地味女だけど次期社長と同棲してます。―昔こっぴどく振った男の子が、実は御曹子でした―

千堂みくま

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37 ユキ

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 年末が差し迫ってきた。北条建設は大企業だけあって年末年始の休暇が長い。しかしやはり部署ごとに差があるもので、私はのんびり休めそうだけど綾太さんは無理らしい。

 休暇が始まるのは明後日の25日だけど彼は仕事のようなので、明日のクリスマスイブにちょっとしたパーティーでも出来たらいいなと思っている。
 二人だけのクリスマスパーティーだけど、ちゃんとチキンを焼いて用意しよう。ケーキは今夜こっそり作るつもりだ。綾太さんは少し遅くなるみたいだから、明日驚かせてあげたい。

「恩田ぁ~、ちょっと聞いてよ」

 給湯室でコーヒーを淹れていたら、千穂先輩が恨みがましい声を出しながら入ってきた。彼女がこんなに不機嫌そうなのは珍しい。

「どうしたんですか? 千穂先輩が怒ってるなんて珍しいですね」

「いや、それがさ。こないだ来月から中途で入ってくる新人さんの写真を撮りにいったのよ」

「ああ……。『今月の新人さん』のコーナーに使う写真ですね」

 広報部は中途入社の新人を紹介する役を担っており、社内報のページの隅に彼らの写真とコメントを掲載している。千穂先輩はカメラが得意とあって、いつも新人さんの写真を撮っていたはずだ。

「何人かいるから順番に撮ってたんだけど、一人だけ欠席した子がいてさ。その時は後で撮るつもりなのかなと思ってたのよ。でも後日、その子からメールが来て」

「来て?」

「わざわざプロのカメラマンに撮ってもらった写真が添付してあった! どうよこれ。すっごく失礼じゃない? あんたは芸能人かっていうの」

「うわぁ……。そんな凄いことをする人がいるんですね。青木課長はなにも言ってなかったんですか?」

「な~んにもなし。その子は常務の娘さんらしいから、言いたくても言えない空気があるんでしょうよ。本部長だって、入社のときは他の社員と同じように写真とってたのに。びっくりするわ」

「常務の娘さん……てことは、名字は北条ですよね」

「うん、そう。北条雪華せつかさんと仰るお嬢さまだわよ」

 北条雪華――どこかで聞いたことのある名前だ。どこだっただろう。ほうじょうせつか……。

――『北条雪華せつかさまからのお荷物ですが、いかがしますか?』

「あっ……!」

「ん? どした?」

「いえ。綺麗なお名前の方だと思って……」

 まさか綾太さんのマンションへ荷物を送った人だとは言えず、私は曖昧な笑顔でごまかした。あの時の綾太さんはあまり嬉しそうではなかったから、何か複雑な事情があるのだろう。個人的なことを会社で流布するのは失礼だ。

「名前は綺麗だけど、やってる事はえげつないよ。本当は来月から入社のはずなのに、もう会社に来てるみたいだし……。来てすぐに秘書課に入ったんだって。前職も子会社で秘書してたらしいわ」

「経験が有利に働いて入社したんですかね」

「いや、あの強引な感じだと父親の権力を使ったっぽいけど。まぁただのやっかみだからこの辺にしとく。愚痴聞いてくれてありがとね」

 千穂先輩はすっきりした顔で出て行った。いつもは聞き役に回っている人だけに、彼女のお役に立てたのかと思うと嬉しかった。

 昼になり、私と千穂先輩はいつものように社員食堂へ向かう。少し遅れたせいか混雑していたが、何とか席を確保して座った。食事を終えた人が席を譲ってくれたのだ。

「もうすっかり恩田の噂はなくなったみたいだね。良かった良かった」

 松本さんとの噂もすっかり収まり、食堂の中を歩いていても私を見る人はいない。完全に元通りだ。

「ご心配おかけしました。噂って、思ってたより静まるのが早いもんなんですね」

「今は別の噂で持ちきりなせいもあると思うよ。ほら、噂の主がやってきた」

 千穂先輩は視線を出入り口のあたりに動かした。そっと振り返ってそちらを見ると、背の高い男性が入ってくるところだ。あれは綾太さんだろう。

「本部長が噂になってるんですか?」

「まぁ本部長も関わってるけど……。どっちかというと、隣のお嬢さまがね」

 千穂先輩の言葉でもういちど振り返れば、確かに綾太さんの隣に女性が並んでいる。彼女は親しげな態度で綾太さんの腕を取り、なにかを盛んに話しかけている様子だ。私の位置からは彼女の顔が見えないが、綾太さんが苦笑しているのでまるで兄と妹のような印象を受ける。

「お嬢さまって……もしかして、あの人が雪華さんですか? 妹さんみたいな雰囲気ですね」

従妹いとこだからね。多分子供のころからの知り合いなんだろうけど、会社であの態度はないわ。もしかしたらゴリ押しで本部長の秘書にでもなったのかな。でも慣れ慣れしすぎて社内で浮いてるんだよね。女性社員を全員敵に回したと思う」

 その時、雪華さんが社食を見渡すように顔を動かした。空席を探しているのだろう。でも彼女の顔を見た瞬間、私は悲鳴を上げそうだった。

(うそ……。ユキさん!?)

 声を出さずにいられたのは奇跡に近い。綾太さんの隣で親しそうに話しているのは、間違いなく私の知っているユキさんだ。あのふわふわと緩く波打つ髪と、清楚な印象を受ける美しい顔。見間違いじゃない。

「どうかした?」

「い、いえ……すごく綺麗な人だと思って」

「そうねぇ。確かに、男性の庇護欲をかきたてるような可愛い顔してらっしゃるわよ。でも私は彼女の内面を見ちゃったからね。こう言っちゃなんだけど、女から嫌われるタイプだと思う」

 千穂先輩の言葉はほとんど頭に入ってこなかった。ただ呆然と雪華さんを眺めていた。さっきからずっと同じ事ばかり考えている。

 どうして偽名を使って私に近づいたのか。あのジムに来たのは、私と綾太さんの同棲を知っていたからではないのか。

 私は彼女を友人だと思っていたけれど、ユキさんはそうではなかったのだ。スカッシュのときに目を輝かせながら話していたのは恐らく綾太さんのことで、私は彼女にとって邪魔な存在だったのだ。

(あの針みたいな視線は、気のせいじゃなかったんだ……)

 私と一緒に過ごしている間、彼女はなにを考えていたのだろう。怒っていたのか、恨んでいたのか。自分が危うい場所に立っていたと知り、背中を冷たい汗が流れる。

「そんな顔しなくても大丈夫だって。本部長は真剣にあんたのこと考えてくれてんだから。今さら従妹の出番なんかないでしょ」

「え、ええ……。そうですね」

 せっかく友人が出来たと報告したのに、嘘の関係だったと知られたくなくて笑うしかなかった。仲良くなったと思っていたのは私だけで、彼女には最初からそんな気はなくて……偽名を使われたという事実がひどく悲しい。
 ほとんど味を感じないままお弁当を食べ終えた。
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