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金なし・職なし・身分なし
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誰かの気配を感じ、佐藤はゆっくりと目を開けた。
先ほどまで呆然と鏡を見つめていたが、考えすぎたせいか、いつの間にか再び眠ってしまっていたらしい。
「お、やっと起きたかい」
低く落ち着いた声がした。
視線を向けると、入り口に立っていたのは五十代ほどの男だった。短く刈り込まれた髪に、日焼けした肌。エプロンをしているところを見ると、宿の主人だろうか。
「昨日、うちの店の前で倒れてたんだよ。ひどく衰弱してたが、大丈夫か?」
「……倒れてた?」
「ああ、近くの者が気づいて、ここまで運んでくれたんだ」
佐藤は眉をひそめた。
転生の瞬間の記憶はなかった。ただ、目覚めたらこの宿のベッドの上にいた。どうやら、異世界に現れた直後、衰弱して倒れたらしい。
宿の主人は腕を組みながら、じろりと佐藤を見下ろした。
「それで、あんたは何者なんだ? 旅の冒険者か? それとも、貴族のお坊ちゃんか何かか?」
「……いや、その……」
どう答えるべきか迷った。
本当のことを言っても信じてもらえるとは思えない。かといって、適当な嘘をついても後々ボロが出るだろう。
少し考えた末、佐藤は短く答えた。
「……覚えてない」
「記憶喪失ってことか?」
主人が訝しげに眉を寄せる。
そういうことにしておいたほうが話が早い気がした。
「……多分」
「ふむ……」
男は一瞬考え込むと、大きくため息をついた。
「まぁ、命に別状はなさそうだし、しばらく様子を見たほうがいいな」
佐藤は少し安堵しかけたが、次の瞬間、男が手を差し出してきた。
「で、宿代はどうする?」
その一言に、佐藤は凍りついた。
「……宿代?」
「ああ。昨夜からここに泊まってるんだからな。当然、代金は払ってもらわねぇと」
言われて初めて、異世界にも「宿代」という概念があることを思い出す。
だが、当然のことながら、佐藤は一文無しだった。
そもそも、この世界の通貨すら知らない。
財布を探してみるが、ポケットの中は空っぽだった。
「……金、ないんだけど」
宿の主人がため息をついた。
「そうだろうと思ったよ。なら、食器洗いでも何でもいいから働いてもらおうかね?」
「え?」
「うちの店じゃ、ツケなんざ許してねぇんだ。働けないなら、とっとと出て行ってくれ」
思わず返す言葉を失った。
所持金ゼロ、身分不明。
記憶喪失ということにしたものの、この世界で生きていく手段がない。
それに、いきなり食器洗いをしろと言われても、まともにできる自信がなかった。
「……すみません、お世話になりました」
結局、佐藤は宿を後にすることにした。
金も職もないまま、異世界に放り出されたのだ。
街を歩きながら、ため息をついた。
「……詰んでるじゃん、俺」
とりあえず仕事を探そうと、街を歩いてみることにした。
道端には屋台が並び、果物や焼き菓子の甘い香りが漂っている。石畳の道を行き交うのは、様々な人々。中には獣人のような耳を持つ者や、長い耳をしたエルフらしき存在もいる。
(……本当に異世界なんだな)
そんなことを考えていると、すれ違う人々の視線が自分に向いていることに気づいた。
特に、女性たちの反応が異常だった。
「……すごいイケメン……」
「貴族様かしら?」
「ねえ、見た? あの黒髪の人……」
ひそひそと囁かれる声が聞こえてくる。
彼女たちは明らかに、こちらを意識している。
すれ違いざまに目を合わせた女性が頬を赤らめ、急いで立ち去っていく。
(なんだこれ……)
佐藤は戸惑いながらも、足を速めた。
美貌だけでここまで注目されるとは思わなかった。
しかし、そんなことで飯が食えるわけではない。
「仕事を探さないと……」
まずは、商人として働くことを考えた。
だが、すぐに問題に気づく。
(商売って、普通は元手が必要だよな)
当然の話だった。
金がないのに商売などできるはずがない。
「商人は無理か……」
次に、冒険者になれないか考えた。
しかし、ギルドらしき建物を遠目に眺めたところで、佐藤はすぐに諦めた。
周囲には、見るからに屈強な戦士たちが集まり、武器を担いでいる。
(俺、戦闘スキルゼロなんだが……)
冒険者といえば、異世界では定番の職業かもしれない。
しかし、魔法も剣術も使えない自分がやれば、即死が目に見えている。
「冒険者も無理か……」
最後に、労働者としての道を考えた。
肉体労働なら、金がなくても始められるかもしれない。
だが、ここでまた問題があった。
(俺、こんな細い体で力仕事できるのか?)
転生したことで、体型はスラリと整っているが、筋肉がついているわけではない。
それに、異常な美貌のせいで、労働者として雇われるのも難しそうだった。
(むしろ、雇われたら雇われたで、いろいろ問題が起こりそうだな……)
結局、どの仕事も無理だった。
「……詰んでるじゃん、俺」
何度目かのため息が漏れた。
転生して、最高の容姿を手に入れた。
だが、それが何になる?
生きていく手段がなければ、意味がない。
空腹を感じ始めた頃、佐藤は途方に暮れて立ち尽くした。
本当に、この世界で生きていけるのだろうか……。
先ほどまで呆然と鏡を見つめていたが、考えすぎたせいか、いつの間にか再び眠ってしまっていたらしい。
「お、やっと起きたかい」
低く落ち着いた声がした。
視線を向けると、入り口に立っていたのは五十代ほどの男だった。短く刈り込まれた髪に、日焼けした肌。エプロンをしているところを見ると、宿の主人だろうか。
「昨日、うちの店の前で倒れてたんだよ。ひどく衰弱してたが、大丈夫か?」
「……倒れてた?」
「ああ、近くの者が気づいて、ここまで運んでくれたんだ」
佐藤は眉をひそめた。
転生の瞬間の記憶はなかった。ただ、目覚めたらこの宿のベッドの上にいた。どうやら、異世界に現れた直後、衰弱して倒れたらしい。
宿の主人は腕を組みながら、じろりと佐藤を見下ろした。
「それで、あんたは何者なんだ? 旅の冒険者か? それとも、貴族のお坊ちゃんか何かか?」
「……いや、その……」
どう答えるべきか迷った。
本当のことを言っても信じてもらえるとは思えない。かといって、適当な嘘をついても後々ボロが出るだろう。
少し考えた末、佐藤は短く答えた。
「……覚えてない」
「記憶喪失ってことか?」
主人が訝しげに眉を寄せる。
そういうことにしておいたほうが話が早い気がした。
「……多分」
「ふむ……」
男は一瞬考え込むと、大きくため息をついた。
「まぁ、命に別状はなさそうだし、しばらく様子を見たほうがいいな」
佐藤は少し安堵しかけたが、次の瞬間、男が手を差し出してきた。
「で、宿代はどうする?」
その一言に、佐藤は凍りついた。
「……宿代?」
「ああ。昨夜からここに泊まってるんだからな。当然、代金は払ってもらわねぇと」
言われて初めて、異世界にも「宿代」という概念があることを思い出す。
だが、当然のことながら、佐藤は一文無しだった。
そもそも、この世界の通貨すら知らない。
財布を探してみるが、ポケットの中は空っぽだった。
「……金、ないんだけど」
宿の主人がため息をついた。
「そうだろうと思ったよ。なら、食器洗いでも何でもいいから働いてもらおうかね?」
「え?」
「うちの店じゃ、ツケなんざ許してねぇんだ。働けないなら、とっとと出て行ってくれ」
思わず返す言葉を失った。
所持金ゼロ、身分不明。
記憶喪失ということにしたものの、この世界で生きていく手段がない。
それに、いきなり食器洗いをしろと言われても、まともにできる自信がなかった。
「……すみません、お世話になりました」
結局、佐藤は宿を後にすることにした。
金も職もないまま、異世界に放り出されたのだ。
街を歩きながら、ため息をついた。
「……詰んでるじゃん、俺」
とりあえず仕事を探そうと、街を歩いてみることにした。
道端には屋台が並び、果物や焼き菓子の甘い香りが漂っている。石畳の道を行き交うのは、様々な人々。中には獣人のような耳を持つ者や、長い耳をしたエルフらしき存在もいる。
(……本当に異世界なんだな)
そんなことを考えていると、すれ違う人々の視線が自分に向いていることに気づいた。
特に、女性たちの反応が異常だった。
「……すごいイケメン……」
「貴族様かしら?」
「ねえ、見た? あの黒髪の人……」
ひそひそと囁かれる声が聞こえてくる。
彼女たちは明らかに、こちらを意識している。
すれ違いざまに目を合わせた女性が頬を赤らめ、急いで立ち去っていく。
(なんだこれ……)
佐藤は戸惑いながらも、足を速めた。
美貌だけでここまで注目されるとは思わなかった。
しかし、そんなことで飯が食えるわけではない。
「仕事を探さないと……」
まずは、商人として働くことを考えた。
だが、すぐに問題に気づく。
(商売って、普通は元手が必要だよな)
当然の話だった。
金がないのに商売などできるはずがない。
「商人は無理か……」
次に、冒険者になれないか考えた。
しかし、ギルドらしき建物を遠目に眺めたところで、佐藤はすぐに諦めた。
周囲には、見るからに屈強な戦士たちが集まり、武器を担いでいる。
(俺、戦闘スキルゼロなんだが……)
冒険者といえば、異世界では定番の職業かもしれない。
しかし、魔法も剣術も使えない自分がやれば、即死が目に見えている。
「冒険者も無理か……」
最後に、労働者としての道を考えた。
肉体労働なら、金がなくても始められるかもしれない。
だが、ここでまた問題があった。
(俺、こんな細い体で力仕事できるのか?)
転生したことで、体型はスラリと整っているが、筋肉がついているわけではない。
それに、異常な美貌のせいで、労働者として雇われるのも難しそうだった。
(むしろ、雇われたら雇われたで、いろいろ問題が起こりそうだな……)
結局、どの仕事も無理だった。
「……詰んでるじゃん、俺」
何度目かのため息が漏れた。
転生して、最高の容姿を手に入れた。
だが、それが何になる?
生きていく手段がなければ、意味がない。
空腹を感じ始めた頃、佐藤は途方に暮れて立ち尽くした。
本当に、この世界で生きていけるのだろうか……。
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