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12 同棲スタート3
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母のことを思い出したらまた涙が出そうになって、誤魔化すように微笑んだ。北条さんは何故かテーブルナイフをお皿の上に置き、私に向かって右手を伸ばしてくる。
「真梨花さん。今までよく一人で頑張ったね」
そう言って、私の頭を優しく撫でた。抑えていた涙が溢れ、頬を伝って膝の上に落ちる。
「ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだけど……」
「……違うんです。悲しいんじゃなくて、嬉しくて泣いてるだけだから……気に、しないで……」
母が体を壊した時、自分が何とかするしかないと思った。一人で生きていけるぐらい強い大人になろうと思った。遠い京都に住む叔母に泣きつくことも出来なくて、辛さや寂しさから目をそむけて無理やり強がっていたと思う。
(私、頑張ったよね。偉かったよね、お父さん)
北条さんの言葉で、ようやく自分を褒めてもいいのだと気づいた。この数年間の苦労は無駄じゃなかったんだ。千穂先輩も北条さんも、私の努力を認めてくれている。
「北条さん、改めてよろしくお願いします。家事のことなら何でもお申し付けください」
「少しずつ慣れてくれたらいいよ。僕も自分で出来ることはやるから」
夕飯のあと北条さんはリビングに移動して、ローテーブルにグラスを二つ置いた。こちらにおいでと呼ばれて行くと、グラスの隣には高そうなヴィンテージワインがある。
「飲む?」
「……頂きます」
私の返答を聞き、北条さんは二つのグラスにワインを注いだ。美しい暗紅色の美味しそうなワインだ。ラベルを見ただけで貴重なワインだと何となく分かったが、私の心は沸きたつことがない。
正直に告白すると、私はビールや日本酒、ワインなどのお酒が苦手である。私が飲めるのは甘いチューハイやカクテルだけだ。ビールなんか苦いとしか思えないし、ワインは渋くて酸っぱいだけ。
(また見栄を張ってしまった……)
ワインが注がれたグラスを虚ろな眼差しで受け取る。どうして私は強がってしまうのか。飲めないなら飲めないと言えばいいのに、ここで断ったら北条さんを失望させるのではと無駄な心配をしている。やっと信頼関係を築けそうだと安心したから、今の雰囲気をぶち壊したくないという切望もあった。
「飲まないの?」
「の……飲みますよ」
私の横に座った北条さんはすでにワインを飲んでいる。あの表情からして、演技ではなく本気でうまいと感じているようだ。どうして私にはワインを美味しいと感じる味覚がないのか。生まれるときに、母のお腹に忘れてしまったんだろうか?
ぶるぶる震える手でグラスを口に運ぶ。あんまり動揺していたら、ワインが飲めないお子ちゃまだとバレてしまう。でもどうしてバレたら駄目なのか、自分でも分からない。
平静に飲もう。平静に――しかしやはり不味かった。口を手で押さえ、無理やり飲み込んだら涙がにじんできた。不味いと感じるものを笑顔で飲み食いする事が、こんなに大変だなんて知らなかった。
「…………ぷっ」
「ぷ?」
不思議な音がしたので隣を見ると、北条さんは顔を横にむけて何故かラグマットの一部を見ている。肩がかすかに揺れている事から考えて多分笑ってるんだろう。一連の動作を目撃されたことを知り、一気に顔が熱くなった。
「ひ、ひどいじゃないですか。ひとが頑張ってるのを見て笑うなんて」
「いや、どこまで頑張るのかなと思って。グラスを持った時の表情で、真梨花さんはワインが嫌いなんだと分かったんだけど……強がるところも可愛いなぁ、と」
かっ、かわ……!?
さらに顔が熱くなった。今の私は茹ダコのように真っ赤かもしれない。タコになった私を置き去りにして、北条さんは涼しい顔でキッチンへ行ってしまう。ああ私、完全に彼の手の平で転がされてる。もっと恋愛経験を積んでからこのマンションに来るべきだった。無理だけど。
「はい。これなら飲めるだろ」
手に冷たい缶を渡された。いつも飲んでいる、リキュールをベースにした甘い桃味のチューハイだ。いつの間に買ったんだろう。
「あ、ありがとうございます……。でもなんで?」
「武藤さんからきみの好みを聞いておいた。一緒に暮らすなら、好きなものぐらい知っといた方がいいと思って」
すごい。こうやって女性は北条さんに惚れていくんだろう。イケメンなだけじゃなくてさり気ない気遣いも出来るなんて完璧だと思う。
お酒を飲みながら他愛もない話をし、私が先にお風呂を頂いた。ドレッシングルームの片隅に洗濯機があって、入浴中に服を洗うことにする。お風呂から出たら洗濯物をサンルームに移動させておき、北条さんに声をかけた。彼は書斎で仕事をしているようだったので、ドア越しにノックしてから挨拶する。
「北条さん、お風呂さきに頂きました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
これでよし。安心して洗濯物を干せる。北条さんはランドリーサービスを利用しているので、干すのは私の服だけだ。下着はドアから見えない位置に干しておこう。別に覗かれるとは全然思ってないけど、念のため。
「真梨花さん。今までよく一人で頑張ったね」
そう言って、私の頭を優しく撫でた。抑えていた涙が溢れ、頬を伝って膝の上に落ちる。
「ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだけど……」
「……違うんです。悲しいんじゃなくて、嬉しくて泣いてるだけだから……気に、しないで……」
母が体を壊した時、自分が何とかするしかないと思った。一人で生きていけるぐらい強い大人になろうと思った。遠い京都に住む叔母に泣きつくことも出来なくて、辛さや寂しさから目をそむけて無理やり強がっていたと思う。
(私、頑張ったよね。偉かったよね、お父さん)
北条さんの言葉で、ようやく自分を褒めてもいいのだと気づいた。この数年間の苦労は無駄じゃなかったんだ。千穂先輩も北条さんも、私の努力を認めてくれている。
「北条さん、改めてよろしくお願いします。家事のことなら何でもお申し付けください」
「少しずつ慣れてくれたらいいよ。僕も自分で出来ることはやるから」
夕飯のあと北条さんはリビングに移動して、ローテーブルにグラスを二つ置いた。こちらにおいでと呼ばれて行くと、グラスの隣には高そうなヴィンテージワインがある。
「飲む?」
「……頂きます」
私の返答を聞き、北条さんは二つのグラスにワインを注いだ。美しい暗紅色の美味しそうなワインだ。ラベルを見ただけで貴重なワインだと何となく分かったが、私の心は沸きたつことがない。
正直に告白すると、私はビールや日本酒、ワインなどのお酒が苦手である。私が飲めるのは甘いチューハイやカクテルだけだ。ビールなんか苦いとしか思えないし、ワインは渋くて酸っぱいだけ。
(また見栄を張ってしまった……)
ワインが注がれたグラスを虚ろな眼差しで受け取る。どうして私は強がってしまうのか。飲めないなら飲めないと言えばいいのに、ここで断ったら北条さんを失望させるのではと無駄な心配をしている。やっと信頼関係を築けそうだと安心したから、今の雰囲気をぶち壊したくないという切望もあった。
「飲まないの?」
「の……飲みますよ」
私の横に座った北条さんはすでにワインを飲んでいる。あの表情からして、演技ではなく本気でうまいと感じているようだ。どうして私にはワインを美味しいと感じる味覚がないのか。生まれるときに、母のお腹に忘れてしまったんだろうか?
ぶるぶる震える手でグラスを口に運ぶ。あんまり動揺していたら、ワインが飲めないお子ちゃまだとバレてしまう。でもどうしてバレたら駄目なのか、自分でも分からない。
平静に飲もう。平静に――しかしやはり不味かった。口を手で押さえ、無理やり飲み込んだら涙がにじんできた。不味いと感じるものを笑顔で飲み食いする事が、こんなに大変だなんて知らなかった。
「…………ぷっ」
「ぷ?」
不思議な音がしたので隣を見ると、北条さんは顔を横にむけて何故かラグマットの一部を見ている。肩がかすかに揺れている事から考えて多分笑ってるんだろう。一連の動作を目撃されたことを知り、一気に顔が熱くなった。
「ひ、ひどいじゃないですか。ひとが頑張ってるのを見て笑うなんて」
「いや、どこまで頑張るのかなと思って。グラスを持った時の表情で、真梨花さんはワインが嫌いなんだと分かったんだけど……強がるところも可愛いなぁ、と」
かっ、かわ……!?
さらに顔が熱くなった。今の私は茹ダコのように真っ赤かもしれない。タコになった私を置き去りにして、北条さんは涼しい顔でキッチンへ行ってしまう。ああ私、完全に彼の手の平で転がされてる。もっと恋愛経験を積んでからこのマンションに来るべきだった。無理だけど。
「はい。これなら飲めるだろ」
手に冷たい缶を渡された。いつも飲んでいる、リキュールをベースにした甘い桃味のチューハイだ。いつの間に買ったんだろう。
「あ、ありがとうございます……。でもなんで?」
「武藤さんからきみの好みを聞いておいた。一緒に暮らすなら、好きなものぐらい知っといた方がいいと思って」
すごい。こうやって女性は北条さんに惚れていくんだろう。イケメンなだけじゃなくてさり気ない気遣いも出来るなんて完璧だと思う。
お酒を飲みながら他愛もない話をし、私が先にお風呂を頂いた。ドレッシングルームの片隅に洗濯機があって、入浴中に服を洗うことにする。お風呂から出たら洗濯物をサンルームに移動させておき、北条さんに声をかけた。彼は書斎で仕事をしているようだったので、ドア越しにノックしてから挨拶する。
「北条さん、お風呂さきに頂きました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
これでよし。安心して洗濯物を干せる。北条さんはランドリーサービスを利用しているので、干すのは私の服だけだ。下着はドアから見えない位置に干しておこう。別に覗かれるとは全然思ってないけど、念のため。
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