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21 元婚約者と友人
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無事に前期試験が終わった。わたしはほっと息をつき、広い廊下に出た。窓の近くや廊下の端では、試験結果について話し合う生徒が何人か集まっている。
彼らを横目で見ながら通りすぎ、研究室を目指した。試験の結果については何の心配もしていない。マーガレットとバレン様、二人のおかげで効率よく勉強できたのだから。
試験結果もジオルドに報告した方がいいのだろうか。別にそこまでしなくてもいいような気もするのだが、彼はわたしにとって資金提供者なのだから、言った方がいいだろうか。
しかし最近のジオルドはどうも様子がおかしい。わたしが話している時も上辺だけで聞いているような雰囲気で、言葉が深く伝わっている感触がないのだ。表情も乏しくて不気味である。以前はわたしに対して「どうイジメてやろうか」とでも言いたげなニヤリ顔をしていたくせに。
考えごとをしていたら、前を歩いていた人の背中に思いっきりぶつかってしまった。痛む鼻先をさすりながら「すみません」と顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。相手も目を丸くしている。
「え? だ、ダリオ!」
「うげっ、ノア!」
わたしの顔を見るなり、男は一目散に逃げようとする。すかさず奴のコートのすそを捕まえて引っ張った。
「ちょっと! 何も逃げる事ないでしょ、あんたに恨みなんかないわよ。わたしが身勝手にあんたにしがみ付いてただけなんだから」
「ほっ本当……か?」
茶髪の軽そうな男がわたしを見ている。琥珀色の瞳にはなぜか怯えが浮かんでいた。
「何をそんなに怖がってんの?」
「いや、その……お前、最後の仕事どうなった?」
「えっ。なんで最後の仕事とかあんたが知ってんのよ」
「う……」
言葉に詰まったダリオは、目をキョロキョロさせて辺りの様子を伺った。まるで何かに追われているかのようだった。この人、危ない仕事でもしたんだろうか。わたしもひとの事は言えないけれど。
その時、遠くから「ダリオ、行くぞ」と彼を呼ぶ声が響き、ダリオはハッとした顔で「またな」と呟いて逃げるように走って行った。彼等は箱をいくつか運んでいて、どうやら薬品の納入に来ていたようだった。
遠ざかるダリオの背中を見ながら不思議に思う。
どうして彼がわたしの最後の仕事について知っているんだろう。あの仕事については依頼者とジオルド以外、誰も知らないはずなのに。
しばらくの間、ダリオの怯えたような表情はわたしの頭の中に居座った。しかしその後に起きた事件によって、すっかり忘れることになったのだった。
大学が冬休みに入ったある日、わたしは友人と待ち合わせをしていた。
友人というのは勿論、マーガレットとバレン様である。
この時期は首都の中央公園で雪像を作る催事が開かれていて、二人はその見物にわたしを誘ったのだった。婚約者である二人のデートに同伴するのはどうかと思い固辞したが、マーガレットもバレン様もなかなか諦めてくれなかったので行くことにした。
「ノア、こっちだよー」
白鳥の雪像の前でマーガレットが手を振っている。さくさくと雪を踏みながら近付いていくと、彼女の隣にバレン様も立っていた。この催事を楽しみにしていたのか、バレン様の頬は赤く、少しはしゃいでいるような雰囲気があった。
いつものように、王子様をマーガレットとわたしの二人で挟みながら雪道を歩いて行く。
道の両脇には雪灯と呼ばれる小さな塔が一定の間隔をあけて並んでいた。バレン様が言うには、夜になると塔の屋根下に置かれたロウソクに火が灯り、幻想的な光景になるらしい。
マーガレットが「とても素敵なのよ」と、うっとりした顔で呟いた。わたしは「そうなんだ」と頷きながら、果たして見る機会なんてあるのかと思ってしまう。
だいたい見るって誰と見るんだろう。ダリオはもうあり得ないとして……ジオルドなんか尚さら無理そう。「寒い日にわざわざ外に出て、ロウソクの炎など見つめて何になる」とか言いそうだし。
いや、そもそも公爵と呼ばれる人が、わたしの提案に乗って外出なんてしてくれるはずが―――。
首を振ってジオルドを頭から追い出した。
わたしは遊びに来てるんだから、雪像に集中しよう。
雪像は公園内の道に沿うように置かれていて、わたし達はゆっくりと歩きながらそれらを見物した。美しい人魚の像、一角獣と乙女の像、神話に登場する逞しい神々の像。一般の人々の作品に混じるように、明らかに名のある彫刻家が作ったと思われるものもあった。
バレン様は像の一つひとつを詳しく説明してくれる。日の光を浴びてきらきらと輝く雪像を見あげながら、そう言えば神話なんてほとんど知らずに生きてきたわ、と思った。バレン様は神話について造詣が深いらしい。
彼らを横目で見ながら通りすぎ、研究室を目指した。試験の結果については何の心配もしていない。マーガレットとバレン様、二人のおかげで効率よく勉強できたのだから。
試験結果もジオルドに報告した方がいいのだろうか。別にそこまでしなくてもいいような気もするのだが、彼はわたしにとって資金提供者なのだから、言った方がいいだろうか。
しかし最近のジオルドはどうも様子がおかしい。わたしが話している時も上辺だけで聞いているような雰囲気で、言葉が深く伝わっている感触がないのだ。表情も乏しくて不気味である。以前はわたしに対して「どうイジメてやろうか」とでも言いたげなニヤリ顔をしていたくせに。
考えごとをしていたら、前を歩いていた人の背中に思いっきりぶつかってしまった。痛む鼻先をさすりながら「すみません」と顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。相手も目を丸くしている。
「え? だ、ダリオ!」
「うげっ、ノア!」
わたしの顔を見るなり、男は一目散に逃げようとする。すかさず奴のコートのすそを捕まえて引っ張った。
「ちょっと! 何も逃げる事ないでしょ、あんたに恨みなんかないわよ。わたしが身勝手にあんたにしがみ付いてただけなんだから」
「ほっ本当……か?」
茶髪の軽そうな男がわたしを見ている。琥珀色の瞳にはなぜか怯えが浮かんでいた。
「何をそんなに怖がってんの?」
「いや、その……お前、最後の仕事どうなった?」
「えっ。なんで最後の仕事とかあんたが知ってんのよ」
「う……」
言葉に詰まったダリオは、目をキョロキョロさせて辺りの様子を伺った。まるで何かに追われているかのようだった。この人、危ない仕事でもしたんだろうか。わたしもひとの事は言えないけれど。
その時、遠くから「ダリオ、行くぞ」と彼を呼ぶ声が響き、ダリオはハッとした顔で「またな」と呟いて逃げるように走って行った。彼等は箱をいくつか運んでいて、どうやら薬品の納入に来ていたようだった。
遠ざかるダリオの背中を見ながら不思議に思う。
どうして彼がわたしの最後の仕事について知っているんだろう。あの仕事については依頼者とジオルド以外、誰も知らないはずなのに。
しばらくの間、ダリオの怯えたような表情はわたしの頭の中に居座った。しかしその後に起きた事件によって、すっかり忘れることになったのだった。
大学が冬休みに入ったある日、わたしは友人と待ち合わせをしていた。
友人というのは勿論、マーガレットとバレン様である。
この時期は首都の中央公園で雪像を作る催事が開かれていて、二人はその見物にわたしを誘ったのだった。婚約者である二人のデートに同伴するのはどうかと思い固辞したが、マーガレットもバレン様もなかなか諦めてくれなかったので行くことにした。
「ノア、こっちだよー」
白鳥の雪像の前でマーガレットが手を振っている。さくさくと雪を踏みながら近付いていくと、彼女の隣にバレン様も立っていた。この催事を楽しみにしていたのか、バレン様の頬は赤く、少しはしゃいでいるような雰囲気があった。
いつものように、王子様をマーガレットとわたしの二人で挟みながら雪道を歩いて行く。
道の両脇には雪灯と呼ばれる小さな塔が一定の間隔をあけて並んでいた。バレン様が言うには、夜になると塔の屋根下に置かれたロウソクに火が灯り、幻想的な光景になるらしい。
マーガレットが「とても素敵なのよ」と、うっとりした顔で呟いた。わたしは「そうなんだ」と頷きながら、果たして見る機会なんてあるのかと思ってしまう。
だいたい見るって誰と見るんだろう。ダリオはもうあり得ないとして……ジオルドなんか尚さら無理そう。「寒い日にわざわざ外に出て、ロウソクの炎など見つめて何になる」とか言いそうだし。
いや、そもそも公爵と呼ばれる人が、わたしの提案に乗って外出なんてしてくれるはずが―――。
首を振ってジオルドを頭から追い出した。
わたしは遊びに来てるんだから、雪像に集中しよう。
雪像は公園内の道に沿うように置かれていて、わたし達はゆっくりと歩きながらそれらを見物した。美しい人魚の像、一角獣と乙女の像、神話に登場する逞しい神々の像。一般の人々の作品に混じるように、明らかに名のある彫刻家が作ったと思われるものもあった。
バレン様は像の一つひとつを詳しく説明してくれる。日の光を浴びてきらきらと輝く雪像を見あげながら、そう言えば神話なんてほとんど知らずに生きてきたわ、と思った。バレン様は神話について造詣が深いらしい。
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