しつこい公爵が、わたしを逃がしてくれない

千堂みくま

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18 研究室にて

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 サイラス氏はわたしに対して探るような視線を向けている。

「……君はもしかして、フレデリックの娘さんかい? フレデリック・ブラキストンは私の友人なんだが」

「えっ、父をご存知なんですか?」

「知っているとも。彼とはずっと同期で―――だからとても残念だった。まさか彼のような天才が、あんなにあっけなくこの世を去ってしまうとは……」

 先生は肩を落とし、寂しそうな顔をした。生まれる前に父を亡くしたわたしはどう返していいか分からず、しばらく研究室に沈黙が落ちた。

「……いや、すまないね。辛いのは君も同じだった。ノア君、是非この研究室に入ってくれ。有意義な研究が出来ると約束するよ」

「は、はい」

「先生、あの装置をノアに見てもらいましょう。きっと驚きますよ」

 わたしと先生を静かに見守っていたバレン様が明るい声で言った。彼の提案が切っ掛けとなり、わたし達は部屋を移動する事になった。

 サイラス先生の部屋の奥にもう一つドアがあり、それを開けるとやや狭い場所に出た。やけに細長い部屋だ。壁に嵌められたガラスの向こうに、もう一つ正方形の部屋が見える。真四角な部屋の内部は異様で、思わず息を飲んだ。

「うわ……向こうの部屋、床も壁も天井も、びっしり魔術文字が書かれてますね。部屋全体が魔術陣なのですか?」

 複雑な図形と文字で部屋が埋め尽くされている。入るのが怖いと感じる程だ。
 わたしが驚く様子を、三人は面白そうに見ている。

「その通り。ここは魔術陣によって疑似人間を作る装置なんだよ」

 サイラス先生が得意げに言った。

「疑似人間? 魔術による、人間にそっくりな存在という事ですか?」

「そうだ。実際に見たほうが分かりやすいだろう。今回は中肉中背の男性でいいかな……」

 先生が壁沿いに置かれた魔術装置をいじると、部屋の文字がぼうっと光りだした。光は中心に収束し、やがて一人の人間になる。わたし達と同じ二十歳前後の男性だ。ちゃんと服を着ているが、顔の造作はぼんやりしていた。

「わ、凄い……」

「何度見ても凄いわね」

「これぞ魔術の結晶って感じだよね……」

 わたしとマーガレット、バレン様は疑似人間にすっかり見惚れてしまった。ガラスの向こうにいる疑似人間は部屋の中を歩き回っていて、動きも本物の人間のようだった。装置を調整しながら先生が説明する。

「私は彼の事を、敬愛を込めて“ルーカス”と呼んでいてね」

 ルーカスとは、およそ千年前に実在したと言われている医師の名である。身分の貴賎なく人々を救った偉人として有名で、今日こんにちでは聖人として崇められている。

 わたしは何故ルーカスが生み出されたのかを考えてみた。

「ルーカスは、臨床りんしょう試験などで活躍しているのですか?」

「その通りだ。ルーカスには医学生たちのオペの練習や臨床試験などで頑張ってもらっている。生身の人間では危険な実験も彼のおかげで出来るようになったし、外科医を目指す生徒にとって彼は無くてはならない存在なんだ」

 確かに素晴らしく有意義な装置である。ルーカスに触ることも出来るとの事で、わたし達三人は隣の文字だらけの部屋に入った。ルーカスは部屋から出てしまうと固体を維持出来ないらしい。

 わたしが「初めまして」と手を差し出すと、ルーカスも手を握り返してくる。サイラス先生によると基本的な知能は持っているとの事だった。握った手は温かく、手首に触れると脈がある。本当に凄い装置だ。

 交替で握手を交わしたあと、三人で部屋を出た。先生がルーカスに「ありがとう、ルーカス」と言葉をかけ、起動を解除する。ルーカスが光の粒を撒き散らしながら霧散すると、部屋の中には物寂しい雰囲気が満ちた。

 研究室へ戻った後、サイラス先生が四人分の珈琲を用意してくれた。先生は基本的に全ての器具を自分で作ってしまうらしく、豆を挽く珈琲ミルもサイフォンも自作の品だ。本当に器用な人だと思う。

 談笑している内に、講義を終えた学生たちが少しずつ研究室へやって来る。室内が狭くなってきたので退室しようとすると、先生はわたしに書類を書くように言った。
 そしてわたしは流されるままに、サイラス准教授の研究室に加わる事になったのだった。

 研究棟を出たところでマーガレット達と別れ、帰途へついた。わたしの足取りは軽かった。勉強は楽しく、今日なんてマーガレットとバレン様の二人と知り合いになれたのだ。サイラス先生との出会いもあったし。

 最高の気分で公爵家の屋敷に入り、ジオルドに報告した。彼は珍しく何か書類を書いているところだった―――わたしの部屋で。自室ではなく他人の部屋で。不法侵入だと叫んでやりたい。

「―――という訳で、無事にお二人と知り合いになれました」

 わたしだってやれば出来るのよ。二人と友達になれたんだから!
 得意げな顔をしていると、ジオルドは無言で椅子から立ち上がりわたしの頭を撫でた。猫の時と手つきが同じだ。わたしは今、人間なんですけど。
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