23 / 38
23 血をください
しおりを挟む
数日間、部屋に篭ったまま本を読み続けた。バレン様に残された時間はどれだけなのか、ただそれだけが気になった。
もしかしたら、一年後には彼の笑顔を見られなくなるのでは―――そんな恐怖がわたしの心に染み付いていた。
嫌だ。絶対に嫌だ。せっかく友人になれたのに。
マーガレットの泣き顔が頭の中に焼きついて離れない。
いつの間にか、机の端に食事が置かれている。わたしはそれを食べながらページをめくった。
魔力硬化症に罹患した人々の情報をまとめた本だ。彼らの性別、年齢、体格、食生活やどんな地域に住んでいたのかなど、詳細に記されている。だけど著者にも魔力以外の決定的な原因は分からなかったらしい。
どうして魔力が高いと、この病気になるのだろう。魔力が高くても天寿を全うする人もいるはずなのに……。
そこまで考えて、急に天啓のように何かが閃いた。
そうだ、前公爵さまも魔力は高かったはずだ。彼もジオルドと同じ濃紺の瞳だったのだから。
わたしは母が残した資料に飛びついた。母は前公爵さまの血液に関してひと通り記録を残している。血液に含まれる魔素濃度は三百を超えていたようだ。これは一般の人の数十倍にあたる、凄まじい濃度である。
しかし彼の死因は肺炎だった。相当な愛煙家であった前公爵さまは、風邪が肺炎まで悪化したため亡くなったのだ。肺炎にならなければ、きっと今でも元気に暮らしていたことだろう。
魔力が高くても発病しない人とバレン様を詳しく比較すれば、病気の原因を突き止められるのでは?
でも比較するには、母の資料だけでは情報が足りない。魔力が高くても健康を維持している人間の生体情報が欲しいのだけれど。
バレン様や前公爵さまと同じレベルで魔力の高い人間……ジオルドぐらいしか思いつかない。
思わず机の上で頭を抱えてしまった。
どうしたらいいだろう。素直にジオルドに頼んでも大丈夫だろうか。あなたの血をください、と。
本来、ジオルドのような王族に近い身分の人間の体に傷をつけるなど、あってはならない事なのだ。故意でないにしろ、少し流血させただけで死罪になった事例もある。
母が前公爵さまから血液を採取できたのは、愛情があったからこそで……。母には自信があったのだ。前公爵さまは、決して自分を傷つけたり出来ないという自信が。
わたしはどうだろう。ジオルドはわたしをどう思っているだろう。ただの暇つぶし? 雇い人?
どうして俺の血が欲しいんだ、と聞かれたらどう答えればいいの。
バレン様の事情を話す訳にはいかない。でも時間もない。
どうすれば―――。
途方に暮れていると、突然背後のドアが開いた。ばたん、という音で振り返るとジオルドが立っている。そう言えば彼の顔を見たのは久しぶりだ。ジオルドも仕事が忙しかったらしく、ここ数日は会っていなかった。
「何かご用ですか……?」
自分でも気の抜けた声だった。最近考えることが多すぎて頭の中が破裂しそうだ。
ジオルドはわたしを一瞥してから言った。
「なんだ、その顔は。ちゃんと食事しているのか?」
つかつかとわたしの方へ歩いて来る。急いで読んでいた本と資料を隠した。バレン様のことに感づかれたら不味いかもしれない。
「……何を隠した? 学校の課題をしていたんじゃないのか?」
あっ、と思いついた。そうか、研究のためと言って、血液を採取させて貰えばいいじゃないか。
「ジオルド様、お願いがあります」
「お願い? 何だ、言ってみろ」
「あの、血液を採取させていただけませんか? 研究に使いたいので……」
ジオルドは怪訝そうな顔をした。目を細め、探るような視線を向けてくる。でも怒っている訳では無さそうで少しほっとした。死罪にするぞと言われなくて良かった。
彼は理解できないな、と言いたげに顔を傾け、ふっと笑うように口元を歪めている。
「研究。研究ね……。毎日遅くまで熱心なことだな。そんなに没頭するほど楽しいか?」
「それは、もう……」
「本当に研究のためか? 誰かに頼まれたんじゃないのか。准教授か、マーガレットか―――バレンに?」
名前が出た瞬間、体が強張ってしまった。息を飲んだままジオルドの顔を見つめる。目を逸らしたら何もかも嘘だとばれてしまうような気がして怖かった。
この人はバレン様の病気のことを知っているんだろうか。
わたしから情報が漏れるような事になれば、あの二人に顔向け出来ない。だから、絶対に露見しないようにしなくては……。
見つめ合ったのは数分という短い時間だったのだろう。でも、感覚的には数時間のように長く感じた。息が詰まって耐えられなくなった頃、ジオルドはようやくわたしから視線を逸らし、床の一点を見つめながら低い声で言った。
「……別に構わないが」
「本当ですか! ありがとうございます」
お礼を言いながら頭を下げ、顔を戻したとき、ジオルドはまたわたしを見ていた。彼の瞳には少しの温度もなく、暗い湖面のように揺らめいている。目が合った瞬間、背筋を冷たい手で撫でられたような心地がした。
ジオルドは薄く笑い、どこか楽しげな様子でわたしに言った。
「血はくれてやるが、条件がある」
もしかしたら、一年後には彼の笑顔を見られなくなるのでは―――そんな恐怖がわたしの心に染み付いていた。
嫌だ。絶対に嫌だ。せっかく友人になれたのに。
マーガレットの泣き顔が頭の中に焼きついて離れない。
いつの間にか、机の端に食事が置かれている。わたしはそれを食べながらページをめくった。
魔力硬化症に罹患した人々の情報をまとめた本だ。彼らの性別、年齢、体格、食生活やどんな地域に住んでいたのかなど、詳細に記されている。だけど著者にも魔力以外の決定的な原因は分からなかったらしい。
どうして魔力が高いと、この病気になるのだろう。魔力が高くても天寿を全うする人もいるはずなのに……。
そこまで考えて、急に天啓のように何かが閃いた。
そうだ、前公爵さまも魔力は高かったはずだ。彼もジオルドと同じ濃紺の瞳だったのだから。
わたしは母が残した資料に飛びついた。母は前公爵さまの血液に関してひと通り記録を残している。血液に含まれる魔素濃度は三百を超えていたようだ。これは一般の人の数十倍にあたる、凄まじい濃度である。
しかし彼の死因は肺炎だった。相当な愛煙家であった前公爵さまは、風邪が肺炎まで悪化したため亡くなったのだ。肺炎にならなければ、きっと今でも元気に暮らしていたことだろう。
魔力が高くても発病しない人とバレン様を詳しく比較すれば、病気の原因を突き止められるのでは?
でも比較するには、母の資料だけでは情報が足りない。魔力が高くても健康を維持している人間の生体情報が欲しいのだけれど。
バレン様や前公爵さまと同じレベルで魔力の高い人間……ジオルドぐらいしか思いつかない。
思わず机の上で頭を抱えてしまった。
どうしたらいいだろう。素直にジオルドに頼んでも大丈夫だろうか。あなたの血をください、と。
本来、ジオルドのような王族に近い身分の人間の体に傷をつけるなど、あってはならない事なのだ。故意でないにしろ、少し流血させただけで死罪になった事例もある。
母が前公爵さまから血液を採取できたのは、愛情があったからこそで……。母には自信があったのだ。前公爵さまは、決して自分を傷つけたり出来ないという自信が。
わたしはどうだろう。ジオルドはわたしをどう思っているだろう。ただの暇つぶし? 雇い人?
どうして俺の血が欲しいんだ、と聞かれたらどう答えればいいの。
バレン様の事情を話す訳にはいかない。でも時間もない。
どうすれば―――。
途方に暮れていると、突然背後のドアが開いた。ばたん、という音で振り返るとジオルドが立っている。そう言えば彼の顔を見たのは久しぶりだ。ジオルドも仕事が忙しかったらしく、ここ数日は会っていなかった。
「何かご用ですか……?」
自分でも気の抜けた声だった。最近考えることが多すぎて頭の中が破裂しそうだ。
ジオルドはわたしを一瞥してから言った。
「なんだ、その顔は。ちゃんと食事しているのか?」
つかつかとわたしの方へ歩いて来る。急いで読んでいた本と資料を隠した。バレン様のことに感づかれたら不味いかもしれない。
「……何を隠した? 学校の課題をしていたんじゃないのか?」
あっ、と思いついた。そうか、研究のためと言って、血液を採取させて貰えばいいじゃないか。
「ジオルド様、お願いがあります」
「お願い? 何だ、言ってみろ」
「あの、血液を採取させていただけませんか? 研究に使いたいので……」
ジオルドは怪訝そうな顔をした。目を細め、探るような視線を向けてくる。でも怒っている訳では無さそうで少しほっとした。死罪にするぞと言われなくて良かった。
彼は理解できないな、と言いたげに顔を傾け、ふっと笑うように口元を歪めている。
「研究。研究ね……。毎日遅くまで熱心なことだな。そんなに没頭するほど楽しいか?」
「それは、もう……」
「本当に研究のためか? 誰かに頼まれたんじゃないのか。准教授か、マーガレットか―――バレンに?」
名前が出た瞬間、体が強張ってしまった。息を飲んだままジオルドの顔を見つめる。目を逸らしたら何もかも嘘だとばれてしまうような気がして怖かった。
この人はバレン様の病気のことを知っているんだろうか。
わたしから情報が漏れるような事になれば、あの二人に顔向け出来ない。だから、絶対に露見しないようにしなくては……。
見つめ合ったのは数分という短い時間だったのだろう。でも、感覚的には数時間のように長く感じた。息が詰まって耐えられなくなった頃、ジオルドはようやくわたしから視線を逸らし、床の一点を見つめながら低い声で言った。
「……別に構わないが」
「本当ですか! ありがとうございます」
お礼を言いながら頭を下げ、顔を戻したとき、ジオルドはまたわたしを見ていた。彼の瞳には少しの温度もなく、暗い湖面のように揺らめいている。目が合った瞬間、背筋を冷たい手で撫でられたような心地がした。
ジオルドは薄く笑い、どこか楽しげな様子でわたしに言った。
「血はくれてやるが、条件がある」
11
お気に入りに追加
1,218
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい
エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。
だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい
一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる