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28 過去と決意(マーガレット)
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マーガレット・ノイドールの人生が転落し始めたのは、彼女が11歳のときだった。
父と母、弟の四人で馬車に乗って出かけた日、盗賊に出会ってしまったのだ。
彼らは父と母を脅して金品を奪ったのち、時間稼ぎのためか口封じのためか馬車を谷底へ突き落とした。父と母は身を挺して子供たちを守ろうとしたが、谷底から発見された時に生きていたのはマーガレットだけだった。
こうして彼女は、母の兄であるノイドール伯爵のもとへ引き取られる事になる。
事故のあと、マーガレットはショックのためか自分の名前すら覚えていなかった。伯父と子息は彼女に対して「親が死んだのに悲しみもしない薄情者」と言い、使用人たちもマーガレットを気味の悪い子だと噂した。
誰もがマーガレットに近付くのを嫌がったため、彼女は屋根裏部屋で過ごすようになった。
身の回りの世話をするメイドもいない。食事も当然のように運ばれてこない。だからマーガレットは自分から動くしかなかった。外の人間からすると、マーガレットも使用人のように見えた事だろう。
大勢の人間と共に暮らしていながら孤独という状況で、マーガレットが読書に溺れたのは当然の成り行きであった。マーガレットは人目を盗んでは書庫に入り浸り、片っ端からあらゆる本を読んだ。
学校にも通わず、家庭教師もつけてもらえなかった彼女が大学に進学できたのは、この頃の自助努力があってこそだろう。
特に気に入ったのは、亡くなった伯爵夫人が好んで読んでいた小説だった。王太子妃アレクサンドラの物語である。逆境に苦しみながらも前を向く彼女の姿は、マーガレットを大いに励ました。
マーガレットの人生に転機が訪れたのは15歳、伯父が勝手に第二王子との婚約を決めた日であった。
王子の婚約者ともなれば、見た目の美しさだけではなく教養も当然必要となる。伯父はこれまでとは打って変わってマーガレットに金銭をつぎ込んだ。
メイドを付けて髪と肌の手入れをさせ、有名な家庭教師を呼んでマーガレットにお妃教育を施した。マーガレットは腹が煮え繰り返るほどの怒りを覚えた。
今まで散々ほったらかしにしていたくせに。
伯父は私のことなど、駒の一つとしか思っていない。
心の底まで冷え切ったマーガレットは、第二王子バレンティンにも無愛想に振る舞った。婚約が台無しになれば伯父は悔しがるだろうという、復讐のつもりで。
しかしそんな彼女に、バレンはいつでも穏やかに接した。二人きりなのに本を手放さないマーガレットに「なにを読んでいるの?」と寄り添い、乗馬の訓練をするマーガレットに「大丈夫だよ」と傍で励ましてくる。
いつしか冷たくあしらうのも馬鹿ばかしくなり、マーガレットは彼に心を開いていった。バレンの心が大海原のように広く穏やかなのは、彼が確固たる目標のために生きているからであった。
彼は母を難病で亡くし、救えなかった事を後悔している。医師を目指す彼を支えようとマーガレットは決めた。
そんな彼らにとって、十九歳の夏は地獄のようだった。バレンの発病はマーガレットを絶望に突き落とした。
正直に言えば、バレンと一緒に死のうかと考えたこともある。
しかし彼が「僕はこの生を諦めない」とマーガレットに言ったことで、彼女はようやく冷静さを取り戻したのであった。
そして秋。マーガレットはまた運命の出会いを果たした。いや、運命だと感じたのはマーガレットだけだったかもしれない。講義室で、食堂で、物静かに本を読むノアの姿に、マーガレットはアレクサンドラのような凛とした美しさを感じていた。
不思議な女性だった。
ひとを寄せ付けない雰囲気をまとっているのに、どうしても目が彼女に吸い寄せられてしまう。
あの人と話してみたい。友人になりたい。
女性に対してこんな思いを抱くのは初めてだった。
今にして思えば、あれは天啓のようなものだったのだろう。自分にもバレンにも必要となる人物であることを、直感的に悟ったのではないかと思う。
だからマーガレットがする事は、バレンとノアを支えることだ。彼ら二人を支える柱になることだ。
どんな揺さぶりにも負けない柱になってみせよう。例え伯父が何を企んでいようとも。
ノアの見舞いを終えたマーガレットは、そんなことを考えていた。
父と母、弟の四人で馬車に乗って出かけた日、盗賊に出会ってしまったのだ。
彼らは父と母を脅して金品を奪ったのち、時間稼ぎのためか口封じのためか馬車を谷底へ突き落とした。父と母は身を挺して子供たちを守ろうとしたが、谷底から発見された時に生きていたのはマーガレットだけだった。
こうして彼女は、母の兄であるノイドール伯爵のもとへ引き取られる事になる。
事故のあと、マーガレットはショックのためか自分の名前すら覚えていなかった。伯父と子息は彼女に対して「親が死んだのに悲しみもしない薄情者」と言い、使用人たちもマーガレットを気味の悪い子だと噂した。
誰もがマーガレットに近付くのを嫌がったため、彼女は屋根裏部屋で過ごすようになった。
身の回りの世話をするメイドもいない。食事も当然のように運ばれてこない。だからマーガレットは自分から動くしかなかった。外の人間からすると、マーガレットも使用人のように見えた事だろう。
大勢の人間と共に暮らしていながら孤独という状況で、マーガレットが読書に溺れたのは当然の成り行きであった。マーガレットは人目を盗んでは書庫に入り浸り、片っ端からあらゆる本を読んだ。
学校にも通わず、家庭教師もつけてもらえなかった彼女が大学に進学できたのは、この頃の自助努力があってこそだろう。
特に気に入ったのは、亡くなった伯爵夫人が好んで読んでいた小説だった。王太子妃アレクサンドラの物語である。逆境に苦しみながらも前を向く彼女の姿は、マーガレットを大いに励ました。
マーガレットの人生に転機が訪れたのは15歳、伯父が勝手に第二王子との婚約を決めた日であった。
王子の婚約者ともなれば、見た目の美しさだけではなく教養も当然必要となる。伯父はこれまでとは打って変わってマーガレットに金銭をつぎ込んだ。
メイドを付けて髪と肌の手入れをさせ、有名な家庭教師を呼んでマーガレットにお妃教育を施した。マーガレットは腹が煮え繰り返るほどの怒りを覚えた。
今まで散々ほったらかしにしていたくせに。
伯父は私のことなど、駒の一つとしか思っていない。
心の底まで冷え切ったマーガレットは、第二王子バレンティンにも無愛想に振る舞った。婚約が台無しになれば伯父は悔しがるだろうという、復讐のつもりで。
しかしそんな彼女に、バレンはいつでも穏やかに接した。二人きりなのに本を手放さないマーガレットに「なにを読んでいるの?」と寄り添い、乗馬の訓練をするマーガレットに「大丈夫だよ」と傍で励ましてくる。
いつしか冷たくあしらうのも馬鹿ばかしくなり、マーガレットは彼に心を開いていった。バレンの心が大海原のように広く穏やかなのは、彼が確固たる目標のために生きているからであった。
彼は母を難病で亡くし、救えなかった事を後悔している。医師を目指す彼を支えようとマーガレットは決めた。
そんな彼らにとって、十九歳の夏は地獄のようだった。バレンの発病はマーガレットを絶望に突き落とした。
正直に言えば、バレンと一緒に死のうかと考えたこともある。
しかし彼が「僕はこの生を諦めない」とマーガレットに言ったことで、彼女はようやく冷静さを取り戻したのであった。
そして秋。マーガレットはまた運命の出会いを果たした。いや、運命だと感じたのはマーガレットだけだったかもしれない。講義室で、食堂で、物静かに本を読むノアの姿に、マーガレットはアレクサンドラのような凛とした美しさを感じていた。
不思議な女性だった。
ひとを寄せ付けない雰囲気をまとっているのに、どうしても目が彼女に吸い寄せられてしまう。
あの人と話してみたい。友人になりたい。
女性に対してこんな思いを抱くのは初めてだった。
今にして思えば、あれは天啓のようなものだったのだろう。自分にもバレンにも必要となる人物であることを、直感的に悟ったのではないかと思う。
だからマーガレットがする事は、バレンとノアを支えることだ。彼ら二人を支える柱になることだ。
どんな揺さぶりにも負けない柱になってみせよう。例え伯父が何を企んでいようとも。
ノアの見舞いを終えたマーガレットは、そんなことを考えていた。
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