18 / 38
18 研究室にて
しおりを挟む
サイラス氏はわたしに対して探るような視線を向けている。
「……君はもしかして、フレデリックの娘さんかい? フレデリック・ブラキストンは私の友人なんだが」
「えっ、父をご存知なんですか?」
「知っているとも。彼とはずっと同期で―――だからとても残念だった。まさか彼のような天才が、あんなにあっけなくこの世を去ってしまうとは……」
先生は肩を落とし、寂しそうな顔をした。生まれる前に父を亡くしたわたしはどう返していいか分からず、しばらく研究室に沈黙が落ちた。
「……いや、すまないね。辛いのは君も同じだった。ノア君、是非この研究室に入ってくれ。有意義な研究が出来ると約束するよ」
「は、はい」
「先生、あの装置をノアに見てもらいましょう。きっと驚きますよ」
わたしと先生を静かに見守っていたバレン様が明るい声で言った。彼の提案が切っ掛けとなり、わたし達は部屋を移動する事になった。
サイラス先生の部屋の奥にもう一つドアがあり、それを開けるとやや狭い場所に出た。やけに細長い部屋だ。壁に嵌められたガラスの向こうに、もう一つ正方形の部屋が見える。真四角な部屋の内部は異様で、思わず息を飲んだ。
「うわ……向こうの部屋、床も壁も天井も、びっしり魔術文字が書かれてますね。部屋全体が魔術陣なのですか?」
複雑な図形と文字で部屋が埋め尽くされている。入るのが怖いと感じる程だ。
わたしが驚く様子を、三人は面白そうに見ている。
「その通り。ここは魔術陣によって疑似人間を作る装置なんだよ」
サイラス先生が得意げに言った。
「疑似人間? 魔術による、人間にそっくりな存在という事ですか?」
「そうだ。実際に見たほうが分かりやすいだろう。今回は中肉中背の男性でいいかな……」
先生が壁沿いに置かれた魔術装置をいじると、部屋の文字がぼうっと光りだした。光は中心に収束し、やがて一人の人間になる。わたし達と同じ二十歳前後の男性だ。ちゃんと服を着ているが、顔の造作はぼんやりしていた。
「わ、凄い……」
「何度見ても凄いわね」
「これぞ魔術の結晶って感じだよね……」
わたしとマーガレット、バレン様は疑似人間にすっかり見惚れてしまった。ガラスの向こうにいる疑似人間は部屋の中を歩き回っていて、動きも本物の人間のようだった。装置を調整しながら先生が説明する。
「私は彼の事を、敬愛を込めて“ルーカス”と呼んでいてね」
ルーカスとは、およそ千年前に実在したと言われている医師の名である。身分の貴賎なく人々を救った偉人として有名で、今日では聖人として崇められている。
わたしは何故ルーカスが生み出されたのかを考えてみた。
「ルーカスは、臨床試験などで活躍しているのですか?」
「その通りだ。ルーカスには医学生たちのオペの練習や臨床試験などで頑張ってもらっている。生身の人間では危険な実験も彼のおかげで出来るようになったし、外科医を目指す生徒にとって彼は無くてはならない存在なんだ」
確かに素晴らしく有意義な装置である。ルーカスに触ることも出来るとの事で、わたし達三人は隣の文字だらけの部屋に入った。ルーカスは部屋から出てしまうと固体を維持出来ないらしい。
わたしが「初めまして」と手を差し出すと、ルーカスも手を握り返してくる。サイラス先生によると基本的な知能は持っているとの事だった。握った手は温かく、手首に触れると脈がある。本当に凄い装置だ。
交替で握手を交わしたあと、三人で部屋を出た。先生がルーカスに「ありがとう、ルーカス」と言葉をかけ、起動を解除する。ルーカスが光の粒を撒き散らしながら霧散すると、部屋の中には物寂しい雰囲気が満ちた。
研究室へ戻った後、サイラス先生が四人分の珈琲を用意してくれた。先生は基本的に全ての器具を自分で作ってしまうらしく、豆を挽く珈琲ミルもサイフォンも自作の品だ。本当に器用な人だと思う。
談笑している内に、講義を終えた学生たちが少しずつ研究室へやって来る。室内が狭くなってきたので退室しようとすると、先生はわたしに書類を書くように言った。
そしてわたしは流されるままに、サイラス准教授の研究室に加わる事になったのだった。
研究棟を出たところでマーガレット達と別れ、帰途へついた。わたしの足取りは軽かった。勉強は楽しく、今日なんてマーガレットとバレン様の二人と知り合いになれたのだ。サイラス先生との出会いもあったし。
最高の気分で公爵家の屋敷に入り、ジオルドに報告した。彼は珍しく何か書類を書いているところだった―――わたしの部屋で。自室ではなく他人の部屋で。不法侵入だと叫んでやりたい。
「―――という訳で、無事にお二人と知り合いになれました」
わたしだってやれば出来るのよ。二人と友達になれたんだから!
得意げな顔をしていると、ジオルドは無言で椅子から立ち上がりわたしの頭を撫でた。猫の時と手つきが同じだ。わたしは今、人間なんですけど。
「……君はもしかして、フレデリックの娘さんかい? フレデリック・ブラキストンは私の友人なんだが」
「えっ、父をご存知なんですか?」
「知っているとも。彼とはずっと同期で―――だからとても残念だった。まさか彼のような天才が、あんなにあっけなくこの世を去ってしまうとは……」
先生は肩を落とし、寂しそうな顔をした。生まれる前に父を亡くしたわたしはどう返していいか分からず、しばらく研究室に沈黙が落ちた。
「……いや、すまないね。辛いのは君も同じだった。ノア君、是非この研究室に入ってくれ。有意義な研究が出来ると約束するよ」
「は、はい」
「先生、あの装置をノアに見てもらいましょう。きっと驚きますよ」
わたしと先生を静かに見守っていたバレン様が明るい声で言った。彼の提案が切っ掛けとなり、わたし達は部屋を移動する事になった。
サイラス先生の部屋の奥にもう一つドアがあり、それを開けるとやや狭い場所に出た。やけに細長い部屋だ。壁に嵌められたガラスの向こうに、もう一つ正方形の部屋が見える。真四角な部屋の内部は異様で、思わず息を飲んだ。
「うわ……向こうの部屋、床も壁も天井も、びっしり魔術文字が書かれてますね。部屋全体が魔術陣なのですか?」
複雑な図形と文字で部屋が埋め尽くされている。入るのが怖いと感じる程だ。
わたしが驚く様子を、三人は面白そうに見ている。
「その通り。ここは魔術陣によって疑似人間を作る装置なんだよ」
サイラス先生が得意げに言った。
「疑似人間? 魔術による、人間にそっくりな存在という事ですか?」
「そうだ。実際に見たほうが分かりやすいだろう。今回は中肉中背の男性でいいかな……」
先生が壁沿いに置かれた魔術装置をいじると、部屋の文字がぼうっと光りだした。光は中心に収束し、やがて一人の人間になる。わたし達と同じ二十歳前後の男性だ。ちゃんと服を着ているが、顔の造作はぼんやりしていた。
「わ、凄い……」
「何度見ても凄いわね」
「これぞ魔術の結晶って感じだよね……」
わたしとマーガレット、バレン様は疑似人間にすっかり見惚れてしまった。ガラスの向こうにいる疑似人間は部屋の中を歩き回っていて、動きも本物の人間のようだった。装置を調整しながら先生が説明する。
「私は彼の事を、敬愛を込めて“ルーカス”と呼んでいてね」
ルーカスとは、およそ千年前に実在したと言われている医師の名である。身分の貴賎なく人々を救った偉人として有名で、今日では聖人として崇められている。
わたしは何故ルーカスが生み出されたのかを考えてみた。
「ルーカスは、臨床試験などで活躍しているのですか?」
「その通りだ。ルーカスには医学生たちのオペの練習や臨床試験などで頑張ってもらっている。生身の人間では危険な実験も彼のおかげで出来るようになったし、外科医を目指す生徒にとって彼は無くてはならない存在なんだ」
確かに素晴らしく有意義な装置である。ルーカスに触ることも出来るとの事で、わたし達三人は隣の文字だらけの部屋に入った。ルーカスは部屋から出てしまうと固体を維持出来ないらしい。
わたしが「初めまして」と手を差し出すと、ルーカスも手を握り返してくる。サイラス先生によると基本的な知能は持っているとの事だった。握った手は温かく、手首に触れると脈がある。本当に凄い装置だ。
交替で握手を交わしたあと、三人で部屋を出た。先生がルーカスに「ありがとう、ルーカス」と言葉をかけ、起動を解除する。ルーカスが光の粒を撒き散らしながら霧散すると、部屋の中には物寂しい雰囲気が満ちた。
研究室へ戻った後、サイラス先生が四人分の珈琲を用意してくれた。先生は基本的に全ての器具を自分で作ってしまうらしく、豆を挽く珈琲ミルもサイフォンも自作の品だ。本当に器用な人だと思う。
談笑している内に、講義を終えた学生たちが少しずつ研究室へやって来る。室内が狭くなってきたので退室しようとすると、先生はわたしに書類を書くように言った。
そしてわたしは流されるままに、サイラス准教授の研究室に加わる事になったのだった。
研究棟を出たところでマーガレット達と別れ、帰途へついた。わたしの足取りは軽かった。勉強は楽しく、今日なんてマーガレットとバレン様の二人と知り合いになれたのだ。サイラス先生との出会いもあったし。
最高の気分で公爵家の屋敷に入り、ジオルドに報告した。彼は珍しく何か書類を書いているところだった―――わたしの部屋で。自室ではなく他人の部屋で。不法侵入だと叫んでやりたい。
「―――という訳で、無事にお二人と知り合いになれました」
わたしだってやれば出来るのよ。二人と友達になれたんだから!
得意げな顔をしていると、ジオルドは無言で椅子から立ち上がりわたしの頭を撫でた。猫の時と手つきが同じだ。わたしは今、人間なんですけど。
11
お気に入りに追加
1,218
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
心を病んだ魔術師さまに執着されてしまった
あーもんど
恋愛
“稀代の天才”と持て囃される魔術師さまの窮地を救ったことで、気に入られてしまった主人公グレイス。
本人は大して気にしていないものの、魔術師さまの言動は常軌を逸していて……?
例えば、子供のようにベッタリ後を付いてきたり……
異性との距離感やボディタッチについて、制限してきたり……
名前で呼んでほしい、と懇願してきたり……
とにかく、グレイスを独り占めしたくて堪らない様子。
さすがのグレイスも、仕事や生活に支障をきたすような要求は断ろうとするが……
「僕のこと、嫌い……?」
「そいつらの方がいいの……?」
「僕は君が居ないと、もう生きていけないのに……」
と、泣き縋られて結局承諾してしまう。
まだ魔術師さまを窮地に追いやったあの事件から日も浅く、かなり情緒不安定だったため。
「────私が魔術師さまをお支えしなければ」
と、グレイスはかなり気負っていた。
────これはメンタルよわよわなエリート魔術師さまを、主人公がひたすらヨシヨシするお話である。
*小説家になろう様にて、先行公開中*
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる