道理恋慕

華子

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初犯と狼狽

初犯と狼狽17

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「大和おかえり、大丈夫だった?」

 玄関扉を開けるやいなや、眉を顰めた母親が俺を出迎えた。

「迷わなかった?平気だった?」
「うん。大丈夫」

 居間の時計はまだ9時半。随分と長く感じたおつかいだったが、1時間しか留守にしていなかった事に気付く。

 桜子はお笑い番組を観ていた。こちらは向かない。

「父さん。なんかこれ、貰ったけど」

 ビール片手に法の本を読んでいた父親の前、ポケットの中で少しばかり潰れた茶封筒を食卓へ置く。

「おう、ありがとうな大和。助かった」
「うん。電車賃のお釣りは貰っていい?」
「ははっ。大した額じゃないのに、いちいち聞くな」
「ありがとう」

 俺の前では中身を確認するどころか触れる事すらされなかったその茶封筒は、俺がシャワーを浴びているほんの数分の間に消えた。

 子供部屋の豆電球は、今日もささやかに部屋を照らす。俺等兄妹も、電気の明るさに比例して小声で話す。と言うか、桜子はただ元気がないだけだと、そんな感じもしたけれど。

「桜子、あの番組途中で観るのやめたの?やっぱ俺がいないと怖くて観れないか、ははっ」
「べつにそうじゃないけど。なんか観る気なくなっちゃって」
「そっか」
「それよりどうだった?」
「なにが」
「……おつかい」
「あー……」

 嘘をつこうか本当を伝えようか。揺蕩たゆたう己は桜子にバレてはいけない。作り話だと一瞬でも頭に過ぎらせてしまえば、彼女はもっと臆病風に吹かれてしまう。

「どんな人かと思ったけど、ふたりとも普通の人だったよ」

 だから俺は、事実だけを話す事にした。ただの中坊がした憶測なんか関係ない、事実だけを。

「そうなの?恐い人じゃなかった?」
「ぜーんぜん」

 そう言うと、桜子はホッとした様子を見せた。

「袋にはなにが入っていたの?」
「うーん。なんか花の種みたいのが入ってたかな。なかなか市場には出回らない、珍しいやつなのかなあ」
「男の人が、花なんて育てる?」
「それは桜子の偏見だよ。男にだって花好きはいる」

 そうだ、そうだよきっとそうだ。袋の中身はやくでも違法な葉っぱでもなんでもない。ただの種だ。

「おやすみ、お兄ちゃん」
「おやすみ」

 俺は桜子の撫で下ろした胸に自分の気持ちも重ねて、瞳を閉じた。
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