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第7話 不思議と心地よかった
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店を出るころには、もうすっかり暗くなっていた。
暑さもだいぶ和らいでいる。
「いやー食べたー! 私お腹いっぱい!」
平凡な胃袋の私だったが、久しぶりの回転寿司は美味しく感じ、けっこうな量を食べてしまった。
とは言っても、ダイチくんの食べた量に比べれば、無いようなものかもしれない。
彼の胃袋は宇宙だ。
「俺、久しぶりに寿司食べました」
「あはは。お互い久しぶりだったんだね。満足した?」
「はい」
ダイチくんのアパート――私の住んでるアパートの隣だけど――に着く。
何となく、部屋の前までついていった。
外階段を登って、二階の奥から二番目の部屋らしい。
扉の前で、向かい合う。
外照明により、ダイチくんの顔が薄明るく照らされていた。
「じゃあ、また進路指導の先生からの連絡を待ってるからね。うちの会社を受けることになったらよろしくお願いします」
そう言って私はダイチくんにお辞儀した。
が、彼はほんの少しだけ首を傾けた。
「俺、受けますよ?」
「えー? ここで断言しちゃっていいの?」
「はい。たぶん気は変わりませんので」
「ふふふ。それはうれしいなー」
私がそう言うと、ダイチくんの口が少しだけすぼんだ気がした。
少し暗くて全体の表情はわかりづらく、変わらずヌボーっとしているように見えなくもないけれども。
「じゃあダイチくん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「の前に」
「?」
「一つ良いことを教えてあげようー!」
「なんです?」
「お辞儀をするときはね、『腰を曲げる』ってイメージでやらないほうがいいよ」
「そうなんですか? 前に部活の顧問から『腰から曲げる』と教わった気がするんですが……」
「ふふふふ」
私は少し接近して、ダイチくんの顔を覗き込むようにしながら笑う。
すると、彼は少しのけぞるように状態を反らした。
「な、なんですか?」
「ふふっ、本とかにもよくそう書いてあるんだけどね。私の経験上、今の若者がそのイメージでやると背中が丸まりやすいんだよ」
またダイチくんが不思議そうな顔をしたので、詳しく説明する。
「腰や背中はまっすぐにしたまま、股関節のほうを折るイメージでやってみよう。
まだ選考に入るのは先の話だけど、角度も覚えておいて。
面接会場内でのお辞儀なら角度は三十度くらい。廊下で社員に会ったときは会釈でいいので十五度くらいが目安だよ」
「こうですか?」
ダイチくんが体の向きを九十度変え、私に対して横向きを作ってから、お辞儀をする。
三十度ほど状態が倒れた理想的なお辞儀だった。
「そうそう。そんな感じ。股関節から折るイメージでやると、『ここ』が伸びてちょうどよく見えるのよね」
「……っ!」
きれいに伸びた彼の背中を、右手で上から撫でるように滑らせていくと。
ダイチくんの体がビクンとなった。
「お? ごめんね。くすぐったかったかな?」
「あ、いえ……大丈夫です」
「ふふっ。じゃあ今度こそ、おやすみなさい!」
「おやすみなさい」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私も自分のアパートの部屋に戻り、着替え、シャワーを浴びて。
ベッドにダイブ!!
「いやー。長い一日だった。お疲れ、私!!」
なんとなく横向きで枕を抱きながら、自分をねぎらう。
「あ。ダイチくんが部活何やってたのか聞いてなかった」
彼は「顧問が……」と言っていたから、何かはやっていたのだろう。
聞いておけばよかったな、と思う。
あ。
どうせ応募書類をもらうことになるから、別にそれだけなら今聞く必要なんてないのか。
「いや、でもなあ」
その応募書類、部活動のことは書かれているだろうが、プライベートなことは一切書かれていないはずだ。
しかしながら、ダイチくんを今日一日観察してきて……。
「プライベートなことも聞きたいよ!?」
なぜ一人暮らしなのか。
家族はどこにいるのか。
なぜ大学に進学しないのか。
もしそれが家庭の事情なら、どんな事情なのか。
なぜこんなにお互いの部屋が近いのに、顔に見覚えがなかったのか。
生活スタイルはどうなっているのか。
学校ではどんな感じの学生なのか。
交友関係はどうなっているのか。
そのような疑問が次々と出てくる。
「やっぱり気になる―!」
ベッドの上で枕を抱いたまま、ゴロンゴロンと転がってしまう。
気になる。ものすごく、気になる。
受ける感じが今までの学生とここまで違い過ぎると、気にするなというのは無理がある。
「うーん。私が積極的に聞いてしまうのはまずいかなあ」
厚労省からのお達しでは、公正な採用選考を行うためには、ということで――
『公正な採用選考を行うことは、家族状況や生活環境といった、応募者の適性・能力とは関係ない事柄で採否を決定しないということです。
そのため、応募者の適性・能力に関係のない事柄について、応募用紙に記入させたり、面接で質問することなどによって把握しないようにすることが重要です。これらの事項は採用基準としないつもりでも、把握すれば結果としてどうしても採否決定に影響を与えることになってしまい、就職差別につながるおそれがあります』
とある。
あまり根掘り葉掘り聞きだすのは、私にそのつもりがなくても、ダイチくんや学校に迷惑をかけてしまう恐れがある。
下手すれば企業イメージの悪化もありうる。
「本人が自主的に話して、私の中だけにとどめておけばいいのかな?」
近所づきあいということで、本人が勝手に話して、私人としての私がそれを聞くのであれば問題ない気もする。
いや、近所なんてレベルではない。お隣さんだ。
隣であれば、そのような会話をするのは別におかしいことではない。
私はあくまでも人事『担当者』であって、人事権はない。つまり採用の権限はない。
聞いた内容を自分の記憶だけにとどめて、社内に持ち込まなければ……就職差別につながる恐れはない。
「うー、でもあの感じだと自分から話しそうにないし」
むむむむ。
暑さもだいぶ和らいでいる。
「いやー食べたー! 私お腹いっぱい!」
平凡な胃袋の私だったが、久しぶりの回転寿司は美味しく感じ、けっこうな量を食べてしまった。
とは言っても、ダイチくんの食べた量に比べれば、無いようなものかもしれない。
彼の胃袋は宇宙だ。
「俺、久しぶりに寿司食べました」
「あはは。お互い久しぶりだったんだね。満足した?」
「はい」
ダイチくんのアパート――私の住んでるアパートの隣だけど――に着く。
何となく、部屋の前までついていった。
外階段を登って、二階の奥から二番目の部屋らしい。
扉の前で、向かい合う。
外照明により、ダイチくんの顔が薄明るく照らされていた。
「じゃあ、また進路指導の先生からの連絡を待ってるからね。うちの会社を受けることになったらよろしくお願いします」
そう言って私はダイチくんにお辞儀した。
が、彼はほんの少しだけ首を傾けた。
「俺、受けますよ?」
「えー? ここで断言しちゃっていいの?」
「はい。たぶん気は変わりませんので」
「ふふふ。それはうれしいなー」
私がそう言うと、ダイチくんの口が少しだけすぼんだ気がした。
少し暗くて全体の表情はわかりづらく、変わらずヌボーっとしているように見えなくもないけれども。
「じゃあダイチくん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「の前に」
「?」
「一つ良いことを教えてあげようー!」
「なんです?」
「お辞儀をするときはね、『腰を曲げる』ってイメージでやらないほうがいいよ」
「そうなんですか? 前に部活の顧問から『腰から曲げる』と教わった気がするんですが……」
「ふふふふ」
私は少し接近して、ダイチくんの顔を覗き込むようにしながら笑う。
すると、彼は少しのけぞるように状態を反らした。
「な、なんですか?」
「ふふっ、本とかにもよくそう書いてあるんだけどね。私の経験上、今の若者がそのイメージでやると背中が丸まりやすいんだよ」
またダイチくんが不思議そうな顔をしたので、詳しく説明する。
「腰や背中はまっすぐにしたまま、股関節のほうを折るイメージでやってみよう。
まだ選考に入るのは先の話だけど、角度も覚えておいて。
面接会場内でのお辞儀なら角度は三十度くらい。廊下で社員に会ったときは会釈でいいので十五度くらいが目安だよ」
「こうですか?」
ダイチくんが体の向きを九十度変え、私に対して横向きを作ってから、お辞儀をする。
三十度ほど状態が倒れた理想的なお辞儀だった。
「そうそう。そんな感じ。股関節から折るイメージでやると、『ここ』が伸びてちょうどよく見えるのよね」
「……っ!」
きれいに伸びた彼の背中を、右手で上から撫でるように滑らせていくと。
ダイチくんの体がビクンとなった。
「お? ごめんね。くすぐったかったかな?」
「あ、いえ……大丈夫です」
「ふふっ。じゃあ今度こそ、おやすみなさい!」
「おやすみなさい」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私も自分のアパートの部屋に戻り、着替え、シャワーを浴びて。
ベッドにダイブ!!
「いやー。長い一日だった。お疲れ、私!!」
なんとなく横向きで枕を抱きながら、自分をねぎらう。
「あ。ダイチくんが部活何やってたのか聞いてなかった」
彼は「顧問が……」と言っていたから、何かはやっていたのだろう。
聞いておけばよかったな、と思う。
あ。
どうせ応募書類をもらうことになるから、別にそれだけなら今聞く必要なんてないのか。
「いや、でもなあ」
その応募書類、部活動のことは書かれているだろうが、プライベートなことは一切書かれていないはずだ。
しかしながら、ダイチくんを今日一日観察してきて……。
「プライベートなことも聞きたいよ!?」
なぜ一人暮らしなのか。
家族はどこにいるのか。
なぜ大学に進学しないのか。
もしそれが家庭の事情なら、どんな事情なのか。
なぜこんなにお互いの部屋が近いのに、顔に見覚えがなかったのか。
生活スタイルはどうなっているのか。
学校ではどんな感じの学生なのか。
交友関係はどうなっているのか。
そのような疑問が次々と出てくる。
「やっぱり気になる―!」
ベッドの上で枕を抱いたまま、ゴロンゴロンと転がってしまう。
気になる。ものすごく、気になる。
受ける感じが今までの学生とここまで違い過ぎると、気にするなというのは無理がある。
「うーん。私が積極的に聞いてしまうのはまずいかなあ」
厚労省からのお達しでは、公正な採用選考を行うためには、ということで――
『公正な採用選考を行うことは、家族状況や生活環境といった、応募者の適性・能力とは関係ない事柄で採否を決定しないということです。
そのため、応募者の適性・能力に関係のない事柄について、応募用紙に記入させたり、面接で質問することなどによって把握しないようにすることが重要です。これらの事項は採用基準としないつもりでも、把握すれば結果としてどうしても採否決定に影響を与えることになってしまい、就職差別につながるおそれがあります』
とある。
あまり根掘り葉掘り聞きだすのは、私にそのつもりがなくても、ダイチくんや学校に迷惑をかけてしまう恐れがある。
下手すれば企業イメージの悪化もありうる。
「本人が自主的に話して、私の中だけにとどめておけばいいのかな?」
近所づきあいということで、本人が勝手に話して、私人としての私がそれを聞くのであれば問題ない気もする。
いや、近所なんてレベルではない。お隣さんだ。
隣であれば、そのような会話をするのは別におかしいことではない。
私はあくまでも人事『担当者』であって、人事権はない。つまり採用の権限はない。
聞いた内容を自分の記憶だけにとどめて、社内に持ち込まなければ……就職差別につながる恐れはない。
「うー、でもあの感じだと自分から話しそうにないし」
むむむむ。
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