道理恋慕

華子

文字の大きさ
上 下
68 / 196
空虚と妖雲

空虚と妖雲7

しおりを挟む
 芽衣の匂いに包まれた部屋で、唇は1度だけ重なった。心配性な君が母親の帰宅に意識を傾けながらのキスだったから、2度目はやめておいた。

「じゃあまた明日、新学期に。うっちゃん遅刻しないでよ」

 マンション1階のエントランスで、俺は芽衣の手を離す。離したくないけれど、そっと離す。

「うん。またね、芽衣」

 君の温もりから無機質なポケットの中へと移されたその手は、なんだか可哀想に思えた。

「じゃ」

 そう言って、君に背を向け歩み始めると、まだ星ひとつとしてない鈍色にびいろの空が視界に入る。

 寂しい、満たされない、空っぽだ。

 愛する人と、時間ときという巻き戻しのきかない貴重なものを共有できた俺が、こんな風に思うのは珍しい。
 俺は一体、どうしてしまったのだろう。
 
 空虚の心に風が吹く。空虚の心に雲がかかる。いつだって俺の心の中は、芽衣でいっぱいだったはずなのに。


 翌日も、君との待ち合わせ場所はいつもの信号機。時間通りにやってきた君は、昨晩見上げた空と同じ顔色で告げてきた。

「琴ちゃん、勇吾にフラれちゃったんだって。勇吾には他に好きな人がいるみたい」

 妖雲よううんは、空虚のふちからやって来る。
しおりを挟む

処理中です...