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第1話
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「先生って、彼女いるの?」
机を三つ並べた、個別指導塾のブース。
真ん中に座る僕の左隣で問題を解いていた中学三年生・トウヤが、手を止めてこちらを向き、生意気なニヤケ顔でそんなことを言い出す。
また始まったかーーと、ハルトは額を押さえてしまった。
ハルトは大学入学前の春休みから、それまで続けていたスーパーでのアルバイトを辞め、とある個別指導塾で講師のアルバイトを始めていた。
中学時代からの友達に「楽だし、楽しいからやってみたら」と変更を勧められたためだった。
実際、その通りだと思っていた。
授業はローパーテーションによって仕切られたブースでおこない、生徒と二対一か一対一。
スーパーのときのように上司や他のアルバイト、パートの人たちに気を遣いながら仕事しなくていい。塾のルールさえ守っていれば誰にも邪魔されることはない。指導に集中できる。
そして、人にモノを教えるということが非常に面白く感じた。
説明して理解してもらえることが楽しく、問題を解けるようになって喜ぶ生徒を見ることも楽しかった。
教える時間以外にも教材の予習に割く時間が必要で、それは当然給料が発生しない。それが嫌だと言っている講師もいる。しかし自分には、忘れかけていた中学校の学習内容をおさらいすることもまた、楽しいことだった。
楽しんでお金をもらえる。
こんなよい仕事があるのだろうか? と思っていたし、担当生徒たちの成績も今のところ順調で、仕事での悩みなどはまったく発生しなかった。
……彼の担当になるまでは。
「なー、どうなの? いるのか? いないのか?」
夏期講習から担当することになったトウヤは、少し他の生徒とは違う。
なぜか、ハルト個人に関することをよく聞いてくるのである。
答えやすい質問ならよいのだが、「明かすことは厳禁」と塾側から言われていた“通っている大学の名前”を聞いてきたり、家の場所などのあまり明かしたくないことを聞いてきたりと、なかなかに手強かった。
悩み無用だったはずのこのアルバイトで、唯一の悩みになりつつあった。
「いつも言ってるけど、そういう質問には答えないよ」
左手で彼の頭をポンと叩く。これもいつものことだ。
「いいだろ別に、教えてくれてもさあ」
「だめ」
最初は彼もすぐに引き下がっていたのだが、徐々にこうやって粘ってくるようになっている。
「オレ、口堅いから誰にも言わないぞ?」
ハルトの首に、中学生らしく健康的できれいな腕が巻き付く。
彼はTシャツ姿なので、素肌の熱を感じた。
勉強と関係のない質問だけでなく、スキンシップも最近妙に増えている。
冷房が効いているので暑苦しいわけではないが、はたから見るとじゃれ合っているように見えてしまうだろう。彼はマンツーマンのコースを取っているので、ハルトの右隣に誰も座っていないのが救いだ。あまり見られたい光景ではなかった。
「僕は勉強を教えるためにここにいるの。そんなどうでもいいことは教えないよ」
彼の腕をはがすと、今度は彼の頭を両手で掴み、無理やり机の上のテキストに向けさせた。
ハルトより少しだけ長めで、より色の濃い、彼の髪。
外見はややボサボサな感じにも見えるが、手に伝わるその感触はとてもサラサラしていた。癖もないので光沢もきれいで、なんとも不思議な髪だ。
「はぐらかすってことは、いるんだな?」
「なんでそうなるの」
「ってことは、いないんだな。りょうかいー」
「……。いいから最後まで問題を解こうね。まだ途中でしょ」
すぐにこっちを向く癖も直そう――。
そう言って、また生意気な笑いを浮かべている彼の頭を、ハルトは軽く叩いた。
(続く)
机を三つ並べた、個別指導塾のブース。
真ん中に座る僕の左隣で問題を解いていた中学三年生・トウヤが、手を止めてこちらを向き、生意気なニヤケ顔でそんなことを言い出す。
また始まったかーーと、ハルトは額を押さえてしまった。
ハルトは大学入学前の春休みから、それまで続けていたスーパーでのアルバイトを辞め、とある個別指導塾で講師のアルバイトを始めていた。
中学時代からの友達に「楽だし、楽しいからやってみたら」と変更を勧められたためだった。
実際、その通りだと思っていた。
授業はローパーテーションによって仕切られたブースでおこない、生徒と二対一か一対一。
スーパーのときのように上司や他のアルバイト、パートの人たちに気を遣いながら仕事しなくていい。塾のルールさえ守っていれば誰にも邪魔されることはない。指導に集中できる。
そして、人にモノを教えるということが非常に面白く感じた。
説明して理解してもらえることが楽しく、問題を解けるようになって喜ぶ生徒を見ることも楽しかった。
教える時間以外にも教材の予習に割く時間が必要で、それは当然給料が発生しない。それが嫌だと言っている講師もいる。しかし自分には、忘れかけていた中学校の学習内容をおさらいすることもまた、楽しいことだった。
楽しんでお金をもらえる。
こんなよい仕事があるのだろうか? と思っていたし、担当生徒たちの成績も今のところ順調で、仕事での悩みなどはまったく発生しなかった。
……彼の担当になるまでは。
「なー、どうなの? いるのか? いないのか?」
夏期講習から担当することになったトウヤは、少し他の生徒とは違う。
なぜか、ハルト個人に関することをよく聞いてくるのである。
答えやすい質問ならよいのだが、「明かすことは厳禁」と塾側から言われていた“通っている大学の名前”を聞いてきたり、家の場所などのあまり明かしたくないことを聞いてきたりと、なかなかに手強かった。
悩み無用だったはずのこのアルバイトで、唯一の悩みになりつつあった。
「いつも言ってるけど、そういう質問には答えないよ」
左手で彼の頭をポンと叩く。これもいつものことだ。
「いいだろ別に、教えてくれてもさあ」
「だめ」
最初は彼もすぐに引き下がっていたのだが、徐々にこうやって粘ってくるようになっている。
「オレ、口堅いから誰にも言わないぞ?」
ハルトの首に、中学生らしく健康的できれいな腕が巻き付く。
彼はTシャツ姿なので、素肌の熱を感じた。
勉強と関係のない質問だけでなく、スキンシップも最近妙に増えている。
冷房が効いているので暑苦しいわけではないが、はたから見るとじゃれ合っているように見えてしまうだろう。彼はマンツーマンのコースを取っているので、ハルトの右隣に誰も座っていないのが救いだ。あまり見られたい光景ではなかった。
「僕は勉強を教えるためにここにいるの。そんなどうでもいいことは教えないよ」
彼の腕をはがすと、今度は彼の頭を両手で掴み、無理やり机の上のテキストに向けさせた。
ハルトより少しだけ長めで、より色の濃い、彼の髪。
外見はややボサボサな感じにも見えるが、手に伝わるその感触はとてもサラサラしていた。癖もないので光沢もきれいで、なんとも不思議な髪だ。
「はぐらかすってことは、いるんだな?」
「なんでそうなるの」
「ってことは、いないんだな。りょうかいー」
「……。いいから最後まで問題を解こうね。まだ途中でしょ」
すぐにこっちを向く癖も直そう――。
そう言って、また生意気な笑いを浮かべている彼の頭を、ハルトは軽く叩いた。
(続く)
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