21 / 38
21 元婚約者と友人
しおりを挟む
無事に前期試験が終わった。わたしはほっと息をつき、広い廊下に出た。窓の近くや廊下の端では、試験結果について話し合う生徒が何人か集まっている。
彼らを横目で見ながら通りすぎ、研究室を目指した。試験の結果については何の心配もしていない。マーガレットとバレン様、二人のおかげで効率よく勉強できたのだから。
試験結果もジオルドに報告した方がいいのだろうか。別にそこまでしなくてもいいような気もするのだが、彼はわたしにとって資金提供者なのだから、言った方がいいだろうか。
しかし最近のジオルドはどうも様子がおかしい。わたしが話している時も上辺だけで聞いているような雰囲気で、言葉が深く伝わっている感触がないのだ。表情も乏しくて不気味である。以前はわたしに対して「どうイジメてやろうか」とでも言いたげなニヤリ顔をしていたくせに。
考えごとをしていたら、前を歩いていた人の背中に思いっきりぶつかってしまった。痛む鼻先をさすりながら「すみません」と顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。相手も目を丸くしている。
「え? だ、ダリオ!」
「うげっ、ノア!」
わたしの顔を見るなり、男は一目散に逃げようとする。すかさず奴のコートのすそを捕まえて引っ張った。
「ちょっと! 何も逃げる事ないでしょ、あんたに恨みなんかないわよ。わたしが身勝手にあんたにしがみ付いてただけなんだから」
「ほっ本当……か?」
茶髪の軽そうな男がわたしを見ている。琥珀色の瞳にはなぜか怯えが浮かんでいた。
「何をそんなに怖がってんの?」
「いや、その……お前、最後の仕事どうなった?」
「えっ。なんで最後の仕事とかあんたが知ってんのよ」
「う……」
言葉に詰まったダリオは、目をキョロキョロさせて辺りの様子を伺った。まるで何かに追われているかのようだった。この人、危ない仕事でもしたんだろうか。わたしもひとの事は言えないけれど。
その時、遠くから「ダリオ、行くぞ」と彼を呼ぶ声が響き、ダリオはハッとした顔で「またな」と呟いて逃げるように走って行った。彼等は箱をいくつか運んでいて、どうやら薬品の納入に来ていたようだった。
遠ざかるダリオの背中を見ながら不思議に思う。
どうして彼がわたしの最後の仕事について知っているんだろう。あの仕事については依頼者とジオルド以外、誰も知らないはずなのに。
しばらくの間、ダリオの怯えたような表情はわたしの頭の中に居座った。しかしその後に起きた事件によって、すっかり忘れることになったのだった。
大学が冬休みに入ったある日、わたしは友人と待ち合わせをしていた。
友人というのは勿論、マーガレットとバレン様である。
この時期は首都の中央公園で雪像を作る催事が開かれていて、二人はその見物にわたしを誘ったのだった。婚約者である二人のデートに同伴するのはどうかと思い固辞したが、マーガレットもバレン様もなかなか諦めてくれなかったので行くことにした。
「ノア、こっちだよー」
白鳥の雪像の前でマーガレットが手を振っている。さくさくと雪を踏みながら近付いていくと、彼女の隣にバレン様も立っていた。この催事を楽しみにしていたのか、バレン様の頬は赤く、少しはしゃいでいるような雰囲気があった。
いつものように、王子様をマーガレットとわたしの二人で挟みながら雪道を歩いて行く。
道の両脇には雪灯と呼ばれる小さな塔が一定の間隔をあけて並んでいた。バレン様が言うには、夜になると塔の屋根下に置かれたロウソクに火が灯り、幻想的な光景になるらしい。
マーガレットが「とても素敵なのよ」と、うっとりした顔で呟いた。わたしは「そうなんだ」と頷きながら、果たして見る機会なんてあるのかと思ってしまう。
だいたい見るって誰と見るんだろう。ダリオはもうあり得ないとして……ジオルドなんか尚さら無理そう。「寒い日にわざわざ外に出て、ロウソクの炎など見つめて何になる」とか言いそうだし。
いや、そもそも公爵と呼ばれる人が、わたしの提案に乗って外出なんてしてくれるはずが―――。
首を振ってジオルドを頭から追い出した。
わたしは遊びに来てるんだから、雪像に集中しよう。
雪像は公園内の道に沿うように置かれていて、わたし達はゆっくりと歩きながらそれらを見物した。美しい人魚の像、一角獣と乙女の像、神話に登場する逞しい神々の像。一般の人々の作品に混じるように、明らかに名のある彫刻家が作ったと思われるものもあった。
バレン様は像の一つひとつを詳しく説明してくれる。日の光を浴びてきらきらと輝く雪像を見あげながら、そう言えば神話なんてほとんど知らずに生きてきたわ、と思った。バレン様は神話について造詣が深いらしい。
彼らを横目で見ながら通りすぎ、研究室を目指した。試験の結果については何の心配もしていない。マーガレットとバレン様、二人のおかげで効率よく勉強できたのだから。
試験結果もジオルドに報告した方がいいのだろうか。別にそこまでしなくてもいいような気もするのだが、彼はわたしにとって資金提供者なのだから、言った方がいいだろうか。
しかし最近のジオルドはどうも様子がおかしい。わたしが話している時も上辺だけで聞いているような雰囲気で、言葉が深く伝わっている感触がないのだ。表情も乏しくて不気味である。以前はわたしに対して「どうイジメてやろうか」とでも言いたげなニヤリ顔をしていたくせに。
考えごとをしていたら、前を歩いていた人の背中に思いっきりぶつかってしまった。痛む鼻先をさすりながら「すみません」と顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。相手も目を丸くしている。
「え? だ、ダリオ!」
「うげっ、ノア!」
わたしの顔を見るなり、男は一目散に逃げようとする。すかさず奴のコートのすそを捕まえて引っ張った。
「ちょっと! 何も逃げる事ないでしょ、あんたに恨みなんかないわよ。わたしが身勝手にあんたにしがみ付いてただけなんだから」
「ほっ本当……か?」
茶髪の軽そうな男がわたしを見ている。琥珀色の瞳にはなぜか怯えが浮かんでいた。
「何をそんなに怖がってんの?」
「いや、その……お前、最後の仕事どうなった?」
「えっ。なんで最後の仕事とかあんたが知ってんのよ」
「う……」
言葉に詰まったダリオは、目をキョロキョロさせて辺りの様子を伺った。まるで何かに追われているかのようだった。この人、危ない仕事でもしたんだろうか。わたしもひとの事は言えないけれど。
その時、遠くから「ダリオ、行くぞ」と彼を呼ぶ声が響き、ダリオはハッとした顔で「またな」と呟いて逃げるように走って行った。彼等は箱をいくつか運んでいて、どうやら薬品の納入に来ていたようだった。
遠ざかるダリオの背中を見ながら不思議に思う。
どうして彼がわたしの最後の仕事について知っているんだろう。あの仕事については依頼者とジオルド以外、誰も知らないはずなのに。
しばらくの間、ダリオの怯えたような表情はわたしの頭の中に居座った。しかしその後に起きた事件によって、すっかり忘れることになったのだった。
大学が冬休みに入ったある日、わたしは友人と待ち合わせをしていた。
友人というのは勿論、マーガレットとバレン様である。
この時期は首都の中央公園で雪像を作る催事が開かれていて、二人はその見物にわたしを誘ったのだった。婚約者である二人のデートに同伴するのはどうかと思い固辞したが、マーガレットもバレン様もなかなか諦めてくれなかったので行くことにした。
「ノア、こっちだよー」
白鳥の雪像の前でマーガレットが手を振っている。さくさくと雪を踏みながら近付いていくと、彼女の隣にバレン様も立っていた。この催事を楽しみにしていたのか、バレン様の頬は赤く、少しはしゃいでいるような雰囲気があった。
いつものように、王子様をマーガレットとわたしの二人で挟みながら雪道を歩いて行く。
道の両脇には雪灯と呼ばれる小さな塔が一定の間隔をあけて並んでいた。バレン様が言うには、夜になると塔の屋根下に置かれたロウソクに火が灯り、幻想的な光景になるらしい。
マーガレットが「とても素敵なのよ」と、うっとりした顔で呟いた。わたしは「そうなんだ」と頷きながら、果たして見る機会なんてあるのかと思ってしまう。
だいたい見るって誰と見るんだろう。ダリオはもうあり得ないとして……ジオルドなんか尚さら無理そう。「寒い日にわざわざ外に出て、ロウソクの炎など見つめて何になる」とか言いそうだし。
いや、そもそも公爵と呼ばれる人が、わたしの提案に乗って外出なんてしてくれるはずが―――。
首を振ってジオルドを頭から追い出した。
わたしは遊びに来てるんだから、雪像に集中しよう。
雪像は公園内の道に沿うように置かれていて、わたし達はゆっくりと歩きながらそれらを見物した。美しい人魚の像、一角獣と乙女の像、神話に登場する逞しい神々の像。一般の人々の作品に混じるように、明らかに名のある彫刻家が作ったと思われるものもあった。
バレン様は像の一つひとつを詳しく説明してくれる。日の光を浴びてきらきらと輝く雪像を見あげながら、そう言えば神話なんてほとんど知らずに生きてきたわ、と思った。バレン様は神話について造詣が深いらしい。
11
お気に入りに追加
1,218
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
心を病んだ魔術師さまに執着されてしまった
あーもんど
恋愛
“稀代の天才”と持て囃される魔術師さまの窮地を救ったことで、気に入られてしまった主人公グレイス。
本人は大して気にしていないものの、魔術師さまの言動は常軌を逸していて……?
例えば、子供のようにベッタリ後を付いてきたり……
異性との距離感やボディタッチについて、制限してきたり……
名前で呼んでほしい、と懇願してきたり……
とにかく、グレイスを独り占めしたくて堪らない様子。
さすがのグレイスも、仕事や生活に支障をきたすような要求は断ろうとするが……
「僕のこと、嫌い……?」
「そいつらの方がいいの……?」
「僕は君が居ないと、もう生きていけないのに……」
と、泣き縋られて結局承諾してしまう。
まだ魔術師さまを窮地に追いやったあの事件から日も浅く、かなり情緒不安定だったため。
「────私が魔術師さまをお支えしなければ」
と、グレイスはかなり気負っていた。
────これはメンタルよわよわなエリート魔術師さまを、主人公がひたすらヨシヨシするお話である。
*小説家になろう様にて、先行公開中*
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる