君と私の恋の箱

華子

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新生活

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 高校生活はすぐに慣れた。クラスの雰囲気も良く、友達もたくさんできた。偏差値が低いから荒れているかもしれない、などと気にしていたが、それはただの偏見だった。

『水曜と土曜はバスケ部休みだって!今度遊ぼ!』

 凛花とは頻繁に連絡をとる。放課後の予定に私を組み込むくらいだから、意中の人はまだできていないようだ。


「どう?乃亜の学校は」

 ゴールデンウィークが間近に迫った四月下旬の放課後。地元のファーストフード店で、凛花と雑談をする。

「みんな仲いいし、校則も厳しくないし。楽しいよ」
「だから髪の毛染めたの?」
「だってほとんどみーんな、髪の毛明るいんだもん。へ、変?」
「変じゃないよ。似合ってる」

 入学式当日、黒髪の生徒の方が目立つことに気付き、その足で美容室に駆け込んだ。

「凛花はどう?部活はハード?」
「だいぶハード。でも、週二で息をつけるのは有り難いよ」
「そっか」

 ところで陸は、学校でどんな感じ?

 喉すぐそこまで上がってきている質問をなかなか排出できずにいると、彼女の方からその名を口にした。

「そういえば陸さ、もう告白されてたよ」

 その瞬間、あれだけこんがらがっていた喉からも、彼の名前が飛び出した。

「り、陸が!?」
「うん。放課後に廊下歩いてたら、教室で女の子とふたりっきりの陸発見しちゃって。女の子の方は顔が真っ赤だったから、あれは絶対、愛の告白だと思う」
「そう、なんだ……」
「中学の時は乃亜とコンビでつるんでたから誰も近付かなかったけど、陸って顔は悪くないし、意外と優しいとこもあるし、モテるかもね。すぐに彼女できるんじゃない?」

 告白をされている陸。モテる陸。彼女がいる陸。想像をすれば、鳩尾辺りが疼き出す。
 凛花は続けた。

「陸だけじゃなくて、私もまじで彼氏ゲットしよっと。今度ね、面白い企画があるんだ」
「企画?」
「ゴールデンウィークに一年生みんなでバーベキューするんだって。バスケの先輩も、去年そこでカップルになったって」
「り、陸も行くの?」
「うん。行くって言ってたよ」

 ドンッと頭上に落ちてくる、「合コン」と書かれた石の塊。私はその重みに耐えきれず、項垂れた。

 保育園や小学校、登校時や帰り道。今まで約束を結ばずとも顔を合わせていた陸が、違う高校というだけで、もの凄く遠い人となった。四月に入り、彼と会ったのは偶然コンビニで一回だけ。

 俺が何かしら理由つけて乃亜に会いに行くから、会えるっしょ。

 いつだかに彼がくれた言葉も、あの箱にしまってしまったのだろうか。


「ごめん、私そろそろ帰るね」

 最後のポテトをかきこんで、凛花は言う。

「今日、お母さんの仕事帰りにバッシュ買う約束してるんだ。中学のはなんだか小さくて」
「凛花の足、まだ大きくなってるの?」
「そうそう。まだまだ成長期っ」

 ばいばいと彼女に手を振って、私は携帯電話に目を落とす。


「こちら、お下げしてもよろしいですか?」

 ネットニュースのスクロール中、すぐ側で聞こえた店員らしき声に顔を上げると、そこには懐かしい人物がいた。

「森君……?」
「あれ、乃亜?」

 それは中学の同級生でもあり元恋人。店の制服を身に纏っている彼に聞く。

「久しぶりっ。何、もしかしてバイト?」
「うん。高校入ってすぐ始めたんだ。乃亜の髪の毛茶色いから、一瞬誰だかわからなかったよ」

 足元のローファーからロゴの付いた帽子まで、全身まじまじと見つめる私に、彼は「見過ぎ」とはにかんだ。

「森君すっごく似合ってるよ。本物のスタッフみたい」
「いや、本物のスタッフなんだけど」
「あ、そっか」

 あははと笑い合っていると、他の席から呼ばれる彼。「少々お待ち下さいませ」と返事をした後、私の耳に囁いた。

「あと少しで上がるから、ちょっと外で待ってて」


 出入り口正面のガードレールに背をつけて、ぼうっと星なき夜空を見上げる。森君はすぐにやって来た。

「ごめんお待たせっ」
「全然待ってないよ。着替えるの早っ」
「もう七時だけど、喋れる時間ある?」
「うん。うちは厳しくないから」

 私のその言葉で、彼は斜向かいのカフェを指さした。


「乃亜とふたりとか、付き合ってた頃以来?」

 彼と恋仲だったのは、中学二年生の僅か二ヶ月。

「そうだね。別れてからあまり喋ってなかったし、もう嫌われたかと思ってた」
「嫌いになんてなってないよ、ただ気まずかっただけ。乃亜もそうでしょ?」
「うん。ちょっと気まずかったかも」
「恋人なんて、別れたらそんなもんだよな」

 そう言って、彼はパフェをひとくち食べた。
 そのがっちり体型にはそぐわぬ可愛らしい食べ物を、次々に口へ運ぶ彼を見て、あの頃のたった二ヶ月間が、脳の真ん中カラーで再生されていく。

「森君は、相変わらず甘党だねえ」

 ふふっと笑って、ドリンクを飲む。そんな私を見て彼は言った。

「乃亜も相変わらず、ホットのブラックなんだな」

 些細な思い出を覚えていてくれた彼に、嬉しくなった。

「そういえば、森君ってどこの高校にしたんだっけ?」
「俺?俺は並河なみかわ高校だよ。乃亜は?」
「桜橋高校」
「え!一駅隣じゃん!合同イベントとかあるらしいよっ」
「へぇ、そうなんだ。何するんだろ?」
「詳しくは知らないけど、確か夏頃だっけな。一年だけで交流会みたいのがあるらしい」

 言われてみればそんな案内のプリントを、入学した際にもらっていたかもしれない。

「陸のとこもバーベキューあるしなー。高校ってイベント多いな」
「森君、陸とまだ仲良いんだね」
「おうよ。この前も中学の面子メンツでボーリング行ってきた。陸の圧勝だったから思い出したくもないけど」

 陸と会えない上に、周りから入ってくる知らない情報ばかりで落胆する。

「乃亜はバイトしないの?」

 私のコーヒーより先に、器を空にした彼が聞く。私はうーんと腕を組む。

「今日の森君見てたらいいなって思ったから、探そうかな。部活も入ってないし」
「俺のとこ紹介しようか?店長優しいよ」
「え。いいよそんなの、悪いよ」
「人手不足だし絶対喜ばれると思う。まあ、気が変わったら連絡してよ」

 ニカッと笑う森君に、私も笑顔で返した。

✴︎

 私は「会いたい」と気軽に誘えるほど素直な人間ではない。だから、陸と会う為の理由を作った。

「乃亜ちゃん髪染めたんだ!超可愛い!」

 週末、楓にお下がりの服をあげるという口実のもと、午前から陸の家へとお邪魔した。

「ありがとう、楓。おばさんは?」
「今日はおばあちゃんとこ行くんだって。だからお兄ちゃんしかいないー」

 陸の在宅に、心が躍る。

「こんなにいっぱいもらっていいの?」

 大きな紙袋を見て、楓は言った。

「いいのいいの。制服のシャツも、高校は指定のものがあるから着られなくて」
「嬉しい~。助かる!」
「いつもお古ばっかりあげてごめんね」

 昔から、私の服を着る楓を見ると嬉しくなるのは、ひとりっ子の私も少しだけ、姉気分になれるからだろうか。

 
「うっす」

 居間で女子ふたり、服とトークを広げていると、スウェット姿の陸がやって来た。

「乃亜、来てたんだ。おはよ」
「お、おはようっ」

 十五年間毎日言い続けた「おはよう」を久々に言えるというだけで、気分は弾む。

 寝癖たっぷりの陸は、目をこすりながら食卓につく。

「そういえば、乃亜に連絡しようと思ってたんだよな、俺」
「なんで?」
「歴史日本漫ガタリ最新刊、出た」

 これは私の気分を更に高揚させる、最強のワードだ。

「よ、読みたい!」
「まだ買ってねえから、後で買い行くか」

 大好きな漫画本に、久しい陸。テンションはマックスだ。


 洗面所へと立った陸を機に、女子トークを再開させようとすると、口角を上げた楓に肘で突つかれた。

「ねえ乃亜ちゃん。体育祭の彼とは別れたんだよね?」
「ああ、勇太君?別れたよ」
「じゃあ、お兄ちゃんどお?」
「え」
「お兄ちゃん、絶対乃亜ちゃんのこと好きだもん。付き合ってあげてよっ」

 陸と私の間で交わされたフりフラれを、彼女は何も知らないのだろう。期待に胸を膨らまさせて申し訳ないのだが、私の口からはこんなことしか言えない。

「陸とはただの幼馴染だよ」

 途端に彼女の顔が歪んだ。

「えー。お兄ちゃん、超葛藤してんのにっ」

 ピンッと楓の人差し指が立つ。

「この前ね、夕ご飯中にやたらとスマホ触るから、覗き込んでやったの。そしたら乃亜ちゃんとのメール画面開いてるのに、送信ボタンで手が止まっちゃってるんだよ。おかしいでしょ?それにね──」

 人差し指そのままに、中指も立てた彼女。陸が洗面所から顔を出す。

「おい楓!余計なこと言うなっ」

「はいはい」とあしらって、楓は笑う。

「お兄ちゃん、バレバレだっつーのっ」


「よしっ。じゃあ朝飯買いがてら、漫画も買うか。楓、何かいる?」

 近所を歩けるくらいまでに身なりを整えた陸が聞く。

「お菓子ー。甘いのー。お兄ちゃんのバイト代でよろしくー」
「まだ給料入ってねえよ。後できっちり請求するぞ」

 そんなふたりの会話は、私の脳に確と残った。

 コンビニまでの道すがら、気になったそれを陸に尋ねる。

「陸、バイト始めたの?」
「おう」

 バーベキューやボーリングに続き、これも初耳だ。

「なんのバイト?」
「ピザ屋の裏方。作る方」
「ふぅん」

 一気に削ぎ落とされていく、先ほどまでの喜楽の感情。

「陸って、私に何も言わないんだね」
「はあ?今言ったじゃん」
「違うよそれは。私が聞いたからじゃん」
「どっちでもよくね?」
「バーベキューの話も聞いてないし」
「バーベキュー?あー、高校のか。どうして乃亜が知ってんの?」
「凛花から聞いた」
「ああ、そっか。じゃあいいじゃん。俺からわざわざ言う必要ねえっしょ」

 相手の全てを相手の口から知りたいと思うこの気持ち、陸は私に抱かないのだろうか。

 この理不尽なヘソ曲がりが嫉妬だと勘付いたのか、陸は話題を変えた。

「乃亜は最近どうなんだよ。何してんの」

 たちどころに、仕返ししてやりたくなる。

「森君とふたりでお茶した」

 だから、細かい説明を省いたんだ。

「は……なんで森?元彼だろが」
「べつにいいじゃん。陸に関係なくない?」

 思惑通り、陸もすっかり不機嫌に。

「乃亜だって、何も俺に言わねえじゃん」

 外方を向いて舌を弾く陸を見て楽しくなるなんて、私は相当な性格の持ち主だと思う。

「陸、やきもち?」

 そんな陸に、もっと意地悪したくなるのだから、どうしようもない。

「森の野郎~」
「森君ね、陸がボーリング圧勝したって悔しそうだったよ。今度私も行きたいな」
「この俺がアイツに負けるかよ。乃亜にも負けないぞ」
「森君と三人で行く?」
「は?じゃあ行かねえ」
「あははっ。うそうそ、ふたりで行こっ」
「絶対ふたりな」

 コンビニへ着くまでたった数分なのに、陸といると、心が忙しくてしょうがない。


「もうちょっとそっち行って。見えない」
「乃亜は捲るのが早いんだよ。俺に聞いてからにしろっ」

 帰ってくるやいなや肩を付け合い、小さな漫画本一冊に見入る私達を見て、楓は笑った。

「お兄ちゃんはいつでも読めるんだから、乃亜ちゃんに貸してあげなよ」
「どうして俺が俺の金で買ってんのに、乃亜が最初に読むんだよ!おかしいだろ!」
「男らしくないなあ」
「男も女も関係ねえ!」

 その間に、私はまたページを捲る。

「あ!俺まだ読んでねーよ!戻せ戻せ!」
「もう勘弁してよ。陸はさっきから読むのが遅すぎなんだよぉ」
「っとにわがまま!」

 それを見て、楓がまた笑う。こんな時間がたまらなく好き。


 まだ外が明るい夕方でも、陸はやっぱり私を送ってくれて、帰っていく。それは私にだけなのか、他の子にもそうなのかはわからない。

「ただいま」

 静かな家。今週の父は出張で、奈緒さんは用事があり実家へ帰っている。
 だからこれは、玄関で微笑む母へ向けて。

「ただいま、お母さん」

 おかえり乃亜、と聞こえれば、心は和む。

 BGM代わりのテレビをつけて、カップ麺にお湯を注ぐ。三分間が、やたらと長い。
 ふと、森君の言葉が頭を過ぎった。

 俺のとこ紹介しようか?

✴︎

「まじで助かるわ~。店長が感謝してたよ!」

 森君は満面の笑みでそう言った。彼から聞かされていた通り店長はとても良い人で、学生には色々な都合があるだろうと、シフトも柔軟に対応してくれるそうだ。人生初めて経験するバイトに、私は今までにない緊張と、新鮮さに溢れていた。
 

「はあ、疲れたあ」

 夜七時。店長が持たせてくれたコーヒーを手に、家路を歩く。森君が隣で「お疲れ」と言った。

「初日だからね。覚えることたくさんあって大変だったでしょ」
「凛花といつも利用してるから、メニューだけは頭に入ってるんだけどなあ」

 ここは地元で、並んで歩くのは地元の友達なのに、身につけている学校の制服が全く異なるのは、不思議な感覚だった。

「あー甘い」

 店長がくれたコーヒーは、シロップたっぷりアイスのカフェラテ。

「乃亜それ飲める?甘いのも冷たいのも普段飲まなくない?」
「全部は無理かも。店長に申し訳ないけど」

 森君の家と私の家との別れ道。手を振ろうとした私に、彼が待ったを入れた。

「ちょっと乃亜、これ持ってて」

 自身のカップを私に寄越すと、彼の姿は曲がり角の向こうへ消えて行く。そしてほんの一分も経たぬうちに、小走りで戻ってきた。
「はいこれ」と差し出されたのは、ブラックの缶コーヒー。

「すぐそこに自販機あるの思い出したから。乃亜、これなら飲めるでしょ?」

 喜びよりも、驚きの方が勝る。

「わ、わざわざ?」
「わざわざか?すぐそこだよ。あれ……それってどっちが俺のだっけ」

 私の両手にはふたつのカップ。彼から持たされたものは、右か左か。

「……ごめん。忘れちゃった」

 笑って「俺も」と言った彼は、まずひとつを取って缶を渡す。そしてもう一方も手に取ると、口をつけた。

「え!どっちかわかんないよ、それ」
「知らない人の飲み物じゃないし、両方もらっとくわ。俺甘いの好き~」
「えー!なんか恥ずかしいんですけど!」
「はははっ。じゃあな乃亜、気をつけて帰れよー」

 ナチュラル過ぎる彼の振る舞いに、それ以上何も言えくなり、大人しく手を振った。

 温かいブラックコーヒーを飲んで思う。やっぱりこっちの方が好き。
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