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16 野に咲く花
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デジレとセイラでは脚の長さがちがう。セイラが駆け上がってる階段も、デジレはひょいひょいと一段飛ばしで歩いて上っているだけだ。
執務室の黒いドアが見えてきた。取っ手を掴んで、バン!と勢いよく開ける。
「旦那さま! ただ今、戻りましたぁ!」
「……今日は時間ぴったりだね。つまらないなぁ」
クロノスはドアのすぐ前で、懐中時計を見ながら待っていた。
なぜか不満そうで、「なんのお仕置きするか考えていたのに」とかブツクサ言っている。
はあ、はあと荒い呼吸を繰り返すセイラを見ながら彼は言った。
「まあいいか。そろそろお茶にしようと思ってたんだ。デジレ、頼む」
「はい」
執務室を出て行ったデジレは、お茶のセットとお皿を持って戻ってきた。
皿の上に、クリーム色とこげ茶色の円いものが並んでいる。
「? これ、なんですか?」
初めてみる物だ。甘くて芳ばしい香りがする。
「なにって。クッキーだろ。まさか食べたことないの?」
「あっああ……そうでした! クッキーでしたね! ど忘れしちゃってて……」
変な汗をかきながら、あはは、と笑う。
自分は一応、一国の王女ということになっているのだった。王女様がお菓子も食べたことないなんて不審すぎる。
今後は下手なことは言わないように気をつけなければ……。
セイラは恐る恐るクッキーを手に取った。思ったよりも硬いし、ぽろぽろと崩れそうだ。
どうやって食べたらいいんだろう?
ちら、とクロノスを見ると、彼は当たり前のようにそのまま齧っている。
ああ、そのまま食べればいいんだ。
クロノスのようにクッキーを齧ると、さく、という食感と共に、コクのある甘みが口の中に広がった。
はぁあああ、なにこれ、おいっしい!
口の中から、じぃんと幸せが染み込んでくるみたいだ。
目を閉じて幸せにひたるセイラの様子を、クロノスが面白そうに見ている。だが当然のごとく、見えていない彼女は気が付かなかった。
「巫女。こっちのココア味も美味しいよ」
「こ、ココア味? んぐ」
クロノスがセイラの口に焦げ茶色のクッキーを無理やり突っ込んできた。
もう、自分で食べられるのに―――クロノスを睨みつけようとしたが、彼が急にぐいっと顔を近づけてきたので、セイラはそのまま固まってしまう。
なに? なにする気なの?
クロノスは鼻先が触れるほど近づいてから口を少し開いた。
そして、驚いて動けなくなっているセイラの口からはみ出たクッキーに齧りつく。藍色の瞳に驚いている自分の顔が映っているのが見えた。
「ほら、美味しいだろ?」
「はっ、はい……」
セイラは真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
クロノスが口を少し開きながら近づいてくると、キスされるのかと思ってしまう。それに当たり前のように応じようとしてしまう自分。いつの間にこんなにはしたない女になってしまったのだろう。
「どうしたの。顔、赤いよ?」
「べっべべ別にっ……」
「……俺が顔を近づけたから、キスでもされるかと思った?」
「!!」
図星だったので、なおさら顔が赤くなってしまう。そんなセイラの様子を面白そうに見ながらクロノスは続けた。
「ははっ、君は本当に嘘がつけないんだなあ。いいよ、キスしてあげる」
「ちっ違、して欲しいわけでは……あっ」
クロノスはセイラをソファに押し倒した。ぎっ、とソファが軋む。
「違うんです、こういうことをしたいわけじゃなくて……っ」
このままではまた、クロノスに流されてしまう。
どうしたら……。
―――うまく交渉するんだよ。
頭の中にジェシカの声が響いた。
そうだった、交渉!
「っだ、旦那さま。触れるのは唇だけにしてください。中は、ちょっと……」
「んー……それだと物足りないな……」
「じゃあ夜は好きなようにしていいですから! 昼間はあっさりでお願いします!」
「っはは! そんなに必死に……」
クロノスはこらえ切れなくなったように笑い出した。
しばらく笑った彼は、押し倒したセイラに顔を近づけて唇を触れ合わせる。ふに、と柔らかな感触。
至近距離で見つめ合うのが恥ずかしくて、セイラは瞳を閉じた。
「ねえ……そんなに、深いキスはいやだった?」
唇が触れ合ったままクロノスが囁く。
くすぐったくて、セイラはクロノスの上着をぎゅっと握り締めた。
「い、いやと言うか……頭がぼーっとしてくるので……」
「ああ。気持ちいいと思ってくれてるんだね」
気持ちいい? そうなのかな……。
セイラがぼんやりと考えていると、クロノスの唇は頬に移った。頬から耳、そして首へ。
「ひゃっ、くすぐったい、です……」
「君はいい香りがするな。まるで野に咲く花のような……。落ち着く香りだ」
山育ちだからですかね。
野に咲く花と言われて、セイラは密かに動揺していた。
自分が実は王宮の中で育っていない姫だと知ったら、クロノスはどう思うのだろう。そんな姫には価値がないと軽蔑されてしまうだろうか?
セイラは勝手に彼の過去を覗いてしまったのだし、自分も本当のことを話さなくてはフェアとは言えない。
女神様は真実の愛は誠実でなくてはならない、と仰っていたっけ。
いつか、打ち明けなくてはならないんだろうな……。
クロノスの愛撫を受けながらも、心は沈んでいくような気持ちだった。
執務室の黒いドアが見えてきた。取っ手を掴んで、バン!と勢いよく開ける。
「旦那さま! ただ今、戻りましたぁ!」
「……今日は時間ぴったりだね。つまらないなぁ」
クロノスはドアのすぐ前で、懐中時計を見ながら待っていた。
なぜか不満そうで、「なんのお仕置きするか考えていたのに」とかブツクサ言っている。
はあ、はあと荒い呼吸を繰り返すセイラを見ながら彼は言った。
「まあいいか。そろそろお茶にしようと思ってたんだ。デジレ、頼む」
「はい」
執務室を出て行ったデジレは、お茶のセットとお皿を持って戻ってきた。
皿の上に、クリーム色とこげ茶色の円いものが並んでいる。
「? これ、なんですか?」
初めてみる物だ。甘くて芳ばしい香りがする。
「なにって。クッキーだろ。まさか食べたことないの?」
「あっああ……そうでした! クッキーでしたね! ど忘れしちゃってて……」
変な汗をかきながら、あはは、と笑う。
自分は一応、一国の王女ということになっているのだった。王女様がお菓子も食べたことないなんて不審すぎる。
今後は下手なことは言わないように気をつけなければ……。
セイラは恐る恐るクッキーを手に取った。思ったよりも硬いし、ぽろぽろと崩れそうだ。
どうやって食べたらいいんだろう?
ちら、とクロノスを見ると、彼は当たり前のようにそのまま齧っている。
ああ、そのまま食べればいいんだ。
クロノスのようにクッキーを齧ると、さく、という食感と共に、コクのある甘みが口の中に広がった。
はぁあああ、なにこれ、おいっしい!
口の中から、じぃんと幸せが染み込んでくるみたいだ。
目を閉じて幸せにひたるセイラの様子を、クロノスが面白そうに見ている。だが当然のごとく、見えていない彼女は気が付かなかった。
「巫女。こっちのココア味も美味しいよ」
「こ、ココア味? んぐ」
クロノスがセイラの口に焦げ茶色のクッキーを無理やり突っ込んできた。
もう、自分で食べられるのに―――クロノスを睨みつけようとしたが、彼が急にぐいっと顔を近づけてきたので、セイラはそのまま固まってしまう。
なに? なにする気なの?
クロノスは鼻先が触れるほど近づいてから口を少し開いた。
そして、驚いて動けなくなっているセイラの口からはみ出たクッキーに齧りつく。藍色の瞳に驚いている自分の顔が映っているのが見えた。
「ほら、美味しいだろ?」
「はっ、はい……」
セイラは真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
クロノスが口を少し開きながら近づいてくると、キスされるのかと思ってしまう。それに当たり前のように応じようとしてしまう自分。いつの間にこんなにはしたない女になってしまったのだろう。
「どうしたの。顔、赤いよ?」
「べっべべ別にっ……」
「……俺が顔を近づけたから、キスでもされるかと思った?」
「!!」
図星だったので、なおさら顔が赤くなってしまう。そんなセイラの様子を面白そうに見ながらクロノスは続けた。
「ははっ、君は本当に嘘がつけないんだなあ。いいよ、キスしてあげる」
「ちっ違、して欲しいわけでは……あっ」
クロノスはセイラをソファに押し倒した。ぎっ、とソファが軋む。
「違うんです、こういうことをしたいわけじゃなくて……っ」
このままではまた、クロノスに流されてしまう。
どうしたら……。
―――うまく交渉するんだよ。
頭の中にジェシカの声が響いた。
そうだった、交渉!
「っだ、旦那さま。触れるのは唇だけにしてください。中は、ちょっと……」
「んー……それだと物足りないな……」
「じゃあ夜は好きなようにしていいですから! 昼間はあっさりでお願いします!」
「っはは! そんなに必死に……」
クロノスはこらえ切れなくなったように笑い出した。
しばらく笑った彼は、押し倒したセイラに顔を近づけて唇を触れ合わせる。ふに、と柔らかな感触。
至近距離で見つめ合うのが恥ずかしくて、セイラは瞳を閉じた。
「ねえ……そんなに、深いキスはいやだった?」
唇が触れ合ったままクロノスが囁く。
くすぐったくて、セイラはクロノスの上着をぎゅっと握り締めた。
「い、いやと言うか……頭がぼーっとしてくるので……」
「ああ。気持ちいいと思ってくれてるんだね」
気持ちいい? そうなのかな……。
セイラがぼんやりと考えていると、クロノスの唇は頬に移った。頬から耳、そして首へ。
「ひゃっ、くすぐったい、です……」
「君はいい香りがするな。まるで野に咲く花のような……。落ち着く香りだ」
山育ちだからですかね。
野に咲く花と言われて、セイラは密かに動揺していた。
自分が実は王宮の中で育っていない姫だと知ったら、クロノスはどう思うのだろう。そんな姫には価値がないと軽蔑されてしまうだろうか?
セイラは勝手に彼の過去を覗いてしまったのだし、自分も本当のことを話さなくてはフェアとは言えない。
女神様は真実の愛は誠実でなくてはならない、と仰っていたっけ。
いつか、打ち明けなくてはならないんだろうな……。
クロノスの愛撫を受けながらも、心は沈んでいくような気持ちだった。
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