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10 同棲スタート1
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木曜日は母が退院する日だった。私は会社を午前中だけ休み、病院に向かった。お世話になった医師や看護士にお礼を伝え、病院を後にする。退院のときに少しお金を払っておいたので、私の信用は失われていないはずだ。次のお給料日が来たらまた支払いに来よう。
病院を出たらタクシーに乗り込み、東京駅に移動する。見送りのために入場券を購入し、三人でホームに立った。他の乗客は仕事で出張するサラリーマンが多い様子だった。
「じゃあね、真梨花。体に気を付けるのよ。私がいない間に変なものを食べてたみたいだけど、体調を崩さない程度にしなさいね。お腹出したまま寝ちゃ駄目よ。お付き合いしてる男性のこと、いつか詳しく話してちょうだいね。写真もやっぱり見たいから、彼氏さんと相談してみてくれない?」
「ああもう、分かったよ。お母さんてば話が長いんだから」
「それだけ真梨花ちゃんが心配なのよ。辛くなったらいつでも京都に戻ってきていいからね」
涼子おばさんが言ったとき、新幹線の発車ベルが鳴り響いた。私をホームに残して二人はデッキに移動する。隣に誰も立たなくなり、ようやく自分が一人になるのだと自覚した。目頭が熱くなってくる。
「また連絡するから。元気でね、真梨花」
「うん、お母さんも。涼子おばさん、お母さんをお願いします」
「任せといて。じゃあ元気で」
プシュウと音がしてドアが閉まり、とうとう新幹線が走り出した。母と叔母は私が見えなくなるまでドア付近にいて、小さくなる二人を見ていたら涙が出てきた。今生の別れでもないのに、どうして泣けてくるんだろう。
(とうとう一人になっちゃった……)
昼食を取ってから出社すると、千穂先輩が心配そうな顔をしていた。しばらく泣いたせいで、私の目が腫れていたからだ。母と離れても、私には心配してくれる人がいる。だから頑張れると思う。
しょげている余裕もなく土曜になり、北条さんが言っていた通りの時間に引越し業者が来た。母の荷物はすでに発送したので、私の荷物が運ばれていくと部屋は空っぽになってしまった。
空洞になった部屋を不動産屋にチェックしてもらい、鍵を返して退出する。これでもう、私が帰るところは無くなってしまったわけだ。あの高級マンションに行くしかない。
あの日と同じように電車を乗り継いでマンションへ行き、コンシェルジュを通さずにエレベーターホールへ入った。今の私にはカードキーがあるのだ。アポなし訪問にドキドキしながらエレベータを降り、芋くさい伊達眼鏡を外してからインターホンを鳴らすと「どうぞ」と返答があった。
「お邪魔します。今日はお家にいらっしゃったんですね」
「ああ、きみの荷物が来ると思ったから。空いてる部屋に入れたけど、これで全部?」
私の部屋は彼が寝室として使っている部屋の真向かいだった。部屋の中央に段ボール箱が三つだけ置かれていて、北条さんは腕を組んでそれらを見下ろしている。荷物が少ないことが不思議でたまらない様子だ。
「これで全部です。家具を揃えてくださったんですね。ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。この間マンションに家事をしに来た時この部屋には何の家具もなかったはずだが、今はベッドや本棚、机と椅子などが置かれている。私が来るというのでひと通り揃えてくれたんだろう。
「気にしなくていいよ。いずれ必要になるものだから」
いずれって、結婚したらという意味だろうか。ではこの部屋にある家具は、私にとって借り物ということになる。傷ひとつつけないよう、大切に使おう。
私が段ボール箱に手を伸ばすと、北条さんも同じように床に膝をついた。
「荷ほどき手伝おうか?」
「はい…………いいえ。自分でやります」
「どっちか迷ったな。見られたくない物でもあるのか?」
断ったというのに、彼は何故か段ボール箱に手を伸ばしてくる。私は焦って『高原キャベツ』と書かれた箱を奪いとった。
「けっ結構です! ただ自分でやりたいだけですから!」
「ごめん、冗談だよ。真梨花さんを構いたかっただけ。僕はリビングにいるから」
彼はそう言って部屋を出て行った。私は手を段ボールに突っ込んだ状態で硬直していた。どうして名前で呼ぶのよ。そういう事されると、無駄に顔が熱くなるんですけど!
しばらくして漫画やドラマでは家政婦さんを名前で呼んでいた事を思い出し、勝手に落ち込んだ。北条の家には当然ながら家政婦がいるだろうし、彼も使用人を名前で呼んでいたに違いない。私は本当に家政婦だと思われているのだ。確かにそういう契約だったけど、変に期待した自分が馬鹿みたいである。
(こんな服、必要なかったかなぁ)
段ボールを空けると、同居のために購入した可愛い部屋着が出てきた。今までは高校のジャージを使っていたが、こんなお洒落なマンションで『3-2 恩田』とポケットに書かれたダサいズボンを履くのは気が引けるので捨てたのだ。
北条さんにも失礼だと思ったからわざわざランジェリーショップで買ってきたけど、よく考えたら家政婦がお洒落をする必要はないんじゃないの?
部屋着の下から、さらにブラジャーとショーツのセットが出てきた。私はお金をケチっていつもワゴンから安い下着を選んでいたので、上と下が揃っていなかったのだ。今回のために新調した下着を見てたら、どこかの穴に入りたい気分になってきた。この下着を北条さんが見る機会なんてある訳がない。私は阿呆だ。なんでこう、見栄を張って無駄遣いしてしまうのか。
やや憂鬱な気分で荷解きを終え、部屋を出たところで電話の音がした。この音はインターホンではなく、コンシェルジュからの連絡だろう。
窓だらけの広いリビングへ行くとやはり北条さんは受話器を持っていて、冷たい声で「追い返してください」と言っていた。何かの勧誘かもしれない。ぼろアパートにも新聞の勧誘が来ていたけど、こんな高級マンションでもあの人たちは売り込みに来るのだろうか。
電話を切った北条さんは、私に向かって言った。
「真梨花さん。もし僕が不在のときに来客があっても、絶対に部屋には入れないでほしい。誰が来ても、何の荷物が届いても無視すること。コンシェルジュに預けといていいから」
「はい、分かりました」
北条さんの様子でピンと来た。さっきの来客はもしかして元カノだったのではないだろうか。これだけのイケメンでしかも御曹子ときたら、さぞかしモテるに違いない。
どんな彼女さんだったのか。北条さんがそばに置くような女性だから、お淑やかな良家の娘さんで、ブランド服を颯爽と着こなす美人のような気がする。
想像していたら自分が着ているプチプラの服が恥ずかしくなり、頭に描いた美女のイメージは忘れることにした。
病院を出たらタクシーに乗り込み、東京駅に移動する。見送りのために入場券を購入し、三人でホームに立った。他の乗客は仕事で出張するサラリーマンが多い様子だった。
「じゃあね、真梨花。体に気を付けるのよ。私がいない間に変なものを食べてたみたいだけど、体調を崩さない程度にしなさいね。お腹出したまま寝ちゃ駄目よ。お付き合いしてる男性のこと、いつか詳しく話してちょうだいね。写真もやっぱり見たいから、彼氏さんと相談してみてくれない?」
「ああもう、分かったよ。お母さんてば話が長いんだから」
「それだけ真梨花ちゃんが心配なのよ。辛くなったらいつでも京都に戻ってきていいからね」
涼子おばさんが言ったとき、新幹線の発車ベルが鳴り響いた。私をホームに残して二人はデッキに移動する。隣に誰も立たなくなり、ようやく自分が一人になるのだと自覚した。目頭が熱くなってくる。
「また連絡するから。元気でね、真梨花」
「うん、お母さんも。涼子おばさん、お母さんをお願いします」
「任せといて。じゃあ元気で」
プシュウと音がしてドアが閉まり、とうとう新幹線が走り出した。母と叔母は私が見えなくなるまでドア付近にいて、小さくなる二人を見ていたら涙が出てきた。今生の別れでもないのに、どうして泣けてくるんだろう。
(とうとう一人になっちゃった……)
昼食を取ってから出社すると、千穂先輩が心配そうな顔をしていた。しばらく泣いたせいで、私の目が腫れていたからだ。母と離れても、私には心配してくれる人がいる。だから頑張れると思う。
しょげている余裕もなく土曜になり、北条さんが言っていた通りの時間に引越し業者が来た。母の荷物はすでに発送したので、私の荷物が運ばれていくと部屋は空っぽになってしまった。
空洞になった部屋を不動産屋にチェックしてもらい、鍵を返して退出する。これでもう、私が帰るところは無くなってしまったわけだ。あの高級マンションに行くしかない。
あの日と同じように電車を乗り継いでマンションへ行き、コンシェルジュを通さずにエレベーターホールへ入った。今の私にはカードキーがあるのだ。アポなし訪問にドキドキしながらエレベータを降り、芋くさい伊達眼鏡を外してからインターホンを鳴らすと「どうぞ」と返答があった。
「お邪魔します。今日はお家にいらっしゃったんですね」
「ああ、きみの荷物が来ると思ったから。空いてる部屋に入れたけど、これで全部?」
私の部屋は彼が寝室として使っている部屋の真向かいだった。部屋の中央に段ボール箱が三つだけ置かれていて、北条さんは腕を組んでそれらを見下ろしている。荷物が少ないことが不思議でたまらない様子だ。
「これで全部です。家具を揃えてくださったんですね。ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。この間マンションに家事をしに来た時この部屋には何の家具もなかったはずだが、今はベッドや本棚、机と椅子などが置かれている。私が来るというのでひと通り揃えてくれたんだろう。
「気にしなくていいよ。いずれ必要になるものだから」
いずれって、結婚したらという意味だろうか。ではこの部屋にある家具は、私にとって借り物ということになる。傷ひとつつけないよう、大切に使おう。
私が段ボール箱に手を伸ばすと、北条さんも同じように床に膝をついた。
「荷ほどき手伝おうか?」
「はい…………いいえ。自分でやります」
「どっちか迷ったな。見られたくない物でもあるのか?」
断ったというのに、彼は何故か段ボール箱に手を伸ばしてくる。私は焦って『高原キャベツ』と書かれた箱を奪いとった。
「けっ結構です! ただ自分でやりたいだけですから!」
「ごめん、冗談だよ。真梨花さんを構いたかっただけ。僕はリビングにいるから」
彼はそう言って部屋を出て行った。私は手を段ボールに突っ込んだ状態で硬直していた。どうして名前で呼ぶのよ。そういう事されると、無駄に顔が熱くなるんですけど!
しばらくして漫画やドラマでは家政婦さんを名前で呼んでいた事を思い出し、勝手に落ち込んだ。北条の家には当然ながら家政婦がいるだろうし、彼も使用人を名前で呼んでいたに違いない。私は本当に家政婦だと思われているのだ。確かにそういう契約だったけど、変に期待した自分が馬鹿みたいである。
(こんな服、必要なかったかなぁ)
段ボールを空けると、同居のために購入した可愛い部屋着が出てきた。今までは高校のジャージを使っていたが、こんなお洒落なマンションで『3-2 恩田』とポケットに書かれたダサいズボンを履くのは気が引けるので捨てたのだ。
北条さんにも失礼だと思ったからわざわざランジェリーショップで買ってきたけど、よく考えたら家政婦がお洒落をする必要はないんじゃないの?
部屋着の下から、さらにブラジャーとショーツのセットが出てきた。私はお金をケチっていつもワゴンから安い下着を選んでいたので、上と下が揃っていなかったのだ。今回のために新調した下着を見てたら、どこかの穴に入りたい気分になってきた。この下着を北条さんが見る機会なんてある訳がない。私は阿呆だ。なんでこう、見栄を張って無駄遣いしてしまうのか。
やや憂鬱な気分で荷解きを終え、部屋を出たところで電話の音がした。この音はインターホンではなく、コンシェルジュからの連絡だろう。
窓だらけの広いリビングへ行くとやはり北条さんは受話器を持っていて、冷たい声で「追い返してください」と言っていた。何かの勧誘かもしれない。ぼろアパートにも新聞の勧誘が来ていたけど、こんな高級マンションでもあの人たちは売り込みに来るのだろうか。
電話を切った北条さんは、私に向かって言った。
「真梨花さん。もし僕が不在のときに来客があっても、絶対に部屋には入れないでほしい。誰が来ても、何の荷物が届いても無視すること。コンシェルジュに預けといていいから」
「はい、分かりました」
北条さんの様子でピンと来た。さっきの来客はもしかして元カノだったのではないだろうか。これだけのイケメンでしかも御曹子ときたら、さぞかしモテるに違いない。
どんな彼女さんだったのか。北条さんがそばに置くような女性だから、お淑やかな良家の娘さんで、ブランド服を颯爽と着こなす美人のような気がする。
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