言葉に隼人は少し緊張しながら耳を傾ける。
「君がこの前の騒動を冷静に対応したこと、私も高く評価している。あの一件で、君のプロフェッショナリズムが一段と成長したのを感じたよ」
隼人は心の中で、自分が担当したVIPゲストのトラブル対応を思い返した。あの時、冷静さを保ちながら、ホテルの品位を守るために最善を尽くしたことが評価されているのだと理解し、胸の奥で小さな達成感が広がるのを感じた。
「そこでだ」松永は机の上の資料に手を置くと、隼人の目をまっすぐに見据えた。
「来年1月から、フィレンツェにある高級ホテルでの海外研修の機会がある。そこに君を送り出したいと考えているんだ」
一瞬、隼人の心臓が跳ね上がった。フィレンツェ、高級ホテル、海外研修——。これまでの仕事で培ったスキルを、さらに磨くための大きなチャンスが目の前に差し出されている。それに応えることができれば、自分のキャリアは大きく前進するだろう。しかし、その反面、ある迷いが彼の胸中に生じた。
「翔は…田中翔はどうなるんでしょうか」
無意識に口をついたのは、同僚であり親しい友人でもある翔のことだった。隼人と同じ時期に入社した翔は、共にフロント業務を支え合ってきた存在だ。お互いを信頼し、時には競い合いながら成長してきた。そんな翔と離れて、半年もの間研修に行くことが、自分にとってどう影響するのかを考えずにはいられなかった。
松永は微笑を浮かべた。
「田中君のことは心配いらないよ。彼もまた、しっかりと成長している。だからこそ君が不在でも大丈夫だと確信しているんだ。それに、この研修は君自身のためのものだ。君がさらに成長して帰ってくることが、ホテル全体にとっても大きな意味を持つ」
隼人は松永の言葉にうなずいた。その言葉は、心の奥で感じていた不安を少しずつ和らげていくように思えた。しかし、完全に踏ん切りがついたわけではなかった。翔のことが頭から離れない。彼と離れることで、今まで築いてきた絆がどう変わってしまうのか、それが気がかりだった。
「分かりました。少し考えさせてください」
隼人は静かに答えた。松永はその答えに深くうなずき、
「君の返事を待っているよ」
と言って、隼人を見送った。
部屋を出た隼人は、冷たい風に吹かれながらフロントに戻る。冬の空気が頬に刺さるようだったが、彼の心の中はそれ以上に複雑な感情で満たされていた。
彼は27歳という若さでありながら、その落ち着いた仕事ぶりで、客からも同僚からも一目置かれる存在だった。背の高い隼人は、整った顔立ちに黒髪を短く整え、いつも制服をきちんと着こなしている。
そんな彼に突然、松永総支配人から呼び出しがあったのは、ある静かな午後のことだった。
総支配人室に入ると、松永はいつもの落ち着いた表情で隼人を迎え入れた。
「佐々木君、来てくれてありがとう」
軽くうなずく隼人に、松永は続けた。
「今日は君に、とっておきの話を持ってきた」
松永の言葉に隼人は少し緊張しながら耳を傾ける。
「君がこの前の騒動を冷静に対応したこと、私も高く評価している。あの一件で、君のプロフェッショナリズムが一段と成長したのを感じたよ」
隼人は心の中で、自分が担当したVIPゲストのトラブル対応を思い返した。あの時、冷静さを保ちながら、ホテルの品位を守るために最善を尽くしたことが評価されているのだと理解し、胸の奥で小さな達成感が広がるのを感じた。
「そこでだ」松永は机の上の資料に手を置くと、隼人の目をまっすぐに見据えた。
「来年1月から、フィレンツェにある高級ホテルでの海外研修の機会がある。そこに君を送り出したいと考えているんだ」
一瞬、隼人の心臓が跳ね上がった。フィレンツェ、高級ホテル、海外研修——。これまでの仕事で培ったスキルを、さらに磨くための大きなチャンスが目の前に差し出されている。それに応えることができれば、自分のキャリアは大きく前進するだろう。しかし、その反面、ある迷いが彼の胸中に生じた。
「翔は…田中翔はどうなるんでしょうか」
無意識に口をついたのは、同僚であり親しい友人でもある翔のことだった。隼人と同じ時期に入社した翔は、共にフロント業務を支え合ってきた存在だ。お互いを信頼し、時には競い合いながら成長してきた。そんな翔と離れて、半年もの間研修に行くことが、自分にとってどう影響するのかを考えずにはいられなかった。
松永は微笑を浮かべた。
「田中君のことは心配いらないよ。彼もまた、しっかりと成長している。だからこそ君が不在でも大丈夫だと確信しているんだ。それに、この研修は君自身のためのものだ。君がさらに成長して帰ってくることが、ホテル全体にとっても大きな意味を持つ」
隼人は松永の言葉にうなずいた。その言葉は、心の奥で感じていた不安を少しずつ和らげていくように思えた。しかし、完全に踏ん切りがついたわけではなかった。翔のことが頭から離れない。彼と離れることで、今まで築いてきた絆がどう変わってしまうのか、それが気がかりだった。
「分かりました。少し考えさせてください」
隼人は静かに答えた。松永はその答えに深くうなずき、
「君の返事を待っているよ」
と言って、隼人を見送った。
部屋を出た隼人は、冷たい風に吹かれながらフロントに戻る。冬の空気が頬に刺さるようだったが、彼の心の中はそれ以上に複雑な感情で満たされていた。
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